いのちの風 bS41
11月2日(水)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ ほっておけない心/ツイてる/てんつくマン/天国と悪魔/メディアリテラシー
いつもありがとうございます。 先週の金曜日、夜11時半、寝袋配り第1回目、ただいま帰還。 これから毎週金曜日の晩に行きます。 母親が我が子に乳をあげに行く感じになっています。 我が子の泣き声に乳が張ってくる感覚です。
ほっておけない。 「もったいない」という日本語を外人が広めてくれていますが「ほっておけない」という言葉も日本国民自身が広めてほしいと思う。 日本人伝統の他人を思いやる心を復興してほしいと切に願います。
母に似るほってはおけないこの気持ち
釜が崎の山王商店街と天王寺駅西側、そして天王寺公園前広場にて寝袋50個で打ち止め。 残念。 あと10個はいったのに。 また来週ここへ配りに来ます。 毎週同じ所に行っても新しい人が寝ていて移動が激しい。 今日の商店街でもまったく昨年と違う人ばかり。
歳とって仕事を失った老人、怪我や病気で仕事にあぶれた人、借金取りに追われている人、倒産やリストラで家から追い出された人、地方から出てきた人、大阪のよそから来た人、家族親戚関係でトラぶって夫婦で路上生活している人、家庭内暴力から逃れてきた女性、仕事が見つかっていなくなった人、亡くなった人・・・人生いろいろ。
皆んな満面の笑みで寝袋を受け取ってくれる。 悪い人はいない感じ。 競争社会から弾き飛ばされた人々が多いのでは。 今のニートや引きこもりの若者は社会適応できなくて家にこもってしまった。 彼らは今は親がいるから家に住める。 親が亡くなったらホームレスとなる。 大きな社会問題となる。
不登校になったら「赤飯を炊いて祝いなさい」という教育者がいます。 学校や社会の不正に気がついて抗議をしている姿だという。 社会への批判感情を持つ大人としての感覚を持ち始めたのだから、元服と同じで1人前の大人としての通過儀礼をしてやりなさい。
世間体が恥ずかしいと非難するのでなく祝ってあげなさい。 我が家の子供の心の成長を喜びなさい。 子が苦しんでいる姿を見て親も苦しむ。 親の心の成長をも、もたらしてくれた良い子なんです、と。
野宿者も私にとっては良い子です。 私の心の成長を助けてくれた。 共に苦しみ、涙する。 「ほっておけない」心を育ててくれた。 感謝する。
この日は雨の予報が出ていたのに、雨に当たらず帰って来てから降り出しました。 ツイてる、憑いてる!
今までも、会えた野宿者の数とぴったり同じ数の寝袋を持って行っていたり、釜が崎で車のキーを落としたら、それを見つけて私たちが帰ってくるのを待っていてくれる人がいたり・・・。 これはもう神仏の加護があると信じています。 ご先祖さんや亡き人々の加護も。 幸せです。
多くの方から寝袋カンパ金をいただき誠にありがとうございました。 なお皆様のご協力をお願申し上げます。 今週末で寝袋カンパ金が底をつきます
神仏に憑かれて感謝ありがたし
先週月曜日の炊き出しへ行く途中でオートバイがパンク。 深夜の帰りにはJRと地下鉄を乗り継いで帰る。 トホホ。 先週にパンク修理したばかりなのに。 急遽、車上に乗せていた大きな荷物を担いでタクシーで、車の駐車場がある桜の宮カトリック教会へ向かう。
今日はいつものように大阪駅前に行く前に2ケ所寄る手間がなくて直行だったので助かった。 いつも通りだったら遅刻して間に合わず、皆に迷惑をかけてしまっていたはず。 この不思議。 こんな時にはいつも神仏の加護を感じます。
このツイてる状況を「ツイてる、ツイてる」とただ唱えている人々は単に自分の幸運とのみ感じていて、何か目に見えないものの配慮のおかげとは考えない人が多いのでは。 ただ普段しているプラス思考のおかげ。 自分の努力のおかげ。 すべては自分の力がこの成功を生んでいると考える。 しかしそれは何か唯物的な思考でしかない。
サムシンググレートが自分の人生に関わってくれていて、その恩恵をこうむっているとは考えない傾向。 生かされている恵みへの感謝がない。 目に見えない存在への畏敬の祈りがない。 「ついている」とは霊が「憑いている」ことである。 霊的世界を前提にした言葉である。 目に見えない力が私たちの周りで加護してくれているという思想である。
日本の伝統的な宗教感覚。 それが今、失われて憂うべき状況を日本社会にもたらしている。自己チュウが社会をむしばんでいる。
私は何か危ないことからまぬがれた時には、すぐに「ありがとう」と何物かに向かって祈りの言葉を発します。 それは神仏であり、先祖であり、亡き人々です。 彼らが救ってくれた。 私に憑いて救ってくれたと考える。本物の人間を見つけるには、この「感謝、祈り、そして祖国への誇り」を口に出すかどうかで、私は見ています。
また左巻きは「感謝の言葉」を言わない傾向が強い。 東京で野宿者支援をしている人もそう言っていました。 米や食料、衣類のカンパをもらっても「ありがとう」とも言わない。 被抑圧民を支援するのが市民として当たり前。 しない方がおかしいと言う。 ましてこの抑圧状況を作り出している国家を非難して打倒するのが彼らの目的だからです。 彼らの多くは政治目的達成の手段としての野宿者支援なのです。 彼らも唯物思考の塊である。
日ノ本の命賭けたる若き強もの
以下はmixiの中の知人が日本歴史全集全26巻を読破中で、今は古代日本朝鮮関係史の部分を読んでいるというので書き込んだものです。
『てんつくマンの映画「107+1〜天国はつくるもの」を見ました。 沖縄での言い伝えの言葉「ゆいまーる」すなわち「助け合い」。 それに発奮してゴミ掃除の大部隊活動。 寒さに震えるアフガンの子供たちへの支援活動(全国に依頼してカラフルなマフラーを作り長さ1,5キロ分を送る)。
そしてもう一つのドキュメンタリー。 連結2艘の手漕ぎボートによる沖縄から鹿児島までの前人未到の航海。 失敗したら死者が出る。 ド素人男女20人ほどが決死の覚悟で挑戦し感動のゴール。 涙が出ました。 皆男も女も幕末のサムライの顔をしていた。 「海をなめたらいかんぜよ」という龍馬の声がしている気がしました。 それでも、死んでから天国に行っても仕方がない、生きている今を天国にするんだ、長生きだけが人生か。 心の天国、感動の雄たけびを上げる数ヶ月の日々を彼らは涙と汗と血をにじませて作り上げた。
古代倭人も彼らと同じようにサムライとして朝鮮海峡を渡っていった。 古代には今では想像も出来ないほどの航海の知恵があったはず。 日本の先人を誇りに思う。 朝鮮にあった「任那日本府」は朝鮮民族の日本への渡来基地であり、日本の領土ではない、という愛国的韓国・北朝鮮歴史観があります。 日本にしかない前方後円墳が昔、釜山近郊に発見された。
「さあ、前方後円墳も朝鮮から渡ったもので、あの古墳形式も朝鮮民族が作った」と宣伝された。 しかし事実はこの古墳群は5〜6世紀のもので、逆に日本から持ち込まれたものとわかった。 この発見は結局、日本歴史学会から葬り去られました。 なんとか古代日本は古代朝鮮民族の植民地であって、天皇などは日本に渡った在日朝鮮人の一番の成功者だと韓国・北朝鮮や日本の反日歴史学者は言いたいのです。
真の日本の歴史を学んで日本への誇りを取り戻さなくてはなりません。 日本歴史を利用して日本への憎悪を駆り立てさせる教育は悪魔の所業です。
昔、レーニンは「共産革命のためには祖国への憎悪を教えなくてはいけない」と演説した。 今それをしているのが日本の左巻きの教師やマスコミです。
日本歴史の片方の面だけを教えて祖国への憎悪を駆り立て、「この国に生まれたことが恥ずかしい」と思わせる子供や大人を育てている。 私は彼らに負けないように真実の日本の歴史を学んで、日本への誇りと感謝を感じる歴史を発掘していきます。 そして先人の魂や英霊に感謝の祈りを捧げる心を伝えていきます』
怪しげな反戦平和徘徊す
愛媛大学工学部・水上紘一教授「メディアを通じて流れる情報を取捨選択して活用する能力―メディアリテラシーについての公開講座」の内容抜粋。
「日本人はとにかく善人で、他人を信じやすすぎる。 それはニュースを読むときにはマイナスになります。 誰もが反対できない言葉や、響きの良い言葉に警戒すべきです。 例えば『反戦平和』。この言葉は、倫理面からは誰も反対しないため、主張すること自体が無意味です。 そこには別の意図があると思えばいい。
戦争は悪い、日本は戦争をした、日本は悪い―。 この三段論法の中で、倫理的な主張が政治的なものにすり替わる。 つまり、政治的な意図のある主張であることが見えてきます。現実には『政治的』に正当化される戦争はあるのですが。 倫理的なものを振りかざして、政治的な主張をする。 ここに情報操作があると思います。 (略) 戦争被害を知った若者は戦争への『文学的な』怒りを覚え、そこで被害は日本が戦争をしたためであるとの示唆をうけ、それが日本への『政治的な』憎しみに変わっていく」
この水上教授の言われていることは私が以前から言っている「反戦平和」の主張の怪しげな姿をよくまとめておられます。 日本のマスコミ、特に朝日新聞は自分に都合のいい情報や市民の声らしきものだけを選んで日本国民を先導して「平和の大合唱」を歌わせている。 また日本敵視政策を外国にも誘導させている。 私の基本的な見方はこれです。
他の教授からは日本の地方新聞は特にひどいと聞きました。 左巻きの赤い「共同通信」から配信される提携記事をそのまま載せている。 ひどい時には共同通信が作成した「社説」のサンプルを少しだけ自社用に手直ししてそのまま載せているという。 新聞社、特に地方新聞社は新聞報道の中立性を放棄している所が多い。
また日本の新聞は左巻きの読者におもねて、ご機嫌うかがいの紙面にしている。 それが一番の問題です。 これは戦前も同じでした。 怒声の大きい方に転ぶのです。 戦前は右翼、軍人、戦後は左翼。 日本的メンタリティーは、他とは独立独歩の姿勢を保てない、皆で渡れば恐くない、そして出る杭は打たれることを嫌う。 さらに毅然とした勇気ある態度が取れない。 そのような性情が生み出した日本的奇形の典型が日本の左巻きメディアやマスコミなのです。
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