いのちの風 bS90
12月8日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
【私の新しいEメールアドレス】 gytkm947@ybb.ne.jp
「いのちの風」縁の花・支縁サイト (bS85までのバックナンバー掲載)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 捨身虎図/非核・非武装/日本民族国家の消滅/日本核武装の可能性
いつもありがとうございます。 御堂筋のイチョウの葉っぱが黄色に色づいています。 今冬は暖冬異変で、このまま落葉せずに年を越すのでしょうか。
暖かくて野宿者も凍える時期が少なくてすんでいるようです。 寝袋もかなり行き渡って来ましたが、来年まで配ります。 今年は暖冬の影響か、寝袋カンパの集まりが例年の3分の1です。 老人が路上で寒さに凍えています。 今年もよろしくお願いいたします。
今回の内容は久しぶりに硬派です。 そういえば今日は真珠湾攻撃、大東亜戦争開戦の日。 日本が欧米の理不尽な国家主権侵害に牙をむいた日です。
慈悲と愛 裏を返せば 野望の衆
法隆寺にある国宝「玉虫厨子」には「捨身虎図」という絵が描かれています。 インドの「輪廻転生」の思想に基づいた、釈迦の前世の物語の一つとして描かれたものです。 これは釈迦の前世である薩垂太子が、竹林の中で飢えている虎の母子に、自分の身を投げ与えたという、慈悲の究極の行為を伝えたものだそうです。 聖徳太子がこの絵図で示したかったのは、彼の政治家としての理想像がまさにここに凝縮している、ということでしょう。
そしてこの思想を受け継いだ太子の嫡男・山背大兄王は、敵の蘇我氏との戦いを避けて一族郎党全員自害して果てました。 蘇我氏との戦争で勝つ見込みはあったのですが、民・百姓を戦乱に巻き込んで死なせるのは仏教の慈悲の精神に反すると考えたからです。
ある方がmixiのなかで「『非核』という理想を掲げて、日本が滅亡するならば、それを誇りと思う」と書き込まれました。 この非核思想は、聖徳太子や山背大兄王が掲げた理想と同じでしょうか。「非核宣言」は究極の人類の慈悲の精神を呼び起こすために、日本一国がその犠牲となって世界に覚醒の魂を呼び起こす。 それはすばらしい行為でしょう。 しかし日本が消滅しても世界は覚醒するでしょうか。 競争相手がなくなって政治的経済的ライバルがほっとするだけです。
これは山背大兄王がいなくなった後に、蘇我氏が横暴をきわめたのと同じことです。 宗教的信念としては立派でしょうが、政治の世界では政敵や他国を利するだけです。 この釈迦や聖徳太子の自己犠牲の精神は個人的のものです。 個人や世界の抽象的理想のために、国家という多くの人々が寄り添って生きている共同体が消滅してもいい、などとは宗教的独善以外の何ものでもない。
核を持つのか、持たないのか、は国家の存立に関わる重大事です。 しかし多くの「非核」を論じている人々の多くは、かって「共産国の核は善、資本主義国の核は悪」というイデオロギーでもって、この日本を洗脳してきたサヨクたちです。 そのようなサヨクが戦後いかに誤った世界観で日本を導いてきたことか、を知れば「非核」宣言など彼らのイデオロギー的独善でしかないと私は判断しています。
たとえばサヨクが中心となって、60年も広島・長崎を世界に訴えかけてきて、それによって世界は核兵器をなくしたでしょうか。 逆にどんどん増え続けている。 核兵器廃絶を訴える大会に参加してきたインド、パキスタン、のアジア諸国でさえ核保有国となってしまった。 反戦平和主義者はこのような国々へ渡航し抗議行動をして、核保有を阻止できたでしょうか。 否。 彼らの活動は平和念仏ばかりで、しょせんは国内向けの反政府、反日が目的のものです。
人類に対して日本が究極の理想が掲げたからといって、世界は日本の思うようには動いてくれない。書き込まれた方のような考え方は昔からある「世界に誇るべき憲法九条とともに、たとえ侵略があっても、世界に誇るべき非武装中立・無抵抗主義を誇りをもって掲げて、その結果、日本は滅び去ってもいい」というのと同じです。
祖国より隣国ばかりが気がかりなり
日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」は戦争が終わった後の、厭戦気分のなかで作られました。 まさかあの悲惨な戦争の後で、ふたたび戦争続きの戦後世界が展開しようとは誰も想像しなかった。 しかし世界は日本国憲法の理想とは異なる状況を戦後60年の間に生み出しつづけました。
そして自ら白旗をあげていれば、周りの国々は戦争や国家主権侵害など起さないという神話は、現在ますますウソだと露呈されつづけています。 日本が核をもたないと宣言しても、核をもつ諸国は核攻撃の脅威を与えて、日本外交へ譲歩を求めてきます。 これは経済覇権樹立にも最も有利な武器です。 日本の政治・経済・文化・伝統・教育へも脅威となりつづけます。
「非核、非武装」といったある種の卓上の空論のもとで「祖国など消滅してもいい」などと思う国民は世界広しと言えども、どこにもありません。 国家が消滅するということは数千年も先人が営々と築いてきたこの日本列島の上の日本民族国家が消滅するということです。 外国の領土または属国となることです。 日本語もしゃべれない国民となることです。 今の理想のためには、過去の先祖の歴史・伝統・文化・英知・遺産もすべて放棄してもいい、ということです。
それは先祖に対する侮辱であり冒涜です。 この国を護るために命を、人生を、捧げてこられた過去の幾億万の人々、日本の先人たちに申し訳ない。 この国は決して今生きている人間だけのものではない。 数千年の悠久の歴史という縦軸を見失ってほしくない。 今、生きている人々だけのつながりである横軸のみを見ている人々が多すぎる。
またこれは将来の日本を担う子供たちに対して「君たちの世代は滅び去ってもいい」と言う死刑宣告です。 誤れる理想のために死ね! たとえ生き残ったとしても、他国の奴隷となれ! または根無し草の亡国の民となって、世界を放浪する運命を甘んじて受けよ、という非情な思想です。
「非核、非武装」の思想の底にあるのは「日本民族など消滅して『地球市民』として生きろ」というメッセージです。 そのような思想はユダヤ民族の亡国の苦悩の歴史をみれば、誤りであることがわかります。 いかに国民が国家の恩恵の元に生かされているか、が亡国の経験のない日本人には理解できない。
このサヨク平和主義者が掲げる理想は、「国家や国境などいらない。 国家は支配階級の人民抑圧装置である。 国家がなくなったら国民は幸せになる」というマルクス主義思想のものです。私はその思想と対決する思想を自分のものとするために学んでいます。
「非核、非武装」といった宣言をしている馬鹿正直な国など世界では尊敬されません。 「すみません」と先に宣言してしまえば許してもらえると、日常生活でも伝統的に思っている日本人は、世界では決して許してもらえなくて、賠償金を請求されるのがオチです。 世界からバカとみなされる祖国を日本人の誰が尊敬と誇りの眼差しで見るのでしょうか。
見ざる核 言わざる核は バカ正直
日本はすでに国家としての体をなしていません。 国家には国民と領土、資産を守る義務と責任があります。 しかし拉致によって何十、もしかしたら何百人もの日本国民が北朝鮮へ拉致された。 それを守ることも奪還することもできないでいる。 尖閣列島や竹島、北方領土は他国の支配下に入ったまま手をこまねいている。 アメリカの国債を何百兆円も買ってアメリカは繁栄し日本は窮乏の底にある。
教育はサヨク日教組の意のままであり、靖国や教科書問題では中韓から内政干渉を受けつづけている。 また北朝鮮は核保有を宣言して日本への脅威を与え始めた。中共はそれを見て「日本は国家ではない。 将来日本は他国(米中)の属国となる」と予言しているのです。
先月の産経抄には
『相手がどうでるか考えないで、一方的宣言だけでことがかたづくとするこのような発想は、欧米諸国にはとうていみられないのではあるまいか」(『日本人の戦争観はなぜ「特異」なのか』比較文化学者・鯖田豊之氏、主婦の友社)。なるほど「非核三原則」は、その最たるものだ。日本の「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の政策を、いつか核保有国が見習ってくれる。 こんな幻想を持つ国は、確かに国際社会では、「特異」に違いない。
(略) 「核を論議しない」を加えて、もはや「非核4原則」だ。 (略) 世論調査によれば、「政治家は議論すべきか」の問いに五十、八%が「はい」と答えている。 国民の多くは、現実的な安全保障論議を求めているのだ』 とある。
私は思います。 戦後、核戦争が起こっていないのは、広島、長崎の悲惨さと、核による世界滅亡の危機を各国が認識しているからです。 その意味で広島、長崎の犠牲者は戦後の世界破滅を防ぐ人柱となられた尊い使命を持って生まれられた進化した魂であったと思います。
真面目に日本には広島・長崎があるやないか、といっている限りは相手の思うツボです。 再び広島・長崎を生まないために核を持つべきいう議論が必要です。
現代政治において、核保有は戦争を抑止して国家の主権を守るため、また外交上の究極的武器として必須条件となりました。 だからアジア諸国も核を持ち始めたのです。 最近も、北朝鮮が核武装をほのめかしたために、日本という寝た子を起したではないか、と中共が激怒した。 日本の核武装を中共は一番恐れています。 日本が核保有の議論をするだけで、これだけ日本の外交に有利に作用するのです。
日本がこれほどまでに国家主権を脅かされて、米中韓朝に土下座して生きていかなくてはいけない情けない国家と成り果てている状況。 ここから脱却するのには核武装の可能性を内外に表明することが、国家主権を護り抜くためには必要ではないか。 核はどの国も実戦的兵器として使用できない状況です。 しかし核武装できるかどうか、それを日本国内で議論しつづけていること自体に意味がある。 世論もそれを今は支持しています。
核武装するには時間も金も危険もある。 一朝一夕にできるものではない。 それは重々わかっている。 しかし日本防衛戦略の要として核武装が必要だという議論が日本国民の間で巻き起こっているということが仮想敵国に対しては十分の抑止力となる。 最初から核は持ちませんという手の内を見せるやり方は外交としてはすべきでない恥ずべき政治と信じます。
(完)
リンクのホームページ
@ 「いのちの風」通信 (大阪駅前炊き出しや清掃の写真、そして踊りの動画など掲載)
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
B 應典院HP「いのちと出会う会」
http://www.outenin.com/inochi/index.html
C 大阪メチャハピー祭
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
D せんば花金夜市(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。虎のぬいぐるみも私です)