いのちの風 bS86
11月1日(水)発信 石黒大圓(だいえん)
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「いのちの風」縁の花・支縁サイト (bS84までのバックナンバー掲載)
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今回のテーマ 釜が崎の結核患者と自殺者/寝袋カンパ/トイレにいる美人の神様/便所掃除
いつもありがとうございます。 皆さんいかがおすごしですか。 11月に入ったのに暖冬ぎみですね。 やはり旧暦の暖冬予想は当たっていたのでしょうか。 今年ももうあと2ヶ月ですね。 伊藤博文の発表も終わり、私は久しぶりに羽を伸ばしています。
先々週の釜が崎での寝袋配りのときにやせ衰えた結核の人に出会いました。 大阪の釜が崎は全国の数十倍の比率で結核患者が多く、世界との比較でもトップクラスです。 高齢野宿者が多く栄養状態が悪いために改善できないのです。 豊かな日本にとってこの状況を改善できていないのは恥ずかしいことです。
出会ったこの人は水色のトレーナーの上下を着ているだけで、下着は全く着ていなくて、裸足でつっかけを履いていました。 結核で入院していたが完治しないまま出されて、あいりんセンター前で野宿していると言っていました。 道に落ちている吸殻から結核に感染したようです。 吸殻についている唾液からでも感染するのです。 真っ黒に日焼けした、元は精悍な建設労働者だったらしいのが、今は見る影もありません。 もう永くないでしょう。
今、世界で薬が効かない結核が広まっているそうです。 釜が崎のこのようなひどい状況でこの「超薬剤耐性結核」が蔓延したら、この結核で突然に病死した死体が、大阪中で(言葉が悪いですが)ごろごろ発見されることとなるでしょう。 店舗の前で野宿していた人が、朝にシャッターを開けてみたら死んでいた。 救急車が毎朝走り回り大阪中でサイレンが鳴り響く。そんな状況がきっと招来します。
釜が崎 我が身の生死を 考える
また次にいつも通りに日本橋電器商店街での韓国キリスト教会による炊き出し現場でも寝袋を配りました。 ここで相棒が言っていたのですが「大阪駅前の炊き出し現場で野宿者支援要請のチラシを配っていたら、釜が崎の大阪自彊館の元・女性職員が話しかけてきた。 「『自彊館へ収容して色々面倒を見ていても多くの元野宿者が自殺してしまうんです。 何故でしょうね』と言っていた。 そらそうや。 将来への夢も希望もない人生に悲観してしまうのは仕方がない。」 私もそう思いました。
生活保護をもらって自彊館へ収容されても、家族もいない、頼れる人もいない、心の空白を埋めてくれる人も物もない。 自彊館のなかでは酒は飲めない。 気を紛らわすものもない。 ただ生きているだけの「生きる屍」となっているのではないか。 自彊館のなかでの集団生活にも慣れる事ができない人もいるでしょう。 それでは生き甲斐もなく、いっそ死んで楽になりたい人も出てくるはず。
なお釜が崎・大阪自彊館は生活保護法に基づき、身体や精神面でハンディがあるため、すぐには独力で日常生活を送ることができない男性が入所。 日常生活でほぼ自立している人には、地域社会への復帰を目標に居宅生活訓練も行っているそうです。
釜が崎 大阪自彊館
http://www.ojk.or.jp/main/fra_a.html
大阪城公園や桜ノ宮公園で首吊り自殺者が多く出ます。 ブルーテントを撤去されることで、家を失い希望を失って自死の選択をしてしまう人も多いのです。 「毎日の仕事」という人間にとって生きる糧、人との絆となる場所がない人は孤独地獄におちいる。 仕事は労働と賃金の交換といった単純なものではなく、人が生きる上の生き甲斐を与えてくれる神からの恩寵なのです。
かえって、毎日、毎晩、どこで過ごそうか。 どこで寝ようか、どこで寝たら夜中に蹴飛ばされずにすむか、何を食って飢えをしのごうか、明日どうやって効率よく空き缶や雑誌やダンボールを集めようか、など。 路上で生きるために必死になっている方が、それなりに明日への生きる元気がわいてくるのではないか、とも思いました。 自彊館に入って飢えや雨はしのげて日々安楽になったとたんに、心の飢えが襲ってきて耐え切れなくなるのではないか。 まさにイエスの言葉「人はパンのみにて生きるにあらず」です。
今日もまたネットが結ぶ温かさ
今も全国から秋冬物のカンパが届けられています。 mixiの編み物HPで宣伝していただいた方がおられて、手編みのセーターが第一陣として見知らぬ人から送られてきました。 ありがたいことです。
それでまた皆さんへお願いです。 毎年この頃に「いのちの風」通信へのカンパをお願いしていますが、いだだいたものはほとんど寝袋カンパに廻させていただいています。 費用のいるFAX送信の方は1年分として2000円(寝袋二個分)、メールの方は1000円。
なお通信不要の方はお知らせ下さい。 また通信代以外に寝袋購入のための支援を一緒にしていただけましたら、うれしいです。 また秋冬もの衣料のカンパもありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
541‐0056
【寝袋支援カンパ振込先】(口座名はともに石黒良彦)
三井住友銀行・船場支店 普通預金 1858882
郵便振替 00990―8―110746
美しき 人の住む国 美しき
トイレには美人の神様と福の神様が住まわれるという。 特にトイレを素手で洗うと美人の子供が授かり、予定外の金が舞い込んでくるという。 そんな欲もあってほとんど毎晩私もトイレの掃除は素手を突っ込んでやっています。 私の子供の妻にも孫にも美人(心が美人)が授かってほしい。 あわよくば私の再婚相手も?(嫁さんゴメン)
掃除は場所を清め、心を清めます。 神道の罪穢れを払うという伝統から来るのでしょう。 神社に入るときには手を洗います。 その汚れを落とすという考えの影響でしょうか、日本人は掃除が好きです。 欧米の階級社会では掃除は見下された階層の人間がすることと見なされます。 逆に日本では最低の汚い仕事にも意義を見いだし「下座の行」となします。
日本がマルクス主義のいう階級社会でない証拠です。 そして最低の仕事にも意義を見出すことができる国だからこそ、敗戦の焼け野原からこのような立派な国に再建できたのです。 日本が共産主義・唯物主義の国となったら掃除などには見向きもしない冷たい人間の国家となることでしょう。 それを阻止するために私は声を挙げています。
大阪駅前の炊き出しに参加したきっかけは6年前の釜が崎のカレーの炊き出しでした。 最初はここも釜が崎の掃除から始まりました。 汚い町、釜が崎を少しでもきれいにしようという、鍵山さんの「掃除に学ぶ会」のメンバーが始めました。
最近このメンバーの数人は、掃除のリーダーの母校、阿倍野高校のトイレ掃除を早朝からしています。 うす黒く黄ばんだトイレを素手で洗っています。 それを見る生徒のなかにいつか「おっちゃん、手伝おうか」という声がいつかあがることでしょう。 それが日本を美しくする一歩となるのです。
私たちは誰からも無視されながら、野宿のおっちゃんたち十人と大阪駅前を30分ほどですが掃除をしています。 いつか大阪駅前が、タバコの吸殻もコンビニの弁当の散乱もきれいになって、皆の心がきれいになることを祈っています。
10月23日の産経新聞「産経抄」に以下の記事がありました。
「遅まきながら、安倍晋三首相の著書『美しい国へ』を読んでいて、映画『男はつらいよ』に思いが飛んだ。第26作『寅次郎かもめ歌』のマドンナ、伊藤蘭さんが通う夜間の定時制高校で、松村達雄さん扮(ふん)する教師が、詩を朗読する場面がある。
▼旧国鉄職員だった浜口国雄さんによる『便所掃除』という作品だ。 浜口さんは「神経までしびれる」ほどの汚れを懸命に落としながら、自らに言い聞かすように、言葉を紡ぐ。 「怒ったところで美しくなりません 美しくするのが僕らの務です 美しい世の中も こんな所から出発するのでしょう」。
▼この詩は実際の授業でもよく使われているが、トイレ掃除そのものを道徳教育に取り入れて、学校の荒廃を食い止めた報告もある。 自動車部品販売のイエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんは、四十年以上にわたって掃除を続けてきたことで知られる。 その「掃除道」の活動は、いまや国内にとどまらず、ブラジル、中国、米国などにも広がっている。
▼最近では、「運気」という面から、ちょっとしたブームを呼んでいるらしい。 健康雑誌『ゆほびか』で特集すると、宝くじが当たった、結婚できた、赤ちゃんができた、などの体験談が多数寄せられ、『ツキを呼ぶ「トイレ掃除」』なるムック本まで出た。
▼ビートたけしさん、星野仙一さんら著名人の実践例もある。もっとも、あまり御利益を強調されると、眉(まゆ)に唾(つば)をつけたくなるが、もともと美人の神様が宿るという言い伝えは日本各地にあった。
▼昔、掃除は主に女性の仕事だったからだろう。 浜口さんは、詩をこんなふうに締めくくっていた。「ぼくは男です 美しい妻に会えるかもしれません」。 願いはかなったと信じたい」
(完)