いのちの風 bS79 

月22日(火)発信 石黒大圓(だいえん

 

 Eメール gytkm947@ybb.ne.jp

 

今回のテーマ 家族のこと/大圓講演会/小泉首相靖国参拝/

市川房枝/日本国民の戦争協力

 

 

いつもありがとうございます。 暑い天候が続きますね。 皆様いかがお過ごしですか。 お体大切にお元気でご活躍下さい。 一昨日は次男邦之の18回忌でした。 お供えをたくさん供えました。 妻の母から電話がありました。 「いい子やったな。 なんで早よ死んだんかな」の声に胸が熱くなりました。  

   

3歳のときにビデオに撮った、パンツ一丁でお尻ふりふりダンスの格好が忘れられません。 いつまでも可愛いままで心の中に生きています。 今宵もどこか空の上で、お月さんに愛嬌をふりまいて踊っていることでしょう。 一昨日は特別に猫の邦之が甘えにきて今ひざの上に乗っていました。 家のどこか隅で珍しく虫の音が聞こえていました。 邦之が虫になって戻ってきて楽しく鳴いていたのでしょうか。 

 

 

長男は今、カナダへ2ヶ月間の語学研修で行っています。 現地でホームステイさせてもらって青春を謳歌しています。 インターネットのmixiに写真と滞在記を書いているので様子がよくわかります。 私がアメリカにいたのは40年も前です。 彼も私が20歳代で見たナイアガラを先週見たそうです。 私の時には、とうとうと流れる大水に吸い込まれそうになる気がしましたが、今は水量が少なくなって迫力がないらしいです。 40年間で自然も変わりました。

 

この夏秋には6,7,9,9,10,11、と6回連続で「いのちに導かれて」や「野宿者問題」について私がお話させていただくことが続きます。 10月には「伊藤博文」の研究発表もあります。 9月には神州正氣の会で話させていただきます。 ここで私はスタッフとして司会などもさせていただいています。 左記の文章はこの会の理事長・中島剛氏に書いていただいたものです。 身に余る光栄です。

 

野宿者問題と愛国について

石黒大圓講演会―ホームレスにみる人生と社会

 

9月10日(日)13時半(例会の朝は10時半より近くの福島天満宮にて清掃奉仕活動をしています) 

『石黒大圓さんは、元会社の経営者。 ご自分の最愛の奥さんと息子さんを相次いで失ひ、失意の中、感ずるところあって「野宿者問題」と「愛国運動」に挺身されてきた。 ホームレスに寝袋や弁当を配り、メール通信・FAX通信「いのちの風」と定期的に発行、各地へ講演会にも出かけられ、大きな動きを継続中。 人は何のために生きるのか」「国を愛するとは何かといふ二つの命題に、同時に取り組んで来られたのである。 時代は異なるが、大正時代のはじめ神戸の新開地の貧民街で、キリスト者の賀川豊彦は、恵まれない人々の救済活動を行なっていた。 その著「死線を超えて」は当時、大ベストセラーとなった。 大圓さんは「大阪の大圓」から今や「日本の大圓」となりつつある』 

 

さらに9月14日(木には最近入会しました「大阪府倫理法人会」でいのちに導かれてと題して話をさせていただく予定です。 早朝六時半から東大阪・支部で行なわれます。 河内小阪駅から北へ5分のU・コミュニティホテル二階会議室(6784-3000)

 

亡き人をなおも鞭打つおぞましきかな

 

小泉首相が靖国神社参拝をされました。 8月15日を避ければ中韓は抗議しないを言っていた。 しかし避けても非難されるのなら同じことです。 15日に行ったのは立派でした。 小泉純一郎という政治家がこの国難の時代に、総理大臣としてあったという奇跡を忘れないでいたいです。 

 

今ここで参拝を見送れば日本は外国に言いなりになる国家。 内政干渉を許す国家と見なされます。 マスコミや政治家はアジア軽視と言っていますが、アジアのなかで中韓だけが反対しているのです。 このまま内政干渉で言いなりになっていたら、世界の他の国からも、日本は外交問題で国家主権を侵されても黙って言いなりになる国家だと見なされます。

 

 

さらに今では韓国はA級戦犯が分祀された場合でも、日本の指導者の靖国参拝を容認できない、とまで言っています。 やはり予想通りです。 分祀でもダメ。 靖国神社内の遊就館は解体せよ。 BC級も分祀せよ。 靖国そのものも解体せよ。 全国の護国神社もダメ。 日本の神社は軍国主義の象徴だから解体せよ! エスカレートは際限なくなるでしょう。 そして日本国も解体せよ、か? 中共もきっと同じことを言ってきます。 なし崩し的に日本の神道は抹殺され、日本の精神的降伏を命令してくるつもりです。

 

国護る 兵士の銃後 になう我

 

いわゆるA級戦犯の人々は自分の利害のために、私利私欲で戦争を行ったわけではない。 結果として負けたのであって、国を護るために国民も支持する戦争を当時の指導者として行なっただけです。 

 

最近知りましたが、戦前からの女性活動家、市川房枝女史でさえ戦前は国の戦争遂行に協力していたのです。 彼女でさえ祖国防衛戦争のために銃後の守りにつきました。ましてや一般国民は戦争賛美のマスコミを逆に扇動するくらい祖国愛に燃えて、挙国一致で祖国の勝利を信じ勤労奉仕で懸命に働きました。 我が家が火事なら、いくら火が恐くても必死で消火に奔走するでしょう。 世界中がそんな時代でした。  

 

市川房枝氏は大政翼賛会婦人部において「戦争に勝つためには婦人の地位を高めなければならない。 銃後の守りは婦人で」と一生懸命に呼びかけていました。 また彼女は満州事変に対しては批判的で1935年まではファッショ反対とか軍事費の増大を批判していました。 しかし盧溝橋事件以後、日中戦争が深刻化するなかで国策協力へと転向していきました。

 

 

婦人参選権獲得同盟の機関誌『女性展望』の37年9月号にはこうあります。 

「私どもが婦選を要求する目的は、婦人の立場より国家社会に貢献せんがために、政府や男子と協力せんとする所にある。 従って、この国家としてかつてなき非常時局の突破に対し、婦人がその実力を発揮して実績をあげることは、これすなわち婦選の目的を達する所以でもあり、法律上における婦選を獲得するための段階ともなるであろう。 悲しみ、苦しみをかみしめて、婦人のとるべき部署につこう」 つまりこういう事態のなかで戦争に協力すること自体が婦選の目的と一致すると彼女は言明したのです。 

 

そして戦後は戦時中に戦争に協力したとしてアメリカ占領軍から公職追放となりました。

 

そして戦後語っています。 

「ある程度戦争に協力したことは事実ですからね。 その責任は感じています。 しかしそれを不名誉とは思いません。 例えば私の友だちなんか戦争になったら、山に入っちゃって、山でヤミでごちそう食べてた人がいるんですよ。 戦争が終わったら帰ってきて、わたしは戦争に協力しなかったって言う人がいるけど、私はあの時代のああいう状況の下において国民の一人である以上、当然とはいわないまでも恥とは思わない」。

 

「私たちは程度の差はあっても、この戦争において日本に味方をしました。 たとえ馬鹿な親であっても、血みどろになって喧嘩をして敗色が濃くなって、にも死にそうになつている姿を、黙つて見ている子たちこそ、異質的(エキセントリック)ではないでしょううか。 はっきり言ったっていいんじゃないかしら。 私たちはこの大戦争において、日本に味方した。 私たちは日本を愛していると。(略) 私はいまこの負けた日本の国を愛しています。 かってなかったほど愛しています」 

 

座して死を待つより名誉選びたし

 

覇権と覇権がぶつかり合う帝国主義の時代、アメリカも中国での覇権を虎視たんたんと狙っていました。 アメリカに屈服すれば植民地となっていたであろう世界情勢の中で、生き残りをかけて覇権への道を日本は選んだのです。日本の世論も開戦を支持していました。 

 

真珠湾攻撃の報が入るや、日本国民すべてが熱狂の渦に巻き込まれていました。 理不尽な要求を突きつけるアメリカと戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのです。 男も女も日本人の持つ魂が、この国の自存自衛のためには「座して死す」ことを選ばなかったのです。 

 

 

戦後「ばかばかしい精神論」と非難されたりもしますが、当時の日本人はそれを信じて戦った。 みんな戦争に協力していたのです。祖国防衛戦に対して全国民は一致団結していました。 勝ち戦さには新聞は「勝った、勝った」と鼓舞し、国民は待ってましたとばかり狂気乱舞して迎えました。 当時は反戦平和などの考えも思い浮かばない時代。 そんなことを言う人間は非国民として村八分にされる時代。 それが普通の日本人の感覚でした。

 

祖国の運命と自らの運命を同一視していました。 真珠湾攻撃が起こったとき、アメリカの大学生も若者もわれ先に志願しました。 朝鮮半島の人々も日本人としてわれ先に軍隊へ志願したのです。 朝鮮民族の誇りをかけて祖国日本への忠誠心を、朝鮮人は示したかったのです。 アメリカ日系人の若者と同じでした。 決して国の情報操作だけで洗脳されたのではありません。 愛する祖国が負けているなどとは言ってほしくなかった。 自ら洗脳されたかったのです。

 

戦前の雰囲気に今いれば、反戦平和など言っていられる時代ではなかった。 世界恐慌の下でどこの国民も祖国の崩壊を防ごうと必死でした。そのような状況で戦って亡くなって行かれた人々を慰霊するのは今の時代の我々の役目です。 多くの先人の汗と涙のおかげで今の豊かな日本があります。 そのことに感謝して先人の苦労を偲ぶのが8月15日です。 (続く)

      (完)

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