いのちの風 bS84
10月10日(火)発信 石黒大圓(だいえん)
「いのちの風」縁の花・支縁サイト (bS77までのバックナンバー掲載)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 寝袋カンパ/経木流し/唄のオジサン/トラウマ/自己否定と他者否定
いつもありがとうございます。 今回のトラブルでは皆様にご心配をおかけしました。 相手とは左右の思想対立ではなく、保守系同志の痴話ゲンカだったのです。 今は雌伏していますが、少しずつ復活しています。 これからもよろしくお願いいたします。
寝袋を抱いて喜ぶ姿見る
最近は本格的に秋らしく涼しくなってきました。しかし9月初めの大阪駅前の炊き出しと清掃は蒸し暑かったです。 サウナのなかで掃除しているようで、汗でタオルがびっしょり。 ある晩、阪急ガード下に老人が2人寝ていました。
70歳代でしょうか、頬がこけて、やせ衰えて、白髪の頭髪やヒゲが痛々しい。 一人はブルーのテントカバーを上布団にして寝ていて、もう一人は黒い傘で頭を隠して寝ていました。 昔死んだ祖父を思い出しました。 手が空いたらなんとかしてあげるつもりです
また何が原因か、丸坊主になっていて頭に帽子をかぶっているおばさんにも久しぶりに会いました。 もう2年間も大阪駅の改札口の前で座っていて、近くのビル軒下で寝ています。 釜が崎のドヤ・ホテルへ生活保護を受けさせて入れてもらう算段をしていたのですが。改めてその話をしたら「警察に大金を預けていてそれを返してくれない。 私が死んだらもめ事がなくなるので、私が死ぬのを待っているんだ。 そのお金が出たらアパートに入ります」と言って私の提案を受け入れてもらえなかった。
精神が病んで幻想を言っているのか、どうかわからなくなります。 女性はそのような傾向が多いので、民政委員も野宿者の相談員も困っているようです。大阪でブルーテント生活している人を含めて100人の女性野宿者。 なかには野宿者仲間に売春をして生きている人もいる。 親子ほど違う年齢で一緒に夫婦生活している人。 女性だけでもなんとかならないものか、いつもと思うのですが。
行政の世話を嫌う人もいるし、精神を病んで街の中を夢遊病者のように放浪している若い女性もいる。 先月倫理法人会で話を聞いた女社長のように高利の借金が原因で1ヶ月半野宿して、その後立ち直って掃除の会社を再び立ち上げた人もいる。
神様はどんな理由で人にそのような差をつけておられるのか? この世だけの視点ではわからないこともあるのでしょう。 そう、この世で地獄を体験するのは、あの世で地獄を体験しないようにするためという人もいます。 真実かもしれないです。 それが私にとっても唯一の慰めです。
今年は昨年より早く先週から寝袋配りを始めました。 まずは炊き出しの列に並ぶ人々に毎週100個を配っていきます。 秋の早くから配った方が喜ばれますので。 月曜夜の大阪駅前、金曜日夜の日本橋商店街(韓国のキリスト教会がおにぎりと味噌汁を配布)、そして船場心斎橋商店街。 ブルーテントで寝ている人や、ブルーテントのある地域での炊き出し現場では配りません。 そんなに余裕がないのです。
今年は災害などが多くて危機管理の意識が高くなって寝袋の需要が高まり、足りなくなりそうでした。 結局一番小さい寝袋でしかも原材料の値上げで一個1000円となってしまいました。今年はすでに寝袋カンパが到着していますが、11月からの分が自腹となりそうです。 今年も皆さんの善意の寝袋カンパをお願いいたします。 また防寒衣類のカンパもお願いします。
【寝袋支援カンパ振込先】(口座名はともに石黒良彦)
三井住友銀行・船場支店 普通預金 1858882
郵便振替 00990―8―110746
ご先祖さんお帰り忘れごめんなさい
(前回の続きです) 何故こんなことが今回起ってしまったのか。 彼岸の連休の間に気がつきました。 仏壇の横にお盆の祀りのときに先祖の戒名を書いた経木が、そのまま残されていたのを発見したのです。 流しに行くのをうっかり忘れていたのです。
一昨年もこのうっかりミスで大きな問題が生じたことがあったのに、またやってしまった。 ご先祖さんがあの世に帰れないので、そのことに気づくように一連の事件で催促していたのだと感じました。 さっそく四天王寺の亀の池へ流しに行きました。
いつもならオートバイで行って、すぐに帰ってくるのが、今回は地下鉄と徒歩。 露天商が軒を並べる間を抜けて歩いている時に白昼夢を見ました。 昔、四天王寺の東門のそばに住んでいた私たち。 21日のお大師さんの日、そしてお盆やお彼岸の縁日の時期には多くの露天商のテントが立ち並びます。 妻が幼い子供たち2人を連れて露天商のテントをひやかしによく歩いていました。 特に焼き物が好きでした。
「お客さん、これ全部備前焼でっせ」と、陶磁器店のそばを通った時におじさんの声。 当時の妻子の姿が走馬灯のように脳裏に浮んできました。 神戸震災のときにこの周辺も大揺れして、陶磁器類が全部破壊され嘆き悲しんでいた妻の姿。 気持ちが沈んでいる時にそんなものが浮んできたらもうダメです。 胸からこみ上げてくるものがやって来て、前の道がかすんで見えなくなってしまいました。
北鐘堂で経木の供養をしてもらい、亀の池のそばの亀井堂で、その経木を流してもらいました。 「お盆から1ヶ月以上も経ってやっとあの世へ帰れたな。 ごめんやで」 水の中に浮き沈みしている経木たちを見ながら手を合わせていました。
次の日、土曜日は墓参り。 しかしまだ背中に霊たちを背負っているかのように気分が重い。 息を度々、ため息のようにフーと吐いて悪気を吐き出す。 気持ちが滅入っている時の改善方法の一つ。 そしてパンクしてしぼんでしまった自転車のタイヤに空気を入れるように「ありがとう、ありがとう」を唱え続ける。
この行法は人生に善循環をもたらし、心に精気を取り戻してくれるのです。 妻が亡くなった後に教えてもらった軽いウツから脱却する方法の一つです。 これと、よさこいソーラン踊りの熱気で、私はかって復活をとげました。
2ヶ所の墓を急いでめぐって、西日が煌々と輝きながら西へ落ちていくなかを帰途につきました。 その頃にはご先祖さんも墓に戻ってくれたのか、気分も楽になっていました。 トンボが墓の上を飛んでいました。 もう墓は秋の装いです。
息に声 体を癒し 心鍛える
9月24日、日曜日午後には長男敏之がカナダでの2ヶ月の語学研修から帰国する予定でした。 しかし朝に国際電話が入り、悪天候で帰国が一日遅れるとのこと。 その25日は千房の社長中井政嗣氏の依頼で、南の料飲組合の昼食会において、私の家族の体験と炊き出しについて講演を依頼されていました。 そして続いて夜には炊き出しがあり、残念ながら息子の夜の帰国出迎えができなくなってしまいました。
日曜日の出迎え中止となったので、釜が崎のカレーの炊き出しへ半年ぶりに参加。 そして炊き出しをしている前で余興として唄を歌わせていただきました。 恒例の唄のオジサンとしての出番でした。 炊き出しに並ぶ野宿のオッチャンたちを前にして大声で歌っていました。
いつもは「ふるさと」など童謡のしんみりした唄が多かったのが、今回は団塊の世代好みの唄ばかり。 「2人でお酒を」「君といつまでも」「すばる」「鉄腕アトム」などのオンパレード。
腹から出す声は心を癒します。 妻を亡くした頃にボイストレーニングを習い、声に魂の癒しの効果があると知りました。 この日、あらん限りの声を20分ほども出し続けて、ついに我が身に気力が戻ってきたことを実感しました。 数日間の気持ちの落ち込みが徐々に消えていきました。 ああー、ありがたかった。 これも私にとっては貴重な体験。 神仏から降りそそいでいた恵みのシャワーでした。
魂の底でうごめく醜さよ
この一週間は1ヶ月のように長い日々でした。 この時期に私の心の奥底を垣間見る機会を得られたことに感謝しています。 私の心の奥底にある「自己否定」の感情は結局、幼い頃に植えつけられたトラウマなのでしょう。 日常茶飯事だった父母の不仲、母の涙、父への憎しみ。 しかし母へも不信感があった。
そんななかで私の心の中に確固とした強い自我の柱を築けなかった。 ただ自己否定の衝動だけが残った気がします。 そして昔はサヨクとしての国家や社会を非難し、今は反共の攻撃をする。 これらは共に他者否定をすることで、自己否定でつぶされそうになる自分を支えているのではないか、とさえ考えてしまいます。
「自分を好きになれない人は、決して他者を愛することができない」 それは真理でしょう。 親との愛憎入り混じった過去のトラウマが原因で、自己否定と他者否定を、今も私は引きずっているような気がします。 意識して自己肯定、他者肯定をするように行動するのですが、心の底の暗闇から浮んでくる衝動には気がつかないうちに負けてしまっていました。
幼いころのトラウマというものは実は自分勝手な妄想です。 幼いころの記憶としては残っていないですが、誰でも親からあふれんばかりの愛情を受けていなかったら、子供の時代に死んでしまっています。 決して大人までは成長できない。 いくらつらい思いをさせられていても、今生きていられるのは親の愛情を一身に浴びていたからです。 感謝してもし尽くせないほど、親の子としての恩義があるはずです。
私は父親との対立によって思想的に攻撃的になってしまったと思います。 しかし一方で父を拒否することで、心の深い次元で父性・男としての強い人格を形成できずに成長してきたようです。
いい大人が過去のことをとやかく言うのは、もうやめましょう。 トラウマを乗り越えられなかった私の自己責任こそ問うべきなのですから。 まだまだ自分の今回の不始末の原因をたどれば出てくるはずです。 しかしもう回顧の旅はやめましょう。
願わくば、この不始末の体験が将来、心の底で花と開いて、新たな人生の展開へと結びつけられますように。 そしてご迷惑をおかけした方の、心の氷が解けて、天上に虹となって昇華されますように。 そう、乞い願うばかりです。
今回のことで色々な思いに浸り、今までの人生の越し方を反省させていただきました。 このような機会を与えていただいたことに感謝いたします。 決して赦されないとは思いますが、この一連の文章を、ご迷惑をおかけしました、その方へのお詫びの言葉として捧げます。 またこのような私の内面を暴露しました、泣き言のような長い懺悔文を、最後まで読んでいただきました皆様へは感謝申し上げます。
(完)
リンクのホームページ
@ 「いのちの風」通信 (大阪駅前炊き出しや清掃の写真、そして踊りの動画など掲載)
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
B 應典院HP「いのちと出会う会」
http://www.outenin.com/inochi/index.html
C 大阪メチャハピー祭
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
D せんば花金夜市(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。虎のぬいぐるみも私です)