縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

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武田家の岩戸開き

∞「武田家の岩戸開き 

武田勝頼公土佐生存説」∞

武田信玄公が健在の時

戦国時代、最強と恐れられていた武田家の

呆気ない滅亡は

戦国時代も指折りの悲劇と言われています

 

特に、容貌美麗で、聡明だった若い勝頼婦人が、19歳で

37歳の武田勝頼が、何とか夫人を生かそうとして勧めた

北条家の帰国することも拒んで

最後まで、一緒についていって

夫や嫡男、17歳の信勝や、

武田家の数少ない50人程度の家臣と

天目山で、死んだことは、悲しい出来事で

栄枯盛衰、時代移り代わりを感じさせました

戦国時代の女性の悲劇としても

お市の方や淀君と同じように

有名な一つなのです

 

 

しかし、そんな武田勝頼や婦人、信勝が生きていたなんて

この400年以上、まったく噂にもならないことでした

ここが、明智光秀が、家康の側近、天海だったとか

豊臣秀吉が、実は、島津家に匿われていたという

伝説と大きく違うことです

それらは伝説として

昔からあった事ですが

武田勝頼が、土佐で生きていたなんて

2008年まで、一度も聞いたことなんかありませんでした

今まで、隠されていたことなのです

それが、400年前、武田勝頼の意志で

土佐の武田家の一族で固く守られていたことなのです

 

でも、それが、今、とうとう明かされています

400年間、ずっと秘密にされていたことが

やっと、表に出たのです

400年以上、甲斐の守護として

君臨していた武田家にとっては

本当に、すごいことだと思います

 

ただ、どうして、今になって

それが、明かされることになったのか

その理由は、俺はまだ知りません

8月22日の、武田勝頼公土佐記念イベントに参加した時に

武田勝頼土佐の会の岡林誠さんから

聞くことを楽しみにしていますが

400年前に、武田勝頼公が、  神社の

神官に残した

すべての条件が、今整ったそうです

それで、去年から、インターネットで

全面的に公開されることになったのです

 

また、俺は、それは、単なる町おこしとか

武田家の名を使った売名行為でなく

天、霊界の願い

大きな目的を持って

行われていることだと確信しています

 

何故なら、岡林さんのメールでは

「神官が勝頼の事を公開する条件に至った事

静岡の武田さんが、霊感の強い方に勝頼の事を

よく調べるように言われて訪ねて来られた件

諏訪の霊感師の方が間違いないと訪ねて来られ

諏訪の由布姫の住職さまが来られ

多くの発見と類似点から信憑性を認められた事

他にも同時多発した事柄等々。これらは偶然には起こりえない事で

縁というものに結ばれているからに違いないと思いました」

とあるからです

こんなことが起きるのは、天の意志

武田家の御霊の支持が、ないと不可能だと思うのです

 

しかも、土佐の武田家の一族の方は

本当に真剣です

武田勝頼土佐の会のホームページ

時々見させて頂いていますが

いろんな活動をされています

今は、武田勝頼公が土佐に広めたという

「玄蕃まつり」「玄蕃踊り」を猛練習しています

 

それに、8月22日の武田勝頼没400年記念祭

イベントのスケジュールを送って頂きましたが

本当に、見事です

真剣にやろうとしていることは

良く分かりました

ここまでやれるのは

土佐の武田家の一族の人達が

武田勝頼土佐生存説を信じているからだと思うのです

 

しかし、それでは、今、どうして、

武田勝頼公が、土佐で生存していたことを

天が、武田家の御霊達が明らかにしようとしているのかですが

それが、今の俺には分かりません

 

いえ、例え、400年前の前世、武田勝頼としての

記憶を、俺が思い出しても、難しいと思います

亡くなった後の武田勝頼の魂としての計画を

思い出す以外、不可能だと思うのです

 

けれど、俺は、それを知りたいと思いますし

きっと、いつかは分かると思います

単に、武田勝頼公が、土佐で生存していたと

いうことが、証明されるだけでなく

もっと、もっと、日本にとって

戦国時代の歴史にとって

何か、意味のあることが

起きると思うのです

それを、これから

皆さんとずっと探し求めたいと思います

 

だって、武田勝頼公が土佐で生存したことが

証明されたら

これは、まさしく武田家にとっては

400年間、ずっと隠されていたことが

明かされたことになるからです

400年間隠れていた

武田家の岩戸が、まさしく開くことだと思うのです

 

 

∞「霊界の岩戸開き 

あたたかい済度が始まります」∞

武田勝頼公が、土佐で生存していたことが分かったら

これは、武田家にとっては

まさしく武田家の岩戸が、開かれたことだと

前号、「武田家の岩戸開き」で書きました

本当に、大事件です

 

でも、それだけでなく

戦国時代にとっても

大きな事件になると思います

多くの人が驚いて

マスコミでも、取り上げられると思います

 

でも、俺は、このことは、単なる

400年に起きた戦国時代の話ではなく

戦国時代のファンとか

歴史の専門家だけでなく

今の世の中にも、何か大きな意味のあることが

起きるのではないか

そう思っています

 

それが、何かは分かりませんが

今の時期に、これは公開されたということは

大きな、天からの願い

武田家の御霊達だけでなく

霊界全体の大きな計画が

あるような気がしているのです

 

しかし、例え、そうならなくても

俺がしている武田家済度として考えたら

武田勝頼土佐生存説とのご縁が持てたということは

もうすでに、すごいことが起きています

宇宙全体、霊界にも、衝撃が走っているのです

 

というのも、俺がしている武田家済度も

10年前から、武田家の御霊達を

済度、少しずつ、供養させて頂くことで

例え、武田勝頼に恨みを持っている御霊でも、

済度の先生の力、ご縁で

救わせて頂いた事で

見事に感謝に代わって

今度は逆に、応援して貰えることで

どんどん展望が開けています

 

今は、大河ドラマ「天地人」などを通して

戦国時代の他の大名

上杉家、織田家、豊臣家の御霊も

同じ時代を生きたものとして

済度している段階になっています

俺は、それに、心からやりがいを感じているのです

 

でも、俺の魂の本来の計画

前世の武田家の仲間の魂の計画は

そんな程度ではありません

霊界の願いは、もっととんでもないぐらい

大きいことが、分かったのです

 

と言うのも、これは、武田家済度という事で

紹介したことがありますが

武田の武とは、もののふ、武士、武器、武術、武士道などの

戦いの因縁を現わしますし

武田の田は、済度でみれば、宇宙全体を意味します

 

すなわち、武田とは、宇宙全体の戦いの因縁

戦いの思い、執着、恨み、悲しみを抱えているすべての御霊

那由他という0が72乗もツク

途方もない数の御霊達を意味することになるからです

武田家とは、たたかいという執着を持ったまま

捨てられないすべての御霊の象徴なのです

 

ですから、430年前に

武田勝頼親子が、天目山で討たれずに

一部の武田家臣の願いで

おとりになるという尊い犠牲で

土佐で生存したという真実を

400年間、土佐の武田家が隠し通してきたことは

天や、霊界が、御隠しになっていたことは

宇宙全体の戦いの御霊達にとっては

衝撃になります

 

何故なら、その時から

武田勝頼は、長篠の戦で

織田軍、徳川軍に敗れ

最強と言われていた武田家を

結局滅ぼしてしまった

情けない武将から

天目山の戦いの後

本能寺の変で、織田信長が死んで

武田家を復活させられたのに

それを一切しようとしなかった人物

野望、復讐、名誉欲などを

あっさり捨てて

妻や子供達と幸せに生きる為に

土佐で、一人の武士として生き

土佐の武田家の人達と

幸せに暮らした人物

本当に、戦いの因縁を持った御霊達が

尊敬できる人物に

180度、大逆転することになるからです

 

というのも、戦いの御霊達にとっては

その人物が、いくら、戦の天才でも

戦争の神様でも

どんな勇者でも

尊敬される人物にはなれません

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康

上杉謙信公、武田信玄公

外国の英雄、ローマのシーザー、アレキサンダー大王

ジンギスカン、ナポレオンでも駄目です

戦いの波動を持った人物は

どんな英雄でも

戦いの因縁を持った御霊達は

心から尊敬できないのです

 

だって、戦いの波動を

最後まで、自分達と同じように

手放すことができない人物だということになるからです

もう、御霊達は、たたかいはあきあきしているのです

ここが、人間界の常識とは

大きく違うのです

 

そして、そんな視点で

土佐で生きていた武田勝頼公を見たら

人間界の常識では

400年間ダメな武将だと

言われていた武田勝頼公は

戦いの因縁を持った御霊達から見たら

武田勝頼公は、たたかいからあたたかいになった

たたかいの思いを見事に捨てた

自分達が、どうしてもできなかったことを

見事にやり遂げた、本当に尊敬する人物になります

その時、武田勝頼公は、たたかいの因縁を

持った御霊達にとっては英雄になるのです

 

ですから、俺は、土佐の武田勝頼公の生き方に

ものすごく関心があります

特に、武田勝頼公が、先祖や、武田家の御霊達を

供養することを願って

「玄蕃まつり」「玄蕃踊り」を土佐で

広げたなんて最高です

きっと、御霊達は、心から感動すると思うのです

 

しかも、現世的に見たら

武田勝頼公が、土佐で生きていたことは

余程の証拠がないかぎり

証明することは難しいし

例え、あったとしても

それを否定する人や学者も

現れると思います

誰もが、信じることはありえないのです

 

だけど、御霊達は、違います

それが、本当か、どうかは、過去をイメージしたら

400年前の土佐に行くことも可能ですし

真実を、霊界から教わることはできます

武田勝頼土佐生存説が

本当か、嘘かは、波動で分かるのです

 

だから、俺は、天は

今まで、400年以上も

この真実を封印していた

岩戸に隠していたと確信しています

今、この時期、いよいよ、人類全体

霊界が本当に危ないこの時期まで

武田家の岩戸として

御霊達にも、御隠しになっていたのです

本当に、天、霊界のやることはすごいです

 

 

だけど、今、その武田家の岩戸が

開かれようとしています

2009年8月22日

武田勝頼没400年記念祭夏の陣で

武田家の岩戸は、少し開けられ

2009年10月10日

武田勝頼没400年記念祭秋の陣

本陣で、武田家の岩戸は

本格的に、開けられることになると思うのです

 

だから、俺は、今回の武田勝頼没記念祭は

現世的に言えば

最初ということで、人数的には

そんなに多くの人が、集まらないかもしれませんが

目には、見えない神々や御霊達が、本当に集まってくる

盛大なお祭り、霊界、宇宙の祭りになっていると確信しています

 

その時から、本格的に、戦国大名だった武田勝頼ではなく

土佐で、大崎玄蕃(おおさきげんば)として

一人の武士として生きた生き方

たたかいという思いを捨てて

あたたかいになれた武田勝頼が

どんどん紹介されて、

宇宙全体無数のたたかいの因縁を持った御霊達を

感動させていくと思います

岩戸が開かれて、武田勝頼のあたたかいという

光、波動が、宇宙全体に広がり

今まで、たたかいの因縁、闇で閉ざされていた

たたかいの因縁を持った御霊達を救っていくのです

 

そして、その時から、俺や

前世、武田家の済度の仲間が、待ち望んでいた

「あたたかい」の済度が始まります

大崎玄蕃や、その妻である元北条婦人や本武田信勝や

そんな元武田勝頼親子を

あたたかく見守った土佐の武田家一族を

ご紹介することで

感動させることで

済度の先生の光や願いで

たたかいの因縁を捨てられなかった

宇宙全体の御霊達を

救わせて頂きたいと思います

 

それが、俺が、確信している

今、この時期に、武田勝頼公が

土佐で生存していたことが

分かった、理由です

天や霊界の願いです

どうです

すごいロマンでしょう

 

という事で

8月22日は、前世、武田家の済度の仲間達4人と

土佐の大崎村川井

今は、仁淀川町大崎にまで行って

しっかりあたたかい済度させて頂きたいと思います

是非、皆さんも期待していて下さいね

 

武田勝頼土佐の会と武田勝頼没400年記念イベント夏の陣コーナー


第293号 「武田勝頼土佐の会のご縁」 

第294号 「あたたかいになった武田勝頼」 

第295号 「武田勝頼土佐生存説は本当です」

第296号 「武田家岩戸開き」

第297号 「奇跡の武田八幡饅頭の同志と宇宙全体の因縁を済度します」 

第298号 「武田勝頼没400年記念イベント夏の陣」に参加してきました」

第299号 「武田勝頼没400年記念イベントでしっかり武田家済度しました」

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html