縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

          237号

    障害者・介助者について

「長年の同志の方とのご縁

 2007年4月26日、菊は、chibatuさんと、東大阪に住んでいる、長年の同志のある女性の見舞いに行ってきました。
 その方は、2年前に、突然倒れて、それからずっと、外に出ることはできなくなりました。幸い、帰宅したご主人の発見が早くて、緊急に手術したことで、命は取り留めましたが、言葉と歩くのが不自由になっています。

 菊が、その方とご縁を持ったのは、高度情報科学を学び、活動していた頃です。今から、もう12、13年前になると思います。元気な、その方をよく知っています。着物の着方を教えることで、テレビに出たこともあります。とても活発で、素質サプリメントでは、N2の性格、先端型です。服装などのおしゃれのセンスがよく、服装の事で、いろいろアドバイスというか、しかられたことも多かったです。

 そんな方が、自由に動けない姿を見ることは、残念です。長年の同志、供に、平成の志士として智恵の場を作っていこうと思っていた同志だけに、早く元気になって欲しいです。後、2、3年で、長年夢見た高度情報社会が始まります。今まで、chibatuさんの元で、パートナーとして、苦労を供にした方なので、その時までには、少しでも元気になって、智閥、智恵の場の誕生を見届けて欲しいと願っているのです。

 また、その為に、chibatuさんは、そんな同志の方とのご縁を大切にしています。1年前、同志の方が、やっと退院して、自宅に戻ったら、安い定額制のウィリコムの携帯電話を渡して、毎日、電話したり、電話させたりしています。それでご縁をつなげています。

 しかも、福岡から2ヶ月に一度は、わざわざ用事を作って大阪まで来ると、新大阪駅から1時間半もかけて、見舞いに行っています。今、携帯の素質サプリメントのサイトの作成や、智閥の活動をしている、超忙しいchibatuさんとしては、一日をすべて、一見何もしないことに費やすことがどれだけ大変か、菊にも分かりますが、chibatuさんは、ずっと続けています。

 長年の苦労を供にした同志の方に、希望、目的、やる気を与える為です。今回は、同志の方に、あいうえお・・・・アイウエオなどを、ノートに書くように言っていて、それを確認しながら、今度は、あならあで思い浮かぶ感じ、亜、阿、などを書くように勧めていました。少しでも、脳の回路が繋がることを願っているのです。

 それを時々、同志の人を、励ましながら、困らせながら、するから、見ていたら、本当にほほえましいです。今回も、前日に泊まって頂いた、菊の家から行く時も、朝の7時頃、電話して、今起きた、用意して、10時頃、出発するといって、同志の人を困らせるのです。本当は5時におきて、7時には出発しました。

 菊は、そんなchibatuさんが、大好きですし、とても尊敬しています。菊自身も、今、夜の7時から9時頃に帰宅した時は、同志の方にお電話させて頂いていますが、これもchibatuさんから学んだことです。大いにそれを楽しんでいるのです。

 何故なら、正直、実家の両親、母親には、とても、こんな電話はできません。電話したら、元気な母親から、何を言われるか、たぶん、皆さんなら分かって頂けると思います。
 でも、同志の方なら大丈夫です。今日は、給料が出たので、贅沢して、おいしい中華料理食べてしまったということだけでも、喜んでくれます。今や、菊の、智閥のおかあさんになってくれています。菊自身も、それで楽しんでいるし、癒して頂いているのです。

 だから、それは菊が、唯一、福祉関係、介護でさせて頂いている活動です。天から与えて頂いたお役です。本当に感謝しています。素人で、何の看護の勉強していない人でも、やれることがあること、体験で学ばせていただきました。

 是非、皆さんも、ご縁のある人で、同志の人と同じように、話し相手が必要が必要な人がいたら、電話でいいので行動してみて下さい。最初は、苦手だと思っていた人でも、もうすでに関係が激変しています。菊自身も、同志の方との関係がそうでした。たぶん、こんなご縁は、元気な時には、絶対にできない関係です。どちらかといったら、苦手で、いつも怒られているので避けていたところもあったのです。

 ですから、もし、それが、前世、何か、対立している関係だったのなら、今、そのカルマが解消させていただいているのかもしれません。そんな事は思いたくないですが、何事も前向きに考えて、感謝することは大切だと思います。是非、皆さんの身近で、お電話だけでも喜んでくれる人がいたらしてあげて下さいね。うまくいくこと願っています。

     ご紹介 童話作家 田中正洋さん

 chibatuさんと、同志のお見舞い、夕方の5時頃までいましたが、その後、菊とchibatuさんは、バス停で別れました。菊は、それからの予定があったからです。福岡に帰るchibatuさんと、そこで別れたのです。

 それが、今から紹介する、田中正洋さんとのご縁です。というのも、菊が、田中正洋さんを知ったのは、「初めまして。いきなりのメールすみません。掲示板見ました。障害者の介助をお願いできませんか。有償ボランティアです。
とりあえず一度お話させて頂けませんか。よろしくお願いします。というメールを、3月11日に頂いた時から始まります。

 しかし、この時には、よく分かりませんでした。まったく心当たりがなかったからです。でも、田中正洋さんのホームページ、「ジャングルボックス」 http://www.tajimano.net/ というものも見て、田中正洋さんが、身体障害者の人で、まじめにメール頂いた方だと信じることにしました。昔、福祉関係の掲示板に書き込んでいたことを忘れていたのです。

 しかも田中正洋さんは、障害を持っていっても、それに負けずに、自立しようとして、童話、「絵本サバンナ列車」などの作品を書いて、2006/10/28日本児童文芸家協会授賞まで貰っているすばらしい魂を持っている人だと知りました。ご縁を持ちたいと思ったのです。

 だから菊は、田中正洋さんに、ご返事しました。ちゃんと、縁の花のHPも紹介して、自分の身分も名乗ったのです。また、そんな中で、田中正洋さんと、何回かメール交換して、田中正洋さんが、障害者の立場で、看護をしてくれる人を、大きな視点で、募集しているお役をしていることを理解しました。

 少しメールの内容を、ご紹介しますと「実のところ、僕は今、生活を支援してくれる有償介助者を探しています。僕は二十四時間介助者をつけて一人暮らしをしています。自立生活センターはご存じでしょうか。サイトhttp://www.cilmsa.com/ http://www.j-il.jp/を見ればわかると思うのですが、自立生活センターを通して、障害者と介助者が個人契約を交わして、その対価を行政が支払います。有償介助者をアテンダントと呼びます。アテンダントは資格は必要ありません。アルバイト的にやってる人もいます。自分の好きな時間やペースでできます。内容は食事介助、家事の介助、トイレの介助、お風呂の介助、外出をするときの介助等、その人に必要な介助です。・・・・・」などです。
  
 しかし、菊自身、残念ながら、介助のお役はできそうもないので、お断りしました。場所が、西宮と、菊が住んでいる泉大津市では、電車で、2時間と距離が離れていますし、何よりも、菊自身、新しくプラットホーム空3の駅長のお役をさせて頂くので、時間がありません。今まで、有償介助者というお仕事があることさえ知らなかったので、教えて頂けた事には感謝しましたが、正直にできそうもないとお断りしたのです。

 だけど、菊には、縁の花HPがありますし、多くの縁の花村の村人さんがいます。その人達に、田中正洋さんのホームページ「ジャングルボックス」や、自立生活センターのホームページに、リンクさせて頂くことで、皆さんにご紹介させて頂くことはできます。
 それをさせて頂くとお約束していたのです。でも、忙しくて、なかなかできませんでした。今からさせて頂きます。よかったら、皆さんも、見てくださいね。お願いします。
  縁の花リンクコーナー
http://www.geocities.jp/ennohana/en7rinkukona.htm

 

田中正洋さんとのお話

 昨日の夜 7時半頃、chibatuさんと別れた後、西宮の田中正洋さんの自宅に行かせて頂きました。何回かのメール交換で、有償介助者のお役は、残念ながら、お断りしましたが、友達になって下さいといって頂き、喜んで、菊も友人の一人にさせて頂きました。

 その友人の田中正洋さんから、急な話で申し訳ないですが、今週の木曜日の夜か、金曜日の昼の2時に、会えませんかというメール頂き、同志の人のお見舞いの後、行かせていただく事にしたのです。

 そんな田中正洋さんは、あるマンションに一人で住んでいました。そこで、菊は、少しいかつい男性の介助の人と3人で、初めて、田中正洋さんと会ったのです。

 でもその時に、菊は驚いてしまいました。田中正洋さんのメールでは、「人工呼吸器を使っていますが、体調は悪いわけではなくて、普通のことなので驚かないでくださいね。」と書いていましたが、田中正洋さんは、ベッドに、人工呼吸器をつけたまま寝ていました。車椅子での移動も可能だそうですが、普段は、ベッドの生活していたのです。

 しかし、田中正洋さんは、そんな障害者なのに、本当にすばらしい魂でした。32歳と、菊よりも、10歳も年下なのに、とてもしっかりしていました。少なくても、障害者の人の中には、わがままな人もいると聞いていましたが、田中正洋さんは、まったく違いました。菊は、田中正洋さんと、話をして、その事はよく分かったのです。

 だけど、田中正洋さんが、人工呼吸器をつけながら、有償介助者の説明してくれても、菊は、有償介助者としてのお役をすることはできませんでした。やはり遠すぎるのです。田中正洋さんも、そんな菊の言葉を、「友達になってくれるだけでも嬉しいです」と心良く受け入れてくれたのです。

 だから菊自身、田中正洋さんと話をして、田中正洋さんの活動を、縁の花で心から、少しでも支縁させて頂きたいと思いました。縁の花のHPで、リンクさせて頂いても、どれぐらいの人が見てくれるかは分かりませんが、菊なりに与えられたことは、精一杯したいと思ったのです。

 それで、少しは話の内容を紹介すると、田中正洋さんが、言っている有償介助者は、行政を通して、介助の人と、介助する人が契約することでなっているそうです。それを仲介するのがNPOで、他の市は知りませんが、西宮市には、自立生活センター「メインストリーム教会」というところがあるのです。それに、どうやら、つい最近できた、自立支援法の存在が大きく影響しているみたいです。

 また、ここでは、介助者として、田中正洋さんのお世話をしている人に聞いた話だと、西宮市で、「メインストリーム」で、介護のサービスを利用している人は、80人で、介助者として登録している人も80人ですが、結構辞める人が多いそうです。

 菊自身も、ご縁のある人で、介護の仕事をしている人が、何人かいるので、聞いた限りでは、今、行政の財政難もあって、サービスの質が落ちていて、それが、介助者が辞める原因にもなっているみたいですし、障害者の人達を苦しめているのです。

 また実際に、田中正洋を介助している人の話だと、田中正洋さんのように、人工呼吸機が必要な人でも、行政からは、24時間のサービスは受けられず、月で、580時間までです。一月が31日で、1日、18、7時間、30日で、19、3時間のサービスを受けられず、後は、自己負担になるというのです。
 
 これには、まったく福祉の現状にに関しては、菊は知らなかったので、考えさせられたのです。でも、行政に文句ばかり言っていても仕方ありません。菊は、そんな行政に不満を言うよりも、自分なりに、少しでも、有償介助者を増やそうとしている田中正洋の活動すばらしいと思います。これは、簡単なようで、なかなかできないことだと思うのです。

 それに、菊自身、無償のボランティアではなく、有償で、障害者のお世話をする人が、増えることは大賛成です。それでないと、とても介助のお仕事は、ずっと続けられないと思います。ですからそんなNPOの自立生活センターが、全国の各地にできたらいいなあと思います。そんなことを、田中正洋さんと話しながら思ったのです。

 

マイミク まちゃひろさんとのご縁

しかし、田中正洋さんが、訴えたいことは、障害者の立場から、有償介助者の事を伝えて、なってくれる人を一人でも集めることだけではありません。それよりも、田中正洋さんの伝えたい思いは、6歳から進行性筋ジストロフィーを発症して、今や、ずっと呼吸呼吸器を使っての生活で、本来ならとても自立できないはずの田中正洋さんが、多くの介助者の人や、行政の手を借りながらも、見事に、2006年10月から、自立していることだと思います。
 
だって自立とは、今までずっと両親の元で世話になっていた田中正洋さんが、親元を離れて、一人で、生活することだと考えたら、田中正洋さんは、見事に自立しています。介助者に助けて貰っているとはいえ、一人で生活して、ちゃんと介助者に、お金を払うことで、サービスを受けているのですから、自立しているのです。

菊は、その事は、よく考えたら本当にすごいと思います。少なくても、両親や、身内に、負担をまったくかけていないのです。なかなか誰でもできないことだと思うのです。しかも、田中正洋さんは、童話作家としてプロを目指しています。絵本「サバンナ列車」を、誕生させ、日本児童文芸家協会授賞という立派な賞も貰っています。

だから、そんな田中正洋さんの姿は、障害者を持つ人から見たら、大きな励みとなると思います。自立している田中正洋さんが、存在し、自ら、堂々と、ネットを通して、自分の姿を公開するたけで、どれだけ多くの障害者の人の励みになっているかと考えたら、その意義は、大きいと思うのです。

また、そんな田中正洋さんの存在は、障害者だけでなく、菊のように、運よく、何の障害者も持っていない人にも、非常に大きな価値があると思います。何故なら、縁の花ということで、インターネットを通して、普通の人よりは、はるかにご縁が多い菊自身さえ、今まで、田中正洋さんのような重い障害を持った人と、ご縁を持った事は、44歳になるまで、殆どなかったからです。去年、長年の同志であった、chibatuさんのパートナーだった女性が、障害を持つまで、菊には、縁の花村や縁の花の読者として、知っている人の中にもいません。いたとしても、菊には言わないので、菊は知らないのです。

ですから、障害者の人が、自分は障害者ですと、多くの人に、ネットを通して伝えることさえ、本当は、すごい勇気がいることだと菊は、思っています。普通の人は、なかなかできません。田中正洋さんのような行動をできる人は、そんなにいないのです。だって、手がなかなか動かない田中正洋さんが、どうやって、コンピューターを動かすか、見させて頂きましたが、自分の頭の上に、液晶の画面を置いていて、キーワードの必要のない、液晶の画面上に、キーワードが出てきて、それで文字を書いている姿を見て、驚きましたが、そんな事は、書くだけでも、本当に大変です。普通の障害者の人なら、そこまでして、コンピューターを動かす気力は、持てないと思うのです。

でも、そんな田中正洋さんが、菊にメールをくれたことで、菊と、友達の一人になってくれたことで、菊は、初めて、長年の同志、智閥のお母さんだけでなく、一人では、食事も、トイレもいけない。介助者の人を、本当に必要とする人の存在を知りました。

しかも、ミクシイの話になって、田中正洋さんが、まちゃひろさんという名前で、ミクシイに参加している事もしりました。田中正洋さんは、その場で、マイミクの申請をして頂き、菊は、携帯から承認させて頂いたのです。今や、菊と田中正洋さんは、ミクシイでも繋がっているマイミクさんなのです。

マイミク まちゃひろさんとのご縁

しかし、田中正洋さんが、訴えたいことは、障害者の立場から、有償介助者の事を伝えて、なってくれる人を一人でも集めることだけではありません。それよりも、田中正洋さんの伝えたい思いは、6歳から進行性筋ジストロフィーを発症して、今や、ずっと呼吸呼吸器を使っての生活で、本来ならとても自立できないはずの田中正洋さんが、多くの介助者の人や、行政の手を借りながらも、見事に、2006年10月から、自立していることだと思います。
 
だって自立とは、今までずっと両親の元で世話になっていた田中正洋さんが、親元を離れて、一人で、生活することだと考えたら、田中正洋さんは、見事に自立しています。介助者に助けて貰っているとはいえ、一人で生活して、ちゃんと介助者に、お金を払うことで、サービスを受けているのですから、自立しているのです。

菊は、その事は、よく考えたら本当にすごいと思います。少なくても、両親や、身内に、負担をまったくかけていないのです。なかなか誰でもできないことだと思うのです。しかも、田中正洋さんは、童話作家としてプロを目指しています。絵本「サバンナ列車」を、誕生させ、日本児童文芸家協会授賞という立派な賞も貰っています。

だから、そんな田中正洋さんの姿は、障害者を持つ人から見たら、大きな励みとなると思います。自立している田中正洋さんが、存在し、自ら、堂々と、ネットを通して、自分の姿を公開するたけで、どれだけ多くの障害者の人の励みになっているかと考えたら、その意義は、大きいと思うのです。

また、そんな田中正洋さんの存在は、障害者だけでなく、菊のように、運よく、何の障害者も持っていない人にも、非常に大きな価値があると思います。何故なら、縁の花ということで、インターネットを通して、普通の人よりは、はるかにご縁が多い菊自身さえ、今まで、田中正洋さんのような重い障害を持った人と、ご縁を持った事は、44歳になるまで、殆どなかったからです。去年、長年の同志であった、chibatuさんのパートナーだった女性が、障害を持つまで、菊には、縁の花村や縁の花の読者として、知っている人の中にもいません。いたとしても、菊には言わないので、菊は知らないのです。

ですから、障害者の人が、自分は障害者ですと、多くの人に、ネットを通して伝えることさえ、本当は、すごい勇気がいることだと菊は、思っています。普通の人は、なかなかできません。田中正洋さんのような行動をできる人は、そんなにいないのです。だって、手がなかなか動かない田中正洋さんが、どうやって、コンピューターを動かすか、見させて頂きましたが、自分の頭の上に、液晶の画面を置いていて、キーワードの必要のない、液晶の画面上に、キーワードが出てきて、それで文字を書いている姿を見て、驚きましたが、そんな事は、書くだけでも、本当に大変です。普通の障害者の人なら、そこまでして、コンピューターを動かす気力は、持てないと思うのです。

でも、そんな田中正洋さんが、菊にメールをくれたことで、菊と、友達の一人になってくれたことで、菊は、初めて、長年の同志、智閥のお母さんだけでなく、一人では、食事も、トイレもいけない。介助者の人を、本当に必要とする人の存在を知りました。

しかも、ミクシイの話になって、田中正洋さんが、まちゃひろさんという名前で、ミクシイに参加している事もしりました。田中正洋さんは、その場で、マイミクの申請をして頂き、菊は、携帯から承認させて頂いたのです。今や、菊と田中正洋さんは、ミクシイでも繋がっているマイミクさんなのです。

 

マイミク まちゃひろさんとのご縁

しかし、田中正洋さんが、訴えたいことは、障害者の立場から、有償介助者の事を伝えて、なってくれる人を一人でも集めることだけではありません。それよりも、田中正洋さんの伝えたい思いは、6歳から進行性筋ジストロフィーを発症して、今や、ずっと呼吸呼吸器を使っての生活で、本来ならとても自立できないはずの田中正洋さんが、多くの介助者の人や、行政の手を借りながらも、見事に、2006年10月から、自立していることだと思います。
 
だって自立とは、今までずっと両親の元で世話になっていた田中正洋さんが、親元を離れて、一人で、生活することだと考えたら、田中正洋さんは、見事に自立しています。介助者に助けて貰っているとはいえ、一人で生活して、ちゃんと介助者に、お金を払うことで、サービスを受けているのですから、自立しているのです。

菊は、その事は、よく考えたら本当にすごいと思います。少なくても、両親や、身内に、負担をまったくかけていないのです。なかなか誰でもできないことだと思うのです。しかも、田中正洋さんは、童話作家としてプロを目指しています。絵本「サバンナ列車」を、誕生させ、日本児童文芸家協会授賞という立派な賞も貰っています。

だから、そんな田中正洋さんの姿は、障害者を持つ人から見たら、大きな励みとなると思います。自立している田中正洋さんが、存在し、自ら、堂々と、ネットを通して、自分の姿を公開するたけで、どれだけ多くの障害者の人の励みになっているかと考えたら、その意義は、大きいと思うのです。

また、そんな田中正洋さんの存在は、障害者だけでなく、菊のように、運よく、何の障害者も持っていない人にも、非常に大きな価値があると思います。何故なら、縁の花ということで、インターネットを通して、普通の人よりは、はるかにご縁が多い菊自身さえ、今まで、田中正洋さんのような重い障害を持った人と、ご縁を持った事は、44歳になるまで、殆どなかったからです。去年、長年の同志であった、chibatuさんのパートナーだった女性が、障害を持つまで、菊には、縁の花村や縁の花の読者として、知っている人の中にもいません。いたとしても、菊には言わないので、菊は知らないのです。

ですから、障害者の人が、自分は障害者ですと、多くの人に、ネットを通して伝えることさえ、本当は、すごい勇気がいることだと菊は、思っています。普通の人は、なかなかできません。田中正洋さんのような行動をできる人は、そんなにいないのです。だって、手がなかなか動かない田中正洋さんが、どうやって、コンピューターを動かすか、見させて頂きましたが、自分の頭の上に、液晶の画面を置いていて、キーワードの必要のない、液晶の画面上に、キーワードが出てきて、それで文字を書いている姿を見て、驚きましたが、そんな事は、書くだけでも、本当に大変です。普通の障害者の人なら、そこまでして、コンピューターを動かす気力は、持てないと思うのです。

でも、そんな田中正洋さんが、菊にメールをくれたことで、菊と、友達の一人になってくれたことで、菊は、初めて、長年の同志、智閥のお母さんだけでなく、一人では、食事も、トイレもいけない。介助者の人を、本当に必要とする人の存在を知りました。

しかも、ミクシイの話になって、田中正洋さんが、まちゃひろさんという名前で、ミクシイに参加している事もしりました。田中正洋さんは、その場で、マイミクの申請をして頂き、菊は、携帯から承認させて頂いたのです。今や、菊と田中正洋さんは、ミクシイでも繋がっているマイミクさんなのです。

 

まちゃひろさんの出会いで

菊は大切な志を思い出しました。

菊とまちゃひろさんは、2007年4月26日、マイミクの関係になりました。ミクシイの世界に繋がったのです。しかもネットの世界だけでなく、直接会ったことのあるマイミクさんです。

この事は、菊にとっては非常に大きいです。実際に、まちゃひろさんと会ったことによって、菊は、頭でイメージするだけでなく、実感として、進行性筋ジストロフィーという病気や、人工呼吸器を使って、24時間生活をしないといけない環境の中でも、自立して、童話作家として活躍している人がいることが分かったからです。

その上、まちゃひろさんは、直接、あったことで菊の正式な友人になりました。今後、菊は、友人のまちゃひろさんの幸せを心から願いたいですし、無理しないでできることなら、できるだけの事はさせて頂きたいと思います。

また、菊は、今後は、まちゃひろさんを通して、障害者の人達の現状を知ることも、少しはできるようになります。この世に、まちゃひろさんのように、大きな障害を持っているけど、自立しようがんばっている人がいることを、強く実感できたのです。福祉の問題を考えるご縁を、智閥のお母さんだけでなく、まちゃひろさんからも頂いたのです。

だから菊は、今、自分がやろうとしている、智恵の場づくり、高度情報社会を早く完成させたいと思います。今から、人類の社会は、携帯の進化によって、ますますインターネット文明が進みます。chibatuさんや、菊が、長年夢見た、高度情報革命が、もうすぐ、後、2、3年後には、本格的に始まるのです。

その事は、皆さんも、お財布携帯とか、ナビーレーション機能、ワクセグということで、携帯が、電話だけでなくなっていることを考えたら、分かると思うのです。しかも、それは急速に進化しています。これからの社会は、皆さんが、考えているよりは、はるかに大きく激変するのです。

でも、それは、運よく健康な一般の人だけでなく、まちゃひろさんのように、障害をもっている人にも大きく関わることになります。それが証拠に、まちゃひろさんが、進行性筋ジストロフィーという病気の中でも、童話作家として活躍できるのは、コンピュターの進化で、キーボードが、画面の中にあるからです。そういった科学の進歩も、ある意味で大きいと思うのです。

だから、今のインターネット社会が、ますます進歩したら、障害者の人達にとっても、少しは、今よりも、自立できる、幸せになれる環境を作ることはできます。少なくても、菊や、chibatuさんは、14年ぐらい前から、高度情報科学セミナーというところを通して、そのことを学んできたのです。次の高度情報社会では、自分達の理想とする、福祉や環境に貢献できる社会をしようと、全国にいる、多くの高度情報科学セミナーの同志と燃えていたのです。今、その事を、まちゃひろさんと会うことで、菊は、再び思い出したのです。心から、まちゃひろさんには感謝しているのです。

 

 輝ける高度情報社会を、智恵の場や、プラットホームの仲間と創ります。

今、菊は、まちゃひろさんと直接会ったことで、ますます、縁の花村を通しての、智恵の場づくりの活動や、プラットホーム構想を、早く実現させたいと思うようになりました。菊は、高度情報社会を一日も早く創ることが、友人のまちゃひろさんに、とってできる最大なことだと確信しているのです。

また縁の花村などの、智恵の場の仲間や、全国のプラットホームの仲間と、早く高度情報社会を創って、まずは、日本人なら、健康な人でも、少し病んでいるニイト(NEeT)の人でも、どんな障害を持っている人でも、誰でも、生きていける社会にすることが夢です。

これは、皆さんの中で、批判する人はいるとは思いますが、例え、ニイトで、仕事がする意志がない人でも、食事の心配や、住む部屋の心配はせずに、ある程度の生活はできるようにしないといけないと思っています。そうした環境を作ることで、ニイトの人でも、やがて自立できるようになると考えています。いいかえたら、今のような勝ち組、負け組みを作って、仕事をしないと生きていけない社会にしていたら、その中で、いくら対策を考えていても、ニイトは減らないと思っているのです。

だから、菊は、まずは、誰でも、仕事しなくても、ある程度、最低限の生活、生きていける社会にしたいと思います。その上で、ニイトの人に対して、何かの犯罪や、人に迷惑をかけないかぎり、ほっといていたら、仏さんでいたら、ニイトの人も、やがて自然に自立すると思っているのです。

また、まちゃひろさんにあったことで、新たに、障害者の人でも、家族の負担にかけずに、どんな人でも、自立できるようにしたらいいと強く思うようになりました。まちやあひろさんの話では、障害者の中には、まちゃあひろさんよりも、もっと大変な人がいるそうです。それが、言葉が話せない人です。

でも、菊は、どんな障害を持っている人でも、最低限の生活が、無料でできるように保障すべきだと思っています。24時間、介助者の人が必要の人には、そうしてあげたらいいし、できるだけ、介助ロボットなどを開発して、できるだけお金がかからないようにしたらいいと思うのです。

その上で、どんな障害者の人が、努力して、自立しようとしなくても、自立できるようにしてあげたいと思います。今の日本の経済力だったら、発想を変えたら、もうすでに、それは実現できると思いますし、これからインターネット革命が成功して、高度情報社会になれば、もっと遥かに、人類は豊かになって、日本だけでなく、世界中の国で、それが可能になると菊は、確信しています。是非、皆さんと、そんな社会を創って、社会として、菊のマイミク、すべての障害者の人が、まあちゃひろさんのように自立できるようにしたいと思います。
ではこれで・・・

皆さん、縁の花 第237号読んで頂いてありがとうございます

 2007年4月27日   

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html