いのちの風 bS62 

月29日(水)発信 石黒大圓(だいえん

 

 Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 王Japan・世界一/サッチャー/野宿者への共感と偏見/文盲/生活保護

 

いつもありがとうございます。 テレビに王Japan 世界一の表示。 うれしい! 時間がなくて、テレビも野球も見るヒマがないのに、先日は数時間飯も食わず、墓参りもキャンセルして見ていました。 王監督が胴上げされていました。 紙ふぶきが夜空に舞っていましたね。 

 

屈辱を乗り越えて執念の勝利! 得点差、防御率の差、0,01差でしたか、僅差で準決勝へ進めた。 これは神業でしょう。 紀子妃殿下のご懐妊の報と同じで日本に神風が吹いている。 日本の神々に感謝します。 これこそ人の努力と神の恩寵があいまった天佑神助です。


神風が雲吹き上げて日はまた昇る

 

野球が日本に入って130余年、プロ野球が始まって70余年で日本が世界の王者に登りつめた。 東洋の有色人種の小国が明治維新から日露戦争、大東亜戦争と西洋列強相手に戦い植民地化をまぬがれてきた。 一度は焦土と化したが、再び復興してきた。 その日本の栄光の歴史とダブります。 しかし韓国も朝鮮戦争で焦土となった国からよくぞここまで強者となった。 ロシアからの脅威、そしてアジア共産化の防波堤として、韓国の発展が望まれた。 そして強国として生まれ変れるようにと日韓併合は実施された。  


  その成果がスポーツや経済の発展でも見られる。 その姿にも感動します。 そして今こそ韓国に学び民族意識の高揚を叫ぶ秋です。 民族主義の高揚で日本が標的にされているが、きっといつか真実の歴史を悟る日が来ることを期待します。またキューバというまともなバットもグローブもない貧しい国が、国家への誇りを背にして王者であり続けていた。 民族意識の尊さを教えてくれている。 両国に感謝します。 


  しかし「日の丸」の赤を女性の生理帯が赤く汚れたのと同じと侮辱する反日アジア人や、日本軍が流した血で赤くなっているとウソぶく反日日本人。 もうそんなことを断じて言わせてはいけない時代になりつつある。そのための情報戦をこれからも愛国者は戦っていくのです。

没落は祖国を恥じるその時に

 

同じ日に『「日教組、愛国心容認できず」の報道。
日教組は臨時大会を開き、教育基本法の改正に反対する特別決議を採択。 愛国心や郷土愛を基本法に盛り込む与党の動きを「心を法律で規定することは、いかなる文言で表現するにせよ、憲法が保障する思想・良心の自由に抵触し、断じて容認できない」と批判。 衆議院と参議院に教育基本法調査会などの検討機関を設置し、国民的議論を行うことを求めた。』 

 

愛国心について「心を法律で規定することは思想・良心の自由に抵触する」などと、まともに考えている教師たちがまだいるのだ。 愛国心はどこの国の国民でも、当たり前に持っている気持ちである。 国旗、国歌への尊敬も同じだ。 世界中、どこを探しても、愛国心を否定する国などありはしない。 

 

今では少数派となってしまった、このような反日教師が未だに日本の学校を怒声をもって思想支配している。 これらの教師に引き連れられて中韓修学旅行では土下座を生徒が強いられている。 こんな国賊的な教師がいる限り日本人は世界中でバカにされ、生徒は誇りも自信もなく凛とした人間として育たないのです。 

イギリスではかってサッチャー首相が出て、同じような自虐史観で自信を喪失させられていた英国を甦らせたのです。 当時の英国の教育界は日本と同じように左巻き教職員組合によって支配されていました。 そしてかっての大英帝国を恥ずかしいものと教育していた。 彼女はその偏向教育をを叩き潰したのです。 

時あたかもアルゼンチンが南米の最南端の英国領フォークランド諸島へ侵攻した。 アルゼンチン軍事政権が内政の行き詰まりから国民の不満をそらすために無謀にも企てたのです。 英国議会の議員たちはおじけづいて名誉ある撤退を、と考えていた。

しかし彼女は敢然として英国に武器をもって立ち上がらせて、英国国民の目を覚ませ、国民も伝統的なナショナリズムを手にしたいとがんばったのです。 これらがきっかけとなって英国は精神的没落から救われたのです。 

これは我が国における尖閣諸島問題によく似た紛争です。 島への領有主権が曖昧なまま放置されていたツケが、いずれ戦争になるという好例である。 中国国内の共産党支配への不満のはけ口として、尖閣諸島への侵攻・占領に利用される可能性がある。 拉致問題で国民が燃えているときに、小泉首相もサッチャーのように毅然とした態度でのぞむべきだった。 そうすれば靖国参拝や尖閣諸島問題などで近隣国から侮辱される悪弊を断てたのです。

 

おおきと言われて目頭熱くなる

 

  一月にテレビカメラマンらと撮影で寝袋配りに行ったときのこと。 まず最初に行った所、日本橋電気屋街での炊き出しは韓国キリスト教教会がやっています。 そこに知り合いの野宿者がいました。 そして、うれしそうに自分の名前をたどたどしく紙に書いて「見てくれ」と言ってきました。 幼児が自分の名前が書けたから「お母ちゃん、見て」と持ってきたような、本当にそんな思いだったと思います。 

 

ああ、この人は字が書けなかったのだとわかりました。 背が低くて、面白く、すぐちょっかいをしに来て、少々粗暴な人なのですが、憎めない。 彼は霞町駅でダンボールでできた大きな囲いの寝床のなかで可愛らしい寝顔で寝ていました。 この人は亡くなったら天国の神様のすぐそばに行かれる人だなと感じました。


  数年前釜が崎へよく行っていた頃に識字教室へ行ったことがあります。 肉体労働者が多い釜が崎には字が書けない人や在日の人が多いのです。 生まれが貧しくて学校へも行けず、職業の選択さえできなかった。 若いときから日雇い労働でしか食ってこれなかった人々が野宿者の底辺を形成しています。 

 

外国のホームレスより学歴がない人が多いので、職業訓練も高度なものはついていけないのです。 ましてセールスなどは下手で、ビッグイシューの販売員も恥ずかしそうに販売している人が多い。 今までの仕事柄から職業を選択できる幅が限られているのです。 

大阪駅前の炊き出しと掃除が終わった後に駅前喫茶店が開業されます。 女性スタッフが野宿のオッチャンたちに熱い湯を運んできてくれてコーヒーを作ったり、お菓子などを配って労をねぎらってくれるのです。 先週のこと「鯛焼きを10個もらったから、いらんか」と言われました。 

信号のところで商売している鯛焼き屋の兄ちゃんがくれたそうです。 信号の所はとくにタバコの吸殻がたくさん捨ててある。 それを掃除している野宿のオッチャンの姿を見て「ご苦労さん」とくれたそうです。 私たちの姿を黙って見てくれている人がいるのです。 うれしかったです。

またタクシーの乗り場周辺が汚れていたので「きれいにしてんか」と運ちゃんに言われて掃除をしたらタバコをくれました。 いつも月曜夜に道路にまで出て黙々と働いている私たちの姿を見てくれているのです。 またタクシー乗り場の係員にも目が合ったら「ありがとう」と挨拶されます。 気恥ずかしいので顔は合わさないようにしていますが。 

また車の中が衣類や掃除道具で一杯なのを見て、ガソリンスタンドのオジサンが「どうしたんですか」と聞くので「ホームレス支援です」と言うと最敬礼をしてくれました。 何も言わないがじっと我々の心を感じてくれている人がいる。 それが日々の救いです。

  しかし残念にもまだまだ野宿者への偏見がある。 先日は姫路で1人が殺されました。 中高生が橋の下で生活していた野宿者に火炎瓶を投げ込んで焼き殺してしまったのです。 無念です。 

 

また先日大阪駅前炊き出し現場で道行く人に支援要請のチラシを配っていたら、オヤジが突かかってきた。 「こんな連中を助けて何になるや。 止めとけ」と酔っ払いのたわ言。 スタッフの一人がけんか腰になって突かかって行ったので皆で止めました。 喧嘩になったらこの炊き出しが警察に中止させられる。 往来の多い歩道上でしているので、本来は警察やJRの道路使用許可がいるのです。 しかしカトリックのシスターが10年以上前に始めた炊き出しで、実績があるので大目に見てもらっているのです。本当に危なかったです。

 

  通天閣のそばに浜寺まで行く路面電車の霞町駅があります。 電車が終電になってこの駅の電気が消えた後、この駅のホームに多くの野宿者が集って寝床を作るのです。 そこへ寝袋を配りに毎回行っていましたが、ある時に相棒が横を歩いていた野宿者に寝袋を渡したら、お菓子をくれたようです。 彼にはせめてそんなお礼しかできない。 しかし相棒はそれがうれしくて涙を流していました。 こんな皆の熱い思いがあるから私たちの活動は続けていけるのです。 

 

家もなく救いもなしのこの矛盾

 

戦後、産業構造が変化して今までの仕事が続けられなくなった人々が多くなりました。 出稼ぎで一家の主人が単身で都会へ働きに出て、故郷の家族を養っていました。 「南中ソーラン」のダイナミックな踊りを取り入れて学校崩壊から立ち直った北海道・稚内南中学。 北方漁業が不振で多くの父親が稚内から都会へ出稼ぎに出かけて行きました。 学校崩壊を招いた番長たちの多くは、その父親たちが音信不通となり、母子家庭の不安と寂しさが原因で生まれました。 

 

また九州では炭鉱の閉山で働く場所を求めて多くの肉体労働者が大阪へ来ました。 今も九州出身の野宿者が多いのは元の原因は炭鉱と思います。 そして出稼ぎに出た人々も一人身の寂しさから飲酒などに走って生活が破壊された人も多かった。 

路上で寝ていて65歳になってやっと生活保護が受けられると思って申請に行く。 しかし文盲で字が書けないから書類も書けない。 また役所に行ってもまともに相談に乗ってくれないし、強圧的な態度に怖気づいて何もできずに断念してしまうケースが多いのです。 だから入佐明美さんなどの生活相談員や民生委員、釜が崎の保健婦さんなどが付き添って行ってあげて、手続きを助けるという状態です。 65歳になるまで仕事もなく野宿をしなくてはいけないのなら、ブルーテントを作って住もうという気になるのも仕方がない。

日本の生活保護法では保護が受けられる年齢制限は書かれていないにもかかわらず、65歳にならないと生活保護資金は受けられないとされている。 65歳までは仕事が手に入り働けると、実情無視で判断されているだけ。 しかし実際には50歳でも日雇い労働の求人がないのが今の釜が崎の実情です。 また住所不定ではその人の元へ生活保護認可書を送ることができないという理由で断られる。 

もっとも役所の方にも言い分はある。 生活保護に関しては、生活保護を受けると無料の医療保護も受けられるので、保護されている人が医者に行くとその代金は国家負担になります。 保険がかかっていないので数万円かかるときもある。 また長期入院すると数百万円もいる場合がある。 また釜が崎近隣の病院は国家負担をいいことに、あくどい医療請求を国にしているらしい。 その医療保護の金額が膨大なので、生活保護を出ししぶると釜が崎の関係者に聞きました。 あちらを立てればこちらが立たず。

保険も年金もない高齢者やニート、フリーターの面倒をみるのが、これからの社会でますます多くなるはずです。 生活保護を受けるべき人と不正取得者への監視をきっちりしないと財政破綻となります。 また生活保護を受けていたら働いてはいけない、とある規定はおかしい。 働ける人には働いてもらう、何らかの就職斡旋施策が必要。 働けるのに働かない人は生活が堕落するだけです。 仕事のない人生は人間を腐らせてしまいます。 社会奉仕活動か何かでもできる体制づくりを社会が作っていくべきです。

                        

(終)


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