いのちの風 bS77 

月2日(水)発信 石黒大圓(だいえん

 Eメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 富田メモ/天皇の政治利用/偽造されたメモ/天皇は東條を信頼/日経の謀略

いつもありがとうございます。 梅雨がやっと明けました。 天神祭も終わりいよいよ夏です。 着物姿の女性や子供たちが目にまぶしい。 子供たちの歓声が響いています。 セミがけたたましく鳴いています。 そして別のセミも声を張り上げて鳴いています。

 

今やマスコミやインターネットで議論になっている富田朝彦・元宮内庁長官(故人)が残していたとされる昭和天皇のご発言メモ。 それをスクープして「A級戦犯靖国合祀 昭和天皇が不快感」という日経新聞の見出し。 鬼の首を取ったが如くに「靖国参拝反対」のサヨク・クマゼミが大合唱で騒いでいます。

 

ニセモノを奉りて神輿かつぐ

 

このメモについては、おかしいことが一杯あるにも関わらず「これは天皇が語ったことだ」と彼らは勝手に断定している。 これが天皇の発言だと誰も証明していないのに一人歩きしています。 この富田メモについてはガセネタだという疑惑が出ています。 メモは富田氏自身が書いたとしても、メモの中にある「私」=「昭和天皇」ではなく、他の人の発言について書かれたものだった可能性があるのです。  

 

公表されている富田メモの全文

 

「前にあったね どうしたのだろう

中曽根の靖国参拝もあったか

藤尾(文相)の発言

=奧野は藤尾と違うと思うが

バランス感覚のことと思う

単純な復古ではないとも。

私は或る時にA級が合祀され、その上松岡、白取

までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 

松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

松平は平和に強い考があったと思うのに 

親の心子知らずと思っている だから 私はあれ以来参拝していない。 それが私の心だ

 

メモの写真
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/gazou-1-.htm
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/gazou-2-.htm 
 

 

このように公表されている富田メモには、前書きとして、天皇の発言だとは一言も書かれていない。 「私は或る時にA級が合祀され、その上松岡、白取・・・」の言葉だけが強調されて、その前の言葉は無視し除外されて議論されている。 そして富田メモは天皇の発言ばかりを書いているのではないことが、前の文章を見ればわかるのです。 手品のような真似をして、これを「天皇発言」と強弁しているのです。 

 

そして天皇陛下がこんな風格のない言葉をおっしゃっても当たり前だ、と陛下をさげすんで見ている。 このような酒場での政治談議のような下品な言葉を天皇が語られるわけがない。 ましてこのようなA級戦犯を批判するような天皇の言葉が民間にもれたら、どれだけ遺族が嘆き哀しむことか。 

 

天皇陛下はそのような危惧を常に感じられながら、政治的中立を保ち個人批判はさけられてきた方です。 天皇としての自らの御言葉が政治利用されるのを、ことさら警戒されて、なかなか本心を打ち明けられなかった。 昭和天皇は人を批判するような品性のない人格だ、とおとしめようとする人間がこんな文章を有り難がるのです。 

 

 

 

誰かが富田メモをもともとあった場所から切り離し、昭和天皇の言葉などを記録した手帳の間にはさみこんだ。 それによって、別の人の言葉が、昭和天皇の言葉に化けた。 こういう疑惑がインターネット上で議論されているのです。 「メモ」には「不快感」という言葉も「A級戦犯合祀に不快感」という言葉もありません。 あくまで、これはスクープとして出した日本経済新聞の強引な解釈です。 

 

色々調べてみて、これはどうやら故・徳川義寛侍従長の発言メモだったというのが真相のようです。 徳川義寛侍従長の従来からの発言に似ているのです。テレビなどで政治家やマスコミはメモが真実であると断定しています。 そして「天皇のご意向を無視できない」とか言っていますが、これが偽造だったらどう釈明するのでしょうか。 

 

モが本物だと証明してから議論すべきなのです。 しかし日経新聞はこのメモの公開を拒否しています。 証拠としてやましくなければ、公開討論の場へ提出するはず。 日経は詳しく検証されて社長の首が飛ぶのを恐れているのです。 

 

天皇を嫌いな者が飛びつきぬ

 

さすがに中共は老獪です。 彼らの政治謀略工作の最終目標は天皇制廃止です。 その天皇陛下がおっしゃった言葉を取り上げて「靖国参拝反対」など主張したら、天皇を尊敬し奉っていることとなる。 そんな自己矛盾した戦術を彼らは取らない。 

 

しかし普段は天皇制に疑問を投げかけている日本のサヨク・マスゴミや自民党左派、革新政党。 彼らは皇室典範を改悪して女系天皇を実現することで、皇統廃絶をもくろんでいた。 その彼らがこぞって、これに飛びついた。 いつから皇室崇敬論者となったのか。 

 

彼らは天皇陛下のお言葉を奉じて「靖国参拝反対」の論陣を張っている。 天皇の政治利用は許されない。 戦前に「鬼畜米英」と扇動したマスゴミや政治家が、戦後「反戦平和」と豹変したのと同じ。 おのれの目的にためには自己矛盾があっても、使えるものは使う卑劣な態度です。

朝日新聞社の雑誌AERAの記事によると

 

「富田氏が03年11月13日に亡くなった後、ベットでふさがれた戸棚の中に、40冊から50冊の日記やメモが残されていたのを妻が見つけた。 一部は一周忌の際に故人をしのぶCD-DOMに収めて知人等に配ったが、戸棚に立ててあった日記帳の上に輪ゴムでまとめて載せてあったメモについて妻は言った」「『何が書いてあるかわからないから、そのCD-DOMには入れなかった』 

 

昨年秋ごろ、日経新聞の記者が久しぶりに自宅にやってきた。 懐かしさも手伝って、一周忌のCD-DOMを見せ、日記の現物と自分も読んだことのない輪ゴムのメモを手渡したという」 「今回の昭和天皇の発言はこの中にあった」(記事ここまで) 

 

「極右評論・朝日が捏造を証明か?」

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50970169.html

 

 

富田氏の妻の証言によると、このメモが手帳とは別個に輪ゴムでまとめてあったとある。 「昭和天皇陛下」のお言葉を輪ゴムでまとめて載せておくなど信じられない。 CD-DOMに収められた日記は既に知人等に配られており、そこには不快感を感じさせるような記述はなかった。 あればその時点で大騒ぎになっていただろう。 

 

このメモについて日本経済新聞社の7月20日のスクープ記事では次のように書かれてあった。 「靖国神社についての発言メモは88年4月28日付けで、手帳に張り付けてあった」 このことからの結論は、この手帳にメモを「貼り付けた」のは日経新聞社の記者ということになります。

 

新聞にある写真では、左の手帳の字は時間が経って黒くなっている。 しかし一方の右側のメモは貼り付けられていて、インクのブルー色がきれいで、紙も白い。 このメモと張り付けられた手帳とが本当に関連あるものなのか。 またここに書かれている文字が本当に富田氏のものか。 筆跡鑑定が必要だし、インクや貼り付けたメモ用紙の科学的分析も必要です。

 

  

 

その他、インターネットから取り上げた疑問点


 「だから私はあれ以来参拝していない。」「あれ」(A級戦犯合祀)は78年。 この3年前の1975年(三木首相私人参拝)から、すでに天皇陛下は参拝していない。 合祀の前から参拝されていない。 
 メモにあったとされる「天皇発言」が合祀から10年後の1988年。 こんな後になってまでも陛下は恨みを持ち続けられたのか。
 天皇陛下の言葉として「参拝」はおかしい。 普通は親拝と言われる。 また「私」ではなく普段はと言われる。

 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることは、そもそもできない取り決めとなっている。

 文章の上部に「藤尾(文相)の発言」とあり、これは昭和天皇ではなく、藤尾文相の発言ではないか、

「enjoy korea・メモは藤尾文相の発言か?」

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1715328

 

 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、故・徳川義寛氏の発言と考えれば、すべて辻褄が合う。

 何故天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている、全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べられているのか。
 陛下の私費で現在まで靖国神社に勅使が派遣されている


日本の人柱なりA級戦犯

 

次に左記はインターネットで流れている情報で、富田メモの裏面の透けて見える表面側の文字を、反転させる技法で、メモの前ページを解読したものです。

 

【一ページ目】 63.4.28  

Pressの会見 昨年は

(1) 高松薨去間もないときで心も重かった

(2) メモで返答したのでつくしていたと思う

(3) 4.29に吐瀉したが その前で やはり体調が充分でなかった
それで長官に今年はの記者印象があったのであろう=(2)については記者も申しておりました

 

【二ページ目】  

戦争の感想を問われ嫌な気持を表現したが

それは後で云いたい

そして戦後国民が努力して平和の確立につとめてくれたことを云いたかった"

嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長の靖国発言 中国への言及にひっかけて云った積りである

 

そして【三ページ目がない】(故意につなげている)

 

【四ページ目】が問題となっている富田メモです。 

4.28 前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか・・・・・」

 

メモの画像を反転したもの
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/gazou-3-.htm 
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/gazou-4-.htm

 

甦れ美しい日本・富田朝彦メモの闇」
http://www.melma.com/backnumber_133212/

このように貼り付けられた富田メモには前段階の文章が裏面に書かれていた。 このメモはすべてが昭和天皇の発言を記したものではない。 そのメモは記者会見を開き、記者から戦争の感想を問われるような身分の人物の発言内容である。 そしてメモは、そのときのその人物63.4.28に会見があったらしい故・徳川侍従長)の記者会見の内容を書いた可能性があるのです。 

終戦直後、昭和天皇は東京裁判で訴追された戦犯容疑者に対して「戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳にはいかないだろうか」と述べられた。 そして訴追された木戸幸一内大臣に対しては「米国より見れば犯罪人ならんも、我国にとりては功労者ならん」とおっしゃられた。 また、いわゆる「A級戦犯」のシンボル的存在である東條英機元首相に対して厚い信頼を寄せておられたことは「昭和天皇独白録」など各種史料で確認されている。 

 

東條英機の孫の東條由布子さんは「7人が処刑された時に、陛下が一晩中泣かれ部屋を歩き回っておられたその靴音を侍従が聞いていたということも否定することになりますし、処刑後の東條家の祥月命日には毎年、北白川宮家からのお使いの方が、陛下からの御下賜の御品と『遺族は元気かどうか』など、ご心配なさっているお言葉を頂いていたという事実は、どう解釈したら良いのでしょうか。」と問われています。

 

 

 

報道された20日は、安倍官房長官の政権構想を発表する著作美しい国へ」が出版された日。 メモ暴露は安倍氏の靖国参拝阻止を狙ったもの。 また経済界は反中国の小泉政権にいらだっていました。 日本経団連の奥田氏や今井氏たちは小泉首相を囲む会でたびたび靖国参拝の自粛を要請した。 しかし首相は何回目かに「何度言ったら分るんだ」と本気で怒り出したそうです。

 

メモが報道された日の日本経団連の会合では、「自民党への献金額を決める時に外交政策も評価すべき」といった発言まで出たらしい。 経済新聞・日経は経済界へいい顔をしたかったのです。 

 

 

そしてこのメモは日経社内でも極秘で、発表のタイミングを見計らっていた。 そして日経の社員によるインサイダー取引の検察査察が入る頃合を狙って行なわれた。 

「日経社員インサイダー取引」
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2006/07/060720.html

 

自己保身のために昭和天皇を利用した悪質な謀略。 社員の不始末を天皇で尻拭いしようという魂胆。 陛下への不敬にも程がある。 この「天皇の不快発言問題」が長引いたら、安倍さんの靖国参拝は中止となるでしょう。 小泉さんは行くでしょうが。 それが日経と経済界、そして黒幕・中共の目的です。

 

(終)

 

「依存症の独り言・やはりねつ造だった『天皇発言』」
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/07/post_5e43.html >>

「ブログ・散歩道そもそもこの天皇発言メモは本物なのか?

http://kuyou.exblog.jp/m2006-07-01/#3984007

より詳細には【富田メモのついての総合的まとめ】

「天皇陛下がA級戦犯分祀に関する発言をされたとする報道を検証します。

天皇A級戦犯発言報道に関する簡易まとめサイト」

http://blog.goo.ne.jp/tech_innovation/


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