いのちの風 bS52
1月19日(木)発信 石黒大圓(だいえん)
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今回のテーマ TVニュース/えべっさん/釜が崎の保健婦/百年の恩義/新聞の洗脳誘導
いつもありがとうございます。 寒波も去り、少し暖かい日もありましたが、皆さま新年をお元気でお過ごしのことを思います。 先日関西テレビが来てカメラが同行してくれた日には、珍しく4人もの人を寝袋に中に入れさせてもらう作業をしました。 5ケ所で寝袋配りの様子を2時間映してくれました。 最後に十五分ほどカメラの前で話しました。
寝袋配りに関わった理由や現状などを話していて、最初に炊き出しに参加した時の感動が胸にこみ上げてきて涙があふれてしまいました。 「これから退職していく多くの団塊の世代。 その人たちのうち時間とこころざしある人が立ち上がって、人のため国のために奉仕活動をすべき。 それが引退後の生きがいにつながると、聖路加病院院長・日野原先生も語っておられる。 老人も働けるだけ働いて、社会奉仕をして死ぬまで働けばボケることも少なくなるはず」などと後は元気にアジ演説をぶちました。
来週の大阪駅前の炊き出しを映した後で、2月の夕方のテレビニュースの一部になるそうです。 いつどれだけ映してくれるか内容はわかりませんが。 しかしもうすでに寝袋配りのことがTV報道されたと耳にしました。 私たちでも、もう1つの別のグループでもなさそうです。
この別のグループというのは共産党系の人々の集まりとは知らず、私が平成14年の冬に始めて参加した所です。 政治的意見が合わずに半ば排除され、私は独自で皆さんにカンパを依頼して大阪駅前のメンバーと一緒に配り始めたのです。
先週には東京・新宿で炊き出しと清掃をされている津田さんと、ビッグイシュー東京事務所と仙台の野宿者への夜回りグループへメーカーから送らせました。 すでにビッグイシューの東京と大阪へは年末にも送っていたので、実質私たち以外では170個配ってもらうことになります。 今期はこれで合計で1020個配布になります。
今年は昨年よりも「寝袋カンパお願い」の文章が感動をいただけたのか、例年より多くのカンパをいただきました。 昨年は「愛国心がないから街がゴミだらけになる」などとの批判も書いたので、拒否反応があったようです。 今年は心に訴えかける文章を、今までに書きためた通信から、いい所取りをして書いたのが良かったようです。そんな訳で皆さんからの多くの善意を今期中に配るために、東の野宿者にまで行き渡る活動となりました。
えべっさん皆んなの福を出前する
まだ2、3月も配る予定で1200個は今期は行くはずでした。 しかしメーカーから寝袋の在庫がなくなったと連絡がありました。 2月中ごろで配布終了になるかもしれません。 ただ今年に入って大阪では前に言いました「65歳老齢野宿者狩り」で高齢者の野宿が幸いなことに少なくなっているようです。
それが原因のようで手持ちの寝袋がなかなかはけません。 そのためにやはり3月の始めまで配布は続くかもしれません。 3月でも雪がふります。 こんな時期に配ると「もっと早く持ってきてほしかったな」と言われるので、申し訳なく思ってしまいます。
寝袋は春でも冷え込むときに便利ですので、そのまま夏まで使ってもらえます。 そのあとは洗っていないと中が臭くなるので、捨てられるようです。 靴下が臭くなるのと同じです。しかし前の年の古いのを使ってくれている人もいて、それを見たら感激します。 寝袋はよく盗難に会い、特に洗って干している間にやられるので次の年までもたないことが多い。
今年は多くの人が皆さんからの福袋をもらって感謝しているでしょう。 昨年末は私たちはサンタクロースの赤い鼻のトナカイでしたが、今年は「えべっさん」になって福を運びます。 まだまだがんばりますよ。 早く皆んなに仕事が見つかり、寝袋で寝なくて済むようになればいいと祈っています。
しかし毎週行っても新しい人が道路で寝ているので本当に気の毒です。 先週も老女が軒下にいました。 話しても会話がなり立たないので、精神を病んでいるようです。 1年も風呂にも入っていないのでしょうか、手が真っ黒。 汚れたアンゴラのセーターを着ていましたが、これからの人生の末路は道路で野垂れ死でしょうか。
また車椅子を横に置いてダンボールと毛布だけで寝ている人がいました。 糖尿病で両足切断されたのか、両足がない人。 肥っていたので医療保護や居宅保護をもらって生活には困っていないのでしょうが、路上で寝なくてはいけない事情があるのでしょう。 共にやりきれない気持ちです。
また先週の大阪駅前の炊き出しへ行方不明者を探しにきている女性がいました。 妹が夫と一緒に家を出て道頓堀周辺で野宿をしている。 時々会っていたのに今年になってからその姿が見えなくなったらしい。 野宿者の中に彼らを見かけた人はいませんか、と写真をもって必死に探しに来ていました。 拉致された日本人家族も同じような思いで数十年を過ごしてきた。 その絶望的思いに感情移入してしまいます。
偶然ですが、この夫婦には昨年末に私の檀家寺の住職から依頼されて寝袋を間接的に渡したのでした。 ヤクザやチンピラがうようよしているような地域で、彼らの食い物になっていないかが心配です。 善意の人のお世話にでもなっていることを祈るのみです。
今日も歩くいのちの軽いこの街を
2月の「いのちと出会う会」が決まりました。
2月16日木「釜が崎の保健婦が見た生と死」
豊かなはずのこの日本で生老病死の底辺でうごめかされている釜が崎の貧しく小さくされた労働者たち。 公衆衛生看護師としての仕事柄、特に老人や若い妊婦と関わられ赤裸々な胸つまされる人生の縮図を語られます。 亀岡さんは十年前には18歳の次男を交通事故で亡くされましたが、明日なき人々に希望を与えるべくこの街で日々働いておられました。
話題提供者 亀岡照子さん 大阪市東成保健福祉センター・保健師(現在)
昨年大阪駅前の炊き出し現場で多くの医師やボランティアが来て、野宿者に対して健康診断が行なわれました。 その時に大阪市の保健師・亀岡さんにお会いしました。 亀岡さんの共著「釜が崎の保健婦」には釜が崎での困難な状況のなか必死で生きる人々とのふれあいが語られています。
この大阪のど真ん中で繰り広げられている人々の苦悩や哀歓、知られざる釜が崎の実情が読み取れます。 そしてこの人々をこのまま放っておいていいのか、という義憤にかられます。 仕事がない。 お金がない。 保険もない。 住む家もない。 着る物も、そして食べる物さえない。 家族がない。 生き甲斐も、心の支えもない。あまりにも軽い、ここでの命。
誰にも看取られずに亡くなっていく命。 亀岡さんは次男を亡くされましたが、その時は多くの人々に見つめられながら亡くなられました。 それに比べて殺されるように、1人孤独に死んでいく釜が崎の人々が脳裏をかすめた、といわれます。 この人たちのことを世間に伝える義務があるとして、この本を出されました。
ぜひ多くの方にこの本を読んでいただいて、釜が崎の実情と、いかに私たちが恵まれた生活をさせてもらっているか、との感謝の気持ちをもっていただけたら、と願います。 そして釜が崎へ行けないまでも、すぐ横にいる心飢えた人々に手を差し伸べる気持ちになっていただけたら、著者の思いも通じるのではないか、と思いました。 この本は当日会場で販売する予定です。
百年の恩義を忘れぬ尊さよ
小泉首相がトルコ訪問をして飛行機のパイロットの握手している写真が新聞に載っていました。 前にも書きましたが、ロシアの南下政策で敗戦などの屈辱を受けてロシアへの恨みをもったトルコが、日露戦争で日本が勝利したために、大の親日国になりました。
その前に明治時代に日本親善訪問を終えたトルコ軍艦・エルトゥールル号が紀州大島沖で沈没して多くの犠牲者を出しました。 その時に大島島民が身を投げ出して救援に駆けつけて多くを救助したのです。 そして全国から見舞金が届けられました。
この恩義に対して天皇やトルコ皇帝から感謝の礼金が届けられたが、当時の村長は「私たちはそのようなものをいただきたくて救助したのではないのです」といって受け取らなかったといわれる。 当時すでに日本の地方寒村の人々にそのような人類愛があったのは驚異といわざるを得ません。
日本人の心の気高さに尊敬の念をいだきます。 江戸時代からつちかってきたそのような「大和心」が明治に時代になってから「日本精神」として花開いたと思うのです。
そしてその恩義を百年以上もトルコは民族として教科書などで語り継いでいました。 日本が日露戦争に勝った時トルコ人は狂喜して、息子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブールの街には、「東郷通り」「乃木通り」ができたそうです。
この名前はロシアのバルチック艦隊との日本海海戦で大勝利した東郷平八郎提督や、203高地を陥落させた乃木希典将軍の両英雄にちなんだものです。
そして百年後のイラン・イラク戦争のときに、イラン国内で帰国できず立ち往生していた多くの日本人を、危険を冒してまでトルコ航空機二機が救援に駆けつけてくれました。 この軍艦と日露戦争への恩義に対してトルコは、感謝をもって日本に恩を返してくれたのです。
そしてトルコもまた日本からの謝礼の言葉に対して「当然のことをしたまでです」と返答しているのです。 ともに忘れえぬ美談です。
新聞の反対読めば真理見ゆ
当時の朝日新聞は「トルコへの経済援助が強化されてきたため」とのコメントを載せて、エルトゥールル号救助や日露戦争以来の両国の親善関係には一切触れようとしませんでした。
また昨年のNHKの「プロジェクトX」ではトルコ航空機による救助について「トルコと友好的な日本商社マンの活躍のおかげ」との映像のみを流していました。 戦争にからんだ親善物語は両マスコミにとっては、反戦平和の立場から日本国民に知られては都合が悪いのです。
それと同じ考え方をするマルクス主義歴史学者がいるために日本の歴史教科書でも、このような美談は取りあげられないのです。 このことを知っているのはトルコの大人や子供たちだけで、日本国民にはこのような日本の誇りを知らされてはいないのです。
特に日本への誇りをもたないように世論操作をする朝日新聞に対しては、その論調の逆を考えれば「世界への正しい見方」ができると私は昔から信じています。 この新聞は戦前、鬼畜米英を造語し、戦争礼賛の中心となっていながら反省もせず、戦後は親共産主義路線で多くのウソの報道を垂れ流し、日本のマスコミと国民を洗脳誘導してきた張本人と考えています。
元に戻って、小泉首相が握手していたのはその時のパイロットでした。 このエルトゥールル号については今、書店店頭にある文庫「教科書が教えない歴史」やそれの「マンガ」本に詳しく書かれています。 西洋列強に単身戦いを挑み、その大東亜戦争の結果独立を果たしたアジア・アフリカ諸国は日本に対して大きな恩義を感じています。
そのような世界のために大島島民のように身を投げ出して働く国家に、日本はこれからもなって行かなくてはいけないと思うのです。そして反日国家の顔色ばかりと見ずに、親日国家との連携を深めていくべきと信じます。
(その2に続く)