いのちの風 bS44

11月24日(木)発信 石黒大圓(だいえん

 

 Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 誕生日/鍵山秀三郎さん/ホタル/飛田遊郭/身を売る/満州/四天王寺      

 

いつもありがとうございます。 先週の11月18日は私の誕生日でした。 満58歳、数え59歳。 来年は還暦です。 オジンになってしまいました。 先日も電車の中の明るい日差しの中でしみじみ手の甲のシワを見つめていました。 もう生きてきた長さより残っている長さの方が短いのだと。 年貢の納め時が近い。 

若い時は人生は永遠に続くと思ってしまいがちですが、妻子の死で目覚めました。 人間いつかこの世と「おさらば」する時が来るんだと。 明日かもしれない。 30年後かもしれない。 手のシワを見ればしみじみ感じます。 しかしたとえ明日死すとも悔いはない。

 

 

その最期の日まで充実した人生をすごそうという目標を持つようになった人は輝きだします。 70歳台が一番充実していたという人が多いそうです。 退職して自由人になり初めて「70にして立つ」の心境となったのでしょう。

私も百まで生きてピンピンコロリで人生を終える気持ちで走り続けます。 そうなれるように踊りと今の活動とで体と魂を鍛えましょう。 そう簡単にはくたばりません。 残っている人生を精一杯生きよう。 そして向こうの世界で妻子に会って赤面しない人生を生きようと思います。 

 

艱難を希望に変えて輝く祈り

 

先日、佐藤弘一さんに鍵山秀三郎さんと掃除の話を「いのちと出会う会」でしていただきました。 今年最終を飾る感動的な話でした。 予約ゼロという私の悲鳴を聞いて多くの人々が一人また一人と来ていただいて20名あまり。 ツイてる、憑いてる、なんて言うのは恐れ多い気がしました。 皆様ありがとうございました。

 

また佐藤さんのお話のなかで感じられる鍵山さんの姿は、民草の中の天皇陛下のようで敬虔な気持ちになりました。 民の平安を皇居の中で日々心の底から祈っておられる日本最高の祭主としての姿と同じものが浮かび上がってきました。 私への最上の誕生日プレゼントでした。 鍵山氏の語られた中の言葉「艱難は忍耐につながる。忍耐は練達につながる。練達は希望につながる」地獄を何度も見た人が発した、肝に銘ずべき誠の真言です。

 

 

先週金曜日夜12時半に寝袋配りから帰宅。 猫の佐知子・邦之が興奮して走り回りだした。 うれしいのか。 誕生日お祝いのバカ騒ぎか。 昼間からカメムシというのか四角い虫が蛍光灯のまわりを飛んでいました。 

見ていませんが、特攻隊についての反戦映画で「ホタル」があります。 亡くなった特攻隊員の魂が本人が言ったのと同じようにホタルになって特攻基地に帰ってきた。 特攻隊がテーマの舞台でもやっていました。 

妻子がカメムシになって祝いに帰ってきたのかな?  パーティーするより寝袋配りの方が充実していました。 しかしこの日は仏壇の前の勤行もまだだし、風呂へは入る時間はなかった。 

 

輝いて光る乙女に哀れもよおす

 

あの日の寝袋配りは6ヶ所を廻ったので一番遅くなりました。 「いのちの風」通信仲間の女性が1人参加してくれ、行こう行こうとなって桃源郷のような釜が崎の「飛田遊郭」へ3人で好奇心一杯で潜入。 えらいものを見てしまった。 

飛田遊郭へは釜が崎の商店街の角を曲がればすぐ入ってしまう。 丸い黄色いランプが空に灯って異次元に入り込んだような気分。 寝袋を5個10個とかかえた男2人女1人の一団。 場違いな姿の中年どもがこの世とも思えぬ夢まぼろしの世界に迷い込む。 

 

そぞろ歩きの男の団体が何組もすれ違う。まるで狐にだまされてあの世にもあるという痴情世界をさまよっているよう。 アニメの魑魅魍魎の世界が突然現前に出現したよう。 こんな所とは知らなかった。 私の商店街の知人の1人は毎月商店街の私たちの講演例会へいつも欠席と思ったら、どうも「例会出席」と嫁さんには言い訳して、実際にはこんな所へ遊びに来てやがるのか。(奥様方ご用心)。 

 

 

長い木造長屋の1軒1軒から「若草」か「旭」だったか、よく覚えていませんが、そんな名前の付いた白い看板がずらーっと飛び出して並んでいる。 通りの左右に並ぶ小さな1軒1軒が遊郭というか売春宿。 

その家の玄関から強烈な光がもれる。 若い女性がまるで写真館のようにライトアップされた玄関でニコニコと笑顔で座っている

 


  皆かわいい20歳台で写真のグラビアから抜け出てきたような美人ぞろい。 彼女たちはその強烈なライトのなかで縫いぐるみや花をまわりに並べて、ひざ掛けを腰の辺りにかけて座布団というか小さな布団の上に座り、お姫さま状態で輝いている。 横にはやりてババアというか斡旋の中年女性が座っている。

 

だがそのオバサンしかいない玄関の家がときどきある。 玄関のすぐ横には2階へ上がる階段があり、男と交渉成立して階上へ上がったのか。 ひとつの家に女の子は1人しかいないよう。 

「兄さん、見てやって、どうです」と声がかかる。 彼女らは光り輝いている分、何か哀れで正視できない。 とぼとぼと3人は何か大変なものを見てしまったように無言で進む。 

 

春を売り金は輝き心は虚し

 

「11,000円より」と玄関に張り紙が。 この子たちの値段? 今も金さえあれば人間を買えるご時世。 御託を並べる宗教者も女となればご威光を背にして女の子に手を出し色情に目がない。 高野山の坊主どもも北の新地で豪遊し妾を囲う。 

世の援助交際も金で身を売る私的な商売。 小遣い銭ほしさにフリーセックスに走る。 女性の人権拡大、女性のセックスの自由の権利要求、男女のフリーセックスの奨励などのジェンダーフリー教育の成れの果て

 

しかしここの子はほとんどが借金のかたに身を売ったか、売られてきたのだろうか。 借金で男は野宿となり女は春を売る。 商店街の道の隣同士で男女の借金地獄の姿を見る。

(後で知人に聞いたら、この女の子たちは借金ではなく遊ぶ金ほしさに身を売っているらしい。 女工哀史の時代とは違って、援助交際の延長線上。 金が万能の唯物主義の時代です)

 


  昔、江戸幕府が遊郭と認めたのは、江戸の「吉原」、京の「島原」と大阪の「
新町」の三ヶ所でした。 その大阪西区の新町遊郭の出入りの門が南だけでなく東にも開いたので、そこから道頓堀の演劇街へ通う人々の波で心斎橋周辺が賑わったそうです。 

 

江戸時代に大都会には男の独身者が多く、当時自由恋愛などない時代には性欲旺盛な若者の慰安所になっていた。 そして多くの芸事がここへ出入りする人々によって受け入れられた。 

歌舞伎、浄瑠璃、講談、落語、日本舞踊、三味線、などなど日本の芸事は、夜に男女が集まる遊郭やその周辺地域に遊興の金がばら撒かれるからこそ発展して受け継がれてきた。

 

 

その後、明治維新以降も多くの若者が都市の発展とともに大都会に働きに出て多くの遊郭が隆盛しました。 大阪では最初は港湾労働者相手だったのだろうか、安治川河口に近い西区九条に松島遊郭ができ、大正時代に大発展して遊女の数四千人と東京の吉原を数の上で抜いたという。

大阪には他にも難波や曽根崎遊郭があったが火事で焼け、難波の後継地として飛田が生まれ、松島とともに大阪の代表的な遊郭となった。昔は女性の仕事はあまりなく、貧困やつらい人生を歩んできて生活できなくなった女性は街に立って春を売らざるを得ない事情があったのでした。

 

 
  彼女たちが集められて遊郭が出来上がった。 また貧しい農村から借金のかたで女の子が売られてきたことも多かった。 今も東南アジアでは同じことが行なわれている。昭和の始め貧しい農村出身の若手陸軍将校たちは、昭和恐慌で疲弊した農村から妹や許婚の女性が売られて行く現状などを憂い、政治家や財閥の腐敗を糾弾して昭和維新を訴え軍事クーデターを決行した。 5、15事件、2、26事件。  

 

満洲は国民の誇り心輝く

 

しかしその後決して日本だけが軍国主義になったのではないのです。 低開発国が急速な経済的発展と国家の統一をはかるためには軍事独裁が必要でした。 それは戦後に多くの発展途上国では軍部による独裁政権により国家の経済的離陸・発展をめざすことが多く、軍事クーデターが絶えなかったことからもわかります。 

共産主義は軍事と政治の独裁や秘密警察で言論自由を封鎖して国家を統一しようとしたナチスと同じ国家社会主義的軍事独裁政権でした。 共産主義国以外では日本はそのすべての後進国の経済発展の歴史的実験の先駆けとなった。 戦前アジア諸国の独立の志士たちはその成功を学びに来ていました。

 


  昭和の世界恐慌から日本が生き残るためには挙国一致政策をとり、不景気の上に人口急増をかかえて疲弊した村人を満州の新天地に移住させて民族の生き残りをはからざるを得なかった。 アメリカの人種差別政策が主な原因で生まれた対日移民排除法により、海外では人口急増した日本国民が移住して飢え死から逃れられることができるのは満州しか残っていなかった。

清朝が倒れ、孫文の辛亥革命のあと軍閥が乱立して、殺戮と混乱のちまたとなっていた中国。 その当時、日本軍が統治して唯一平和を保っていた満州には、中国民衆が平和な生活が得られる大地として毎年100万人がなだれ込んでいました。

 


  清朝最後の皇帝溥儀は中国人の残忍さに嫌気をさして中国での清朝再建を断念して、中国を脱出して祖国・満州での清朝再興を夢見て日本に支援を求めました。 日清日露の戦役で何十万人もの日本国民の息子や兄の血であがなわれた満州の大地を日本国民は日本領土と見なしていた。 そしてその新領土を台湾・朝鮮のように近代的国家にしようと五族協和の王道楽土の新国家を樹立したのでした。


  国際連盟はリットン調査団を派遣して調査し、日本統治下の満州や朝鮮の経済的大発展のありさま驚異の目を見張り調査報告書に書いています。 西欧列強の植民地主義が行なっていた残酷な搾取と比較して、その日本統治の成功に脅威を感じたのでした。 そのために満州国の承認を求める日本の主張を退け、結局日本は国際連盟を脱退したのでした。 

 

しかし終戦までに満州国を承認していたのは80カ国中で23カ国もあったのです。 中華民国南京国民政府・ドイツ・イタリア・スペイン・バチカン・ポーランド・クロアチア・ハンガリー・スロバキア・ルーマニア・ブルガリア・フィンランド・デンマーク・エルサルバドル・タイ・ビルマ・フィリピン・蒙疆連合自治政府(内モンゴル)・自由インド仮政府など。 

 

左巻きの作った日本歴史教科書で日本国民は洗脳されて、日本を悪の侵略帝国としているが、世界の国の四分の一はこのように満州国建国を支持していたのです。 いつこの洗脳がとけて日本国民が正気に戻って祖国を愛する国民になるのでしょうか

 

 

飛田をあとにして私たち三人は天王寺周辺から四天王寺へ今年初めて向かう。 昨年は30人ほどが四天王寺境内でダンボールの箱の中で寝ていました。そして昨年初めて警備員に「許可をもらっていないのなら、配るな」と注意されました。 

四天王寺は聖徳太子の「貧しく小さくされた人々」の世話をする施薬院や悲田院の伝統がある所。 そのために境内で野宿者を休ませることに拒否はしないようです。 しかし寝袋を渡して居つづけさせることは拒否する。 許可をくれるはずもないので今年は申請しませんでした。 

 

ここで15個ほど配って合計100個ほどで本日の配布終了。 今年皆様のおかげで今までに450個ほど配り終えました。 ありがとうございました。

 

 

すこしでも善意の寝袋カンパをよろしくお願いいたします 

靴下と同じで、密封された寝袋は何ヶ月も使っていると臭くなったり、シラミがわいたりして洗っても使えなくなりますので、毎年必要になります。 よろしくご支援をお願いしいたします。 

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