今回は明日の「いのちと出会う会」への参加お願いのために、メール文章の元になるFAX文章を急いで送るのにbS85を早く作りました。 すでにこれはインターネットサイトのmixi(ミクシィ)に書いておいたものに書き加えたものです。 

また今回の文章は復活宣言でもあります。 皆様へは色々ご心配をおかけしました。 申し訳ありませんでした。

                                    石黒大圓

 

いのちの風 bS85 

10月18日(水)発信 石黒大圓(だいえん

 

 

私の新しいEメールアドレス】 gytkm947@ybb.ne.jp

 

「いのちの風」縁の花・支縁サイト (更新してbS84までのバックナンバー掲載を

していただきました)

http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

 

 

 

今回のテーマ 車で寝袋配り/腸炎/事件の顛末/全て意味がある/まさかの坂/苦難と希望

 

 

いつもありがとうございます。 明日19日 18時半から應典院「いのちと出会う会」『釜が崎からフィリピンを仰ぎ見るです。 予約少なくご参加をお願いいたします。


やるせない駅の路上が天国とは

 

先週の金曜日に今年初めて車で寝袋配りへ行ってきました。 日本橋電器商店街で毎週金曜の夜9時に韓国のキリスト教会が車で、でかいおにぎりと味噌汁の炊き出しを運んできてくれるのです。 炊き出しに並ぶ人は30人ほど。 毎年私たちはその並んでいる野宿のオッチャンたちに一気に配ってから他の地域で路上で寝ている人々へ直接配っています。  

 

しかし先日は並んでいる人がいなかった。 聞くと最近は2週間に1回となっているらしい。 しかしこの日私たちが寝袋配りに来るという情報は伝わっていました。 それもそのはず、しばらくしたら大阪駅前で掃除を一緒にしているオッチャンがやってきた。 彼から伝わったのか。 ここでは寝ていないが近所に用事があって来た、という。 

 

そして9時過ぎには10人ほどが集りました。 9時10分過ぎて炊き出しの車が来なかったら解散となるらしい。 しかし今晩もラッキーなことに車は来てくれました。 そして私たちもここで多くの人に寝袋を配ったのでした。 

 

 


  その後、そばのチンチン電車の阪堺電車・恵比寿町駅でも配りました。 まだこの小さな駅は営業中なので、みんな裏側の道の歩道に寝たり座ったりしていました。 駅構内は便所も水もあり、人が横を通って蹴飛ばされる恐怖から逃れられる天国です。 駅の電気が消えて構内へ入って寝るのを皆は待っているのです。 先日は30人近くもいました。 

 

白髪の老女も1人。 やはり精神が病んでいるのか、寝袋はいらないと言う。 早く凍死でもしてこの世から去って行きたいのか。 老女を見るとやりきれなくなります。

    

 

 

そして次に日本橋商店へ戻って道路の左右のアーケードの下で、ダンボールにくるまって寝ている人々へ順番に2人で30個ほどを配って行きました。 往復して1、5キロの間を車を少しずつ移動させながら、寝袋を両手に10個持って運ぶのです。 もらえるんですか。 やあ、ありがたいと初めての経験の人なのか、感謝される言葉がいつもうれしい。


  この時に気づいたのですが、どうも目がショボショボする。 ドライアイでしょうか。 暗いところと明るい電灯が混ざった風景を見ていると目の焦点が定まらず、ぼやけて見えてしまい、つらい。 軽い老眼なので読書する時にはメガネをかけていますが、屋内や暗いところではこのようなことは起こっていません。 昨年は寒風のなかでこのようなめまいがあって、目が乾燥してしまったのかと思いました。 しかし今回は寒くもなっていない初期の時から起こったので原因は他にあるようです。

 

 

 

この日は体調が今ひとつ。 軽い食中毒か 胃が重く、トイレにもしょっちゅう行っていて、下痢になりそうな気分がずっと続いていました。 夜には問題は起こらなかったのですが、しんどいからと言ってやめる訳にはいかない。 営業の仕事と同じで少々のことでは休めない。 お客さん(野宿者)が待っていてくれているのですから。

 


  そして最後はいつもの山王商店街へ向かう。 すでに釜が崎の木曜夜回りのグループへ、寝袋を木曜日に100個送っていました。 それを配っていただいているようで、すでに寝袋で寝ている人もいました。 しかしダンボール1枚を路上に敷いて寝ている人もいる。 結局この商店街と周辺の商店街を歩き回って20個ほどを配りました。 全部で約80の配布。


菩薩顔 裏側見れば 般若の面

 

日曜日には金曜日から悪くなってきた体調が最悪となって1日中寝ていました。 月曜日の朝、フラフラの足で医者へ行ったら「細菌性腸炎」といわれました。 胃腸がもたれて食べる気がしなくて、食べたら数時間後に戻して、体重が2キロも減り、土曜日から下痢も始まっていました。

 
  情けないことに精神的ストレスが長く続いたので、体の免疫が低下していたのでしょう。 こんなこと何年ぶりかです。しなくてはいけない仕事が山のようにあるのに! しかし心と体の傷を癒す時期なのでしょう。 幸い今日はだいぶ回復していますが。

 

少しずつ軽いウツから山あり谷ありながら回復中でした。 しかしこの現象は今までmixiや通信で、サヨクといっても、人々を罵倒してきた罪でしょうか。 天に唾を吐いていた罰でしょうか。 しかし国を護る気持ちを表すのに、サヨクを相手に攻撃しなくてはいけないという信念はあります。

 

 

 

先日知人からのメールで今回のトラブルの相手の実態がわかり、気持ちが吹っ切れました。 それで今回の事件の顛末について書かせていただきます。 

 

その相手はmixiのなかで一番の私の理解者でした。 愛国、野宿者問題に共感してくれ、ガン闘病の経験があり「いのち」の問題にも深く共鳴してくれていました。 しかしこの方の実像は確固とした思想は持っているが妥協がなく感情的でキレやすい。 

 

穏やかさは表面だけ。 保守系にありがちですが、小さな差異にこだわって内紛をおこすことが多く、あちこちでトラブルを起していると聞きました。 あの人は嫌い、この人は好かない、と言って排除して孤立するタチの人。 私と同じで父親と対立してきて、憎しみを心の底に持つ哀しいサガをもつ人なのです。 

 

 

発端はその方の家系が伊藤博文が世話になった家と同じ名前だったと発見してからです。 それで「貴家がその家と関係あるかどうかはわかりません。 しかし、もし関係あるならば伊藤家と親戚関係にある貴家は、農民から日本の初代総理大臣となった伊藤博文の大活躍(今太閤)を、親族として誇りをもって見つめ続けていたことでしょうね」と書きました。

 

そしたら「この文章おかしくないですか? 同族かどうか、他人様が知っていたらそのほうがおかしいでしょう」。「不快だ」と言われてしまったのです。 同じ名前の家系なら誇りもあるだろうに、相手が伊藤博文嫌いだったのか、又はそんな高い地位の家柄でないことへの劣等感がそう言わせたのか。 今となってはわかりません。 狐につままれたようでした。

 

 

その後色々あって相手に言葉の爆弾を投げ込み、一時は修復しかけたのに、相互に剣のある言葉がメールで投げかけられて、元の木阿弥。 しかし私が一週間の謹慎処分(mixiへの書き込みをしない)をし、釈明・謝罪の懺悔文を書いて謝りました。 しかし相手は逆ギレしていて、謹慎処分も無視、そして文章も読んでいただけないので、再び私からの爆弾投下。 グチャグチャにしてしまいました。

 

 

猪突猛進のイノシシのドジ野郎でした。 愚痴を言っても仕方がない。 必然として起こって、終わったことを悔いても仕方がない。 受け入れるしかない。 ひどいことを言ってしまった相手には今も悔いの気持ちで一杯でした  お互いに理解していると思っても、面と向かっていなかったら、恐ろしいことになると今回でわかりました。 インターネット世界は覆面ですので、何が起こるかわからない。 本当はネットでは言葉には慎重にすべきだったのです。

 

 

 

今回の事件が起こる寸前に、電灯(心)がキレた、オートバイ(友)を失った、という予知のような事件が幾度も立て続けに起こりました。 そして腸炎がひどくなる日曜の朝に仏壇の過去帳の一部が焦げていました。 線香が倒れて焦げていたのです。 火事になるところでした。 今までそんなこと起こったことがなかったのに不思議でした。 

 

思い当たったのは猫の邦之。 相手をしてほしいのか、勤行の時にはいつも横に座って見つめてくれています。 そしてある晩に尻尾を立てて仏壇の前を横切ったときに、尻尾の先を線香で焦がしていました。 犯人はこいつや!?

 

 

 

しかし猫の邦之は、腸炎がひどくなることを前もって伝えてくれたのでしょう。 私の講演はいつも題名が「いのちに導かれて」です。 この言葉どおりに、いつもまわりにいる亡き人々が、私を教え導きたいと思っている念が、ますます感じられるようになりした。 今回の事件も「この人との縁を切れ。 将来、問題を起こす」という亡き人々やご先祖さんからのメーセージだったのでしょう。

  

自分に起こったことを、意味ある必然と見るか、単なる偶然と見るかで、人生を見る深みが異なってくると思いました。 世界は意味ある事象で満ち満ちています。 そこから何を自分への教訓として導き出して人生を豊かにするか、が人間には問われていると思います。 この世で起こることはすべて意味がある。そしてそれは自分が引き起こしていると見るのです。

 

苦しみは希望へ続く一里塚

 

人生には上り坂と下り坂、そしてまさかの坂というものがあるそうです。 今回はその坂を転げ落ちました。 そしてその坂の頂上をめざしてエッサエッサと登っていました。そしてやっと一ヶ月におよぶ泥沼からやっと頭一つ、水面上に出せるようになりました。 そして良いことも起こりつつあります。   

 

 

あの坂を転げている時にパソコンのプロバイダーとメールアドレスの変更作業がありました。 それをしにきてくれた人がパソコンのyahoo専属作業員でなく、プロのパソコン・サポート自営業者でした。 私のパソコンが記憶容量一杯でへたりかけているのを、これからサポートしてくれます。 近く新しいパソコンを買わないといけないでしょうが、その力強い助っ人が登場してくれました。 


  またオートバイも近所の世話になっているオートバイ屋が、中古でほとんど新車のカブを探してくれました。 最初から中古も扱っていると言ってくれたら、遠い中古車オートバイ屋へ探しに行かなくてすんだのに。 値段は新車の半分。 ラッキーでした。 また風のように大阪の街を飛びまわっています。


  そして倫理法人会で出会った人がやっている速読教室に入りました。 速読をマスターしたら人生が変わります。 情報量が各段に向上します。 積読の本の山に押しつぶされる夢を見ることもなくなります(笑)。 パソコンとオートバイ、そして速読。 私に新しい三種の神器が加わって新しい人生が開けそうです。 そんな訳で一直線ではないですが、登ったり降ったりしながらまさかの坂を登坂中。 

 

 


  そしてラッキーなことに「週刊日本の100人」として待ち望んでいた伊藤博文」が登場しました。 10月28日の私の「伊藤博文」発表前の10月10日に奇跡のようなタイミングです。 これは発表資料として内容が抜群です。 よくぞこの時期に100人のうちの1人として伊藤を選んでもらったことです。 つきが戻ってきた直感がしました。 

 

「週刊日本の100人」 伊藤博文

http://www.de-club.net/nhy/issue.php?pos=3&Issue=038

  


  「いのちの風」通信仲間から以下の聖書の言葉をいただきました。 

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。希望はわたしたちを欺くことがありません

 

私もこの経験が私を磨いていてくれていることを前から感じていました。 こけてもタダでは起きひんで! 草の根くらいはつかんでやるで。 

 

妻の夢を久しぶりに見ました。 心配してくれていたのでしょう。 新しい展開が始まる予感がしています。

 

(完)

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