偉大なる宇宙にて

 

               岩生 百子

 

星の名前などほとんど知らない、天文学にもさほど興味のない私だが、なぜかその話は私の心を引きつけた。

「ものすごい星が、発見されたらしいよ」

 知人から渡された、資料のコピー。

 それは、遠い宇宙に存在する、直径四000キロの巨大ダイヤモンドでできた星だとか。

 もらった東京新聞の切り抜き記事には、ダイヤモンドと同じ炭素の結晶で構成されている白色わい星で、なんと「10×10の33乗カラット」に相当し、地球から五十光年の距離にあると書いてあった。鑑定するとしたら、太陽の大きさほどのルーペが必要とか。

 どんな大きさなのか、想像もつかない。

 この星は、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」にちなんで、ルーシーと名付けられたそうである。

 そしてまたまた、その数日後、今度は太陽系に新しい小惑星が発見されたと。

2004DWと呼ばれるこの天体は、海王星や冥王星より遠い外縁部に広がり、直径は推定一四00〜一六00キロで、明るさは一八.五等級。太陽系で見つかった天体としては、一九三0年冥王星発見以来の最大級のものだという。

 バッフル宇宙望遠鏡で撮影されたという写真を見ると、まるでパールのネックレスのように淡く美しく光っていた。

 まさに、決して人間が身につけることができない、神様のアクセサリーだ。これを身につけて、楽しそうに、そして優雅に踊る女神の姿を、しばらくの間、私は想像してしまった。

 いつだったか、ある占星術をやっている方が、星は、人が発見し、その意識に入った時から、その人生に影響を及ぼすようになると言っていた。

 だとしたら、この神様のアクセサリーは、私たちにどのような恩恵を与えてくれるのだろう? 私は、楽しみでしょうがない。

 最近、世の中は、不景気だとか、子どもの虐待問題だとか、テロだとか。暗いニュースが多い。結局、何かの奪い合いの心、執着心といった、人間の貧弱な心が引き起こしている出来事だ。

空を見上げて、偉大なる宇宙に目を向けたとき、私たちには、こんなにすばらしい宝物がたくさんあるではないかと思う。確かに、手にすることはできないかもしれないけど、でも、私たちの宇宙は、こんなに豊かなのだ。

何をカリカリ生きているのか? この世の「豊かさ」にみんなが気づいたとき、もっともっと、幸せになれるかもしれない。

 私は、星占いを全面的に信じているわけではないけれど、でも、太古の昔から、人は、太陽や月、星々と共に生きてきた。その中で、非科学的に見えるかもしれないが、実は、現代人よりも冴え渡った、合理的な知恵がたくさんあるのではないかと思う。人生、その生活に、宇宙からの影響を受けていた…それを実感していたのではないだろうか。

 太陽とともに働き、月や星々とともに安らぎ。宇宙の、自然の存在のひとつとして、生を営んできた人々の方が、もしかしたら本当の豊かさを手にしていた。

 本当の「豊かさ」とは、何なのだろう?

 現代人は、目に見える物質的な物を手にしすぎて、逆に豊かさを失ってしまった。

 富や名声、権力。そんなものは、目の前のほんのちっぽけなものに、私たちは振り回されて生きている。

 私たちは、何も持たずに、この世に生まれてきた。そして、この世を去るときも、何一つ持っては帰れない。だから、今、目の前にある物、手にしている物が、豊かさのバロメーターではないのだ。それが、自分自身の価値ではないはずなのだ。

 自分の価値。生きる意味。

 宇宙の存在、星々にすべて意味があるとしたら、地球上に住む私たち個々にも、必ず生きる意味がある。

 宇宙の大きさからみれば、微力で単なる点でしかないかもしれないけれど、どんな生き方をしていようとも、必ず意味がある。

 「使命」とでもいうか、損得抜きでやりたいと思うこと。やり抜いて、絶対にやり遂げなければと思う事。

誰かにとって意味があることではなく、自分にとって意味あること。自分だけの価値。それを見つけるために、人は生きている。自然の摂理の一つとして。

星に興味のない私が、なぜか知ることになったこの星の発見のニュース。

それも、「何? それがどうした?」って言う人もいるかもしれない。その人には、それだけの存在価値でしかない。それだけの価値だという必然的な影響力なのだ。

しかし、発見した研究者たちにとっては、ものすごい意味のあることに違いないし、それを聞いた私も、こうして様々なことを考えるということは、考えさせられただけの影響を受けている。

 そして、宇宙の摂理は全部同じに働いている。

その人生において、ある時、出会った人と、いや、人だけではなく、目にした風景、書物や絵。存在するすべてものと、出会った時から、影響与え合いながら生きている。

いや、直接的に出会わなくても、知らず知らずのうちにでも、何らかの影響は与え合っているのかもしれない。

誰かが作った音楽を聴いて、人生が変わるくらいの決断をするかもしれないし、そう、

その音楽に出会うということは、何か目に見えない波動、引力できっと引き合っているからだ。

 それは、自分の向かう方向性によって、決して偶然ではなく、必然的に出会い、引き合うのだと思う。その出会いの確率を考えると、やっぱり未知なる星を発見したのと同じくらい、すばらしいことなのではないだろうか。

 なんて、感動的で、そして、いとおしいことなのだろう。

 宇宙に散りばめられた、計り知れないほどある、たくさんの宝石たち。まだ、誰も気づいていない、発見されていない物の方が多いだろう。

その偉大なる宇宙の宝石箱の中に、私たちもまた、存在している。

 宇宙は、果てしなく未知数で、神秘的だ。そして、それは、私たち自身の存在もまた、同じであるということだ。

 私の中にも、自分自身気づいていない未知の世界がたくさんあるのだ。それに、目を向けないで、限界の壁を自分の手で築いているだけなのだ。もっと、何かできる。もっと、違うキラキラした自分があるはずなのに。

 宇宙の偉大さに目を向けるとき、それは、自分の存在の偉大さも知るということ。それを知るための、自分探しの「人生の旅路」

 私の中の魂が、コロコロと音を立てて笑うような、そんな生き方がしたい! 切に思う。

 今、こうしている間も、世界の至る所に、宇宙空間に電波を放ち、返信してくる星を何年も待ち続けていたり、宇宙望遠鏡をじっとのぞき込んだり、または、ロケットの打ち上げのために、新たなる発見を信じて働いている研究者たちがいる。

 たぶん、彼らにとっては、それが自分探しでもあるのだ。

その発見を喜びとするのは、何も宇宙の研究者や、科学者や…特別な人々だけではないはず。

そうだ、「人間は、小宇宙だ」と言った人

もいた。自分の中の宇宙を考えた時、豊かになれるよと。

「宇宙は私、私は宇宙」

私は何度も口にして言ってみた。不思議と、平和で安らかな気持ちになれたのを覚えている。

人は誰しも、未知なるものを発見する喜び

を期待しながら生きているのではないだろうか? 本当はもっと、わくわくしながら、楽しく生きていたい、その叫びは誰の心の中にもあるのではないだろうか。

 今、ほんの小さなダイヤモンドの指輪を眺めてにやにやしていることより、宇宙の果てのとてつもない大きなダイヤモンドのことを考えている方が、わけもなくうれしくなって、わくわくしている自分がここにある。

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