いのちの風 bS56 

月14日(火)発信 石黒大圓(だいえん

 

 Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 革命予備軍?/野宿者はゴミ?/孤独に死す老いたる人々/典範改悪阻止デモ

 

いつもありがとうございます。 明後日に今年最初のいのちと出会う会があります。 月16日午後6時半から9時まで、應典院にて。 よろしくご参加くださいますようにお待ち申しております。 

 

釜が崎の保健婦が見た生と死』 豊かなはずのこの日本で生老病死の底辺でうごめかされている釜が崎の貧しく小さくされた労働者たち。 公衆衛生看護師としての仕事柄、特に老人や若い妊婦と関わられ赤裸々な胸つまされる人生の縮図を語られます。 亀岡さんは十年前には十八歳の次男を交通事故で亡くされましたが、明日なき人々に希望を与えるべくこの街で日々働いておられました。 

 

話題提供者 亀岡照子さん 大阪市東成保健福祉センター・保健師(現在)

 

革命に弱者はいつも利用され 

 

野宿者が公園で住むブルーテントの家を住所と認めるという判例が出ました。 そこから生活保護の申請ができるという希望が生まれます。(家がない住所不定では生活保護の申請も就職活動もできない)ブルーテントが野宿者の正式な住所と認められてしまったら、強制撤去はそのホームレスの居住権を侵害することになってしまい、抗議側に有利となる。 強制撤去をめざす大阪市としては裁判所の判決に対立する行動をしなくてはいけないので、困っていた。

   

そのために撤去反対派は威勢を上げて抗議をしていた。 それにも関わらずに撤去は強行。 控訴すれば逆転判決がでるという読みもあったのでしょう。 しかしこの判決を悪用されたら、野宿のオッチャン以外でも誰でも公園に家を勝手に作れる。 公園が家だらけになります。 

しかしその家の永住権も占有権も認められてはいないので、結局不法占拠と見なされて強制撤去の対象になる。 おかしいな判決でした。 野宿のオッチャンには悪いこと言うようだけれど。

 


  実際こういう行政や政府に不利になる判決は左巻き人権判事が出すことが多い。 そういうのは、今までも靖国や沖縄集団自決、百人斬り裁判でもわかっています。 今度の皇室典範問題の有識者会議の副座長であった元・最高裁判事もこの左巻き裁判官や弁護士の親玉のような人物でした。 

 

共産党支持の弁護士は全弁護士のなかの3分の1を占めるでしょう。 彼らが進めている裁判員制度も、裁判員に左巻き活動家を引き入れることにあります。 そして国家的に重要な裁判に対して国家の意向に反する判決を生みだすのです。 裁判の場を国家への反逆闘争の場として利用しようとしているのです。 

 

 

ところで靭公園の強制退去の対象になったのはたった15人ほどだったのに、TVの報道では野宿者支援者の数は150人、排除する市側は1000人。 この支援者とは何か。 

釜が崎や市内の野宿者支援団体は20近くあり、そのうち3分の1は新左翼過激派・中核派を支援しているという情報があります。 また釜が崎は左巻きクリスチャンの巣窟にもなっています。 野宿者支援というカンパが過激派にも流れ、このような騒乱のときは彼らが応援に来る構図。 

 

ある新聞でも、追い出された野宿者が「暴れたり、政治的な主張をするために我々を利用しているようにも感じる」と言っていました。 釜が崎ではイラク派兵反対のデモなどに野宿者たちを狩りだし、彼らが騒乱を起したらすぐに対処しようと、数十人の重装備の機動隊が街の隅で待機している姿を見たことがあります。 かって釜が崎暴動を扇動した過激派くずれがいまだに彼ら野宿者を、ルンペン・プロレタリアートとして革命に利用しようとしているのです。


  彼らはかってゼネコンの下請けとしてこき使われ利用されてきた。 そして今度は政治的に利用されて、暴力を使う恐ろしい連中と言う偏見をますます人々に与えてしまっています。 過激派と関係ある限り警察も警戒心を解かないでしょうし、あの暴力シーンを見た一般市民も野宿者を理解する気持ちが消えうせてしまうことでしょう。 左巻きに利用される弱者の典型です。

 

ゴミ並みの扱い受けて首を吊る

 

テントから放り出されて、シェルター簡易宿泊所に一部は入ったとはいう。 しかし大阪市は寝場所を提供しているというが、以前からここは評判が悪く、毎日半分か3分の2の入室率。

 

@昼間から順番待ちの長い列を作り、入室切符をもらわなくてはいけない。 仕事を終わって夜に行っても入れてもらえない。 昼から待て、なんて仕事があったらできない。 ここに入るためには仕事をするな、というようなもの。 

Aあいりんセンターへ手配師のトラックが仕事の人足を積み込むために早朝に来るので、仕事がもらえる人の起床が早い。 そのために朝の4時には皆が宿泊所から追い出される。 

B寝ている間に他人のシラミを移される。 

C大部屋で風邪やインフルエンザを移される。 

D1畳ほどの段々ベッドで手荷物しか持ち込めない。 引っ越しても大きな持ち物を全部捨てないといけない。 

Eプライバシーがないし、金や物が盗まれることが多い。 

住まわせてやっているから文句は言うな、という市側の対応。 


  年末年始の10日間ほど南港の舞島に臨時のプレハブ・シェルターを作って3000人ほど収容してくれます。 毎食は出るが酒タバコはダメ。 外には何もない監獄のようなもの。 シラミ持ちにシラミを移されるのが嫌だといって行かない人もいる。 南港も評判が悪いので満室にはならない。 

昨年は1900人、今年は1600人だったようです。 南港のシェルターは年末に建てて,年始には壊す。 毎年恒例の行事でその費用、しめて毎年3億円。 

 

大学生バイトの特別手当給料と三食の食費、そして毎回のシェルター建設と解体の費用。 もったいない行政の金の使い方です 南港までバスに乗せられて行って10日ほど暖かい所でゆっくりして、帰ってからシラミで悩む方がいいか。 それとも寒い所でも寝袋で寝られて何とか最低一食の飯が食える方がいいか。 案外私たちの寝袋配りや釜が崎の炊き出しが南港行きを邪魔しているかもしれません。   

 

 

釜が崎では年末年始は毎日炊き出しがあるし、31日から3日頃までは3食出る体制を三角公園での炊き出しでは作っています。 普段ここで火・土曜日と炊き出しをしてくれている、専従の炊き出し班の労働者は共同生活をしています。 リーダーの春さんが時々仕事を斡旋してくれている。 彼らは10人ほどでなんとか大型の炊飯器や冷蔵庫がある古いビルに住み込みで生活しています。

 

年末には三角公園で年越しそば(沖縄そばー沖縄人が釜が崎には多いので)がふるまわれ、正月には餅つきや卓球大会や多くのバンドや芸人がきて演芸会が行なわれます。 盆・正月だけの楽しい行事。 私は最近は行っていませんが。


捨てられしいのち永らえ孤独なり

 

何もこんな寒い時に強制撤去して放り出さなくてもいいのに。 大阪市は本当にひどいことをしやがる。 世界バラ会議で世界中の人が来るので、汚いものにフタというつもりで、ブルーテントを排除しようとした。 バラ園へ来た外人の眼の前で野宿者の首吊り自殺が出てもいいのだろうか。 

 

何の救済処置もせずに凍える路上へ放り出して、凍死でもさせるつもりだろうか。 ある新聞に出ていたおばあさん62歳は夫を事故で亡くしてから野宿生活に。 2、3本を残して上下とも抜け落ちた歯。 浅黒い肌。 あかぎれまみれでシワだらけの手。 長いつらい人生。

 

あの時「テントと一緒にみんな捨ててしまえ」と市職員は叫んだ。 「せめて身の回りのものは残してほしい。 生きていかれなくなる」と必死に訴えたが、聞き入られなかった。 不信感からシェルターや自立支援センターへの入居は拒否したという。 

 

長居の野宿者が手を差し伸べてくれて転居。 しかしアルミ缶収集で生活していたが、みんな縄張りをもっているので、新しい収集場所を探すのは困難。 彼女には30歳代の息子がいるが「こんな生活をしている母親がいれば、子供やその家庭に迷惑をかけるので、死んだものと思ってほしいと、一切連絡を絶っている」という。 

 

野宿者のなかには理不尽なことを家族にしたと自分を責めながら、暖かい家族との団らんを絶って孤独な路上で人生の終末期をすごしている者もいる。

 

以前大阪市役所労働組合の不正が暴かれた時。 大阪駅前に来ている元・大工の野宿者のオッチャンが、市役所前で割腹自殺すると包丁をもって息巻いていました。 私の相棒が真剣に長い間説得して止めたけれど、市役所への見せしめに市役所前で、首吊り自殺をする野宿者が現れるかもしれない。 

 

よりによって、こんな寒さの一番ひどい時を選んでやることもないやろう、と皆怒っていました。 無慈悲な行政の仕打ちだ。 昔なら大塩平八郎ではないが大阪市役所に「救民」の麦わら幟を押し立てて一揆・叛乱を起していたか。 税金を不正に懐に入れている裕福な役人どもに、家のない困窮民の気持ちがわかるのか。 これが我が大阪だ。 なさけない! 頭にくる!

 

雅子さま可哀そうとはなさけない

 

なさけないといえば皇室典範。 日曜日に皇室典範改悪阻止のデモに参加しました。 紀子妃殿下ご懐妊で皇室典範改正の国会上程が断念となったために「ご皇室を護ろう」と変更となりました。 寒風吹くなか公園に集った人々300余名。 気骨ある政治家・衆議院議員・平沼赳夫氏の「命をかけても護らねばならないものがある」との書かれた横断幕。 

 

吉田松陰先生が唱えた、在野のこころざしある者が立ち上がりて草莽崛起、皇国のために命を捨てる覚悟で臨め。 

 

松陰先生はいわれる。「皇国に生まれたからには、わが国が世界の中でかけがえのない尊い国であるわけを知るべきである」。 このまたとない、かけがえのない国を守るためには命を賭けても惜しくはないと教えられた。(実は左巻きにとって松陰先生の考え方はウヨク反動・危険思想家なのです) 

 

この松陰先生の「君臣一体、忠孝一体」の精神で皆が燃え立っていました。 そして「あわてるな皇室典範の改易」「日本の皇統を守れ」「人々が笑みを湛えて見送りし、こふのとり今、空に羽ばたく(秋篠宮殿下御製)祝春風・ようこそコウノトリ」の幟の数々。

 

    

新春の「歌会初めの儀」の御題が「笑み」。 それに対して紀子妃殿下が詠まれた歌が「こうのとり」。 「飛びたちて大空まふこふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる」 

 

紀子妃殿下の笑みのなんと上品なこと。 この方にこそ天皇陛下の母君となっていただきたいと思います。(紀子様という言い方の報道は皇族を平民視している) しかもこの歌は昨年豊岡で行なわれたコウノトリの放鳥式典に出席されての思い出の歌。 ご懐妊の前に子供を運んでくる鳥との、この偶然。 

 

このような驚きと感謝ができるのは、尊王、勤皇、皇室崇敬のこころざしを持つがゆえです。 ありがたい。 この気持ちは皇室典範改悪賛成の人々には味わえない。 草莽の志ある者にしか感得できない胸躍る経験。 

そして歌会始めのような儀式が日本に存在し、歌を詠む風流が日本のどこの一般庶民にも広くゆきわたっているという国柄。 歌道、茶道、華道、香道、弓道あらゆる芸術、武道が、一般庶民の生活にうるおいをもたらせている、この日本の姿。 このすべての底に日本の神が臨在されている。 その荘厳な思い。 

 

これに感謝の思いをいたさない者はいないはず。 そのことをこれからも日本中の人々に伝えていく義務が私たち愛国の志士にはあります。 一昔前には「祖国・皇室」という言葉でさえウヨク用語のような扱いでした。 時代はだんだん愛国心につながる言葉を受け入れる風潮になってきています。 

今こそ自己満足的な講演会聴講ばかりしている秋ではない。 知行合一と習っても単に知識だけになってしまう愚。 街頭に出て声を挙げていく。 そうしないと国家破壊をめざす左巻きの国民洗脳・情報戦争には勝てないと信じます。 

 

日の丸行進のときに参加された幼児2人を連れた若い夫婦連れもこの日も来られていました。 デモで御堂筋をよちよちと歩く、この子供たちのためにも。 将来彼らが生きるこの祖国日本を、誇りある国家としていくためにも益々奮闘したいと思います。 

 

(終)


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