いのちの風 bS72
6月13日(火)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ 詩「フット・プリント」/「アロハオエ」と亡国のハワイ/東郷平八郎元帥
いつもありがとうございます。 梅雨に入りましたが大雨は少ないですね。 年間通じて総雨量は同じとのこと。 今まで降りすぎて今夏は空梅雨かも。
『再びいのち生かされて』「いのちと出会う会」 6月15日木 18時半 「在宅ホスピスあおぞら」南吉一先生
『せんば花金夜市』16日金 17時半〜19時半「せんばエプソンビル前広場」
今回のコーラス隊はRK音楽事務所の方々。 虎もぬいぐるみで出るかな? 雨天は中止
両方とものご参加お願いいたします
神仏に背負われ歩くありがたさ
『フット・プリント』という詩を皆さんご存知ですか。
「ある夜、一人の男が夢をみた
それは主とともに海岸を歩いている夢だった
その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った
それぞれの場面で、彼は砂地に
二組の足跡があることに気がついた
ひとつは彼自身のもので、
もう一つは主のものであった
彼の人生の最後の場面が目前にあらわれた時、
彼は後ろの砂地の足跡を振り返った
すると彼が歩んできた今までの道には
足跡が一組だけのところがあることに気がついた
彼は、それが彼の人生で最も困難で悲しみに
打ちひしがれていた時であったことに気がついた。
彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた
「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時
あなたはどんな時も私とともに歩んでくださる
と約束されたではありませんか
でも私の人生で最も苦しかった時、一組の足跡しかありません
私が最もあなたを必要としていた時
どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?
私には理解できません」
主は答えられた。「私の息子よ、私の大切な子供よ
私はおまえを愛していて、おまえを一人ぼっちに
したことなど決してないのだよ
決して見捨てたりはしない
あなたが試練や苦しみの中にあった時
たった一組しか足跡がなかったのは
私がおまえを背負って運んでいたんだよ」
癒しの詩「フット・プリント」
http://church.ne.jp/jag-kashihara/poem.htm
詩「フット・プリント(あしあと)」
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%BB%ED%A1%D6%A5%D5%A5%C3%A5%C8%A5%D7%A5%EA%A5%F3%A5%C8%A1%D7&fr=top_v2&tid=top_v2&search.x=1&x=15&y=10
この詩を初めて知ったとき涙がどっとあふれました。 皆さんはいかがでしたか。 この詩を知って胸にじーんと来た人は私の心の同志です。
そばに誰かが常にいて私を支えてくれているという感覚。 いつも自分ひとりで生きているのではないということ。神仏や誰かの助けで生かさせてもらっているということ。
苦しい時ほど孤独ではないということ。
誰かがいつもじっと私を見つめていてくれて、涙をはらはら流しながらも「元気を出せよ」と支えてくれているということ。
私の苦しみをいつも背中に背負って共に歩んでくれている人がいるということ。
神が私を背負っていてくれていたので足跡が一組しかなかったのです。
クリスチャンの間ではこれは有名な詩らしいです。 しかし日本でも「同行二人」の言葉がある。 お大師さんがいつも横にいて人生をともに歩いていてくださる。 日本人には神仏との一体感を感じる精神的風土があるのです。 それが日本という国をここまで育ててくれた原点と思っています。
魂を幽閉されしハワイ人
この詩を知ったのは衛星放送の「生命の光」という番組です。 これは愛国的キリスト教団といわれる「キリストの幕屋」が放映しています。 この番組の次の週には『アロハオエ』がありました。ハワイ王朝の最後の王、リリウオカラニ女王が作ったといわれるこの歌。 一般的にはノー天気な常夏のムードの曲と思われていますが、真実は哀しみの歌。 祖国を失った悲しみを「悲恋」としてあらわした歌です。 愛する祖国とハワイの人々を恋うる歌です。
『Aloha Oe』
「誇らしげに谷を横切る雨は
木々の間を通り抜け
それはまるでliko(ハワイの植物)を
探しているかのよう
それ(liko)は山の花、アヒヒ・レフア
さようなら、あなた。 さようなら愛する人
木陰にたたずむ愛しい人よ
私が去る前にもう一度あなたを抱きしめたい
もしもまた会うことができるなら」
(以下はyahooで検索した文章を一部抜粋)
ほんとうのハワイ
http://www.1101.com/hawaii/2000-07-01.html
「この歌は一説に、リリウオカラニが、彼女が大切に思うふたりの人に、月明かりの下で別れを告げたときのことを歌ったものだといわれています。 またその一方では、彼女の愛するハワイが奪われ、1898年にアメリカの領土となり併合される運命となったことへの悲しみを歌ったものだという説もあります。 リリウオカラニはその当時、ハワイ王国を奪おうとするアメリカの実業家たちの策略によって、反逆罪という罪名で、8ヶ月もの間イオラニ・パレスに軟禁されていました。
愛する人とはハワイの民そのものであり、彼女はハワイ王国とその民がいずれ手の届かないところにいってしまうこと、そして予想もできない未来が待ち受けていることへのはり裂けるほどの思いを込めたのだと思わずにはいられません。
彼女はハワイの民にその涙を、そしてどうすることもできない謝罪の気持ちを感じて欲しかったのだと思います。 ハワイの民は心から王族の人々を愛し、信頼していました。 アメリカの政府が女王を王宮の一室に軟禁したその日、ハワイの民の心の一部は、死んでしまったも同然でした」
我が祖国その民であること恩寵なり
ハワイが「太平洋の楽園」として欧米社会に知られるようになるのは、18世紀末、クックが発見してからです。 クックを先頭としハワイに来島した白人たちは、「楽園」にさまざまな伝染病を持ち込みました。 船乗り、貿易商、キリスト教宣教師といった外来者とともに、麻疹、結核、コレラ、ハンセン病、梅毒などが上陸し、抵抗力のない先住ハワイ人を襲ったのです。クックが来島した頃30万人だったハワイの人口は、1872年には5万7千人にまでに落ち込んでいます。 伝染病に加えてアルコール飲用も人口減に拍車をかけました。
ハワイ諸島を白人の武器で統一したカメハメハ大王はサトウキビ等の輸出など、国内産業の発展に尽力し、ハワイ王朝の基礎を築きました。 しかし輸出相場の変動、疫病の蔓延などにより、国力は徐々に低下していったのです。 この間に日本人や中国人など多くの外国人をサトウキビ農園の労働移民として受け入れることになりました。しかし白人の農園主たちが実力をつけ、王権を強化しようとした王女リリウオカラニが王位につくと、親米派の白人クーデターが起こり、女王は宮殿に幽閉され王位を奪われ、1898年にはハワイはアメリカに合併されました。
「アロハオエ」がたたえる悲しみは、侵略者に踏みにじられた先住ハワイ人の悲しみでもあったのです。明治14年 カラカウア王(リリウオカラニ女王の前の王で実兄)は、来日し明治天皇に日本皇室と将来のハワイ王位継承者カイウラニ王女の婚約を提案しましたが結局は果たせなかった。 この提案はハワイがアメリカ合衆国の領土となることを防ぐためだったのか? そしてその後カラカウア王はアメリカ訪問中に急死している。 暗殺だったのか?
アメリカは南北戦争が終わって国内が統一されると、西部開拓の魂は今度はさらに西の太平洋へ向かいました。 そして独立王国だったハワイを奪い取り、スペインとの戦争でフィリピンを勝ち取り植民地としたのです。 そしてめざすは中国。 その前に立ちはだかったのが日本だった。 中国市場の争奪戦で日本と激突するのは目に見えていました。 そのためにアメリカは日本を仮想敵国をみなしてこれを攻略する「オレンジ計画」というものを作成しました。 日米戦争のシナリオはすでにできていたのです。
日米必戦論と「オレンジ計画」、日米戦争やむなし
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/OrengePlan.htm
この「アロハオエ」は祖国を失うということがどんなに悲惨かということを訴えている。 日本も、もしかしたら敗戦によってアメリカかソ連の領土に併合されて日本国はこの地上から消滅していたかもしれないのです。 今私たちが日本語で話ができることにさえ感謝しなくてはいけない。 その教訓をふくめて、亡国の経験のない平和ボケ民族の日本は「アロハオエ」に秘められた亡国の哀しみを肝に銘ずべきです。
歌の題名の「アロハ」は愛する、「オエ」はあなた。 リリウオカラニ女王はクリスチャンであり、彼女にとって「オエ」とは神、ハワイの人々、そして祖国を意味した。 「神を愛する」という神への信仰を表現している言葉でもあるためにキリストの幕屋の「生命之光」の番組が取り上げたのです。 祖国への愛を心にいだいてほしい、という意味も込めて。
国民の品位が決める国家の品格
このハワイ亡国の運命について東郷平八郎元帥のことを以前「いのちの風」bS04に書きました。
「アメリカ海洋帝国の脅威」
『日清戦争の前にハワイで政変が起こった時、ハワイへ日本海軍軍艦が日本人居留民保護のために派遣されました。 国際法にくわしい知識をもつ若き東郷平八郎がその司令官として選ばれたのです。 ハワイには原住民の王朝がありましたが、アメリカの謀略でハワイの王朝が奪われました。 アメリカが米国人居留民を使って王朝を倒し、植民地政権を作ったのです。 アメリカの侵略によって幽閉されたハワイ最後の女王が獄中で作った曲が有名な「アロハオエ」です。
アメリカはメキシコとの戦争で南部のテキサスなどの広大な土地を奪い、その恨みから今もメキシコ人は反米・親日です。(アメリカと戦った日本を英雄視しています) そしてスペインとの戦争でキューバ・プエルトリコ・グァム・フィリピンを占領しました。 そして東へ東へと侵略の手を進めるアメリカ海洋帝国の前に立ちふさがったのが日本でした。
「ハワイの英雄」
いつかは日米戦争になっていました。 東郷はアメリカの野望を知っていたのです。 そのため沖合いで艦砲射撃をして日本人保護目的とハワイ人との連帯を示し、傀儡政権を威嚇したのでした。 また人種差別への敵意を示し、有色民族・日本の存在を白人に畏怖せしめたのです。 そのことがハワイの人々の心をとらえ英雄として歓迎されました。 ハワイ遠征にあたり東郷が司令官として乗組員に訓示したのが「我らの一挙一動は帝国の品位に影響あり」という言葉でした。
日本人としての誇りをもって行動せよ、さもなくば日本国の恥をさらすことなる。 我は日本国民の代表なり、との覚悟で身を挺して任務に着くように、という意味であったと思います』。
この一人ひとりが日本を代表し、日本を背負い、かつ日本に背負われているという自覚こそ、詩『フット・プリント』に見出す心でしょう。 日本という国家の文化と伝統、そして先人の汗と努力、その恩寵の元で我々は日々生かされているのです。
(終)