縁の花
(21世紀に咲く智恵の輪)
第322号
黒鳥山公園花見済度で
すべての御霊が済度されました
∞「4月11日黒鳥山公園最終花見済度
何とすべての御霊が救われていました」∞
2010年4月11日は
日曜日ですが、お仕事でした
俺は、二日酔いもなく
河内晢先生から、エネルギーをたっぷり頂いたので
元気で、泉州・河内お仕事済度しました
俺の仕事を通して、泉州、河内地方に
光、エネルギー、願いを届けたのです
また、それが終わると
いつものように黒鳥山公園に行きました
黒鳥山公園済度で
しっかり済度させて頂こうと思っていたのです
しかも、今日は、黒鳥山公園花見の最終日でした
夜に点灯される提灯が撤去されて
夜店も、店じまいの準備されていました
その上に、少し雨が降っていた事もあって
最終日ですが、花見に来ている人も
少し、少なかったです
そんな中で、俺は、花見済度させて頂こうと思っていました
今日で、黒鳥山公園の花見は終わるので
少し気合いが入っていたのです
しかし、どのくらい御霊がいるか
デジカメで撮って、確認しようとした俺は
デジカメの映像を見て
愕然としました
花見の間、あんなに写っていた御霊達
「たまゆら」がまったくありませんでした
どこを撮っても、一体も写っていなかったのです
全部救われていたのです
これには、俺は本当にびっくりです
最初、訳が分かりませんでした
どうしてなのか、理由が分からなかったのです
でも、俺は本当に嬉しかったですし
これは、河内晢先生と、霊界がしてくれたと
本当に感謝しました
他には、考えられなかったのです
だから、俺は、早速、黒鳥山公園の三慰霊碑
忠霊塔、天皇駐蹕碑、畜霊碑の前で
心から、河内晢先生と霊界に
「ありがとうございます」と感謝すると
しっかり済度、願わせて頂いたのです
また、俺は、この時に
実は、金沢の卯辰山公園と大坂の和泉市の黒鳥山公園とは
俺を通して、霊界の力で
昨日は、繋がっていたと確信しました
きっと、黒鳥山公園の御霊達は
昨日は、卯辰山に行っていて
全部救われていたのではないか
河内晢先生によって、済度されて
成仏されていたのではないか
そう思ったのです
だって、それ以外には
あんなに撮れていた御霊達が
一体も見えないなんて
考えられません
こんな不可思議な事ができるのは
済度の先生以外、考えられなかったのです
ですから、俺は本当に嬉しかったです
俺自身、卯辰山の花見済度では
御霊達の事もなかなか意識できなくて
飲んで、食べて、皆と話をして
楽しんでいただけなのに
こんなとてつもない、すごい事を
まったく無意識で
本人が、まったく自覚がないのに
させて頂けたのです
済度は、本当にすごいと改めて思いましたし
救われた御霊達の事を思ったら
本当に良かったねと
祝福せずにはおれなかったのです
なので、俺は、そんな幸せ一杯の中で
黒鳥山公園済度、黒鳥山公園花見済度を終えると
河内晢先生のエネルギーを一杯頂いているので
いつものルートと違って
和泉府中、泉大津済度もしました
泉井上神社 その内にある五社総社
和泉国の(大鳥、穴師、聖、積川、日根)
泉穴師神社
大津神社
泉大津の忠霊塔
と済度させて頂いたのです
∞「4月12日は信玄公の命日です
(花見済度と信玄公祭りと高遠城址桜祭り)」∞
4月12日は、武田信玄公の命日でした
1573年4月12日
この日に、戦国大名の巨星と言われた
武田信玄公は、数え53歳で
三河野田城攻囲中に病歿しているのです
徳川家康を破り、織田信長も追い詰め
後一歩で、天下取りも夢でなかったのに
無念にも病で倒れたのです
また、その日に、俺は、河内晢先生の
東京講演会に参加してくれた、前世武田家の二人の仲間に
偶然お礼のメールをしました
4月10日の夜、大坂に帰った後も
いろいろバタバタしていて
4月10日の日に
二人の仲間からメール頂いていたのに
なかなか返事できなかったですが
やっと返事ができたのです
しかし俺は、実は、その武田家の二人の仲間の
返事のメールを読んで
愕然としていました
と言うのも、俺は、前世、武田勝頼として
本当に恥ずかしかったのですが
お二人は、
山梨県の甲府で行われる
4月10日の信玄公祭りに
4月9日の東京講演会が終わった後
何とか、ギリギリでスケジュールを組むことができたので
参加してくれたと、メールで書いていたからです
それで、正直、これには、本当に頭が下がりました
二人には、心から感謝しました
だって、前世、武田勝頼の父、信玄公や
武田家の最大の祭りの事を
俺は、完全に忘れていた「アンポンタン」だったからです
大いに反省したいと思います
また、ついでに、その信玄公祭りを
皆さんに、簡単に紹介しますと
信玄公祭りは、本当に有名です
だって、信玄公祭りは
毎年、30万人もの観光客が集まって
4月12日の前の金、土、日に
信玄公や戦国最強と言われていた
武田軍の事を、遺徳を偲ぶ祭りとして
あの当時の甲冑を着た1500人の人達が
馬に乗ったり、武器の槍、鉄砲を持ったりして
山梨の甲府市内を行進する
日本最大の武者行列だからです
しかも俺も、以前、武田家の仲間と
一度だけ参加して見ましたが
結構楽しかったですし
武田家の御霊の存在も、確かに感じました
その時に、武田家済度もさせて頂いた
重要な武田家のお祭りなのです
いつか、前世、武田家の仲間と
再び、行きたいと思います
でも俺が、唖然としたのは
そんな信玄公の祭りの事を
すっかり忘れていた事ではありません
それよりも、俺が、衝撃受けたのは
信玄公祭りや信玄公の命日と
桜の花見の不思議なご縁に
気が付いたからです
何故なら、前に信玄公祭りに
参加した時も
桜の満開の時で
桜の花吹雪が舞って
ものすごく感動をした事を
お二人のメールを見て思い出したからです
だけど、それもよく考えたら当然です
だって信玄公が4月12日に亡くなっている以上
その前の土、日に、信玄公祭りがされるので
毎年、桜の花見の時期と信玄公祭りは
余程、桜の開花が、早くなるか、遅くならないかぎり
合致する事になるからです
自然が決めた事なのです
だからこれは、437年前に、信玄公が亡くなった時から
信玄公の魂や武田家の魂が決めて計画していた事
霊界が、計画していた事ではなかったか
俺は、その事に気が付いて
愕然としたのです
しかも、そう考えたら
日本全国でも
1位、2位に入ると言われている
天下第一の桜と呼ばれている
高遠城の桜祭りも
単なる偶然とは思えません
何故ならこの高遠城は、諏訪家の城で
信玄公が、落とした後に
軍師の山本勘介が改めて大改築して
武田家の信濃四大城の一つになった名城で
武田家が、南信濃を抑える
伊那地方の重要な拠点になっていた城です
その上に、勝頼は、幼い時から
この高遠城の城主として育ちました
兄、義信公が、廃嫡になって
本拠の躑躅ヶ崎館に呼び戻されなかったら
ずっと、高遠城の城主として
諏訪勝頼として存在していた可能性があったのです
そしてそんな高遠城は
武田家が呆気なく滅亡した時も
唯一、武田家の為に
戦ってくれた城になりました
勝頼は、最も信頼できる
異母弟の仁科盛信を高遠城主としていて
仁科盛信は、武田家の家臣の中で
唯一と言っていいぐらい
五万の織田信忠の降伏勧告を退けて抗戦して
3千の守備隊は玉砕、仁科自身も城を枕に討ち死しているのです
ですから高遠城は、武田勝頼や
武田家にとっては、本当因縁のある城です
武田家の悲劇を象徴する一番の城でもあるのです
ですから俺には
そんな高遠城が、今や、日本でも
最も有名な桜の名所になっている事
とても偶然とは思えません
すべて、霊界が計画していた事ではないか
日本人は、昔から、桜が見事に散る事で
亡くなった人をイメージして
桜を眺め故人を偲ぶ、花見をしてきましたが
武田家と花見は、大きなご縁があるのではないか
俺は、そう直感したのです
また、そう考えたら
黒鳥山公園の花見に来ていた膨大な御霊達は
一体、何だったのか
あれは、地元の和泉市や泉州の御霊達でなく
武田家の御霊達も集まっていたのではないか
俺は、そう確信しています
俺の黒鳥山公園花見済度と前世武田家は
見事に繋がったのです
武田家の御霊達も救われたのです
だから俺は、来年の黒鳥山公園花見済度では
武田家の御霊達の事も思って
済度したいと思いますし
来年は、皆さんと是非黒鳥山公園とか
信玄公祭りや高遠城でも
花見できたらいいなあと思っています
その上で、金沢での花見済度にも
是非、皆さんと参加したいです
たくさんの御霊を済度、供養したいです
もし、参加したいと思う人は
今から計画しておいて下さいね
楽しみにしています
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2011年 縁の花お手紙
すべての読者の皆様に緊急連絡
『この縁の花を読んで頂いている皆様へ
緊急連絡です
2010年、12月23日〜26日
金沢済度の旅をした事で
俺は、2011年〜2012年12月23日
俺の50歳の誕生日で
フォトンベルトに突入するとか
マヤ歴の予言でも
人類が滅亡するかもしれないと言う日まで
俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました
と言うのも、俺は、1993年10月1日
18年前に、何故縁の花を書き始めたのか
この世で、皆さん、一人、一人と
何を約束したのか
全部、明快に分かったからです
しかも、長年探し求めていた
日本や世界、人類を救う方法も
その手段も分かりました
答えは、すべて縁の花の中
皆さんにあったのです
だから、俺は、それを
この2年間という短い期間の間に
皆さんに、伝えきるつもりです
皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる
目には、見えない存在を救い切る覚悟です
是非、キクの命がけのお願いです
「2011年、縁の花の読者の皆様へ
キクの命がけのお願いの手紙」
をお読み頂きたいと思います』
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