いのちの風 bS46
12月9日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
【Eメール・アドレス】 gytkm947@ybb.ne.jp
今回のテーマ 体験・希望・実践・発信/氷のようなミナミの空/美輪明宏さん/開戦記念日/女系天皇
いつもありがとうございます。 寒波がやってきました。 寒空の下、ダンボールの中で凍えて寝ている人々のことを思うと、早く寝袋を届けたいとガッツが湧きます。 多くの方々からカンパや衣類が届いています。 ありがとうございました。 本当に助かります。 また今週から寝袋購入にまた自腹が始まった所でした。 カンパの振込みが後を追って入ってくるのを期待していつも先走りしています。
昨日都合で1日早く配りました。 今まで合計で650個を配り終えました。 野宿者が販売している雑誌ビッグイシューの大阪と東京の事務所にも送りました。 自立をめざしている人々には特に支援をしたいですので。 あと350個が目標です。 今年は早く皆の手元に届きました。 多くの人々がすでに寝袋で寝ています。 我が商店街でも先週に配りました。 50人はいました。 あともうひとがんばりです。
思いやり明日への希望つむぎだす
私たち大阪駅前炊き出しメンバー男3人は皆んな愛しい家族を亡くした経験をもっています。 1人はフィアンセを、1人は唯一の肉親の母を、そして私。 彼らも愛しい家族が路上で泣いているという思いがあるのでしょう。 彼らも野宿者と亡き家族がダブって見えるのだと思います。
「かわいそう」とか人権問題として野宿者支援に関わっても、よっぽど信念がなければ長続きしません。 すべての実践は哀れみや知識からではなく、自分のつらい体験から力がわいてくると思っています。 かけがえのない人生でのつらい体験を、悲しい無駄なものとのみ受け取ってはいけない。 それは明日への力の源泉となる宝物です。
マザーテレサが日本のシスターに語ったそうです。 「自分の国に帰ったとき、そこにカルカッタを見つけてください」。野宿者問題は、まさに日本のカルカッタの1つです。 大阪中の野宿者のオッチャンたちのいるところがすべてカルカッタです。 そしてその人々へ軽蔑の眼差しを向ける人の心のなかにもカルカッタがあるのです。 その心が溶けない限り日本は再生できません。
野宿者に物を配るのは乞食扱いという人もいますが、少しでも生活物資が豊かになれば、また自分たちのことを見捨てずに見守ってくれている人がいると感じてくれれば、それだけで明日への希望になります。 末期患者の思いと同じで希望が人間の心を救うものと信じています。 私の妻子への終末期看護の経験がこの思いを強くさせてくれて、よくぞ私を野宿者に対面させてくれたと感謝しています。
私は人権問題として野宿者に取り組んでいるのではありません。 日本救民救国運動として日本人同胞を救いたい。 北朝鮮に拉致されている日本人同胞を救いたい。 拉致を繰り返させないように「スパイ防止法」請願署名運動にも参加しています。 すべて同じ次元です。
問題について学ぶだけではいけない。 そこから感じ取ったことをこの地上で実践しなくてはいけない。 他の人とその貴重な知識や体験を分かち合わなくてはいけない。 その思いを隣の人に発信しなくてはいけない。 その個々人の思いの発信と実践があって初めて日本は変わる。 日本国民の魂は目覚めると信じています。
暗闇のミナミの空に火を灯す
先週入荷した寝袋は今までのものより3割ほど大きくて分厚く、野宿のオッチャンたちは喜ぶと思ったけれど、私たちが運ぶのは大変。 今までのものは乗用車に120個くらいぎゅうぎゅう詰めにできたのに、今度の新しいのは80個ほどしか乗らない。 手で運ぶにも数を少なくして運んでも何かかさばって重たい感じで、体が振り回される。
先週はまずは難波の地下街にたくさんの野宿のオッチャンたちがいると聞いて、3人で20個ほど持って地下街をぞろぞろ。 帰宅の人々に何をしているのかと怪訝な目で見られる。 もう私たちはそんな好奇な視線には慣れています。
かえってサンドイッチマンのように体の前後に「老人が寒空で震えています。 寝袋配布中。 カンパ支援をお願いします」と書いたプラカードをつけて歩こうかとも思った。 自己顕示のバカと冷たい目で見られるかもしれないが、そんなバカがいないと日本は変わらない。
踊りのおかげでずいぶん羞恥心がなくなりました。 踊りはすごい贈り物を私にしてくれました。 踊りと炊き出し、本来何の関係もないものが私の中ではつながって大きな貢献をしてくれています。 どんな経験も有意義に結び付けば相乗効果をもたらします。 人生に無駄なものは何もない。
難波の地下街では3つほど渡して、今度は今年まだ行っていない道具屋筋へ。 今年はここで寝ている人が少ない。 100mほどの商店街で多い年には30人が寝ていたことがあった。 この商店街を抜けるとナンバ吉本花月劇場がある繁華街。 札束が舞いネオンきらめく隣にはダンボールで寝る人々が寒さに凍えながら夜を孤独にすごす。 飛田と同じ。 無知と無関心の氷のようなミナミの空は輝いていても暗黒でした。
有名人無慈悲な心地獄生む
大阪駅北口から阪急に方に向かう歩道橋の上で2人の老夫婦らしき人が地べたにひれ伏してカンパのお願いをしていました。 昔の乞食のような「お恵みを」というこの姿に「この歳で」と絶句しました。
ある人が言われた。「テレビ番組の『オーラの泉』で、美輪明宏さんが、恵んでほしいと寄って来た時に、スグに助けるよりも突き放す方が慈悲である、とおっしゃったことがある。キリストは張り付けになった時、彼らは自分が何をしているのか分からないのです、と云われたそうですし、何処まで助けるかも微妙ですね」。
美輪さんも昔、ホームレスをしていたから、自分で立ち直れる力が有ると思ったら、という意味も含むのでしょうが。 彼(彼女?)が「戦争と平和 愛のメッセージ」という本を書いて反戦平和主義者だと知り「戦争反対は誰でもそう思っている、しかし・・・」とある人々と議論して、しばらく後にこの言葉。(怒り)
美輪さんのようなことを言っている人がいるから大阪で1万人、全国で3万人以上のホームレスが存在することになるのです。 これは大阪の恥です。 日本の恥です。 日本人はいかに無慈悲な人種だと世界から見られる。 私はその日本の名誉と聖徳太子の慈悲の心の伝統に魅了されて行動しています。美輪さんは有名人として自分の言葉がどれだけの無慈悲な心を生むかという反省がない。 人間の問題は簡単な方程式で対処すべきではない。 いろんな心の人や状況の人がいる。 目の前で苦しんでいる人に水も一口のおにぎりもすべきでない、という無慈悲な心を美輪さんの言葉は簡単に生んでしまう。
慈悲の心が立ち上がる力を生みだす。 突き放すこともいいでしょう。 心が変わるならば。 しかし明日の食事もままならない人にどのように心を変えればいいというのでしょうか。 毎週の大阪駅前の炊き出しで心救われた人々の姿を現実に目にしていますので確信があります。 家が路上で住所不定では就職活動もできない現実を美輪さんはご存知ではない。 金も家もある余裕のある人のいう事です。 (続く)
英霊の声聞かずして亡国に
昨日は開戦記念日。 忙しさにかまけてもうそんな日になっているのを忘れていました。 あの日に小泉首相は靖国神社に参拝するのが本当なのです。 負けた終戦の日ではなく。 日本の英霊の物語はこの日から始まっているのですから。 昨年から私は我が家の墓がある霊園内の英霊供養塔にお参りしています。
忘れられつつある英霊に感謝の祈りを捧げています。 この意味が日本で忘れられているのが悲しい。 先人のおかげで今の日本があること。 その英霊の意志を引き継ぎ、彼らの死を乗り越え、彼らに代わってこの新生日本の繁栄を築いてこられた多くの人々へ感謝を伝える日です。
せめてここへ参ろうと近所の神社へ参りました。 神社はどこでも靖国にも護国神社にも魂の底ではつながっているからです。
またこの日はお釈迦様が悟りを開かれた「成道会(じょうどうえ)」の日でした。 この日は日本国が悟りを開いて行動を開始した日です。 この日は日本が世界に自らの存在の意味を本当に問いかけた日でもある。 この日から世界は変わった。 戦争の結果、世界の人種差別撤廃の運動が高まり、植民地が続々独立し、アジア・アフリカが日本に感謝している。
先日、昔のソ連とのアフガン戦争の時に取材した日本人ジャーナリストが言っていました。 アフガンのムジャヒディン・イスラムゲリラ戦士の所に取材を申し込んだ時に彼らは「お前は日本人か。 それなら我々について来てもいい。 お前の国は昔我々の宿敵ロシアを叩きのめしてくれた。 感謝している。 そして欧米各国とも戦争をした唯一の有色民族だ。 誇りに思っている」と。
そのように世界は日本のことを思ってくれている。 そのことを知らない日本人、知らされていない日本人、知らそうとしない日本人を、世界は哀れな国民と思っています。
日本の戦争のことをさげすむ報道がまた多くなっている。 開戦記念日が近づくと反日報道が多くなる。 愛国心を叩きつぶそうとする動きが今もマスコミを走らせている。 国家を否定して亡国の民にしたいのだろうか。 中朝の属国にしたいのだろうか。 馬鹿げた策謀だ。 英霊が嘆いている。
愛子様女帝となられ国滅ぶ
女系天皇や皇室典範問題が今議論されています。 この問題は皇室の歴史や伝統について専門家でもない素人学者たちが「国民は女性天皇を支持している、世は男女同権時代だ」という馬鹿げた結論を先に出してから議論をしている。
「愛子様が天皇になられたら可愛いね。 英国も代々女王の時代に栄えたしね」などという国民の世論なるものの支持を得ていると結論付けている。 戦後天皇の意義についてどれだけ国民が深く学んだことがあるのだろうか。
左巻きから税金の無駄使いなどの罵声を浴びせられ洗脳された国民の意見などを尊重すること自体が間違っている。 「女系と女性天皇」の違いもわからない国民の意見を尊重して、国家の基本的な重大問題を決めていいのか。 たとえば裁判員制度で、知識のない国民がいいかげんな判決を決めてもそれでいいと言うのと同じです。
愛子様なら父の父の…とたどって行けば神武天皇に行き着きます(男系) しかし愛子様が皇族でない方と結婚して生まれたお子様は父の父の…と辿っていっても神武天皇に行き着きません(女系)
先祖の皇統まで行き着かない女系など125代続いている天皇制の廃絶につながります。 また天皇陛下の役割の基本は日々の祭祀(日本と民の安泰と平和の祈りと祖先の供養)であり、妊娠し子育てをする女帝が毎日その激務の役割を果たすことができるのでしょうか? 天皇はヒマな御仁であるという無知な認識が女帝でもいいという議論になるのです。
(次号へ続く)
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