いのちの風 bS43

11月16日(水)発信 石黒大圓(だいえん

    Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 寝袋は恋人/襲われる野宿者/春を売る老婆/セクハラ疑惑/国を支える国民

 

いつもありがとうございます。 またまた皆様にお願いです。 明日11月17日 「いのちと出会う会」の「掃除と鍵山秀三郎さんに学んだこと」への参加予約が現在ゼロです。 

社会活動的なものへの関心が「生老病死の生と死を考えるテーマ」としては不人気なのでしょうか。 私は逆に死の視点から輝く生を見つめる態度が本来一番大事と考えているのですが。 

 

毎月釜が崎でカレーの炊き出しをしておられる「西宮掃除に学ぶ会」佐藤弘一さんのお話です。 掃除や炊き出しから人生や経営上の知恵などについて学んだことを語っていただきます。 よろしくご参加くださいますようお願い申し上げます。

 

抱きしめて喜ぶ姿疲れとぶ

 

先週の3回目の寝袋配りの日は、私たちが独自に寝袋配りをし始めて4年目にして初めての大雨。 

こんなによく降る雨の中の配布は始めてだ。 4年間も大雨にあったことがないのも不思議です。 寝袋配りは今までに50回ほど行なってきました。 これもツイてる、憑いてるか?  

 

今日は苦戦すると思い仲間のもう1人の加勢を頼みました。 彼は今まで大阪駅周辺1キロほどで寝ている500人ほどのうち、路上で寝ている人々へ寝袋を深夜に運んで、じかに手渡してくれていました。 自転車や台車で運んでくれていたのが足を痛めてダメになり、今年は大阪駅周辺の人へは炊き出しの時に直接手渡すようにしました。 

 

私たちは寝袋の余裕がないためにブルーテントの人には渡していません。 しかし駅前で渡す時に申告してもらい、テントの人かどうか聞くけれどウソを言われたらわからないままに渡すことになる。 それも効率を考えたら仕方がない。 毎年150個ほどを大阪駅周辺で配ってくれていましたが、今年は炊き出し現場で渡しても200個ほどで終わりそうで、ブルーテントの人へはそんなにも渡っていないようです。 

 

車に百個積んでまずは日本橋電気屋商店街へ。 店の閉店や人通りが減るのを待って寝る準備のために場所取りで座っている人々の姿が、車の中からそこここに見えます。 商店街の南の端で30人ほどが列を作ってキリスト教教会の炊き出しをもらうために並んでいました。 さっそく寝袋を出して配り始める。 

アーケードはあるが雨の中ではレインコートだけでは頭が雨に濡れてしまうが、そんなことは言っておられない。 「わっー助かった。ありがたい」と恋人を抱きしめるように寝袋をかかえている人もいる。 こんな表情に出会った時にはつくづく寝袋配りをやってよかったと思います。              

     

襲われる恐怖のなかで夜を過ごす

 

配っていると「俺だけもらったら仲間に悪いから、あそこの駅までもって来てくれへんか」という人がいた。 この隣の恵比寿町にある、堺の浜寺まで行くチンチン電車の駅の構内で寝ている20人ほどに今までも手渡していました。 現地で合流したもう1人と一緒にまずは商店街にいる人々へ3人で配り始めました。 車を補給基地代わりにして商店街をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ここだけで70個配る。

 

そして駅へ行く途中で白髪の老人が寝ているのを発見。 先日野宿者の1人が小学生を刃物で切

り付けてしまったので、ここで寝ていたら排除されるかもしれない。 皆んなが居づらくなってしまう、バカなことをしやがって、と怒っていた。 

何故そのように小学生を切りつけたのか事情はわからないが、小学生が野宿者を馬鹿にしたために怒った可能性もある。 一方先日動物園前で会った人は、寝袋で寝ている時に花火を投げつけられて穴が開いたと訴えていた。

 

釜が崎の支援者は「野宿者は若者に襲われて火をつけられたり殴られたりすることが多いから、寝袋で寝ていたら逃げられないから危険。 だから配らない」という。しかしその代わり夜に野宿者の健康を気遣って夜回りの人々が毛布を配っています。 

しかし毛布は日中に手で持って運べないので毎晩捨てられる。 商店街の人にとってそれは迷惑以外の何物でもない。 また商店街の隅で大小便をすることが野宿者と商店街とのトラブルの元になっている。 寝袋さえあればそれらの原因の一つでも免れるのです。  

(続)

 

すこしでも善意の寝袋カンパをよろしくお願いいたします  

振込は下記へ

三井住友銀行 船場支店 普通1858882 石黒良彦

郵便振替番号  00990-8-110746    石黒良彦

 

 

夜回りで世の裏側を彷徨いぬ

 

先々週の2回目の寝袋配りでのこと。 夜10時ころ天王寺駅と四天王寺へ行く商店街の間の植木のコンクリートブロックの上に2人の老婆がダンボールを敷いて座っている。 毎年見る老婆だがホームレスではないよう。 しかし夜遅くまで何をして立ったり座ったりしているのかがわからなかった。 


  先週の日曜日に、キエフへ上方落語を演じるために遠征する2人の男女落語家のユニット「姉様キングス」の壮行イベントが四天王寺でありました。 その打ち上げの2次会が終わった帰り。 また2人を見る。 夜9時頃地下街へ下りる階段の所で座っている。 「

オバサン、帰る家あるんですか」と尋ねました。 「あります。 息子は43歳で孫もいるし、私は家もある」 私「オバサン幾つ。 ひょっとして家族とうまく行かないので、皆寝てから夜遅くに帰るんですか」とぶしつけな質問。 


  「私、64歳です。私らエッチの仕事をしてるんです」。 「えっ!」。 度肝を抜かれた。 こんな老婆と寝ようと思う人がいるのか? 絶句。 そばにいたもう1人のオバサン、というよりごま塩頭の白髪の老婆は気恥ずかしそうに顔を背けた。 顔にまだらに白粉を塗っている。 悲しい。 

どんな事情があるのか知らないが、この歳でこんな夜遅くに働くのか。 「この辺で台湾の女の人らが立ってるね」。 実は寝袋を車から出して運ぶ準備をしている時に、積み上げた寝袋が崩れて彼女らに助けてもらったことがあった。その時に言葉のなまりで台湾人とわかったのです。 

 
  そういうと「あの人らはヤミや。 私らは許可をもらってやってる。 昔は百人ほどこの辺におったんや」。 昔は日本の若い女性がこのあたりに何人も立っているのを見たことがある。 商店街の裏手には多くの旅館があり売春宿となっていた。 

今は台湾の中年や若い街娼が道の向こうの天王寺公園側で、客に声をかけられるのを待って夜中まで立っている。 天王寺公園周辺はラブホテルが一杯。 そこが商売の寝床なのだろう。 64歳の老婆にしても台湾の街娼にしてもどんな事情あるかは知らないが、若いときから決して恵まれた生活はして来なかったはず。

 

夜の街娼のお婆さんにしても野宿のオッチャン、オバッチャンにしても想像を絶する人生を歩んでここにいる。 私たちが見下すことはできないつらい人生模様を織って生き抜いてきた人々。 恵まれた生活させてもらっている我々は、彼らをただ無視して今の恩恵に浴していていいのだろうか。      

日本にとっての世界の貧困、悲劇も同じ。 夜の寝袋配りは日本や世界の陰の世界でうごめく色々な人生絵巻を見せてつけて、考えさせてくれるのです。 

 

白や青キツネ見る間に盲目となり

 

天王寺のお婆さんの「エッチな仕事」から連想して、嫌な話つづきでなんですが。 滋賀県の山

奥の準宗教団体化した村の主宰者についてセクハラ疑惑がでていて、村が解散状態になっているとのこと。 先週ある人から聞いてパソコンで検索したら載っていました。 

以前そこの小冊子百万部配布運動で私はその村への興味を失って、村訪問も中止していました。 またFAXでこの村のことをしょっちゅう書いて送ってきて、完全にはまっているな、と思っていた人が最近はこの村のことをまったく書かず、講演会情報ばかり書いてきておかしいな、とも思っていました。 

こんなことが起こっているとは知らなかった。


私の日記には宗教のことをよく書き、大圓さんは宗教関係者ですかと聞かれたくらいです。 し

かし「宗教心」は人にとり必須のものですが、宗教「者」や宗教「団体」やそれに類するものに頼る

のはダメだと昔から思っていました。 宗教は個人と神仏との個人的関係であって、それに群れつど

うのを好む人間の業が入ると魔が入ると思います。

白や赤、青の光の玉や筋が見えたなどというのは動物霊の仕業と思っています。 霊界は決して

神聖なものばかりでなく、魔物もいるのです。 その魔物が現世に宗教指導者という顔で転世してくることもあるのです。 それにだまされてはいけない。


奇跡が起るのを神の臨在が起こったと思うのはその人の勝手ですが、私はそんなものに惑わされ

宗教指導者を崇拝して身をゆだねてしまうことは危険と思います。 マザーテレサがいうように「不

親切で冷淡でありながら奇蹟をおこなうよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びた

」と私も望みます。

またその指導者の威光を背中に浴びて自分が偉くなったように思う人々が出てきます。 その先

生とどれだけ懇意かという競争をする宗教団体信者もいます。 まるで現世の縮図が宗教団体の中でも繰り広げられていて目を覆うばかりです。 霊界でも現世と同じようなことが繰り広げられている場所もあるのでしょう。

 
私も健康になってほしい、と昔に例の万病に効くという「野菜スープ」の作成法を作ったチラシ

をあちこちのアパートの郵便受けや知人や顧客に配ったことがあります。 これが闘病している小児

病棟の子供たちのところに届いてほしいという淡い思いをいだいて必死の思いで動いたこともあっ

たのでした。 これと百万部配布は同じ善意の情熱と思い、感心はしましたが。

 

他に「ありがとう」を唱えることで人生に善循環が起こると教える精神世界系の先生にも同じようなうわさがあると昔に知りました。 その前に私は去っていましたが。 しかし「ありがとう」は今もいつも唱えています。 宗教や精神世界は個人的なものであって、集団的にしてしまっては信者やその集団、そしてその宗教指導者そのものもダメにしてしまう、と今回のことでより深く感じました。

 

国よりも人が変わりて世は動く

 

手持ちの毛布か、または買ってまで送料も支払って全国から毛布が釜が崎へ送られてきます。 しかし善意が十分に届いているとは思えない。 カンパの金で寝袋を買って配った方がよっぽどいい。 たとえ寝袋の中で寝ていて命を失うことがあっても仕方がない。 毛布だけで寒い夜のつらさを、長い冬を耐えるよりはましです。 

 
  送料の費用の金は払うが、現金は送金していただけない人も多いのでなかなかこれも難しい。 外国では何千円という単位で献金が当然のようになされている。 日頃の宗教的集会などで世の苦しみに関心を持たせ献金するシステムができているからです。 

日本では戦後そのような「人としての道」を国民に教える道徳教育が排除されてきた。 上からの押し付け教育は拒否するという左巻きの洗脳によって、倫理的行為を実践することが十分に継承されていないのです。

 
  日本では国や行政がすればいいという人が多い。 そのために税金を払っているのだから、と。 すべて責任を国家に転嫁している。 それは社会主義的考え方、またお上がすべてをやってくれるはずという考え方です。 本来の民主主義国では国民は税金以外にも金を出し合って恵まれない人を救おうと考える。 

国家を支えているのは自分たち国民であって、行政は自分たちにできない大きな事をする組織だと考える。 国家社会を築いているのは国民の一人ひとりの汗と努力だと考える。 私もその考えの下で一国民としてできることをしています。 できる時間と意志がある人がまず動けば、その姿を見て心に響く人たちはついてきてくれると信じています。

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