いのちの風 bS93
1月5日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
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(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを
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今回のテーマ 新年のご挨拶/年賀状/大毒出しセール/日の丸掲揚/イスラム教の喜捨
あけましておめでとうございます。 旧年中は色々とお世話になりありがとうございました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 皆様、新年はいかがおすごしですか。 多くの方々から年賀状をいただきました。 感謝申し上げます。 下記は今年に作った縦書きの年賀状です。
年賀 明けましておめでとうございます。今年私は還暦を迎え六十歳になります。イノシシの猪突猛進で本年も邁進いたします。昨年は私の体験や野宿者支援の講演を全国で十回させていただき、講演の最後には私の魂を癒してくれた、よさこいソーラン踊りを披露して皆さんに喜んでいただいています。そして野宿者支援として大阪駅前で毎週月曜日夜九時からのおにぎりの炊き出しと衣類の配布を続けています。また多くの方々からカンパをいただき、路上に敷いたダンボール上で寝ている野宿者へ、今冬もすでに寝袋千個以上を配り終えました。妻と次男の命を救えなかった分、路上で死に行く人々を救いたい。彼らに限らず、恵まれない人々を放っておけない気持ちです。妻が生前に言っていた恩返しです。私の背中をいつも押してくれている二人に代わって、彼らの分までこの人生を輝かせて生きて行きたいと思っています。今年も皆様にとりよき年でありますようお祈り申し上げます。
平成十九年元旦 石黒大圓(良彦を改名)・敏之
生きとるよもらってうれしい年賀状
このような字ばかりの年賀状をここ数年続けています。 「はがき道」の坂田道信先生に習って、昨年の私の現況と新年の決意を書くようになりました。 印刷だけの通り一片の年賀状では「生きているよ」と伝えるだけでなんの意味もないです。 そんな儀礼的なものはやめて、電話ですませた方がよっぽど粋に行きます。
明日死ぬかもわからない人生で言い残しておきたいことや、皆さんへの感謝を、年に一度生の声で書くことは人生の一里塚として有意義だと、坂田先生に習いました。 いい恰好言いましたが、これが今年還暦を迎える私の、心だけは若い「青年の主張」です。(うるさいオッサンや、の〜う)
今年も私は相変わらず年賀状の宛名書きで家にこもる事が多いです。 まだパソコンへ住所を打ち込むことができていなくて、未だに原始的に宛名書きをシコシコとしています。 昨年は名刺交換だけでも300人ほどはしていますので、やってくる年賀状も例年の倍かもしれないと覚悟しています。 「寒中お見舞い」までにはやってしまおうと、今年はのんびり構えています。
年に一度の挨拶をそんなにあせってすることもないでしょうと、言い訳半分、あきらめ半分の気分でやっています。 新年早々の深夜一時に近所の氏神さま、坐摩神社へ参りました。 今年はイノシシの年男、また周りをはらはらさせながら突っ走って参ります。 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
例年通りで申し訳ありませんが、通信仲間の皆様へは今回の通信をもって平成19年の年賀状の代わりとさせていただきます。 ご了承ください。
ところで年末30日に大チョンボ。 通信の曜日を間違った。 そして平成18年の十大ニュースと書いたのは大ウソ。10個のうち3つは前年平成17年の記事だったのです。
だから【5】衆院選、自民圧勝【6】対中、対韓関係深刻に中国で反日デモ激化
【8】郵政民営化、法案否決、衆院解散 は昨年のものでした。
アジャー! ゴメン、穴があったら入りたい。赤恥をかきました。 ボケも極まれりです。
それだけでなくこの日は朝からメガネをグシャと踏んで壊してしまい、仏壇の電気の灯明が切れてしまい、仏壇が真っ黒。 正月前で修理ができない。 ご先祖様すみません。そして外に置いていたオートバイのバックミラーが2つとも盗られて正月早々ヒヤヒヤの運転となる。 ほかにも2つのトラブルが発生して全部で7つが30日に全部やってきた。
やれ、やれ、よくもまあ! 年末の最後の大毒出しセールというところ。 因縁が消えていく姿だ、と生長の家では言っていた記憶があります。 しかし来年は宿が出たあとのすっきり感が、ドーンとどん出てくることでしょうよ。 鬼は外、福は内!
赤地に白く日の丸染めてああうつくしい
そしてその30日に墓参りへ行き、急いで帰ってきてから、巨大な日の丸の旗を5個、私たちの商店街のアーケードに掲げました。 11月の商店街理事会で提案して、横3m、縦2mの大日章旗を皆で吊るしました。 私の年来の希望が実現してうれしい。 遠くから巨大な赤、白の旗が列をなしているのを見ると壮観です。
心斎橋から北の商店街には未だに国旗の掲揚はなく、心斎橋から南のそごうと大丸のある商店街には、以前から縦向きになった日の丸が年末年始に掲げられています。 真中の商店街だけが抜けていますが、本町から難波までの商店街に巨大な日の丸の列ができる日がきっと来ます。 またそうさせます。
以前に私たちの商店街で中共と台湾と香港の旗を3つ一緒に掲げたら、役所から文句が来たので商店街事務局は、政治的なものに及び腰になっているのです。 中共からの抗議で役所が動いたのもおかしな話ですが、今回の日の丸掲揚はこれとは関係ない日本国民として当然の責務です。 とにかくまずはこれから年末年始に日本国旗が我が商店街の頭上にもひるがえります。 心わくわくする気分になりました。 これから祝日には昔のように日本全国の家々の軒下に日の丸が掲げられる日がいつかくることでしょう。
英語でも祝日はレッド・レター・デイ(カレンダーに赤い印のある日)とか、フラッグ・デイとか言って国旗を掲げる日、栄誉ある日だと言われます。 しかし日本では戦死者の血のイメージがあるとか、女性のナプキンに血がついているイメージだ、などと軽蔑するバカなサヨクがいる。 この屈辱をぬぐい去るにはまずは愛国のこころざしをもつ日本人が率先して国旗を掲揚していくことです。 まずは実行あるのみ。
朝日新聞などの反日新聞を読んでいる人は日の丸を軽視して、愛国の気持ちを失っています。 ここ2年ほどはたびたびここの若手経営者の会合で、私は国を守る気概と商店街を守る気概を比較して訴えています。どこの国民も持っている当然の心構えを現代日本人は失っています。
日の丸掲揚の作業をしたあと「火の用心!」と唱えながら歩きました。 本町から心斎橋まで拍子木を打ち鳴らしながら巡り歩いて、今年の商店街事務局の仕事はすべて終わりました。 火の用心の夜回りがあっちこっちで増えているのを、寝袋配りをしながら感じています。 町内の共同体が昔の隣組のように絆を取り戻して地域の安全に目覚めたのでしょう。
中国人による犯罪が増え、反日暴動があり、それに反応したように日本人に防衛意識が目覚めました。 まさに第二の黒船がやってきて、野蛮だとわかった夷狄(いてき)を払いのける健全な攘夷運動が始まったのです。
助け合い 心育てた 焼け野原
先日の深夜にNHKテレビの「冒険ロマン」でエジプトの「カイロ」が出ていました。 イスラム教の祭りとして昔からある「犠牲祭」の取材をしていました。 膨大な羊がカイロに集められ、各家庭で屠殺されて神への貢物とされる。 そしてそれを家族や親族に分け与える。
しかし3分の1は貧しい人々に分け与えるサダカという習慣があるという。感動しました。 これは仏教でいう布施と同じ考え方でしょう。 しかしイスラムは徹底している。 このことは初耳でした。
私たちが行なっている野宿者支援もイスラム教の「サダカ」に似た宗教的行為なのだと知りました。
イスラムの教義として六信 (アラー、天使、啓典、預言者モハメット、来世、天命)を信じると 五行(信仰告白、一日5回のメッカ礼拝、ラマダーン月の断食、喜捨、メッカ巡礼)を実践する義務があります。 喜捨も大事な信者としての責務なのです。
喜捨の功徳は必ず来世に反映されると信じてイスラムの人々は喜んで喜捨をする。
一方で功利的考えでもあります。 電車で年寄りに席を譲るときに、譲ったことで自分自身が嬉しい気持ちになれる。 自分自身の座席に対する執着心がなくなり体が自然に動く。これは執着心を捨てさせてもらったお礼の意味もあります。 喜捨は「・・・してあげる」ではなく「・・・させてもらう」と考えるべきなのです。
「サダカ」とは喜捨を意味する言葉であり、イスラム共同体の社会福祉システムとして働いているのです。 サダカとはイスラム教信者が1年以上所有している財産を、貧しい巡礼者、托鉢修行者、借金を返済できない者、乞食、貧しい旅行者、新規改宗者へ差し出し支援することです。
戦争で夫を亡くした家族は大黒柱を失うことになり、税金による社会福祉が充実していないならば生活に困窮する。 政府レベルの公的な仕組みとしてはザカート(制度喜捨)がある。 これは財産税を意味し、貧者の救済を主眼におく目的とする救貧税である。しかしこれだけでは手が回らない可能性もある。 そこで近所の人が声を掛け合い、金銭を集めて回り、貧しい家族を救済するのです。
政府による福祉と違い、常に顔を合わせているような知人同士の間での互助扶助システムです。 また商売で成功した人が、慈善団体へ喜捨をするのもサダカです。 さらに富裕な人物が地域共同体に対して学校などの建物をまるごと寄付することも多い。これは西洋や日本でも見られる慈善行為です。 しかしサダカで寄付された学校などには寄進者の名前が刻まれることはない。 それは、サダカが金持ちから直接寄付されるのではなく、いったん神(アッラー)に寄進され、それを皆が使えると考えるからです。
イスラム社会では昔は聖戦ジハードが続いて、多くの家庭の大黒柱が死んだので、このような相互扶助システムができたのでしょう。 ヨーロッパでも戦乱で明け暮れていたので、ボランティアによって相互に助け合うシステムが成立しました。 またアメリカでは新天地、西部開拓によって助け合いの精神が確立しました。 すべて戦争や殺戮のあとの焼け野原や精神的打撃から、社会を再生されるための努力の結果生まれた社会的システムだったと思います。
在るべき姿を求める外国の宗教は黒白を付けやすい。 その点、日本には国譲りの神話やあいまいな態度にみられるように、暴力や意見の対立による衝突をさける民族性や穏健な宗教観があった。 また侵略や異民族との共住から起こる戦争がほとんどなかったのが幸いしてきました。 日本も朝鮮半島と陸続きだったら今のような民族性を保てなかったと断言できます。その代わり戦乱で困窮した人を日常的に救済するシステムが作られて来なかった。 それが野宿者や障害者への無関心・無視に表れています。
大阪には多くの韓国教会があり日本の野宿者支援をしてくれています。 在日韓国人クリスチャンは収入の10分の1を教会へ献金すると言われます。 不動産を売ってもその10分の1を捧げるらしい。 だから韓国教会は日本のキリスト教会と違って、財政的に豊かで、炊き出しを大阪中でしてくれているのです。
一方日本のサヨクや日教組はあるべき日本の姿として平和・人権尊重を叫んでいます。 しかし野宿者の平和・人権を守るために彼らに教育を受けた多くの日本人は動こうとはしない。 彼らの叫びは破たんしています。 平和・人権・野宿者問題は政府攻撃に利用するための政治的道具でしかないのです。 また寄付に対して免税処置がないから日本では寄付が少ないといわれます。 しかし税金うんぬんの前に、見返りを求めない民間福祉の「「喜捨の心」が大事だと、このサダカの番組を見て思いました。
そしてその喜捨の心は日本の伝統的なノーブレス・オブリージュの精神でもあるのです。
前・台湾総統・李登輝氏著書『「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』でも、高貴なる身分の者に課せられた義務としている。 武士はその義務を果たしていた日本の象徴でした。 日本という豊かな国に住む人間として、貧しい、恵まれない人々(野宿者や日本人に限らない)への義務を果たす。 それは日本国民としての当然の責務であると「サダカ」から学びました。
(完)