いのちの風 bS94 

平成19年月17日(水)発信 石黒大圓(だいえん

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「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト

(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信です。 bS90までのバックナンバーを掲載)   http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm

 

 

今回のテーマ トラの掃除屋さん/障害をもつ野宿者/路上生活を追体験する/心やさしい日本人

 

 

いつもありがとうございます。 新年は皆様いかがお過ごしですか。 新年もゴタゴタが私の身辺で続いていますが、心は遊ぼうと思っています。

 

トラさんもきれいにしたいねん大阪を

 

先週月曜日の炊き出しの時に浮んだ川柳。
成人式 着物姿の4人組 ギャハーと叫んで トラものけぞる

 

先週月曜日大阪駅前で年末に続いて、2回目のトラの掃除屋さんをしました。 成人式帰りの若い着物姿の女の子たちが私の姿を見て、ギャー、ワハハ、と叫んでいたので、私もそれに合わせてのけぞるパーフォーマンス。 オモロイ、オモロイ。 私の顔が見えないので、恥などかなぐり捨ててひょうきんになれるのです。


  母親に抱かれた幼い子供たちとも「明けまちて、おめでとう!」と握手をしました。 私の姿を見て腹を抱えて笑いながら歩いていく女の子もいました。 オモロイ。 ずいぶん遊ばせてもらいました。肩をたたくので振り向くと若い女の子が握手。 次の瞬間、その手でトラのぬいぐるみの頭をもぎり取ろうとする。 取られてなるものか、と必死で抵抗して極悪ギャルを撃退。 着ぐるみの中は暑いので、汗が噴きだす。 それで日本手ぬぐいで頬かぶりをしているのです。 それも「大阪メチャハピー祭」でもらった、赤い手ぬぐい。 赤い頬かぶりをしたオッサンがトラの中身だとは正体を知られたくないですからね。


  そしてそのぬいぐるみを着たままでの掃除は相変わらずむつかしい。 左手にホウキ、ちり取り、ゴミ袋をもち、しかもその手でトラの頭が落ちないようにして支えて、右手で拾うのは至難の業。 ゴミ袋が口の部分にある外界との窓をふさぐので前が見えない。 コップの底ほどの穴から「目標、吸殻!」と、勘でエイヤ!と吸殻を取ろうとするがハズレばかり。

  
  我が商店街で寝ているので、親しくなった野宿のにいちゃんがいます。 彼が今回はたまたま横についてくれて手伝ってくれ、私が掃き集めたものを彼がチリ取りで取ってくれていました。 トラが這いつくばってゴミを拾っている姿をみて「野宿者かて・・・」と背中の文字を読んでくれている人がいました。 

 
  そう、トラの着ぐるみの上から野宿者かて、大阪が好きやねん、きれいにしたいねんとプリントした黄色いジャンパーを着ているからです。 いくら野宿のオッチャンたちが駅前の掃除をしてくれても誰も見向きもしない。 しかしオモロイ大きなトラのおかげで「ふーん、野宿のオッチャンたちが掃除してくれてるんや」と啓蒙できます。 宣伝部隊としてのトラの効果はてきめん


  衣類や掃除道具を車で運んできて荷物を降ろした後、駐車禁止を恐れて車を大阪駅北口のへんぴな所へ置きに行っています。 そこまでの行きも帰りもその道中をトラの格好で歩くので、宣伝効果抜群。 掃除が終わったあと女性ボランティアたちが急ごしらえの路上喫茶作ってくれます。 先週もそこで手伝ってくれた10人ほどの野宿のオッチャンたちとコーヒーやクッキー、差し入れのミカンを食べていました。  


  それが終わったら駐車させている車を取りに行って、衣類などの荷物を乗せて帰るのです。 「さあ、車を取りに行くわ」と歩き出したら「ゴツーン」。 信号の柱に激突。 前がよく見えない白内障のようなトラですので、危険極まりない。 陸橋の階段で掃除していて転げ落ちそうになったこともある(転げ落ちるトラもオモロイけれど) 着ぐるみが分厚いので、信号柱にキスしても大事にはならなかったですが。 後ろで野宿のオッチャンたちが大笑い。 ドジなトラの掃除屋さんなのです。 ちゃん、ちゃん。

 

障害者 人類生存の 鍵握る

 

年末29日最後の寝袋配り、帰宅途中、車の中で30分も仮眠してしまったので帰宅は午前さま。 相棒とはラーメンを食って「いい年を」と12時前に別れました。最後のこの日は15個ほどしか配れなかった。 大阪の路上で寝ている多くの野宿者が南港の臨時宿泊所へバスで運ばれて行ったので、年末に少なかったのです。 南港は彼らにとっては正月のごちそうですが、私たちの寝袋も彼らにとっては唯一の正月のごちそうかもしれません。

 

しかし南港のシェルターはまわりに何もない陸の孤島。 タバコ、酒、食料持ち込み禁止。 完全管理された監獄のような有り様。 寝袋配りに出発する時に商店街を歩いていたら、大阪駅前でいつも一緒に掃除してくれている、さきほどの野宿のにいちゃんが声をかけてくれました。 彼は南港へは行かないらしい。 釜が崎では年末年始には、越冬闘争祭「野垂れ死は許さないぞ」として、余興や歌などのイベントが目白押しで5日ほどは3食食べられます。 自由をほしい人は市内に留まるようです。    

 

南港では億円もかけてバラックを建てて1週間ほどで壊してしまう。 年末年始とて市職員への特別手当給料と建設費、そして皆への3食の食費に消えてしまう。 馬鹿げた年中行事です。 これも野宿関連の行政利権がからんでいるのでしょう。 夜露もしのげ、風呂トイレつきで、暖かく寝させてもらえる。しかし評判が悪く、3000人収容のところ、毎年半分しか来ない。 3億円がもったいなく使われています。 


  その日は四天王寺近くの一心寺のそばも巡りました。 その時にびっこを引いた老婆が歩いていて、声をかけたら、彼女と知り合いのコーヒー店でいつも夜を過ごすという。 寝袋はいらないが120円の缶コーヒーがほしいというので相棒が渡しました。 彼はあんな歳でかわいそうだと泣きそうでした。 

 

12月のある日には、集めてきた空き缶を一心不乱で踏みつけてペシャンコにしている人が天王寺駅のそばにいました。 「寝袋いりませんか」と声をかけても振り向かない。 横にいた台湾人の街娼(このあたりでは10人ほどが客引きしている)が「あの人はおし(口がきけない)やねん」と教えてくれました。 

 

彼に寝袋を渡したら、私たちの体を抱かんばかりに喜んで「あーあー」と言いながら、うれしそうに体で表現していました。 彼は自分がこんなにたくさん空き缶を集めた、見てくれ、と自慢そうにと訴えていました。 自分のことを認めてほしい、認めてくれてありがとう、と私たちに声にならない声で必死に訴えていたのです。 まるで亡き親にすがっているかようでした。 彼とは一杯握手して別れました。私たちもうれしくて胸が熱くなりました。 


  私は障害を持つ人は進化した魂をもっていると思っているので「がんばれよ」と尊敬の目で見ています。 しかし、おしで、こんな野宿者になってしまって、この人の親は彼の将来をはかなんで、死んでも死にきれなかったことでしょう。 なんとか幸せになってほしいです。 2月11日にある、障害者養護学校の先生、山元加津子さんの映画と講演会で、障害をもつことの人類史的意味について語られます。 ぜひ聞いてください。 涙がとまりません。 お願いします。

 

 

『映画「4分の1の奇跡 〜本当の事だから〜」上映会&山元加津子さん講演会』

2月11日 13時〜17時 クレオ大阪中央ホール(四天王寺前夕陽ヶ丘駅下車北東徒歩3分 前売り3000円 E・Eプロジェクト090-2040-5072入江監督

ぜひ見てください。涙、涙と元気魂は保証付き

(私も前売り券を持っています。ご連絡ください 090−1146−7351)

 


オッチャンと一緒に寝ようぜ道の上

 

年末にニュースで知りましたが「フランスで野宿者支援団体が市民にホームレス生活の体験呼びかける」とありました。 支援団体がパリの運河沿いにテント約200張りを並べ、一般市民にホームレスの生活体験を呼びかけている。 運動は市民の共感を呼び、パリ市長はホームレスにより多くの住居を提供することを約束し、ボートラン社会結束・男女平等担当相も野宿者支援策の強化を発表した。 野宿者向けの緊急センターの受け付け時間の延長や、一時受け入れ施設の増設などを発表したのです。 

 

団体設立者のルグラン氏は「彼らの暮らしがどんなものか一般市民に体験してもらいたかった」と動機を語っている。 市内で野宿するホームレスたちも「ここなら警官に追い立てられない」と集まっており、体験参加者らと「共住」している。フランスにはホームレスが約86500人いるとされる。 

 

冷たい路上で寝る体験。 それはつらい人生を歩んでいる人を追体験するのに、いい啓蒙活動になる。 路上に敷いたダンボールの下から、凍えた寒気がどれほど身を震わすほどやってくることか。 家の中で寝袋で寝ていても体が凍える。 ダンボールと毛布と寝袋でやってなんとか寝られる。 しかし誰かから襲撃があるか、とおびえながら寝ている彼ら。 


  私にはまだおびえながら、家の外でダンボールの中や寝袋の中で寝る体験はできていない。 しかしいつかそれをしないと本当の彼らのつらさはわからないと思います。 また寒くて寝られないから夜中じゅう歩き回る野宿者たちがいる。 彼らに共感できる日本人が本当の日本人だと思う。 野宿者に限らず、つらい思いでいる人の心の痛みを自分の痛みと感じていたのが昔の日本人だった。


  戦国、幕末、明治にやってきた外国人が驚いた、日本人のやさしさ、親切さ、おもいやり、情け深さを、今の日本人は忘れかけている。 マザーテレサも豊かな日本の心の貧しさを、路上で寝ている人々を無視する日本人の態度に見ておられました。 心やさしい日本人でありたい。 無関心でいるのが一番愛から遠い。   

  

日本仏教の伝統の中に生きてきた慈悲の精神を、今、目の前で冷たい路上で凍死しつつある人々に振り向けてあげてほしい。 せめて寝袋のなかで暖かく寝て、明日早くから「さあ、今日もダンボールやアルミ缶を拾って働くぞ」との意欲をもたせてあげてほしい


このような野宿をしなくてはいけなくなったのは、行政の責任もあるが、彼らの責任もある。 しかし目の前で溺れている人に彼の過去をあげつらって責めても仕方がない。 まずは手を差し伸べる。 そのためには彼らの思いを実体験する方法が一番いいのです。

 

(完
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