いのちの風 bS69
5月15日(月)発信
今回のテーマ 今週のイベント/反日教育/女性野宿者/インドのカースト/東条英機
いつもありがとうございます。 今週は私が関わっている行事が多くあります。 お時間がありましたら覗いてやってください。 またこの通信やmixiでの衣料カンパ依頼に対して10人ほどの方から送っていただきました。 心から感謝申し上げます。
『生きるとは夢を持って歩き続けること』
奥塚明さん 司会・
地谷町9 千円
地下鉄の線路に転落し両腕をなくした奥塚さんに追い討ちが。婚約者の自殺、母親の自殺。しかし奥塚さんは絶望の淵から立ち上がり、入所していた施設を出て自分の力で生きる希望への第一歩を。そして家庭を持ち一児の父親となった彼は生きる力をなくしている人たちに夢を持って生きる大切さを語り続けておられます。
今回も出席者が少ない予想。お時間があればご予約・ご来場をお願いできませんか。
『せんば花金夜市』
今年もやりまっせ 19日金 17時半〜19時半「せんばエプソンビル前広場」
(心斎橋筋の南久宝寺町通りと博労町通りの間。バリューマートbyなにわカメラ前)無料
@よさこいソーラン踊り A馬頭琴・モンゴル楽器演奏 B蛇味線・沖縄楽器演奏
Cオークション(商品は商店街からの寄付。売り上げはあしなが育英会へ寄付)
Dフラダンス Eフラメンコダンス Fチューバ管楽器バンド演奏
司会はNHKのドラマなどで活躍の紅満子さん。 雨天中止
イベント委員の
憎しみが犯罪起す道理なり
先日
そのオーナーは留学生の面倒を今まで千人以上見てこられた方です。 しかし最近の中韓の留学生は質が落ちて、しかも祖国で反日教育を受けているので始末が悪い。 何かでトラブルがあった時には「戦前に日本はわが国の何をしたのか」と詰問して、逆に謝らせようとしてくるらしいのです。 それで留学生ではなく、生活保護を受けられて収入が確実になった人の面倒を見ようとされたのです。
これから中韓からの人間が多く入ってくる日本の問題がすでにここでもう発生している。 すでに外国人犯罪のトップはここ10年以上中韓国人が占めている。 留学生活費が途絶えたらビザの延長更新ができなくなってしまい、闇の世界に入って不法滞在者となって犯罪を犯す。 反日教育をうけているので日本人に対する恨みの感情をもっていて強盗や殺人を犯しやすくなる。 「日本は戦前彼らに悪いことをしたのだから」とウソの洗脳でだまされて、甘く同情などしていたら、あなた自身や家族に被害が及びます。
つらいこと見るたび学ぶこの世かな
先日ある人から連絡があり、70歳代の女性が野宿しているので、世話を見ている男性と一緒に、生活保護の件で相談に来られると聞いていたのですが、結局来られなかった。 その人は借金取りから逃れるために広島から大阪へ逃げてきたらしい。 生前の夫の借金を肩代わりして自宅を売っても借金が全部払いきれずに追われて逃げてきたという。 少しの知識があれば、自己破産手続きをして家を売ってもまだ借金が残るなんてことにならなかったのに。 2ヶ月前にも名古屋から70歳の女性が逃げてきていました。
炊き出しに関わっていると色々なつらい人生を垣間見させられます。たとえば野宿の女性は一人では寂しいし不安なので男性と一緒になることが多い。それで70歳代でも男性と寝ることなる。 また老婆であっても、そんな女性が好きな一般市民がいるので、彼らからその女性を守ってやる人もいるのです。 歳があまりにも違うので母と子かと思ったら、男女関係のあるカップルだと聞いて、びっくり。
野宿の女性はどうしても身を売ってでも生き抜いていかなくてはいけない人も多い。 野宿の女性で身ぎれいな格好をしていたり、化粧している女性が時々いるのはそのような事情なのだ、と聞きました。 家がなくて釜が崎の一泊1000円ほどの簡易ホテルに泊まれる小金のある住所不定者やブルーテント暮らしの人、そして路上でダンボールにくるまって寝ている完全野宿者。 その数、大阪で約1万人。 そしてそのうち野宿女性は100人だと元・保健婦さんに聞きました。
野宿に転落する多くの人は借金問題をかかえています。 だから生活保護でアパートに入れても、借金取りに住所が見つかってしまって、また借金取りが襲ってくるので、生活保護も断る人がいるという。 70歳以上になっても雨露をしのげる家にさえ入れないなんて地獄です。 なんとかしてあげたいが、その人に掛かりっきりになる覚悟がいる。
「私の人生はいい人生だった」と自分の人生をなつかしめるように、人生の最期を迎えさせてあげたい。 末期の病人もそのようにしてあげれば本人も遺族も魂が救われる。 人生の最期を畳の上で安楽に迎えさせてあげたい。 それが野宿者支援者やターミナルケアに関わる人々の心からの願いなのです。
インドでは差別解放日本では差別利権
先日九歳のときに来日し比叡山で修行してインドに帰られカースト制の廃止を求めて仏教復興運動にたずさわれている若きインド人僧の話を聞きました。 彼、サンガラトナ・マナケ師は日本語がペラペラ、言葉と顔との差に日本人もびっくり。 インド起源で差別思想を持たない「仏教」(今は人口の0,1%も信者がいない)を広めることで差別廃止を推し進めようという運動です。
インド(ネパールも同じでしょう)にカーストは600もあるという。 そして上の4つ(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ)は普通の暮らしができるが、不可触民(アンタッチャブル・触ってはいけない人)といわれる、それ以下のほとんどのカーストは人間とはみなされない。
彼らが触った水道や井戸は穢れたとして清める儀礼がおこなわれ、寺院にも入れない。 ガンジス川での沐浴という穢れをとるという風景がインドに存在する限りカーストはなくならない、といわれたのが衝撃的でした。 最近は不可触民カースト階級の人を政府役人に数十%強制的に雇用する政策が行なわれて差別撤廃の方向へは進んでいるが、カースト制がなくなるのに100年かかるかどうかもわからない。
【資料】インドのカースト制とそれの廃止をめざした人々、3人。
カースト制とは紀元前1000年頃にインドに侵入したアーリア人がつくり、カースト内での結婚や職業を規定したもの。
マハトマ・ガンジーはインドのカーストの最下層不可触民ハリジャンの解放と地位向上に努めたが、インド独立という時代背景の元に、カースト制そのものは容認した。 かれは自身は中層階級バイシャの出身。
アンベードカルは被抑圧カーストの指導者。 政治・法曹・社会・経済・労働・教育などのきわめて広範囲にわたって被抑圧カーストの地位向上に尽力した。 近代インドの初代法務大臣を務め、自ら起草した憲法によってカースト制を法的に禁じた。 晩年、ヒンズー教の枠内での被抑圧カーストの解放に絶望し、約五十万人の被抑圧カーストの人々とともに仏教へと改宗した。 不可触民出身。(この人の右腕だった人が、この若きインド仏教僧の父親)
1997年 最下層階級から選ばれたナラヤナン大統領が誕生した。
他の幸せ望みて散りし人哀れ
私は30年ほど前にインドへ行って嫌悪感を感じました。 世界の宗教のほとんど(ヒンズー教、仏教、そしてキリスト教[イエス教=インド発生説による]も、そしてそれから派生したイスラム教)を生み出したインドという国がどうしてこのような悲惨な状況を放置しているのか。
イギリスが支配する前は豊かな大国だったインド。 しかしインドから独立しても未だに古代のカースト差別制度の下で膨大な人々があえいでいる。 こんなことを許しているインドに落胆しました。 そしてその原因の一つが沐浴思想にあると知って驚嘆しました。 その最もインドらしい風景のなかにインドの悲劇の原因があったという主張。
またインドからは2000万人のもの印僑(インド移民・商人)が世界各地へ出かけて行っている。 最近はアメリカで多くのインド人がIT産業に従事して故郷に仕送りをして、富豪となって故郷に錦を飾っている者もいる。 しかし彼等は祖国のためにその金を使おうとはしない! 祖国の貧しさを救済するために布施をしようとはしない。 個人主義的な民族なのだ、とインド専門家に聞きました。 個性的で議論好きでなかなか国内もまとまらないのでしょう。
隣のインド文化圏のミャンマーは完全に議論ばかりの政治を繰り返し、船が陸を進むという状況だと専門家に聞いたことがあります。 アウンサン・チーさんの件もそれの象徴なのでしょう。
戦前は日本軍のおかげでイギリス軍を排除してもらって、イギリスの植民地から独立できかけたのに、日本が敗戦となると、とたんに手の裏を返したように日本軍に反乱を起している。 日本との関係を保っていると帰ってきたイギリスと戦争になる、との自分勝手な理屈で恩人の日本に牙を向けた。
それに対してインドネシアでは人々に請われて日本軍将兵2000人が戦後も残留してインドネシアの独立のために戦った。 それに比べてミャンマー(ビルマ)の独立志士の自分本位な姿。 それが今もミャンマーの政治に現れている。またそれに比べてインドでは日本軍のおかげで独立が早まったとして日本に感謝する大親日国となっている。 インド独立をめざして侵攻したインパール作戦で多くの日本将兵が亡くなったことに大きな恩義を感じている。
そして日本では評判が悪い東條英機に対して感謝状が最近、お孫さんの東條由布子さんにインドから手渡されました。 イギリス植民地からの独立を望んだインドの民族的英雄、チャンドラ・ボースの懇請を受け入れて、東條首相がインパール作戦を実行させたからです。 彼はまたユダヤ人救済の大恩人でもあったのです。 五族協和の満州国の理念と、世界は皆同じ家の下の一家族という理念の「八紘一宇」の精神に基づいて、東條はナチスの猛烈な抗議を払いのけて2万人ものユダヤ人の命を救った。(これらの事実はサヨクは隠したくてしようがないようです)
(上記は「いのちの風」通信 bS69の一部)
東條も人種差別を排撃す
前回の通信に「東條英機がユダヤ人救済の大恩人でもあった」と書きました。 今回はそれについて。
日々是桜
http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=6
ユダヤ人には「ゴールデン・ブック」というものがある。これはエルサレムに保管されており、その中にはユダヤ民族が試練の時代において助けてくれた人が記されている。 その中に帝国軍人が載っていることはあまり知られていない。樋口季一郎少将と安江仙江大佐がそうである。外交官の杉原千畝がユダヤ人に対し「命のビザ」を書き続けたという話は有名である。
それと同じように満州・ハルピンの特務機関長だった樋口少将(当時)は、オトポールのユダヤ難民を救うため、ビザの発行をして欲しいという依頼を受けたとき、当時日本とドイツは同盟関係にあったにも関わらず樋口少将はこれを受け入れたのである。
しかも個人の裁量として受け入れたのではなく、参謀長だった東條英機に掛け合って、東條英機が許可を出したことによってなされたことであった。 したがってユダヤ人は東條英機にこそ最大の感謝の念を捧げるべきだと言われているのです。
(上記は「いのちの風」通信bS70の一部)
(残りは次回)
大阪の
福田逸さま
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 商店街のイベントに関わっていて先週は多忙でした。 福田さまの感動的な内容のHPをご紹介いただきありがとうございました。 ここから以下を引用させていただきました。
「もう一人の、日本のシンドラーが樋口少将(当時)である。時はさらに二年前の1938年。やはりナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人難民の一団がシベリア鉄道のオトポール駅にビザを持たずに逃れてきた。日本はドイツと友好関係にあつたにも拘らず、知らせを受けた、時のハルピン特務機関長樋口季一郎少将は、これは人道問題であるとして、満鉄に依頼して救援列車を次々に出し、上海などへの彼らの逃亡を援けた。
当然ドイツは外務省を通して抗議してくる。が、関東軍は「日本はドイツの属国にあらず」として、樋口少将の措置を認め、結果として数千人のユダヤ人が救はれたといふ」
【以下は前回の続きです】
また週間新潮四月十三日号には『東條英機はユダヤ人から英雄と称えられていた』という見出しで、以下のような記事が掲載されています。
『A級戦犯の代表といえば東條英機。 彼が合祀されている靖国神社への小泉首相の参拝を、「戦後ヒトラーやナチスを崇拝したドイツの指導者はいない」と非難したのは、中国の李肇星外相だが、その東條はなんと、ユダヤ人から「英雄」と称えられていたのである。
この記事のモトネタはラビ・M・トケイヤー氏著「ユダヤ製国家日本」。 氏は古代ユダヤ教の儀式と神道の祭、古代ヘブライ語と日本のカタカナの相似をもとに展開される日本ユダヤ同祖論で有名です。
盤南総合研究会・武士道の哀しみ・ブログ
「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」
http://iwata910.seesaa.net/article/13174345.html
一九三七年ナチスの暴挙を世界に喧伝するために満州ハルビンで開催された極東ユダヤ人大会。 ハルビン特務機関長だった樋口季一郎らが大会に出席したことに対し、当時、同盟国であったドイツが抗議。 その抗議を東條が握りつぶした。ナチスの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に入国させたことに対するドイツ外務省の抗議を、東條は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した』
(上記は「いのちの風」通信bS70の一部)
ところで、エルサレムの中心地に「ゴールデンブック(黄金の本)」なるものが展示されているそうです。 ユダヤ民族に貢献した人、ユダヤ人に救いの手を差し伸べた人達を顕彰するために。
この「ゴールデンブック」には2人の日本帝国陸軍軍人、樋口季一郎中将と安江仙弘大佐の名が刻まれています。特務機関の幹部として、ハルビンのユダヤ民族協会を通してユダヤ人社会との交流があった樋口、安江。一方、東條はユダヤ人と親交を結ぶ機会がなかった。
それゆえ東條は「ゴールデンブック」入りができませんでした。しかし、もしユダヤ民族協会との交流があれば、「ゴールデンブック」入りは勿論のこと、東京裁判の判決に対し世界中のユダヤ人から助命嘆願書がマッカーサーのもとに寄せられたことだろう。トケイヤー氏はそう記しています。
ユダヤ人映画監督スピルバーグがユダヤ人を救った男の実話を描いた「シンドラーのリスト」。トケイヤー氏は言います。シンドラーの行為はロハで使える工員を集めて金儲けするという私欲から発したもの。人道的な精神からユダヤ人を救った日本人と根本が違うと。
スピルバーグは、第二次大戦は自分にとって最も重要なテーマであると語り、実際、第二次大戦を扱った映画をいくつも発表しています。 スピルバーグが東條、樋口、安江のような日本人を映画化してくれたら、東條英機の名誉も回復され、呪われた自虐史観も一掃され・・・・こんなことが実現したら素敵ですね。
下記は以下の「日々是桜」より
http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=24
その極東ユダヤ人大会で、樋口中将は、次のように演説しました。
「ヨーロッパのある一国は、ユダヤ人を好ましからざる分子として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。 いったい、どこへ追放しようというのか。 追放せんとするならば、その行き先をちゃんと明示し、あらかじめそれを準備すべきである。 当然とるべき処置を怠って、追放しようとするのは刃をくわえざる、虐殺に等しい行為と、断じなければならない。
私は個人として、このような行為に怒りを覚え、心から憎まずにはいられない。ユダヤ人を追放するまえに、彼らに土地をあたえよ! 安住の地をあたえよ! そしてまた、祖国をあたえなければならないのだ」
この樋口中将の演説が終わるや、割れんばかりの拍手と歓声が起こりました。また、この演説を聞いていたあるユダヤ青年などは、感激のあまり壇上に駆け上がると、樋口中将の前にひざまずいて号泣しはじめました。
もっと詳しくは以下へ
http://oncon.seesaa.net/article/8299908.html
(上記は次回送信予定の「いのちの風」通信bS71の一部)
【2人の知人が私の「いのちの風」通信をホームページ風にしてくれています】
「いのちの風」通信
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm