寝袋カンパ支援のお願い

この寒空に老人がダンボールのなかで震えています

皆様のご支援をお願い申し上げます 

 

               Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今年も路上で生活している野宿者(ホームレス)への寝袋配りを11月初めから行なっております。 今年で3年目になりました。 

皆さんからカンパをいただいて1個800円の中国製寝袋1000個を、毎冬11月から翌年2月まで毎週金曜日の夜に配っています。 釜が崎や大阪駅前、市内の商店街の軒下の路上でダンボールにくるまって寝ている人々を訪ねて配っています。 ブルーテントの人には配っていません。  

 

大阪では野宿者は実数では約1万人はいます。 多くは高齢日雇い労働者たちです。 雨露をしのぐ家も頼りになる家族もなく社会保障制度からも除かれた人々です。 野宿者の中には就寝中などに若者や不良に襲われて殴られたり火をつけられたりしています。 襲われる恐怖のなかで夜をすごしています。 彼らの多くは高齢や不景気が原因で、仕事がなくなり生活できなくなってきた人々です。 釜が崎の日雇い労働者や野宿の人たちは5〜60歳がほとんどです。 

 

 

彼らが若く元気な時には高度成長期の日本のビルや橋、道路建設を底辺で支えてくれた建設労働者でした。 多くは生まれ落ちた時からつらい人生を選ばされてきています。 家が貧しくて学校にも行けなかった人々、字も書けない人々、在日、部落、沖縄、障害者、親がいない養護施設育ちなど。 きつい、汚い、危険の3Kの肉体労働しか職業の選択ができなかった人々でした。 

決して彼らの自己責任とばかりは言えません。 怪我や病気で働けなくなった人、歳とって仕事を失った老人、不景気で首切りされてローンを抱えて一家離散した人、倒産した企業経営者、多重債務で一家で逃げてきた家族、家庭内暴力から逃れてきた女性、など人生いろいろです。 そして女性野宿者は大阪駅前には5人ほど市内全部で20人以上はいます。 

 
  いわばほとんどは経済難民です。 一度野宿に転落すると自立・再起するには非常な困難を要します。 保証人もなく家もない住所不定では就職活動はできません。 アパートに入るのに保証金や敷金、最初の家賃などで20万円ほどは要ります。 また継続して働ける会社も確保しなくてはいけません。 日々空き缶などを集めても1000円ほどの収入。 それでは再起できないです。 

この野宿失業者は政府の責任であると認めて対策を取っていくとした法律「ホームレス自立支援法」が出来ました。 東京では月3000円の家賃のアパートを世話するようになって野宿者は激減しているそうです。 しかし大きな財政赤字を抱えた大阪市は何も出来ていません。   

 

 

外国で1万人もが野宿をしていたら暴動が起こっているはずです。 ないのは何故か。 戦国時代から明治に来日した外国人たちが絶賛した日本人のもつ正直、親切、やさしさなどの国民性、いわゆる日本精神が日本の野宿者の心の中に今も秘められているからと信じます。 「お天道さまが見ておられる。 世間さまには借りがある。 悪いことは出来ない」という気持ちがあるから暴動を起さないのだと思います。

 

外国の野宿研究者は日本のホームレスはよく働くと言います。 朝暗いうちからアルミ缶やダンボール、捨てられた雑誌などを集めるために、競争して働き始めます。 しかし真冬の夜には体が凍えて寝られないので一晩じゅう歩きまわることもあります。 そして朝から寝る。 寒さとつらさを紛らわすために酒を飲む。 それを昼間から酒を飲んで寝ている、働かないホームレスという偏見で非難されています。

 

     

街の人々には彼らが感じている将来への希望のない人生への思いやりがありません。 まるでガン末期患者が世の中から見捨てられて味わう惨めさや悲しさと同じものを彼らも感じています。 大阪では毎年主に野宿者200人ほどが凍死や餓死、病いで行き倒れになって亡くなっています。 また救急車で病院に運び込まれて亡くなる人は毎年700人ほどもいます。 

これは経済戦争の戦死者です。 毎年1000人ほども亡くなるなんて、放置するなんて大阪の恥です。 私は妻子をガンで亡くした経験から彼らの姿に妻子の姿が重なって救援に取り組んでいます。 せめて寝袋の中で暖かい夢を見て「さあ今日もがんばろう」という再起に向けた気持ちになってほしいと思っています。

 

 

 

毎週月曜日の夜9時から大阪駅前南口でおにぎりと衣類配布の炊き出しをしています。 中ノ島から天神橋商店街までの数キロの大阪駅周辺には500人ほどの野宿者が路上生活をしています。 今年は駅前炊き出しへ集まって来る人々への寝袋配布から始めました。       

この寒空に老人がダンボールのなかで震えています。 寝袋一個800円です。 皆様の心を形にしてください」という看板が大阪駅前の炊き出し現場に掲げられています。 道行く人からカンパや衣類もいただきます。

 

ここでは3年ほど前から炊き出しの後で大阪駅前の清掃を10人ほどの野宿の人々と一緒にしています。 2年半前からはお揃いの黄色のジャンパーの背中に「野宿者かて、大阪が好きやん、きれいにしたいねん」とプリントした黄色のジャンパーを着て清掃を始めました。 

ホームレスに対する偏見を取り除いていただくためにも、寝させてもらっている大阪駅前をきれいにしている、というデモンストレーションをしているつもりもあります。 寝床にしている大阪駅前の清掃をすることで社会への報恩感謝の気持ちを持ってもらえたらと思っています。 清掃を共にすることで野宿の人々との心の交流も深まりました。 

 

すこしでも善意の寝袋カンパをよろしくお願い致します 

 

大阪市中央区久太郎町3-4―18 石黒良彦 090-1146-7351  

振込は下記へ

三井住友銀行 船場支店 普通1858882 石黒良彦

郵便振替番号  00990-8-110746    石黒良彦

 

 

  多くの野宿者は「こんな目に会うのは自分の責任だ」といいます。 しかし景気が悪い時に就職できるパイは限られています。 「あなたが野宿していなかったら他の人が野宿しているんだよ。 あなたは他の人の重荷を自分が犠牲になって代わりに背負ってあげているんですよ」と諭してあげる人がいます。 

 

またある人は戦後、あの戦争で亡くなった多くの犠牲者たちの代わりにせめて目の前で苦しんでいる孤児たちを救ってやりたい、と多くの孤児の子供たちを育てあげられました。 今私たちが平穏無事で暮らしている陰には、見えないところで犠牲になっている人や泣いている人がいます。 

その人々のために手を合わせる人が多くなれば、日本という国は再びかっての栄光を取り戻せると信じます。 

 

  

今私は母親が我が子に乳をあげに行く感じで寝袋配りに行っています。 我が子の泣き声に乳が張ってくる感覚です。 皆んな満面の笑みで寝袋を受け取ってくれています。 「わっー助かった。ありがたい」と恋人を抱きしめるように寝袋をかかえてくれる人もいます。 

野宿する人々の多くは競争社会から弾き飛ばされた人々です。 ほっておけない。 野宿者が苦しんでいる姿を見て私も苦しむ。 野宿者は私にとって心の成長をもたらしてくれる人々です。 共に苦しみ、共に涙する。 「ほっておけない」心を育ててくれました。 感謝しています。 

「もったいない」という日本語を外人が広めてくれていますが「ほっておけない」という言葉も日本国民自身が広めてほしいと思います。 日本人伝統の他人を思いやる心を復興してほしいと切に願います。

 

 

日本では野宿者救済は国や行政がすればいいという人が多いです。 そのために税金を払っているのだから、と。 すべて責任を国に転嫁しています。 お上がすべてをやってくれるはずという考え方です。 しかし本来の民主主義国では国民は税金以外にも金を出し合って恵まれない人を救おうと考えます。 国家を支えているのは自分たち国民であって、行政は自分たちにできない大きな事をする組織だと考えます。 国家社会を築いているのは国民の一人ひとりの汗と努力だと考えます。 

 

私たちもその考えの下で一日本国民としてできることをしています。 できる時間と意志がある人がまず動けば、その姿を見て心響く人たちはついてきてくれると信じているのです。 路上生活を強いられている日本人同胞の救済は「人を仏とみる」仏道修行であり、法華経でいう「すべての人に手を合わせる常不軽菩薩」の実践であると信じています。

 

 

インドのカルカッタで貧民救済活動をされていたマザーテレサは日本に来られた時に語られました。 

「私は今日この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。 路上に倒れているのに誰も手をさしのべる人がいなかったのです。 この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。 豊かなこの日本で心の飢えはないでしょうか。 だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。 心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと深刻なことだと思います。 日本のみなさん、豊かさの中での貧しさを忘れないでください。」 

 

マザーは日本人の心の中に貧しいカルカッタの姿をみられました。 マザーの訴えに知らんぷりしてる日本人はすごく病んでいるのではないでしょうか。 

 

 

 

なお以下は最近に私の通信「いのちの風」に書いたものです。

 

今期の寝袋配りは2月で終わりました。 男3人が深夜に車で走り回って探しても、寝袋なしで寝ている人がほとんどいなかったのです。 結局最後の2週間は各10個ほどしか配れなかった。 しかし寝袋を配らなくてもすむような大阪、日本になることが私たちの願いですので、これで満足。 大阪の路上でダンボールの中で黒い寝袋で寝ている人がいたら、それは私たちが配ったものです。 そして皆さんの浄財で彼らは今冬を生き残れたのです。 皆様に感謝いたします。 

 

今期の寝袋カンパは今までの最高で128万円でした。 延べ164名(1人で3回の方も、また連名の方もいたので) 寝袋代89万6千円。 寝袋以外の防寒肌着、下着、靴下、洗面用具などの購入に17万5千円。 私たちが直接配った寝袋約800個、釜が崎・三角公園の勝ちとる会へ送ったもの約150個、東京や仙台の野宿者支援組織へ送ったもの約200個。 残金は来期早々の寝袋購入に使わせていただきます。

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