いのちの風 bS95
平成19年1月31日(水)発信 石黒大圓(だいえん)
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「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bS90までのバックナンバーを掲載) http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 赤い日の丸/飛んでるイノシシ/きいちゃん
いつもありがとうございます。 新年になってもう1月も終わりです。 皆様いかがおすごしですか。
私は新年早々またやりました。 「赤地に白く日の丸染めてああうつくしい」と書いたドジ。 「皮肉かいな」と冷やかされました。 そう日本は赤地に白い日の丸になっているのです。 赤い赤い朝日は赤い、ウソ八百の情報を戦後流し続けてきた朝日新聞。 そんな新聞を読んで日本国民の心の中の日の丸は「赤地に白い日の丸」。 赤い共産主義者の洗脳によって「日本に生まれて恥ずかしい」と、青白き生気のない心が魂の中心となってしまった国となり果てたのです。
今年、私はイノシシの当たり年。 運気は上り調子らしいですが、厄年でもあります。 知人からいただいたyahooの年賀状グリーティングには空を飛んでいるイノシシがありました。 今年はまさにその気分の本人。 正月早々激しく忙しい。 今年は年賀状や寒中見舞いがまともに書けないほど異常に滞ってしまっていました。
年末年始と大阪駅前炊き出しでスキャンダルがあり、処理に時間がかかり義憤が胃にきて胃痛続き。 そのうえにむちゃむちゃ感動させられた山元加津子さんの映画上映会の宣伝に没頭。 昨年会った方や前からの知人数百人にジャンジャンFAXやメールを流す忙しい日々が続きました。
以下は山元さんのHPに載っている文章で、講演会でもよくお話されるものです。 何度聞いても泣かされます。
浴衣縫う血に染まりたる天女の姿
「きいちゃん」
『きいちゃんという女の子の話しをさせて頂きます。 きいちゃんは私が教員になったばっかりの時に出会った女のお子さんで、いつも下を向いて元気のない印象のあるお子さんでした。 小さな声でボソボソお喋りするだけで、何かあんまり大きな声で喋ったりしないんです。 笑うって事もなかったんです。 そのきいちゃんが、ある日凄く嬉しそうに元気に職員室に居る私の所に来てくれて「先生」と呼んでくれるから私もビックリして、「如何したの?」と言ったら、きいちゃんが「お姉ちゃんが結婚するんだよ。 私も結婚式に出るのよ。 結婚式ってどんなかなぁ? う〜ん。 私、何着て行こうかなぁ」ってとっても嬉しそうでした。 「良かったね」って言ってたんです。
それから何日かしてきいちゃんの姿が見えないので探していたら、教室でたった1人でシクシク泣いているきいちゃんの姿を見付けました。 「如何して泣いてるの?」って言ったら、きいちゃんが「お母さんなぁ。『お姉ちゃんの結婚式に出ないで』って私に言ったの。 私の事が恥ずかしいんだわ。 お姉ちゃんばっかり可愛いのよ。私なんか産まなければ良かったのに」って、そう言って声をあげて泣いていました。
でも、きいちゃんのお母さんは決して、きいちゃんが言うような方ではなかったのです。 面会日に来られるたんびに、きいちゃんの事を「この子の為だったら私何でもしたいんです」と、いつも仰ってたし、それから面会日に必ず休まずに会いに来られてたんですけど、お家から4時間も離れているんです。 本当に会いに来られるのは大変な事なんですけど、欠かさず来られてたので、そんなお母さんがきいちゃんに如何して「結婚式に来ないで欲しい」と言ったのか私も分からなかったけど、もしかしたら結婚式に出る事で何かお姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかとか、そんな事を考えられたからかなぁって思ったんです。
で泣いてる、きいちゃんを目の前にして如何したら良いか分からなくて、「そうだ。結婚するお姉さんへのプレゼントを一緒に作ろう」と提案しました。 私は金沢で生まれて育ったんですけど、金沢の山の方に「ふたまた」という和紙の里があって、そこで染めを習って来ました。 で「さらし」という割合安く買える、白い反物みたいなのがあるんです。 本当に安いんです。 そういう物を買って来てきいちゃんと一緒にその「さらし」を夕日の色に染めました。 それで「浴衣を縫おう」と提案したのです。
でも本当の事を言うと私はきいちゃんが浴衣を縫うのは難しいと思っていました。 手に凄く重い障害があるんです。 小さい時に高い熱が出て手が全然思うように動かなくて、マイクを触ろうと思っても手が向こうに行ったり手前に来て仕舞ったり、本当にそこを触る事が出来ないし、お箸を持つ事も難しいんだけど、もし持てたとしても鼻の所に行ったり口の下に来たりで中々自分でご飯を食べる事が出来ないんです。
だから色んな事を人に頼ってきいちゃんも生活してたんです。 そういうきいちゃんだったので、やっぱり自分で縫うのは難しいと思って、きいちゃんが1針だけ縫って私が縫っても良いし、ミシンもあるしなんて、そう思ってたんです。 ところがきいちゃんは「お姉ちゃんのプレゼントだから私が縫うよ」と言い張るんです。 それで練習用の白布を渡すと何度も何度も針先で指の先を刺すので血が一杯出て白い布が血で赤く染まって行きました。
私は怖がりなので、それを見たら「こんな事を言わなければ良かったなぁ」って思って「もう。止めて」って言ったけど、きいちゃんは「大丈夫だよ。お姉さんのプレゼントだから私縫うよ」って言ってにっこり笑って縫い始めたんです。 練習し始めたら本当にどんどん上手になって行って、真直ぐ縫えるようになったんです。 学校にいる間もズーっとそれを縫っていて、施設に帰ってからもきいちゃんはズっとそれを縫ってたんです。 そしたらとうとう結婚式の10日前に縫いあがったんです。 それで急いで糊付けしてお姉さんの所に送ったんです。
そしたらお姉さんから私の所に電話が掛かって来ました。 結婚式にきいちゃんだけでなくて私にも出て欲しいと仰るんです。 でもお母さんの気持ちを考えると出ても良いのかどうか分からなかったので電話をしました。 そしたらお母さんが「あの子の姉が如何してもと言って聞かないので結婚式に出てやって貰えませんか?」って、そう仰ったので結婚式に出る事にしたんです。
お母さん産んでくれて、ありがとう
結婚式のお姉さんはとっても綺麗で幸せそうでした。 ただ式場の何人かの方がきいちゃんをジロジロ見ていたり、何かヒソヒソ話しをしておられるのを見て、「きいちゃんはどう思っているかなぁ、やっぱり来ない方が良かったかなぁ」ってうつむいてる、きいちゃんを見て思ったんです。 ところがお色直しの扉から現れたきいちゃんのお姉さんは、あのきいちゃんが縫った浴衣を着ていました。 旦那さんになられる方と真直ぐマイクの所に進んで来られて、そして私ときいちゃんをマイクの所に呼んでくれました。 そしてこんな風に話されました。
「皆さん、この浴衣を見て下さい。 この浴衣は私の大事な妹が縫ってくれた物です。 妹は小さい時に高い熱が出て手や足が思うように動かなくなりました。 訓練の為に親元を離れて生活をしなければなりませんでした。 両親と一緒に生活をしている私の事を恨んでるじゃないかと思った事もあったのに、こんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。 今高校生で浴衣が縫える人が何人いるでしょうか? 妹は私の誇りです。」 お姉さんがその話しをされた時に式場の何所からともなく拍手がわあ〜っと起きて来て開場中が拍手で一杯になりました。 きいちゃんは恥ずかしそうだったけど、とっても嬉しそうでした。 私は何て素敵なお姉さんだろうと思ったし、そのお姉さんの気持ちを変えたきいちゃんの頑張りもとっても凄いなぁっと思ったんです。
きいちゃんはきいちゃんとして生まれて来て、きいちゃんとして生きて来て、これからもきいちゃんとして生き続けて行かなければならないのに、もしそこで隠れて生きて行かなければならないような事があったとしたら、やっぱりきいちゃんの人生ってとっても寂しいものになったんじゃないかなぁと思うんです。 私はきいちゃんやお姉さんと会った時に自分は本当に間違ってたなぁって思った事があります。 それはどんな事かというと、私はその時は教員になったばっかりだったので、私は先生になったんだとか、何か人にものを教えるんだ、これから子供達に指導するんだって、そんな事を思って仕舞ってたんです。 それは間違いだったなぁって思いました。
人と人が出会った時にどちらかが一方的に教えるばっかりとか、どちらかが一方的に学ぶばっかりって事は絶対になくって、人と人というのは教え合って学び合って気が付き合って生きてる者じゃないかなぁって、それが人と人が出会う意味だし人が産まれて来て生きてる意味じゃないかなぁって、そんな風に思ったんです。 確かに私はきいちゃんより年上だけど、それは髪の毛の長さが長いか短いかくらいの違いじゃないかなぁって、そう思ったんです。 そういう事を教えてくれたのは、きいちゃんだけじゃなくて、本当に学校の沢山の子供達が教えてくれた事でもあるなと思います。
結婚式の後お母さんが私に「ありがとうございます」と言って下さったけど、でも「私は何にもしていません」と言ったら、きいちゃんのお母さんが「いいえ」「きいちゃんが私に『お母さん産んでくれて、ありがとう。私幸せです。』って言ってくれたんです。私はあの子が障害を持った時から、この子の障害は自分のせいだと思って、ズっと自分を責めて来ました。もう一時間早く、もう十分早く、あの子を大きな病院に連れて行っていたら、この子に障害が残る事はなかったんじゃないかと思って、ズっと責めて来て何て不憫な可愛そうな子だろうと思っていたけれど、結婚式でにっこり輝いているあの子を見た時にあの子はあの子のままでとっても素敵なんだなぁって事に気が付けたんです。」って仰って居られました。
それからきいちゃんは「私、和裁を習いたいなぁ」と、そう言って、それを一生の仕事に選びました。 これは小学校の6年生の後期の教科書に今年から初めて載る事になっています。 小さいお子さんにも読んで頂ける事になったので、とっても嬉しいなぁと思っています。』
(完)
リンクのホームページ
(大阪駅前炊き出しや清掃の写真が載っています。 画面左にある「4、最近の活動」には踊り子大
圓が、踊りの出場を前にして踊っている写真の連写が載っています)
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページ
に、私の体験談を載せていただいています。 美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VO
L.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野
宿者救済運動を始める」 釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
B 應典院HP「いのちと出会う会」
(石黒司会の應典院での年9回開催の名物イベント行事)
http://www.outenin.com/inochi/index.html
C 大阪メチャハピー祭
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、よさこいソーラン踊り系踊り祭)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs
D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html
E インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加