縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第320号

黒鳥山公園花見済度

∞「2010年4月4日 黒鳥山公園花見済度

黒鳥山公園は、御霊達で一杯でした」∞

俺が地元の済度の聖地にしている黒鳥山公園は

大坂でも、有名な桜の花見の場所で

泉大津市、和泉市では、一番です

 

なので、桜が開花したこの時期は

夜は、提灯に、明りがつけられて

9時頃まで、多くの人が花見を楽しみます

夜店の店も、たくさん出されて

バーベキューとか、お酒を飲んで

花見を楽しんでいるのです

 

だから俺にとっても

花見の時期は、待ちに待った時期です

やっと寒い時期が終わった事を

実感できます

これからしばらく夏の間まで

黒鳥山公園済度、黒鳥山公園食事済度も

明るい内にできて楽しいと思います

 

しかも4月2日から4月3日

金沢に行って、金沢済度に参加して

済度の先生、河内晢先生から

たっぷりエネルギーを貰ってきました

 

それで、2010年4月4日

最初の黒鳥山公園花見済度として

仕事の帰りに

いつものように、黒鳥山公園食事済度

黒鳥山公園済度をしてきました

今日は、特別に缶ビールも買って

たった一人ですが

沢山の御霊達と、花見を楽しもうとしたのです

 

しかし、それで、桜の写真を撮って

ブログに掲載して

皆さんに見て貰おうとしたら

驚く事がありました

何と黒鳥山公園の花見の場所には

本当に多くの御霊で一杯だったのです

 

これには、俺自身驚いてしまいました

デジカメで撮ったら

よく二、三体の御霊の写っている写真は撮れますが

こんなに写っている写真は久しぶりです

驚いてしまいました

 

しかも、写真に写る一体の御霊には

たくさんの写真に写らない御霊がいると言います

なので、この写真の写っている御霊は

無数と言ってもいいと思います

俺には、どれだけの御霊が

黒鳥山公園にいるのか分かりませんが

予期していない事にびっくりしてしまったのです







また、この御霊達は

黒鳥山公園で花見を楽しんでいる

多くの人達の背景についていた御霊達だと思いますが

全部、俺が来るのを待ってくれていたのだと確信しています

済度人、「キク」を待ってくれていたのです

 

ですから、今回の黒鳥山公園済度は

忠霊塔、天皇駐蹕碑、畜霊碑の前で

済度するだけでなく

時間はかかりますが、

黒鳥山公園の花見の場所を

済度の先生の三つの言葉を唱えて

5回も往復しました

済度する事で、御霊達を成仏、供養させて頂いたのです

 

しかし、御霊の数は多すぎて

とても全部救わせて頂けませんでした

何回撮っても、御霊の数は減らないのです

 

それで、翌日の4月5日は

お仕事休みですが

夜の7時頃から

済度の先生のエネルギーが詰まっている

晢晶を持って、黒鳥山公園で

済度させて頂く事を

御霊達に約束して

帰ってきました

今日、晢晶の力を借りて

黒鳥山公園花見済度させて頂きたいと思います

 

と同時に、俺は、こんなにたくさんの御霊達が

現れて来たのは、ずっと続けている

黒鳥山公園食事済度、黒鳥山公園済度の大きな成果だと

感じています

御霊達は、その事が分かっているから

俺が、済度のエネルギーを持っている事が分かっているので

黒鳥山公園で待ってくれていたと思うのです

 

ということで、今日の夜は

ガンバッテ済度させて頂きますね

 

 

∞「4月5日の晢晶花見済度と

4月7日のカバン紛失事件」∞

第533号「2010年4月4日 黒鳥山公園花見済度

黒鳥山公園は、御霊達で一杯でした」で書いたように

翌日の4月5日の夜

自宅から晢晶と弁当を持って

黒鳥山公園に、7時頃に行ってきました

 

それで、まず、御霊達と弁当を

一緒に食べる食事済度した後

今度は、晢晶を持ちながら

黒鳥山公園の花見のメインの場所を

何と8往復もしました

済度の言葉を、心の中で唱えながら

必死に30分ぐらい歩いたのです

 

 

しかしそんな俺の姿は

花見を楽しんでいる多くの人からは

とても理解できなかったと思います

あの人、花見の場所をぐるぐる回りながら

時々、デジカメの写真で

一体、何を撮っているのだろう

気が付いた人がいたら

間違いなく変な人と思われたと思います

 

また、俺も黒鳥山公園には

職場の人とか、知り合いがいる可能性もあったので

正直言えば、少し抵抗感もありましたが

俺を待っている膨大な数の御霊達の事を思ったら

恥ずかしさなんか関係ありませんでした

堂々と晢晶を出して、両手で抱えながら

真剣に晢晶済度させて頂いたのです

 

でも晢晶の力を借りても

なかなか御霊達を救う事はできませんでした

デジカメで撮ったら、昨日に比べたら

御霊の数は、確かに減っている感じはしましたが

それでも沢山の御霊達がいました

とても救い切れなかったのです

 





だから俺は、途中で帰る事にしました

明日は、仕事なので、晢晶は持ち出す事はしませんが

黒鳥山公園に来ます

翌日は、金沢に行くので

しっかり俺にツイテきて下さい

そう心の中で言うと、御霊達に「さよなら」をしたのです

 

でもそんな俺ですが

今回は少し嬉しい事がありました

それは、デジカメで撮った写真の中に光が

何個か写っていた事です

でもこの光が何なのかは分かりません

ただの電灯の光の可能性も高いからです

 

けれど、そうではなくて

俺の立っていた場所から

出ていたような感じがするので

もしかしたら、晢晶の光なのか

俺が、済度の先生から頂いて

出していたものかもしれません

とにかく、昨日は、撮れなかった光が撮れていたので

もしかしたら、その光は、済度のエネルギー

光ではないか

俺は、そう思うと、とても嬉しかったのです

そうだったら、本当にすごいと思います

 

しかし、そんな俺は、6日の日は

無事に黒鳥山公園花見済度させて頂けましたが

翌日の7日、大変な事が待っていました

というのも俺は、4月7日の夜、黒鳥山公園に行こうとしたら

途中で、何と、自転車の前かごに置いていた

黒い手提げカバンがない事に気が付いたからです

 

でもそれは、とても信じられませんでした

いくらその日が寒くて、風邪気味で

俺は、ポッとしていたとしても

普段からよく物を無くす信じられないドジでも

前かごに、結構大きいカバンを落として

気が付かない訳がありません

最初は、腹ごしらえで、うどんを食べたハナマル店で

忘れたと思ったからです

 

だけど、ハナマル店に忘れていなくて

後は、考えられるのは、

黒い手提げカバンを途中で

落としたという事なので

必死に探しましたが

ありませんでした

暗い夜道を三往復しましたが

どこにもなかったのです

 

ですから俺は

目の前が、くらくらしました

その黒い手提げかばんには、運転免許書、保険書

財布、自宅の鍵、郵便局のカード

銀行のキャッシュカードなど

全部入っていました

それが、見事にないのです

 

これではとてもではないですが

金沢に行けません

銀行のキャッシュカードがなかったら

お金を出せないからです

 

なので、その日は、黒鳥山公園に行くのも

さすがに気力が無くなって

花見済度は中止して

大急ぎで、両親の家に帰って

鍵を貸して貰うと

警察に届けを出して

夜遅くなったので寝ようとしたのです

 

しかし、俺はなかなか寝られませんでした

黒いカバンの事を考えると

寝られる訳がなかったのです

その上に、皆さんに正直に言えば

御霊達を少し罵ってしまいました

 

何故なら、前かごの置いていた

黒いカバンを落としたなんて

これは御霊達の仕業としか

俺には考えられなかったからです

御霊達は、本気になったら

何でもするので

俺は、御霊達にされたと

自分の失敗も棚に上げて思っていたのです

 

だから、俺は

黒鳥山公園の花見済度の御霊達は

俺を憎んでいるのか

恨んでいるのか

俺に、金沢に行かせたくないのか

これでは明日、JRの青春18切符はあっても

金沢に行けないではないか

そんな事を、心の中で言っていました

 

いつも早朝の4時からする済度瞑想では

「いい事、悪い事、どんな事が起きても

済度にとって必要なこと、魂の成長にとって必要な事は

喜び、感謝し、素直に受け入れます」

と心で唱えているはずなのに

霊界と約束していたのに

運転免許証から、何でも失くしたので

あまりにも酷いと思っていたのです

 

でもそうしたら、急に寒気が走って

御霊達が、いいかげんにしろと思ったのか

俺は、完全に風邪のようなものを引かされてしまいました

これで、ますます金沢に行けなくなった

寒いと思いながら

その日の俺の散々な一日は終わったのです

やれやれです(*^_^*)

 

 

∞『4月8日の俺の幸運の一日

武田家の御霊達「ありがとうございます」』∞

翌日の4月8日、朝になったら

寒気が走って、風邪かもしれないと思っていた

俺の身体は、しっかり回復していました

すっかり元気になっていたのです

これにはびっくりです

 

それで、どうやら昨日の突然の寒気は

御霊達の仕業だと俺は確信しました

御霊達がしたのだったら

仕方がないかと諦めたのです

 

また、元気になった俺は

いろいろ考えましたが

金沢に行く事にしました

JRの青春切符は、4月10日までなので

今週の土曜日までに使わなかったら

残りの2回分、4600円が無駄になりますし

紛失した黒いカバンを、警察に届けたので

警察から、連絡があるか、ないか

家でじっと待っているのも

気が進みませんでした

外出したい気分になっていたのです

 

しかも何よりも、御霊達には

金沢に行く事を約束していました

その約束を破る訳にはいきません

例え、黒いカバンを紛失させたのが

御霊達の意地悪だったとしても

俺は、御霊達を済度、救わせて頂かないと

いけないのです

これが済度人の心意気です

 

だから、早速、俺は起きると行動を始めました

まず、したくはありませんでしたが

郵便局に行って

1週間程度は必要とするお金を

定期貯金から引き出しました

その上で、銀行に行って

キャッシュカードが失った事を報告して

古いキャッシュカードを止めると

新しいキャッシュカードを送って貰うようにしたのです

 

ただ、その代わりに

前から迷っていた

9日に予定していた

金沢から東京に行くのは

参加してくれる前世、武田家の仲間二人との

連絡もなかなか取れない事もあって

やはり中止しようかなと思いました

金沢で他にやる事もありましたし

定期のお金は、あまり使いたくなかったのです

それで、朝、実は、東京講演会に行くのは

事情があって、中止しますというメール入れていたのです

 

だけど、そんな俺に

自宅に戻ったら、待望の留守電が入っていました

警察から、黒い鞄が見つかったという連絡があったのです

それで、半分諦めていただけに

大急ぎで、和泉市の警察に行って来たのです

 

その上に、警察に黒い鞄を届けてくれた人は

お礼は何もいらないと言う人だったので

警察は、すぐに黒い鞄を渡してくれました

こうして、黒い鞄は、無事に戻ってきました

運転免許書、保険書、デジカメ、アイフォン

全部無事に戻ってきたのです

本当に良かったと思います

 

また、こうなると元気なもので

俺は、今度は、御霊達に

「ありがとうございます」と心から感謝すると

喜びで、金沢に行きました

鞄を紛失した事もすっかり忘れたのです

自分で言うのもなんですが

本当に、いいかげんだと反省しています

 

しかもそんな俺でも

御霊達は許してくれたのか

昨日の夜と違って

今日の俺には、御霊達のご加護がありました

電車にも予定したものに乗れませんでしたが

済度場に泊る人と連絡が偶然メールで取れて

夜の10時以降に着いても

済度場を開けて貰える事になって

安心して乗る事ができました

 

その上に、途中の駅で

東京の前世、武田家の仲間に電話したら

連絡が取れて

明日、東京講演会に参加して頂ける

最終確認が取れました

長年願っていた事が、実現する事が分かったのです

 

だから俺は、東京講演会に参加する事にしました

丁度、手元には、定期貯金から引き出したお金があります

銀行のキャッシュカードは使えませんが

節約したら、東京講演会に参加する事も可能だったからです

 

でも、それだけでなく

皆さんに、正直言ったら、定期貯金から引き出していなかったら

黒い鞄を紛失しなくて、キャッシュカードを使えていたとしても

今月は予算不足なので、東京講演会は中止した可能性大きかったのですが

武田家の御霊達は、その為に、黒い鞄を紛失させて

俺から、定期貯金の一部を引き出させたのか

そう思うと、すべてが納得できたのです

 

しかも武田家の御霊達は

前世、武田勝頼である俺に

大切な前世、武田家の仲間であるお二人が

東京講演会で、河内晢先生とご縁を持つのを

ちゃんと見届けなさい

そう言っている

導いていると思ったら

俺は、何としても東京講演会は

参加しないといけないと思ったのです

いえ、武田家の御霊達が待っているので

これは行かねばならないと決心したのです

 

また、そんな俺は

今日は、最後まで、ツイテいました

だって、金沢から、済度場まで行くバスにも

最終便にぎりぎり乗れましたし

済度場に着いたら

香港・中国から金沢に来ている人達が

夜桜を済度の先生、河内晢先生と楽しんでいる帰りという事で

車から出る所で

鍵を開けて貰う事もなく

済度場に入れたからです

こうして4月8日の

幸運の一日は終わったのです

 

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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