いのちの風 bS83 

月30日(土)発信 石黒大圓(だいえん

 

私の新しいメール・アドレス gytkm947@ybb.ne.jp

 

「いのちの風」縁の花・支縁サイト bS77までのバックナンバー掲載)

http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

 

 

今回のテーマ 自己否定/心のクセ/言葉の爆弾/新たな展開/オートバイの盗難

 

いつもありがとうございます。 最近メール・アドレスを変更しました。 

しばらくは【旧】でも使えますが、お手数ですがご変更をお願いいたします。

【新】 gytkm947@ybb.ne.jp

(【旧】 ishiguro@a1.hey-say.net ) 

 

 

第63回「いのちと出会う会」10月19日 18時半〜20時半 千円 應典院

 

釜が崎からフィリピンを仰ぎ見る

「団塊の世代として釜が崎で日雇い労働者として働きながら、フィリピンのミンダナオ島の住民支援をされている元・商社マン。ビッグイシューをボランティアで販売もされ、わずかな生活費と支援者のカンパで衣料を送られています。フィリピンの人々と日本への思いで感動して涙をうかべながら話されるほどの熱血漢です」 福森隆さん(プロテスタント香南教会員)   

皆様のご参加をお待ち申しております

 

自己否定 心の底の 暗い闇

 

今回の通信はいつもとは違って弱音を吐きます。 いつもの威勢のいい大圓さんではありません。 たまにはガツンとやられるのも私にとっては良い心の肥やしでしょう。

 

インターネットサイトのmixi(ミクシィ)に私が入っていることは今まで何度も書いたことがありました。 今月このmixiの株式が上場され大儲けした人も出て有名になりました。 ここでは自分でブログ日記や趣味のホームページを簡単にインターネット上に作れます。 

 

そしてすでにいる自分の知人や全国の見知らぬ人々との交流がネット上でできます。 すでに入会している会員の紹介があれば、無料で参加できるということで大評判となっています。 そして今年中に会員数が千万人になると言われている日本最大のインターネットサイトです。

今月このmixiでの私と知人との言葉のやり取りで問題を起こし、1週間の間mixiに書き込みをしないという謹慎処分を自らに課しました。 以下の文章は謹慎期間があけてから、mixiの日記に謝罪文として書いたものです。 

「永らくお待たせしました。 10日ほどのご無沙汰となってしまいました。 皆さんにご心配とご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。 いつもインターネットで学び、用事や仕事をしている私のような人間にとって、mixi遮断は苦痛でした。

しかしこれも自分自身に課した処罰。 仕方ありません。 このこともすべて必然で偶然はない。 わが身から出たものがわが身に帰るが如く、自業自得の結果でした。

これから書かせていただくものは、私という弱い人間の内心の暴露描写です。 非常に弱気の懺悔文です。 今までの威勢のいい文章とはまったく違う、地ベタを這いつくばりながらも、一方で天空へも駆け上りたい衝動をもつ欲深い人間のたわごとであります。

お彼岸に墓参りをしながら、またここ数日考えました。 最近の一連の出来事は私の思考のクセから出ているではないか。 私にはある種の人生のおける行動パターンがある。 私の心の奥底には強い自己否定が存在するのを感じました。 これから自分史、ライフレビューの一部として、このことについて書いていきます。 大変長い文章ですが、ご容赦ください。

私のクセとして親しい周りの人に拒絶姿勢や失礼な言葉を投げかけて、自らを孤立させてしまうことが今までの人生で何度もありました。 人とは仲良くしていきたいというのが本来の私の姿勢です。 しかしそのくせ、人生のある一番大事な時にすべてを台無しにしてしまう事もたびたびあったのです。 今回もそうでした。 

今回はmixiの中で一番恩があり大事にしなければならないはずの人に、拒絶と爆弾の言葉を放り投げてしまった。 そしてその方の心を深く傷つけてしまったのです。 そのお詫びとして今月20日に1週間の謹慎処分を自らに課したのです。 赦してもらえないかもしれないですが、mixiの中で狂ってしまった私を自ら罰したのです。

インターネット上での言葉のやり取りは本当に怖いです 面と向かっていたら言うはずのない言葉が出てしまう。 そして本人を前にして気分を害させてしまったと感じたら、すぐに訂正・謝罪ができます。 しかしインターネット上ではすぐにできずに遅すぎた、となってしまうことがあります。 

すべては伊藤博文についての、ある情報をメールで送ったことから起こりました。 私にはどうってこともない情報、相手に喜んでもらえると思うメールでした。 しかしこれが最悪の結末までいく発火点となったのです。 それからはお互いのメールの言葉が空回りしてしまって・・・。 1日我慢して待って、話し合えば誤解も解けたのです。 それが待てなかった。 激情のままに私が走り出していたのです。

爆弾が すべてを壊し 道開く

前にいた「大阪メチャハピー祭踊り子隊」のメンバーであった方が、先週の「いのちと出会う会」と、2次会にも来てくれました。 そこで今回の謹慎処分のことが話題になり、前の踊り子隊でも同じことをしたねと言われてしまいました。 あることが許せなくて、踊り子隊のメンバーたちに隊長として、言葉の爆弾を投げ込んだのです。 

そして隊長を辞めてしまいました。 祭本部から理不尽にも解散させられてしまった「大阪メチハッピー祭踊り子隊」を独立の踊り子隊として立上げ、発展させてきて、これからという時に自ら出て行ってしまったのです。 その後は残ったメンバーたちが立派に継承してくれているのが救いですが。

大学時代の英語クラブでも同じことをしてしまいました。 私の将来を期待してくれていたのに、同期や先輩たちを裏切って拒絶して出て行ってしまいました。 これからという時に激情にまかせて、いつも投げ出してしまうのです。 人生の一番大事なときに相手を怒らせて、相手からの拒絶を呼び込み、そして自らも自己否定、自己抹殺をしてしまうのです。 私はそんないい評価には値しない人間ですという自己卑下を、相手を拒絶する行動で示してしまう。 そんな行動パターンを繰り返すタチなのです。

  大学のクラブ、アメリカ生活での最後の頃、家業を継いだ頃、踊り子隊、そして今回など。 私の人生でこれから発展していく節目だという時に、トラブルメーカーとなっていたのです。 とんでもない人間でした。 mixiや「いのちの風」通信では格好いいことばかり並び立てて発言している人間の、これが実像でした。

  しかしこの爆弾を投げかけてのち、長い地底を這いずる日々の後で、新たな予想もしない展開がいつも待っていてくれたのです。 そしてまったく別の輝ける人生が門を開いてくれていたのも事実なのです。 また拒絶した人々ものちには赦してくれました。 それは本当にいくら感謝してもしきれないほどの賜物でした。 そしてどうしようもない私にも、守護霊、守護神が見守ってくださっている、という実感がありました。

大学のクラブ活動に精を出していたら、アメリカへ行く機会を逸していたでしょう。 アメリカへ行かなかったら、日本に目覚めることもなく今の愛国運動への参加もなかったでしょう。

また数年前まで踊り子隊隊長として、毎週のように商店街や地域のイベント、老人ホームなどへ「踊りの出前」を届ける活動に携わっていました。 私たちの元気のいい踊りをご覧になって元気を奮い立たせてください、と叫んでいました。 しかしそれを続けていたら今の愛国運動や野宿者支援、そして「いのちの風」通信へふり向ける時間もなかったことでしょう。 

また社会に対する異なった価値観をもつ親子であったが故に、対立が激しく家出も経験し、ホームレスにもなりかけました。 また人間観が違うために、弱者救済への志が若い時に目覚めたのは、この親子対立関係に原因がありました。 すべては私が前世で人生設計として書き込んでいた人生絵巻だったのかもしれません。 しかし人騒がせな、物騒な人間として生まれて来たものです。

利他どころか自分勝手な人生を今まで歩んできました。 その結果として妻子を失い、反省して報恩感謝の人生を進んでいると思っていたのに、また悪いクセが出てしまったのです。 何度生死を繰りかえてしても、この心のクセのパターンは治らないのでしょうか。 このクセを治すためにこの人生に生まれ変ったはず、ではなかったのでしょうか。

喪失の 打ち続きたる この世かな

  今春にも災難が次々起こり、最後に大きなある事件がありました。 また昔、妻が入院する前にはオートバイや自転車のパンクが次々と、5,6回も短期間に起こり、そして最後に妻の入院、手術がやってきました。 連続して事件が続いた後に、最後の締めとして胸を締め付けられるような大事件が起こる、という別の人生パターンも私にはあるのです。 

今回のことが起こる1週間ほど前にも嫌なことが私の周辺で起こり続けていました。 電気のトラブル3回。 風呂の電灯がある日バシと音を立てて切れました。 そして電球を付け替えようとしたら、誤って電球が下に落ちて破裂してしまったのです。 風呂とトイレ中が破片だらけとなりました。 

また扇風機の電気コードがバーンと大きな音とともに火花を発して焼き切れました。 以前に修繕した電線がはずれてしまって発火したのでした。 「なんや、この不可思議な事件の数々。 よくも続けて起こるものだ」と嫌になりました。

そしてパソコンのトラブル2回。 一つは、パソコンのメール受信が突然不能となりました。 二つは、マウスのクリックで操作ミスをしてワードの文章の閲覧ができなくなってしまいました。 そのために明後日に迫った私の講演会用に書いたレジメを、開いてプリントアウトすることがなくなってしまったのでした。 しかし幸いこの2つとも結局は人の助けが入って解決したのですが。

 これらは「霊障」と思いました。 おかしな話だと思われるでしょうが、霊は電気が好きなのです。 電気設備が多いテレビ局によく出没し、タレントに霊感の優れた人が多いのもそれです。 

そして最後にやってきたのが、オートバイの盗難でした。 路上に夜に停めていたのが盗まれたのです。 そしてその後に起こったのが問題の伊藤公のメール。 そして相手からの「不快だ」との返事。 まったく予想もしない内容でした。 その返事に対する私の爆弾メール送信から、すべては坂を転げ落ち始めたのです。 

私の乗っていたオートバイは20年近く使用した年季ものの50ccのホンダ・カブでした。 次男が病気になる前に買っていて、妻が彼に付き添って一緒に病と戦っていた阪大病院へ毎日これで面会に行っていました。 そして妻が闘病中もよく活躍してくれました。 その後も私の片足となって野宿者支援などの社会的活動を支えてくれていました。  

私が自由に風のようにどこへでも出かけていって活動し、どこの学びの場へも気軽に出かけられたのは、この足があったからです。 その妻子との思い出もあり、かつ相棒でもあった片足が失われたのはショックでした。 思い出一杯のオートバイの喪失は、家族の一員をなくしたような気分になりました。(次回へ続く)

(完)

 

リンクのホームページ

 

@ 「いのちの風」通信 (大阪駅前炊き出しや清掃の写真、そして踊りの動画など掲載)

http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html

 

A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。 

美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。

http://www.noseh.com/

 

B 應典院HP「いのちと出会う会」

http://www.outenin.com/inochi/index.html

 

C 大阪メチャハピー祭

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/

 

D せんば花金夜市(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。虎のぬいぐるみも私です)

http://www.home-smile.com/hanakin/index.html

 

        いのちの風 縁の花支縁サイト

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