第三章 神の子 イエス
★イエスの言葉
国なき民の中に言葉知る者あり
魚の時とともに身を清め、心の剣もて戦う
偉大なるトライン(三角)の知恵、十階の道を開いて広がり
ふたつの大いなる時代を支配する
エメラルドタブレット
今までの説をもう一度、まとめてみよう。
西暦1999年、宇宙ステ−ションにわずかな人々を残し、人類と地球は滅んでしまった。それは宇宙ステ−ションに脱出した人々が地球を独占しようと核戦争を起こしたからであった。
彼らの子孫はタイムマシ−ンを完成して過去に帰り地球を乗っ取り、その住民である我々を奴隷にしてしまった。しかしこれではかわいそうだと我々を飛び越しさらに過去に戻り預言を残し我々と協力し、悪い未来人、悪魔的未来人追い出し地球を奪回しようと訴えている未来人のグル−プがいるのだ。
では、これらのことをイエスは、どう言っているのであろうか。
前に解説した部分も含めてもう一度イエスが何を言いたいのか考えてほしい。
しかし、その時に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つのをやめ、
星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
聖書 マタイによる福音書 24章
宇宙に脱出した人々が核戦争を起こしてしまったので、天体、地球には、大地震が起き、あげくのはてにはポ−ルシフトで地軸までずれてしまう。これをイエスは、天体は揺り動かされると表現したのだ。
ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでも言おうか。
黄泉にまで落とされるであろう。
おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、
その町は今日までも残っていたであろう。
しかし、あなたがたに言う。
さばきの日には、ソドムの地の方がおまえより耐えやすいであろう。
聖書 マタイによる福音書 11章
ポ−ルシフトの後、極地方の氷が解け水が陸地を覆い、その後の核の冬で地球は死の惑星と化してしまった。そのおかげで、宇宙に脱出した人々は宇宙に閉じ込められてしまった。
宇宙ステ−ションは天、宇宙にあげられ、そして黄泉、暗黒の宇宙に閉じ込められたのである。
汚れた霊が人から出ると、休み場所を求めて水のない所を歩きまわるが、見つからない。
そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出ていって、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。
そうすると、その人ののちの状態は初めの状態よりももっと悪くなるのである。
よこしまな今の時代も、このようになる。
聖書 マタイによる福音書 12章
地球が回復不可能と知ると彼らは理想郷を求めて宇宙をさ迷う。不毛の宇宙、不毛の砂漠をさ迷ったが、そんな物はどこにもなかった。そして彼らの子孫はタイムマ−ンを完成し元の家、地球に帰って来たのだ。そして地球はすばらしい惑星だったので、自分の仲間を連れてきて地球を征服してしまったのだ。
悪魔に支配され永遠の奴隷にされるくらいなら、核戦争で一思いに殺された方がましであった。それほど悪魔的未来人の地球人に対する仕打ちはひどかったのであろう。
天使的未来人がタイムマシ−ンを完成し地球に帰還した時には時すでにおそし、地球は悪魔的未来人の手に落ち、地球人は奴隷にされてしまっていた。次はペテロの死に方をイエスが預言したものであるが、その本当の意味も分かってくる。
よくよくあなたに言っておく。あなたが若い時には、自分で帯をしめて、
思いのままに歩きまわっていた。
しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。
そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。
聖書
ヨハネによる福音書 21章
悪魔的未来人は地球人をしばりつけて奴隷にして、行きたくない所に連れて行くのである。
何といっても地球人は我々の祖先であるその仕打ちはひどすぎる。地球人を助けたい、それに地球も取り返したい。その理由をイエスはこうのべている。
イエスはその人にいわれた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。
しかし、人の子には枕する所がない」。
聖書 マタイによる福音書 8章
なぜなら、人の子、人の子供のような姿の未来人、人間の子孫である未来人には、枕する所がなかったからだ。そう、住む所がなかったからだ。ただし、まったく住む所がないというわけではない。彼らの本拠の惑星は地球ほどすばらしい場所ではなかったのである。それに過去の人々も哀れである、ほっておいても滅びてしまう病人のような過去の人々でも奴隷にするのはひどすぎる。
イエスはこれを聞いて言われた、
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人ではなく、罪人を招くためである」。
聖書
ルカによる福音書 2章
だから過去の地球人の病気を治し、不要人類抹殺計画を実行した罪人の子孫である天使的未来人を地球に招き地上天国を造る計画を立てた。悪魔的未来人から地球を取り返し、過去の我々も救う計画を立てたのだ。天使的未来人が地球を悪魔的未来人から取り返し、過去の人々も同時に救う方法がある。それは、すべてを正直に告白し過去の人々の協力を仰ぐことだ。天使には悪魔と同等の兵器がある。地球人と天使的未来人が協力すれば、たった二億の悪魔的未来人など恐るるに足らない、こちらは60億の人間がいるのだから。地球人と天使が連合すれば、悪魔は戦わずして去って行くだろう。
しかしそう簡単に過去の人々は彼らの言うことを理解しなかった。いや、理解できようはずがなかったのだ。そこで彼らは種をまくことにした。
あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、
どうしてすべての譬がわかるだろう。
種まきは御ことばをまくのである。
聖書 マルコによる福音書 4章
彼らは我々を飛び越し過去にさかのぼり、種をまいたのである。言葉をまいたのである。預言の言葉をまいたのである。時がきたら一粒の種から大いなる収穫があるよういのりながら。
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。道ばたに落ちた種があった。
すると鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。
そこは土が深くないので、すぐに芽を出したが、日が上ると焼けて、
根がないために枯れてしまった。
他の種はいばらの地に落ちた。
すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳ある者は聞くがよい。」
聖書 マタイによる福音書 13章
また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
それは一粒のからし種のようなものである。
地にまかれる時は、地上のどんな種よりも小さいが、
まかれると、成長してどんな野菜より大きくなり、大きな枝を張り、
その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
聖書 マルコによる福音書 30章
種が育って多きな木になるように、預言の言葉が育ってその真意を過去の人々が悟って理解し空の鳥(UFO)の人々を地球人が受け入れてくれることを願って、預言の言葉が種としてまかれたのである。預言はすべて比喩で語られた。なぜなら、彼らの正体はある程度科学が進んだ時代にならないと分からないからである。少なくとも、スペ−スシャトル計画、宇宙ステ−ション計画、SDI計画が出そろわないと彼らの正体は分からないのだから。
わたしは、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、今はあなたがたはそれに堪えられない。けれど真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。
それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるであろう。
聖書 ヨハネによる福音書 16章
今から二千年も前の人間にそんなことを言ってどうする、とてもそんなことを言っても理解はできない。今はそれに堪えられないのだ。現代人ですらほとんど理解できない現状なのに。
けれど、真理の御霊が来る時、イエスが再臨する時、我々は真理に導かれるのだ
それは自分から真理を語るのではなく、その聞くところを語る、すなわち、イエスのものを受けてその真意を我々に知らせるのである。預言が解読されるのである。
わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
聖書 ヨハネによる福音書 16章
そして預言の封印が解かれる日がきた。1985年預言の封印は解かれた、しかるべき日しかるべき男によって。人間にはこの預言の封印は解けない。解いたのは天使たちが用意した預言の解読者である。天使は預言を用意しその解答まで教えた。そこには1999年の核戦争、悪魔の地球来襲、天使の人類救済プログラムが書かれていたのだ。
しかし人類はこれに耳を傾けさえしなかった。
耳のある者は聞くがよい。
今の時代を何に比べようか。
それは子供たちが広場にすわって、他の子供たちに呼びかけ、
「わたしたちが、笛を吹いたのに、
あなたたちは踊ってくれなかった。
弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった」
と言うのににている。
聖書 マタイによる福音書 11章
これは、広場、広い宇宙に座っている子供たちが、地球の子供たちに呼びかけているのだ。
それは子供たちが広場にすわって、他の子供たちに呼びかけ、
「わたしたちが、笛を吹いたのに、
あなたたちは踊ってくれなかった。
弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった」と、、、、、、、
宇宙にいる子供たちは必死になって訴えているのだ、
「僕たちの存在に気づいてよ。いっしょになって地球を悪魔の手から奪い返そうよ。
僕たちは君たちの敵ではないよ。同じ地球出身の人間だよ」
だからイエスは言う。
それから言われた、「よく言っておく、預言者は、自分の故郷では歓迎されないものである。」
聖書 ルカによる福音書 4章
しかし人間は理解できない。だだ彼らは自分達を仲間として受け入れて欲しいだけである。
こんな簡単なことがなぜできないのだろうか。
実はイエス・キリストを受け入れることは、単にイエスを受け入れるということではないのである。
幼子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのを止めてはならない。
天国はこのような者の国である。
聖書 マタイによる福音書 19章
イエスの言う通り、天国、天にある国、他の天体にある天使の惑星は幼子のような者、人の子供のような国である。
わたしを受け入れる者は、わたしをおつかわしになったかたを受け入れるのである。
預言者の名ゆえに預言者を受け入れる者は、預言者の報いを受け、義人の名ゆえに義人を受け入れる者は、義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名ゆえに、この小さい者の一人に冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。
聖書 マタイによる福音書 10章
イエスは言っているではないか。イエスを派遣した者を受け入れるのである。そう、イエスを派遣した者とは、この小さい者なのである。イエスは天使によって、その時代に派遣された特殊工作員だったのである。
いくら過去に戻って預言を残しても過去の人々は気づかない。地球の人々は気づかず悪魔の奴隷となり自滅してしまう。こいつらは人間じゃない、単なる獣、犬や豚といっしょだ。
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
恐らく彼らはそれを足で踏みつけ、向きなおってあなたにかみつくであろう。
聖書 マタイによる福音書 7章
これはまさに今の状況なのだ人類が救われるべき方法を教えてあげたのに、この犬や豚どもは、「そんなことあるものか」と言って天使の提案を踏みにじり噛み付いてくるのだ。
この光景を私は、ノストラダムスのスペシャル番組で目の当たりにした。
そんな豚どもはどうなってしまうのであろうか。
悪霊どもはイエスに願って言った、
「もしわたしどもを追い出されるなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。
そこで、イエスは「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中にはいり込んだ。
すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。
聖書 マタイによる福音書 9章
悪魔に取り付かれて自滅してしまうのである、水の中で。水とは水がめ座の時代を象徴しているようである。21世紀、魚座の時代が終わり水がめ座の時代(アクエリアスエイジ)に突入した。豚のような地球人は、水がめ座の時代、21世紀に悪魔に取り付かれて自滅してしまうのである。
そんな豚のような人間になって欲しくないからこそユダヤ教やイスラム教では豚を食べることが禁止されていたのだ。
また、別の言い方をすれば。
イエスは答えて言われた、
「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。
良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦と言うのは悪い者たちである。
それをまいた敵は悪魔である。
収穫とはこの世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
聖書 マタイによる福音書13章
イエスは天国の種とも言うべき言葉を、畑、世界にまいた。収穫、世の終わりまでに預言の真意を理解しない毒麦は悪魔によって刈り取られるぞと言っているのだ。
まさに、今は世の終わりなのである。
実はこの種をまいたのはあの陰謀を実行した人々(の子孫)であることが旧約聖書に書かれている。
イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語って、言え。
主なる神がこう言われる、さまざまのいろの羽毛を多く持ち、大きな翼と、長い羽根を持つ大きなわしがレバノンに来て、香柏のこずえにとまり、その若枝の頂を摘み切り、これを商業の地に運び、商人の町に置いた。
また、その地の種をとって、これを肥えた土に植えた。
すなわち、水の多い所に持って行って、柳を植えるようにこれをうえた。
これが成長して、たけ低く、はびこるぶどうの木となり、枝はわしに向かい、根はわしに向かい、根はわしの下にあり、こうしてついにぶどうの木となり、枝を伸ばし、葉を出した。
聖書 エゼキエル書 17章
その種、言葉をまいたのは、あの鷲(の子孫)、あのフリーメーソンの子孫なのであった。
あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
聖書 マタイによる福音書 21章
フリーメーソンとは石工、石屋の組合である。かつて西洋において家造り、大工=石工、石屋であった、と言うのは西洋の建物は石でできていたからである。
かつて宇宙に捨てられた石、フリーメーソンの子孫が帰って来てこの世の隅のかしら石となってこの世の再建に当たるのだ。ちなみに光(アフラマズダ)と闇(アーリマン)の戦いゾロアスター教の最期の審判は、世の終末ではなく、世の立て直しであり、その時アフラマズダが支配する義の王国がこの地上に出現すると言う。
だからキリスト教でもイエスは大工であるヨセフの息子でなければならなかったのである。イエス自身もこの世の立て直しをする大工なのである。
この人は大工ではないか。
マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
聖書 マルコによる福音書 6章
そしてイエスは自分の正体を聖書の最後でも告白している。
わたしイエスは、使いをつかわして、諸教会のために、
これらのことをあなたがたにあかしした。
わたしはダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である。
聖書 ヨハネの黙示録 22章
イエスは「天に昇って地獄に落とされた堕天使ルシファ−、明けの明星の子孫であり、本当の明けの明星、救世主だ」と告白しているのである。なお、ロック〜財閥の創業者と旧約聖書の救世主役であるダビデ王と同じ名であるのは意味深である。
イエスは言葉という地上天国を造るための種を植えつけに未来から派遣されたのだ。
そして彼の名ゆえに天使的未来人を受け入れるための思想的背景を造りに来たのだ。
♪もろびとこぞりて♪
もろびとこぞりて
むかえまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり
主は来ませり
主は主は来ませり♪
★イエスの奇跡
イエスは天使的未来人によって地球に派遣された特殊工作員であることはわかった。
彼は多くの預言の言葉を残すとともに、多くの奇跡も行っている。彼の奇跡は多くの人々の心をとらえ彼こそ神、神の子だと思わせた。そして今も多くのキリスト教徒の心をとらえている。それは宗教を造る上で絶対必要だった。なぜなら神とは人の力を超えたものにあたえられる称号だからである。しかしそれだけだろうか。聖書を読んでいるとどうもそれだけではなさそうである。
すると、激しい突風が起こり、波が舟の中に打ち込んできて、
舟に満ちそうになった。ところがイエス自身は、舳のほうでまくらをして眠っておられた。
そこで、弟子たちはイエスをおこして、
「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、
「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
聖書 マルコによる福音書 4章
これは、イエスが嵐をしずめたという奇跡であるが、どこが預言になっているのであろうか。舟、嵐とはなにを意味するのであろうか。その答えは、旧約聖書にあった。
舟で海にくだり、大海で商売する者は、
主のみわざを見、
また深いところのくすしきみわざを見た。
主が命じられると暴風が起こって、海の波をあげた。
彼らは天にのぼり、淵にくだり、
悩みによってその勇気は溶け去り、
酔った人のようによろめき、
よろめいて途方にくれる。
彼らはその悩みのうちに主によばわれたので、
主は彼らをその悩みから救い出された。
主があらしを静められると、
海の波は穏やかになった。
聖書 詩編 107章
あの不要人類抹殺計画を実行した人々は宇宙船スペースシャトルで天にのぼり、宇宙の淵に下っていった。そして地球がポールシフトでよろめいたことにより、その勇気は溶け去り途方にくれた。厳しい状態、嵐に見まわれたのだ。
戦いのまえに壁が落ち
偉大な人が死に あまりにも突然で嘆き悲しむだろう
不完全な船なのでほとんどを泳ぎ
川の近くで地は血に染められるだろう
諸世紀2−57
「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳
地球の城壁、防衛網など、戦いをする前からすでに落ちていたのだ
偉大な人、地球が死に あまりにも突然で嘆き悲しんだ
不完全な舟なのでほとんどを泳ぎ
川、地球と宇宙の境界線の近くからの攻撃で地上は血に染まった
スペースシャトルは、宇宙を旅するにはあまりに不完全な舟であった。しかし彼らはとうとう開発したのだ、UFOを、時空を超えて宇宙の海を自由に航行できる舟を。
夕方になったとき、弟子たちは海べに下り、船に乗って海を渡り、
向こう岸のカペナウムに行きかけた。
すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。
その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。
四、五丁こぎ出したとき、イエスが海の上をあるいて舟に近づいてこられるのを見て、
彼らは恐れた。
聖書 ヨハネによる福音書 6章
彼らは宇宙の海を自由自在に歩けるのである。ここでイエスが海の上を歩いたという奇跡の意味も分かって来る。
イエスが海の上を歩いたという奇跡は、彼らが宇宙の海を自由自在に航行できることを意味していたのである。
これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、
イエスを拝して言った、
「わたしの娘がただ今死にました。
しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。
そうしたら、娘は生き返るでしょう。
そこで、イエスが立ちあがって行かれると、弟子たちも一緒に行った。
中略
しかし、群集を外へ出したのち、
イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、
少女は起きあがった。
聖書 マタイによる福音書 9章
これはイエスが死んだ娘を蘇らせたという奇跡である。しかしこれも奇跡の形を借りた預言、告白と言った物なのだ。前に哀歌の所で出てきた娘を思い出して欲しい。
わが民の娘の滅びる時には情け深い女たちさえも、手ずから自分の子どもを煮て、それを食物とした。
主はその憤りをことごとく漏らし、激しい怒りをそそぎ、シオンに火を燃やして、その礎までも焼き払われた。
聖書 哀歌 4章
わたしの目は夜も昼も絶えず涙を流す。
わが民の娘であるおとめが大きな傷と重い打撃によって滅ぼされたからだ。
聖書 エレミヤ書 14章
娘とは地球の譬えである。元の歴史で愚かな行為によって、娘は、地球は火で焼かれ死んでしまった、ところが悪魔が陰謀を阻止したおかげで死ななくてもすんだのだ。地球は、娘は生き返ったのである。これは地球復活の預言であった。ちなみにイエスが許した淫婦(マグダラのマリア)とは黙示録の大バビロンの大淫婦、すなわち悪魔に浮気した地球、悪魔に乗っ取られてしまった地球のことである。
さて彼らが群集のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。
何度も何度も火や水の中に倒れるのです。
それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
イエスは答えて言われた。
「ああ、なんという不信仰な、曲がった時代であろう。
いつまでわたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢できようか。
その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
イエスがおしかりになると、悪魔はその子から出て行った。
そして子はその時いやされた。
聖書 マタイによる福音書 17章
イエスが奇跡を起こしててんかんの少年をすくったという話である。しかしそれだけであろうか。火、水、悪魔という順番を見て欲しい。
かつて地球は陰謀により核の炎で焼かれたのではないであろうか。その後のポ−ルシフトで水が地球を覆ってしまったのではなかったのか。地球は死に、その子孫である悪魔が、悪魔的未来人が戻ってきて、地球を乗っ取ってしまったのではなかったのか。悪魔に取り付かれたのである。それを解放にイエスは来たのだ、地球から悪魔を追い払い地球を取り返すために。
このようにイエスの起こした奇跡は単に神の力を誇示するためのものではない。これも預言になっているのだ。
そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、
「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。
すると彼らの目が開かれた。
聖書 マタイによる福音書 9章
盲人の目を開くといった奇跡もよく考えると、事実を知らない過去の人々に真実を見えるようにするという意味ではないであろうか。我々は1999年の核戦争も、そして悪魔的未来人の地球侵略も知らなかったのだ。見えないのである。我々は盲人だったのだ。しかしイエスたち天使的未来人の預言で我々盲人の目が見えるようになってくれるように願っているのではないであろうか。
また、裸の恥をさらさないため身に付けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
聖書 ヨハネの黙示録 3章
あなたには見えないだろうか、地球人を介した光と闇の壮絶な戦いが。目を開いて見てください、さもないと、、、
三日目に
ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母はそこにいた。
イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、
「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
中略
イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、
彼らは口のところまでいっぱい入れた。
そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。
すると、彼らは持って行った。
料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたか知らなかったので、
(水をくんだ僕たちはしっていた)花婿を呼んで言った、
「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいものを出すものだ。
それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました。」
聖書
ヨハネによる福音書 2章
これは、婚礼に招かれたイエスが水がめの水をぶどう酒に変えたという奇跡であるが、ぶどう酒とは、水がめを持った人の家で行われた最後の晩餐の時、イエスが私の血であるといったものである。
そして当然、水、水がめとは、21世紀からの水がめ座の時代(アクエリアスエイジ)を意味している。
すなわち、我々の言うことを理解してくれないと花婿(天使)と花嫁(地球)の結婚、婚礼の時、水がめ座の時代、21世紀は悪魔によって血の時代に変わると言っているのだ。
わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。
わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。
あなたは命を選ばなければならない。
聖書 申命記 30章
これらの詩を読む人々
かれらに充分成長した心で考えさせたまえ
神聖をけがすことなからしめたまえ
そして無知な人々を研究にひきよせ
すべての占星術者
おろかもの
異邦の人々をひきよせたまえ
さもないと
その行為は神聖なるものの
おきてにしたがって 災いをくだされよう
諸世紀―おろかな批評家にささげる詩
「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳
置かれたのはなにも呪いだけではない、同時に祝福も置かれたのだ。人間がすなおに彼らの言うことに従えば、天使と地球の結婚を最後まで残しておいた最上のぶどう酒で祝うのだ。地球人には彼らの持つすべてのものが与えられるのだ、魚もパンも。魚は流れを自由に泳ぎ回ることができる生物である。どうも時の流れを自由に泳ぎまわることができるUFOに代表される科学力をさしているらしい。だから原始キリスト教のシンボルは魚なのである。そしてパンとはイエスが最後の晩餐の時、私の体であると言ったものである。永遠の生命を持つイエスの体である、我々の体をイエスと同じ体、老化しない体に変えて永遠の生命を我々に与えると言っているのである。
しかし、わたしたちの国籍は天にある。
そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
彼は、万物をご自身にしたがわせうる力の働きによって、
わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。
聖書 ピリピ人への手紙 3章
ここでイエスが、数個のパンと数匹の魚を数千の群集に分け与えたという奇跡の意味も分かってくる。彼らを受け入れてくれるならば、彼らのUFOに代表される科学力(魚)とイエスと同じ体、永遠の生命(パン)を我々に与えるといった意味だったのだ。
五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、
パンをさいて弟子たちに与えた。
中略
食べた者は、女と子供とを除いて、
おおよそ五千人であった。
聖書 マタイによる福音書 14章
★イエスの十字架の意味
なぜイエスは十字架に架からなければならなかったのであろうか。まず第一にはその時を指定するためである。不要人類抹殺計画が実行された時を、悪魔の地球侵略の時を、そして天使がやって来る時を。キリスト教徒は言う「イエスの十字架は人間が持つ罪、原罪を贖うものだ」と
原罪とはエデンの園を追い出された罪である。ここまで読まれた読者なら御分かりであろう。本当は原罪とは人類が地球を追放になった時の罪なのである。不要人類抹殺計画を実行し、失敗して地球まで破壊して地球を追放になってしまった時の罪である。
わたしが「これはなんですか」と言うと、
彼は「この出てきた物は、エパ枡です」と言い、
「これは全地の罪です」と言った。
そして見よ、鉛のふたを取りあげると、そのエパ枡の中にひとりの女がすわっていた。
すると彼は「これは罪悪である」と言って、その女をエパ枡の中に押し入れ、
鉛の重しを、その枡の口に投げかぶせた。
それからわたしが目をあげて見ていると、ふたりの女が出てきた。
これに、このとおりの翼があり、その翼に風をはらんで、エパ枡を天と地の間に持ち上げた。
聖書 ゼカリヤ書 5章
彼らはエパ枡、宇宙船に閉じ込められて地球を追放になったのだ。これこそ本当の原罪ではないであろうか。
それで、ピラトは群集を満足させようと思って、
バラバを許してやり、イエスをむち打ったのち、
十字架につけるために引きわたした。
聖書 マルコによる福音書 15章
聖書によれば、イエスはバラバという囚人の代りに十字架に架かったと記されている。バラバとはどんな人物か調べてみよう。
ここに暴動を起こし人殺しをしてつながれていた暴徒の中に、バラバという者がいた。
聖書 マルコによる福音書 15章
イエスはこんなやつのために十字架にかかったのか。イエスは暴動を起こして人殺しをしてつながれたやつなんかのために。ちょっと待ってくれ、これはイエス、天使的未来人の祖先のしたことにも当てはまらないだろうか。
イエスはバラバの代りに十字架にかかったのではない。彼は彼らの祖先の代りに十字架にかかったのだ。そしてその罪を償ったのだ、贖ったのである。
そして、復活した後、天に帰って行く、「人の子が天の雲に乗って来るのを見るであろう」と言う謎の言葉を残して。
★イエスとは誰か
また、白い石を与えよう。
この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書かれてある
ヨハネの黙示録 2章
イエスは天使的未来人が過去につかわした特殊工作員であった。では、彼らはどんな方法でイエスを過去に送ったのであろうか。天使的未来人がみずから降りてきたのであろうか。いや、そんなことはしない。彼らは彼らの前世の人間にテレパシ−を送り、彼らが書いたシナリオどおりに行動させたのだ。イエスが奇跡を演じるずっと前に未来人の手により聖書などの預言書は書かれていたのである。それは未来人の英知を結集し何十年、いや何百年もかけて彼らの本拠とする惑星や宇宙船の中で書かれたものだったのだ。そのことは、前世の人間であるナザレのイエスすら知らなかった。ただ、彼は未来人によって操られていただけの当時の人間であった。違いは彼が天使的未来人の前世の人間であるというだけであった。では、彼は天使的未来人の誰の前世であろうか。それは旧約聖書に書かれている。
エジプトの地をエジプト人に多くの災いを与えて去って行ったモ−セ達ユダヤ人、イスラエル人は、シナイの砂漠、荒野をさ迷う。
地球を地上の人々に多くの災いを与えて去って行った陰謀の実行者達は、宇宙という不毛の砂漠をさ迷う。
40年後、エジプトの地を出た人々の世代は死に絶え、ヨシュアを中心にまとまったイスラエル人の子孫は、約束の地、神が彼らに与えると約束した土地、パレスチナ地方(カナン)に入る。
陰謀を実行した世代は死に絶え、イスラエル人、天使的未来人はタイムマシ−ンを完成し約束の地、地球に帰る。40年とは、陰謀を実行した人々が死に絶えたことを示している。だからイエスが荒野で修行した日数も40日だったのだ。
そしてイスラエル人とは、本当はユダヤ人のことではなかったのだ。天使的未来人こそイスラエル人だったのである。イスラエルの意味は「神と戦う者」、あのような陰謀を実行し神に戦いを挑んだルシファーの子孫である天使的未来人こそイスラエル民族だったのだ。
イスラエル人がパレスチナ(カナン)の地に帰ってみると、そこは偶像崇拝をする邪悪な人々に支配されていた。
イスラエル人、天使的未来人が帰ってみると地球は悪魔的未来人に支配されていた。
ここに、ヨシュアを中心とするイスラエル人のパレスチナ(カナン)、地球奪回計画、聖地奪回計画が始まる。このイスラエル人の総指令官ヨシュアのギリシア語読みこそイエ−ススである。
そう、イエスこそ天使軍団最高司令官 ヨシュアだったのだ。イエスは天使軍団最高司令官 ヨシュアの前世の人間だったのである。そしてもう一人、ゼカリア書には、二人の油注がれたる者(ユダヤの言葉でメシア、救世主)に導かれる大祭司ヨシュアなる人物が登場する。
万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前にわたしが置いた石の上に、
すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に、
わたしはみずから文字を彫刻する。
そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。
聖書 ゼカリア書 3章
聖母マリアがイエスたちを生んだ聖なる母なる惑星地球を意味し、また大バビロンの大淫婦も、マグダラのマリアも悪魔に浮気した地球、悪魔に乗っ取られた地球を意味しているように、この大祭司ヨシュアもまた、イエス・キリストを意味しているのであろう。そして黙示録の石の上に記されたイエスの新しい名とは、大祭司ヨシュアであり、天使軍団最高司令官ヨシュアだったのである。
奇跡を起こしたあのナザレのイエスを操っていた本当のイエス、天使軍団最高司令官ヨシュアは今、天、宇宙にいて我々を見守っているのだ。
ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、
手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、
今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。
聖書 ヘブル人への手紙 9章
よいか、あれ(イエス)は、ただの僕(ただの人間)にすぎぬ。
それに恩寵を授けて、イスラエルの子らの鑑としたまで。
もし我らがその気になれば、お前たち(人間)に天使を産ませて、
それを地上の跡継ぎにすることもできる。
コーラン 光りまばゆい部屋かざり
★もう一人の神の子 ノストラダムス
死海文書には、一人の預言者が現れると預言されている。その預言者とは、ノストラダムスのことではないであろうか。また、聖書外典にももう一人の神の子について預言されているのだ。
世界の創造の時より五千五百年たった時に、
地上に神の子が人の形をとって降りてくる。
この神の子がお前の父親にそのオリ−ブ油をぬるだろう。
すると彼は復活し、水と聖霊とによって洗われる。
彼だけでなく、彼の子孫もまた。
ニコデモ福音書
「世界の奇書
総解説」
これは、聖書外典 ニコデモ福音書の中でアダムがその子セツに語らせたものである。
我々の文明の起源は、約6000年前である。聖書の起源もこのころである。天地の創造より5500年となると、今から500年前、西暦1500年ごろとなる。
そして、あのノストラダムスが生まれたのは西暦1503年である。それだけではない、ノストラダムスのスペルを見て欲しい。NOSTRADAMS、、、、、、、、
そのスペルの中にアダム(ADAM)のスペルが織り込まれているではないか。
そう、第二の神の子、死海文書の預言者は、ミカエル・ノストラダムス(ミッシエル・ノストラダムス)だったのである。そしてその正体は、大天使ミカエルであったのだ
ノストラダムス自身もこう言っているではないか。
わたしが、このことを何度もくりかえすのは、霊感や掲示を受け取ったとわたしがいうとき、
そのことでわたしがごく一般の予言者たちの仲間に属すると思われたくないからである。
わたしはそういった類いの者ではなく、わたしの頭から足の先まで神の創造物であると同様に、わたしの精神もまた神に接続しているのである。
諸世紀序文 わが息子セザール・ノストラダムスへの手紙
「ノストラダムスの遺言書」 ダニエル・ルゾー著
流智明 監修
彼もまた500年まえの地球に送り込まれて天使からテレパシ−を受けてその作品を完成したのだ。その作品こそノストラダムスの大預言だったのである。
天使は予言する人間に霊感を与え、この光景によって彼は恐ろしい予言を、つまり神聖なることばを想い描くのである。
諸世紀序文 わが息子セザール・ノストラダムスへの手紙
「ノストラダムスの遺言書」 ダニエル・ルゾー著
流智明 監修
ノストラダムス自身が、天使から霊感、テレパシ−を受けて、預言を書いていたことを告白しているではないか。ノストラダムス自身も自分がなにものであるのかさえ知らなかっただろうが、彼が天使的未来人により操られ預言を作成したことは確かである。ここまで読まれた読者なら彼の預言が聖書とあまりにも一致していることに驚かれたのではないだろうか。ノストラダムスの大預言は、第二の聖書だったのである。このことは、実は諸世紀の序文で何度も述べられているのだ。
これらのことは、私共の後にくる人々によって見られることでありまして、
時は天文的計算により、また聖書と調和しているのであります。
陛下、私はこの談話で、関係のある当事者に対して、すべての時を予言して混乱させているのであります。それは来るべき時のために不明りょうにしてあるからです。
正確に記述するとなれば、私がやっておりますように、天文学と聖書に従って正すことになりましょう。
すべてこれらの姿は、土星、木星、火星などと結合し、聖書の中で天によって意図されたように、私の詩のいくつかに散見されるものであります。
私はそれをいっそう深く考慮し、結合させたいのです。
キリストの記念の時であり、その教会が栄える7000年期のはじめに起こるであろうこれらのことを成就するために、私は天文学的推定と、そのほかの研究によって、できる限りすべての成り立ち、神の選びの日、時を計算し、よく配列したつもりであります。
ですから、知恵の女神が自由に順調であるならば、過去と未来を計算し、現在という時がどういう時点なのかを知ることによって、何の訂正もなく、ここに書かれた通りに物事が発生するだろうことがいえるのであります。
諸世紀序文 アンリ二世への手紙
「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳
だからノストラダムスは、ナポレオンやヒトラ−や、第一次世界大戦、第二次世界大戦のことなど預言していない、そんなことは彼ら天使にとってどうでもいいことなのだ。
ただし、全く当たらない預言では困る。そこで、それらしい詩をぽつりぽつりと入れておいたのだ。
上のアンリ二世への手紙の中でも言っているではないか、「すべての時を予言して混乱させているのであります」と。
彼の預言は、不要人類抹殺計画、悪魔的未来人の地球侵略、天使的未来人の地球奪回計画と人類救済計画以外のものは入っていないのである。
ただしここでは預言の解読は止めておこう、諸世紀は聖書に比べてあまりに難解なのだ。それは聖書以上の情報量を含むからだ。聖書では言えないことを告白しているからだ。また、難解なフランス語で書かれているため、その訳者によっても訳が異なっているというありさまである。これではいくら解説してもキツネにつままれたような気になるからである。
しかし日本語訳でよく分かるものは、聖書と絡めてこの本全体の中で解説するのでそちらをよく読んで欲しい。ただし、あの詩の解説だけはしておこう。あの最も有名な詩の解説だけは。
一九九九年の七の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗り出すであろう
諸世紀10−72
「ノストラダムスの大予言」
五島 勉 著
初めの歴史の場合、空から降りて来る恐怖の大王とは、宇宙からの攻撃であり、
アンゴルモアの大王とは核実験が初めて行われた地、アラモゴルドを指している。
火星、マルスは、軍神だから、これをまとめると。
グランドクロスの1999年、7の月
空、宇宙からの恐怖の攻撃があった
そして、アラモゴルド、核戦争を引き起こした
そのころ、軍備が平和の名のもとに増強された
そして、次の歴史の場合、空から降りて来る恐怖の大王(Roy d'effrayeur)とは、effrayeur(恐怖の)→effracteur(押し込み強盗、盗人)、悪魔的未来人であった。
強盗、盗人が来ると聖書の中でも何度も語られているではないか。
もし盗びとがあなたの所に来、強盗が夜きても、
彼らはほしいだけ盗むではないか。
ああ、あなたは全く滅ぼされてしまう。
聖書 オバデヤ書 1章
未来からの最終警告 第4章に続く 「天子の造った宗教・仏教」
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