いのちの風 bS64 

月11日(火)発信 石黒大圓(だいえん

 Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 大阪駅前清掃4年目/第100回目カレーの炊き出し/竜助さんの葬式/母の墓を作る  

 

いつもありがとうございます。 皆さん、今春の花見はどうでしたか。 私の花見については来週に。 ところで今月で大阪駅前清掃が四年目に入ります。 平成15年4月11日の通信bQ07に以下のように清掃活動の始まりを書きました。

 

「今週月曜日に前から考えていた計画を実行に移しました。 大阪駅前で炊き出しの列に並んでいる人々に声をかけ、駅前の清掃活動を始めたのです。 普段の靴下、肌着、おにぎり1個程度ではすまないので、「掃除をしてから一緒に牛丼を食べよう」と親しい2、3人に声をかけたら、まわりの10人が「やる!」と動いてくれました。 10人限定で自腹でまずやります。 (しばらくしてから、おにぎり2個に変更) 新宿公園で炊き出しをしている津田さんも最初は自腹を切ってやり始めました。 300人まで炊き出しに並びカンパでも手に負えなくなって清掃と炊き出しの組み合わせに活動を進化されたのです。 みな真剣に掃除してくれます。 皆働きたい。 その姿とうまく行ったことに感謝と感動をおぼえました」

 

平成16年4月7日の通信bR33には

野宿者かて、大阪が好きやねん、きれいにしたいねんと黒字でプリントした黄色のジャンパー(虎を意識)が、予定より1週間早く出来上がり、先週の月曜日から着て、清掃を始めました。 皆に好評です。 この活動への誇りを持ってもらえたらと思います。 しかし暑い。 大雨の前日ということもあり、湿気がすごく汗で内側がぬれる。 「暑い、暑い、と言いながら、ジャンパー着て掃除している」と先日来イメージしてきたことが夏の前に出現しました。 ジャンパーは寝袋以降に届いたカンパで作らせてもらいました。 これから作る黄色のそろいの半袖Tシャツは通信料金の振込みのなかに時々、入れていただいているカンパでまかなえそうです。 ありがたい。 感謝いたします」

 

再会を一番星に祈りつつ

 

先日の100回目のカレーの炊き出しの続きです。あの日はリンゴの配給もあり、半分に切ったリンゴを500個くらい配りました。 炊き出しの材料は集った人々が自己負担で買ってくるものです。 100回も続いたその精神に感銘を受けます。リンゴ配布を終わってからいつも通りに合唱隊へ参加。 ギターを弾けるメンバーと男女の子供たち2人がすでに歌っていました。 子供たちと一緒に歌うのは初めての経験です。

 

小さな女の子がタンバリンを鳴らしながら、可愛らしい声で童謡をつぎつぎと歌っていました。 それを見る野宿のオッチャンたち。 目に涙を浮かべている人がいた。 理不尽にも家族を捨ててきた人、故郷に子供を残してきた人、いろいろな事情で今はこの釜が崎で炊き出しの列に並んでいる。 そしてじっとその子の姿を見つめていた。 幼い頃の自分の子どもたちの姿と重なるのでしょう。
  私も最近電車のなかで可愛らしい子供の姿を見るたびに感慨に浸っていたのです。 そしてそのときに白昼夢のように妻の姿が感じられました。 妻だったら明るい声で抱きかかえるように、可愛いしぐさや甘えた声の子供たちに声をかけていたことでしょう。 胸が熱くなりました。 そしてこの時にもオッチャンたちと一緒で涙を見せまいと声が詰まっていました。 


  歌っていて特に森山良子さんが実兄を亡くされたときに作ったらしい曲なだそうそうが流れた時にはもう声が出なかった。


「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
 いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ  

晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔 

想い出遠くあせても おもかげ探して 

よみがえる日は なだそうそう
          一番星に祈る それが私のくせになり

夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも喜びにも 思うあの笑顔
あなたの場所から私が 見えたらきっといつか 
会えると信じ生きてゆく

晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても さみしくて恋しくて 

君への想い なだそうそう 会いたくて

会いたくて 君への想い なだそうそう」

 

衛星放送で24時間流れている保守良識派の放送局桜チャンネル。 この曲はここの各番組の冒頭で、拉致された横田めぐみさんの写真と一緒にいつも流れていました。 離れ離れにされた親子の再会を祈る思い。 野宿のオッチャン、拉致家族、そして私。 皆同じ思いでこの曲を噛みしめているのです。


帰り来ぬ友をかつぎて歩み出づ

 

今月3日の昼に「島田紳助・竜介」コンビだった松本竜助さんの葬式に行ってきました。 妻が亡くなった日より1ヶ月早い、同じ1日というのも何かの縁でした。 テレビなど取材陣が葬儀場の入り口に一杯。 そして葬儀が始まるなり、彼は創価学会員だったとわかりました。 「いのちと出会う会」に来ていただいた末期ガン治療中だったソウルシンガーKOUTAROさんも学会葬でした。 芸能界は学会員が多い。 警察関係にも学会員が多くいて、西村真悟代議士逮捕も学会幹部の検事が指揮を取ったとのこと。 

 

ソウルシンガー・KOUTAROさん

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A3%CB%A3%CF%A3%D5%A3%D4%A3%C1%A3%D2%A3%CF&fr=top_v2&tid=top_v2&search.x=1&x=25&y=10

 


  竜助さんの葬儀も創価学会式に僧侶なしの学会葬というのでしょうか、学会の幹部数人だけによる読経で始まりました。 参列者200人あまり。 壁面を埋める多くの供花もビートたけしや明石屋さんまなど、有名なテレビタレントからのもの100個以上も。 参列者にはB&Bの島田洋七やぼんち、オール巨人、西川のりお、桂きん枝、池乃めだか、雨上がり決死隊などそうそうたるメンバーが詰め掛けていました。 みんな、ぐしゃぐしゃになるまで、泣いていた


  
紳助さんは「葬式が終わってから、ゆっくり会いに行く」として通夜も告別式とも欠席したらしい。  芸能界の頂点に立った島田紳助さんに対し、竜助さんは自己破産するなど解散後の人生は対照的だった。 竜助さんは平成9年に吉本興業を離れた後は、居酒屋やアダルトビデオ制作に携わるが、いずれも失敗。 10年には1億3千万円の負債を抱えて自己破産。 最近は大阪市内で風俗案内店の責任者をしていた。 

     

島田洋七が弔辞を述べましたが、何で死んだや・・・竜助!と涙の絶叫と嗚咽。 皆涙あふれました。 「お前死んでも、兄さん、あと付いていきます、と昔みたいに言うてや・・・」と慟哭で声が聞こえない。 お棺に別れの花を手向ける時には西川のりおがお棺にすがり付いて「竜助!、竜助!」と叫んでいた。 喪主の挨拶は彼の長男がしましたが、嗚咽しながらの声にまた皆、涙、涙。 「集中治療室にいるときにも俺は今までオヤジに何をしてやったのかと考えていた。 お袋には怒られてばかりで、子供からはいつも馬鹿にされていたオヤジ。 オヤジの代わりに母の面倒をこれから見ていきます」 立派な大人になってオヤジを越えるたくましい男になってほしいと参列者は皆、思ったことでしょう。


  生き馬の目をくり抜くような芸能界で一緒に釜の飯を食い、血肉を分けた親子兄弟以上にともに苦労してきた人々。 竜助さんが紳助とのコンビを解消して大きな借金を抱えて苦しんでいたときにも皆で心配していた。 その激戦の芸能界でともに戦ってきた戦友がもう帰らぬ人となった。 芸能人仲間が皆でお棺を掲げて出棺する時にも、また霊柩車が出発する時にも「竜助! 竜助! もういっぺん目覚ませ」と言わんばかりに皆が絶叫していた。 その真剣な仲間の声が皆の涙をさそっていました。


母の墓本が売れたらできるんや

 

帰りに知人と顔を会わしました。 彼は竜助さんの本を出版する準備をしていたのです! 亡くなる前にはどこの書店も見向きもしなかったが、彼が亡くなったので多くの書店から引き合いがきているという。 帰りにその出版社の社長たちと喫茶店で話しをしました。 その出版社は前にホームレス詩人のツネコさん(阪急のガード下で詩集を売っていたお婆さん)の本も出していて、釜が崎で彼女の葬式があった時には私と彼は同席していたのです。 奇遇でした。 

 

ホームレス歌人ツネコさん

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E6%AD%8C%E4%BA%BA%E3%83%84%E3%83%8D%E3%82%B3&ei=UTF-8&fr=top_v2&x=wrt&meta=vc%3D

 

  紳助さんが暴行事件で世間から非難されていた時に、竜助さんは彼に対して心温まるコメントを書いていた。 また紳助さんを「師匠」と思っていたと皆にしゃべっていたとのこと。 自分は落ちぶれて世間から冷たくされながら生きている。 彼の相棒は飛ぶ鳥を落とす勢い。 それでもひがむことなくいつも心の中で応援していた、いじらしい心の持ち主でした。 


また竜助さんは、お笑いイベントを町おこしに各地で行う計画を立てていたらしいです。各地域の祭りなどに芸人たちと出向いてイベントを行い、笑いを提供することで地域の人たちに活力を与えたい、と話していたという。 かつての漫才仲間らベテラン、中堅漫才師らと再び手を組むことも考えていたようだ。 

 

彼が待ち望んでいたエッセー本には「人生って素晴らしい」「生きていてよかった」などと書かれ、竜助さんが描いたイラストも掲載。 彼の遺作HOW TO 竜助 一語一会〜人生って素晴らしい!〜。 皆さんぜひ彼の遺作を買ってあげてください。 そしてこの本が売れたら印税で苦労をかけた母の墓を作るつもりだと生前に言っていたという。 自分が死ぬことで本が売れて、やっと親孝行ができるのです。  

 

竜助さんの人生語録の本の内容と、

出版元・エンタイトル出版の編集長が竜助さんについて書いたブログ 

http://entitle.jp/

 

 

私の妻の実家に来てくれた時にも謙虚なその姿に彼を見直した思い出がありました。 食うのもしんどい時に、私の妻ばかりでなく多くの病気の人々を救おうと、気功師として西走東奔してくれていた。 そしてこの世を去る前の夢は「町おこし」。 最後まで人のため世のために生き抜いた人だった。 彼は苦しい人生をわざわざ選んで生まれてきた立派な魂だったのだ、と確信しています。 竜助さんのご冥福を心からお祈りいたします。


  
人はいつかはこの世を去ります。 その自覚があるかないかで、人生が変わると思います。 死ねば眼の前のもの全ては私の手からこぼれ落ちる。 棺おけには持って入れない。 その思いが常にあれば物への執着はなくなって、心は自由になれるのですけどね。 私も言うばかりで。 しかしいつまでも元気で生きているとは思わなくなったのは事実です。 特別に豪勢な葬式も望まない。 残されたものが満足できる葬儀であればいい。 どんな罪悪人でも仏さまがすくい取りに来ていただけると思っていますから。


  竜助さんと同じで、つらい試練を自ら望んでこの世に生まれてきた、すばらしい魂をもっておられる方が多くこの世におられます。 できれば、死んだ後にこの世に残せる遺産は、人の心に感動として残せるものであってほしい。 竜助さんはそれを残した。 きっと神さまの元で「ようやってきた」ときっと褒められています。私もそんな人生を歩みたいです。

 

(終)

 

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