縁の花

            (21世紀に咲く智恵の輪)  

               第236号

     プロジェクトX「直島」

                   ∞「プロジェクトX 直島 禿山」∞

 プラットホームの合宿で、直島に行きました。菊は、それまで、直島に関してはまったく知りませんでした。どこにあるかさえ、知らなかったのです。

 でも、プラットホームのご縁で、行く事によって、初めてな直島の事、知りました。少し紹介しますと、直島は、岡山と香川県の間にある島です。岡山県の玉野市からだと、3キロの距離です。船でも、15分もかかりません。でも、所属は、13キロ離れている香川県になります。

 また直島は、大小27の島からなり、香川県の市とは合併せずに、単独で直島町になっています。町民として、3523人の人が暮らしているのです。

 ここに、今回、菊は、プラットホームの合宿で行きましたが、とてもよかったです。時期は、桜の咲いている時期もあって、桜も咲いていました。自然が豊かな島だったのです。でも、それだけでなく、躑躅もたくさん咲いていました。武田家の館、躑躅ヶ崎の館を連想させました。山のあちこちに、躑躅の木を植えていて、ピンクの花が綺麗だったのです。

 しかし、菊は、そんな直島が、つい最近まで、ごみの島といわれていたとはまったく知りませんでした。というのも、直島も、他のところと同じように、農漁業の不振で、廃れていき、1916年、大正5年に、三菱合資会社を受け入れて、(現三菱マテリアル)の中央製錬所が操業開始されると、島の北半分および周囲の島々の木々は煙害でほとんど枯れて禿山となってしまったそうです。

何故なら、銅の製錬の際に出る亜硫酸ガスは、足尾銅山や別子銅山など各地で山の木々をすべて枯らすなど煙害を起こしており、三菱は煙害の心配の少ない離島を探した末の打診だったからです。

でもそのおかげで、一時、直島は、三菱鉱業の企業城下町として一気に発展し、人口増加と豊かな税源、総合病院や映画・芝居等の娯楽など、瀬戸内の離島はおろか香川県内でも有数の豊かな生活が手に入ったそうです。

だけど、それは銅の産業が廃れたら、一気に消滅します。直島も、三菱鉱業の力がなくなると、一気に問題が出てきたそうです。人口は、どんどん減り、町は廃れてしまいました。その時に、森林はなくなり、自然の大切さに気が付いたときには、もう遅かったのです。しかも企業の城下町として、企業も批判することもできなかったそうです。直島は、回復が、不可能な病島になるだけでなく、そこに住んでいる住民の心もすさんでいたのです。

 

                       ∞「プロジェクトX 直島 文化の島 」∞

しかし、そんな島を何とかしようとして、1990年代から、三宅親連町長を中心とした一部の人が立ち上がって、直島のプロジェクトXが始まったそうです。それで、直島は、その名前の通り、見事に直島になりました。

インターネットで調べたら、「この島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連(故人)と福武書店(現・ベネッセコーポレーション)の創業者・福武哲彦(故人)との間で意見が一致し、その後急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎(現会長)が1987年に一帯の土地を購入し、1989年に研修所・キャンプ場を安藤忠雄のマスタープランでオープン」ということですが、プラットホームの人から聞いた話だと、建築家の安藤忠雄も、三宅親連町長の頼みで、直島に最初に来た時には、絶望したそうです。

直島は、それほど、自然をなくしていた、木がない、禿山になっていたのです。だけど、諦めずに、地道な活動を続け、それは、1992年には、1992年ホテル・美術館建設などへと拡大して、近年、地中美術館を建てた事で、一気に花が咲いたそうです。

今や、島全体を使った現代美術展(スタンダード展)、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し現代美術のインスタレーションの恒久展示場とする家プロジェクト(正確には古民家の再生は2件、ほか1件は新築で残る1件は老朽化した神社の再生)などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築には国内外からの注目も集まるようになったというからすごいです。

日本国内より、外国の方で、有名で、多くの外人も着ています。実際に、菊も、多くの外人を島で見ましたし、観光のバスが、何台も、地中美術館に来ているのは驚いたのです。

本当にすばらしいと思います。直島は、見事に観光で潤っている、文化の島になっているのです。その上に、菊が、感動したのは、直島には、大手の企業、マクドナルドなどは、まったく入ってないということです。食べ物も、島の住民の人が、うどん屋とか、おいしいカレーなどをしています。

正直言えば、食べ物屋が少ないとか、料理が遅い、家プロジェクトの案内役をしている人の応対が固いとか、成功したことで、少しいい気になっている面もありますが、それでも、大手の企業が入っていないことは、すばらしいと思います。島全体、町という行政、島の住民、ベネッセコーポレーションという企業が、共生で、島を守り、豊かにしていることが良く分かったのです。しかも、三菱マテリアルも、協力して、今は、環境に悪いことはしていません。直島の自然、森林は蘇ったのです。

これは、インターネットの情報では、アーティストの宮島達男は家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のディジタル・カウンターの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭したと書いているので、そういった地道な努力が大きいとは思いますが、まさしくプロジェクトXの世界だと思います。是非、ご縁があれば、そんなな直島に皆さんも、一度は行かれた
らいいと思います。




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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html