縁の花
(魂が成長する心と心のネットワーク誌)
第203号
性(セックス)の解放
∞「岩戸開き」∞
21世紀になってから、この世に出さないといけない光は、他にもあるような気が、紫陽花はしているのです。
いえ、人それぞれにあるのではないか、そんな気がするのです。
そしてその一つが、紫陽花は、御魂の存在、霊のことだと想っています。
というのも、縁の花でも、御魂、霊については、何回か書いていますが、紫陽花は、御魂、霊の存在は、まだまだ多くの人に誤解されていると想っています。
今、日本の怖い映画、リングとか呪怨と言ったホラー映画が、海外でも評価されていて、米国などでもリメイク版が大ヒットしているそうですが、幽霊の存在に関しては、まだまだ怖いと言うのが、多くの人の持っているイメージだと想います。
幽霊とかかわったら、ろくな事はない、呪われる、いたずらをされると言うのが、殆どの皆さんが持っているイメージだと想うのです。
ですが、紫陽花は、本来、霊はそんな存在ではないと確信しています。
霊は、当たり前の事ですが、元人間です。
尊重すべき存在、愛すべき愛しい存在です。
それが、霊・幽霊と言う存在の本来の姿なのです。
しかし、多くの人達は、幽霊は怖いという常識、岩戸の為に、幽霊、霊の存在を頭から否定していると想います。
そんな岩戸を開けて、霊の存在は、本当は愛しい存在だという事を、多くの人が理解するお役を果たしたい、天照大御神様を出したいと言うのが、紫陽花の使命の一つです。
何故なら、本来、霊達は光る存在ですし、何でもできるスーパーマンのような存在です。
きっと、今の人類の為に、天照大御神様並みの力を発揮して、いろいろ助けてくれると信じているのです。
しかも、この紫陽花の考えは、時流にも乗っていると想います。
というのも、「MAKOTO」と言う映画が、つい最近上映されています。
この映画では、霊達の存在を怖い存在ではなくて、愛しい存在だととらえているそうです。
紫陽花は、MAKOTO」の映画をまだ見ていませんが、ホラー映画のブームが終わると、霊達が、いろんな想いを持っている事が理解される映画が、どんどん作られると確信しています。
昔で言えば、ニューヨークINゴーストの映画や、シティ エンジェルと言った映画ですが、そういった映画が増えると想います。
いつか、そういった映画の力や、霊媒師や、いろんな人達の力で、人類の思い込みといった岩戸をこじ開けて、霊達の本来の姿を出させて頂きたいです。
これが、紫陽花がやりたい岩戸開きの一つなのです。
紫陽花なりにできるお役を果たしたいと想います。
また、紫陽花が、もう一つ、多くの人が持っているイメージ、常識といった岩戸で、こじ開けたいものがあります。
それは、性の問題、セックスに関してです。
これに対しても、紫陽花は、第134号「男女の縁」に始まって、第160号「性の喜び」第186号「紫陽花の受粉(セックス論)」などで、勇気を出して書いてきました。
批判は、ある程度承知して、紫陽花は、自分の持論、男女はもっと自由に、性も解放しないといけないと書いているのです。
人類は、結婚、恋人と言った縛りから離れて、国や人種、地位、身分関係なく、すべての人と愛し合うべきなのです。
そんな皆さんの常識が、吹っ飛ぶ事を書いているのです。
でも、これに対しては、今の所、まだ皆さんの反応は、あまりありません。
批判もなければ、賛同もあまりないというのが、現状です。
たぶん、紫陽花の言っている事も分かるけど、皆さん、一人一人では、みじかな問題だととらえられないのだろうと想っています。
だから、今回の203号「性(セックス)の解放」では、この問題を、みじかな問題として、皆さんと一緒に考えたいと想います。
∞「セックスボランティア」∞
「セックスボランティア」と言う言葉があります。
紫陽花が、この言葉を知ったのは、もう、5、6年前になります。
第133号「男女の縁」で意気投合したある人に、ヨーロッパでも進んでいる北欧諸国などでは、障害者の人達に、有償(無償)で性の処理をする人達がいると教わったのです。
それで、早速インターネットで調べた事があります。
その時に、日本の国でも、ごく一部の福祉の専門家が、この問題について、真剣に考えている事も知ったのです。
しかし、日本では、お国がらか、こういった問題は、まだまだタブーというか、「臭いものには蓋」という精神なのか、なかなか本気で議論されようとはしませんでした。
そういった問題を、誰も、真剣に考える雰囲気は、なかなか生まれなかったのです。
でも、2004年6月に、河合香織さんが出した「セックスボランティア」の本が反響を読んだりした事もあって、少しずつこの問題も、クローズアップされています。
テレビなどでも、この問題を取り上げた番組もありました。
やはり介護の世界では、障害者の人達に、裏の奉仕という事で、ソープランドに連れて行ってあげたり、処理したりすることがあるみたいです。
しかも久しぶりに、インターネットで「セックスボランティア」で検索したら、河合香織さんの本を紹介するものが、たくさんあるのにびっくりしました。
今迄、無視されていた、障害者の人達にも、人間として当然の性欲があることが、やっと理解されてきているのです。
それを一般の人がなかなか気付かない所で、国や社会、福祉や介護の世界や家族でも、障害者に性欲はないという事で「障害者の性」はタブーとして、無視して押さえつけていた実体が分かって来たのです。
だから紫陽花も、この号を書くにあたって、この本を読みましたが、是非、皆さんも読んでみたらいいと想います。
ちなみに、皆さんに、その本の内容を、簡単に紹介すると、出版社/著者からの内容紹介としては、「障害者だってやっぱり、恋愛したい。性欲もある。―その思いを満たすための「性の介助」の現実とは? 彼らの愛と性に迫るノンフィクションの意欲作。」とありますし、ある人は、「セックスボランティア」は、これまで触れられずにきた身体障害者の性について、インタビューを中心とした構成により、その一端を明らかにしようとしています」とあります。
河合香織さんは、30歳ぐらいの若い人ですが、真剣に、この問題を取り上げているのです。
ただ、そうはいっても、この問題に関しては、国民の間では、まだまだ問題提議される段階にもなっていないので、国や社会として、議論される段階になるのは、当分先の話だと想います。
たぶん、10年経過しても、今のままでは、公には進まないと想うのです。
何故なら、インターネットで、「セックスボランティア」多くの人が寄せている意見・感想を見るかぎり、様々な考えがあります。
皆さん、今迄、障害者の性について、考えもしなかったという驚く所は一致しますが、「私にはできない」という意見が大半ですし、中には、社会福祉科に通う学生で、「授業で、障害者のついてききました。私は自慰行為のお手伝いまでが、ボランティアでできる範囲で、なぜ、服を脱ぎ、体まで提供するのか分からない」なんて、生々しい意見もあります。
皆さん、障害者の人にも、性欲がある事は認めても、やはり「セックスボランティア」に関しては、内心は賛成でないと想います。
いえ、他人の人ができても、自分はできないというのが、本音だと想うのです。
でも紫陽花は、それでも、この本が、世に出た意味は、大きいと想います。
この本を縁にして、いろんな人が、障害者の性について考える事は、とても素晴らしいことだと想うのです。
ただ、ここで、最初に懺悔しておきますが、紫陽花自身、セックスボランティアに関して、どう考えるかと聞かれたら、とても答えられないと想います。
何故なら、紫陽花自身、誰か、紫陽花にボランティアで、セックスを許してくれるような菩薩のような女性は現れないだろうかと、密かに願っている未熟ものです。
そんな願望を持っている不届き者です。
とても障害者の性について、語る資格はないと想うのです。
ただ、それでも語らせて頂けたら、紫陽花は、やはり、「障害者の人達」の性の問題は、無視できない問題だと想います。
何故なら、自分が、今、障害者になったらと考えたら、分かると想います。
もし、紫陽花が、何かの縁で、障害者になって、自分自身で、大変お世話になっているマスターベーションをする事自体困難になったら、とても生きていられないと想うのです。
セックスしたいという想いで一杯になって、毎日、嘆き、悲しむと想います。
今、それをしたい時にできる事に感謝しても、もう遅いと想うのです。
しかも、想いというものは、なかなか消す事ができません。
いつかは諦める事ができるという人もいると想いますが、紫陽花はそんな事は不可能だと想います。
「ありがとうございます」でもなかなか性欲は消せずに、この世を、空しく終えてしまうと想うのです。
また、これは紫陽花だけでなく、皆さんも同じだと想います。
皆さんも、障害者になってしまう可能性があります。
やはり、両手が動かなくなったりして、男性でいえば、マスターベーションできなかったり、女性でも、オナニーができなかったら辛いと想います。
特に、独身の人だと、やりきれないと想いますし、結婚している人でも、なかなかセックスができないとなると辛いと想います。
いろんな事を考えてしまって、相手の人に負い目を感じて、多くの人は、夫婦仲良くとはいかないと想うのです。
その上に、それは、途中で障害者になった人だけでなく、生まれた時から、障害を持って生まれて来た人でも、紫陽花は同じだと想います。
いえ、途中からの人よりも、もっと苦しいかもしれません。
だって、今は、テレビなどで、情報が氾濫しています。
どうしても、性に対する情報が入ってきます。
障害者の人でも、簡単に知ってしまう可能性は高いです。
それも、誰も防ぐ事はできないと想うのです。
しかも、中には例外もありますが、多くの障害者の人は、まだまだ恋愛はできません。
皆さんの中には、障害者の人達で、恋愛したらいいという人もいるかもしれませんが、障害者同士だと、服をお互いに脱ぐ事ができないので、脱がしてあげるボランティアが必要なケースもあるそうです。
紫陽花は、障害者の人も、この世に生きている以上、いろんな人と一杯、一杯、恋愛したらいいと想うのです。
ですから、紫陽花は、「障害者の人達」の性の問題は、誰も無視などせず、福祉関係の人もタブーとせずに、真剣に今、ここで考えないといけない切実な問題だと考えています。
何故なら、多くの「障害者の人達」の想いを、消すように努力する事は、この世に生を貰っている人達の使命の一つです。
想いと視点、業想念という事で考えたら、そういった切実な想いは、この地球から、早く、一つでも多くなくさないといけないと想うのです。
でないと、もう人類の歴史は、もうもたないと想うのです。
また、紫陽花自身、セックスボランティアに関しては、皆さんに、批判される事を覚悟で言えば、やはり、一日でも早く、我が国でも、認めるべきだと想いますし、この事を知った人は、他人任せや、有料でするのではなくて、まず、障害者の人が、何をして欲しいかを聞いて、できない事はできないと告げさせて頂いて、自分が今、できる範囲の事を、率先して、無償でしてあげるべきだと想います。
いえ、今、この世に生きているものとして、一種の義務として、させて頂くべきです。
一人でも、多くの人が、神の愛、生きている喜びを、神に代わって、障害者の人に、伝えてあげて欲しいと想うのです。
そして紫陽花自身も、そういった合縁があれば、たぶんないとは想いますし、はっきり言って、男性はお呼びではないそうですが、縁の神様から、お呼びがあれば、時間とお金さんが許す範囲であればしたいと想います。
ただし、紫陽花が、こんなことを言えば、皆さんの中に、紫陽花は、男性で、独身だから、こんなことをいえるのだと言う人は多いと想います。
この事に関しては、紫陽花自身も、素直に認めたいと想います。
もし、紫陽花が女性であっても、きっと同じ事を書いている気がしますが、現実は、やはり、女性に生まれていたら、違うと想います。
でも、そんなことを考えても、何も生まれません。
紫陽花は、「喜んで、障害者の人に、合縁があれば、無限の無限の喜びで、セックスボランティアさせて頂きますし、紫陽花のパートナーの女性が、してあげたいと想うのなら、喜んで認めてあげたい」と宣言する事で、この章を閉めたいと想います。
ただ、そうは言っても、セックスボランティアなどでは、異性感の間で、一種の恋愛感情が生まれてくる事があるそうです。
紫陽花自身の性格で考えても、そうなる可能性はあります。
ある程度、勉強してから、資格を持ってからすべきだと想います。
詳しい人は、教えて下さい、お願いします。
∞「年寄りの性の解放」∞
今、長年、多くの人が思い込んでいた、年を取ったら、性欲もなくなるという考えが、少しずつ変わろうとしています。
紫陽花も、少し読んだ事がありますが、介護の世界や、多くのお年寄りの集まりでは、こういった問題がクローズアップされているそうです。
あるお年寄りの集まりでは、女性のお年寄り全員に、リーダーの男性が、大人のおもちゃ、こけしを配ったそうです。
そういったもので、性欲を発散しなさいというのです。
女性の人も、何歳になっても、性欲は十分あるのだと想います。
また、社会問題としても、お年寄り同士の恋愛、結婚が、お互いの家族を巻き込んで大きな問題になっているとも聞きます。
子供達にすれば、母親や父親が、年寄りになってから、恋愛して、突然、身も知らずの人と結婚すれば、自分達が貰えるはずの遺産はどうなるかという問題が発生します。
まったく身も知らない人に、身内になられて、将来、遺産を半分取られる事になれば、これは大問題です。
紫陽花には、そんな遺産はないので大丈夫ですが、遺産がある家族の気持ちは分かります。
きっと年寄りになると、今の社会システムだと恋愛は、簡単にできないのです。
「人は、歳を取れば、性欲もなくなれば、恋愛の感情もなくなる、夫婦間でも、何十年と暮らしている間に、お互いの愛が深まって、どちらかの一方が先になくなったら、もう一人の人は、夫や妻の想い出を、大切に生きていく事が幸せだ」と言った今までの岩戸、常識に、国も世間も、個人も縛られているからだと想うのです。
しかし紫陽花は、それはおかしいと想います。
何故なら、紫陽花の体験でいえば、40歳を越えましたが、性欲は、全然なくなっていません。
確かに、20歳の頃のように、時々「ああ、セックスがしたい」と強烈に想った頃に比べたら、今は、だいぶ減った気持ちがします。
「セックスがしたい」というよりも、今は、「愛し合い」という気持ちが強い気がしますが、性欲に関しては、減ってはいません。
これが、60歳になっても、80歳になっても、紫陽花からなくなるなんて信じられません。
たぶん、20代の頃のような、ただ、異性とセックスをしたいという本能は減っているかもしれませんが、それはなくなっているのではなくて、もう少し増しな異性と「愛し合い」という気持ちに変化しただけで、性欲自体は、まったくなくなっていない気がするのです。
また、もう一つの夫婦間の愛でも、もちろん、紫陽花は独身なので分かりませんが、雑誌の情報や、何人かの人の話を聞くかぎりでは、年月が経過すればするだけ、夫婦間の愛が深まるなんていうのは幻想だと想います。
ある日、突然、離婚するという、熟年離婚が増えていると聞きますし、夫婦になる事によって、ずっと長い間、一緒に住む事で、かえって、内心では、一番、夫や妻が嫌いと言う人も多いといいます。
妻や夫とは、セックスしたくないというセックスレスの関係の夫婦も多いのです。
だから、紫陽花は、もちろん、長い間、仲良く愛し合っている夫婦や、パートナーさんが、亡くなっても、その人の想い出と愛で、ずっと暮らしている素敵な人も何人もしっていますが、現状を考えたら、そうでない人もたくさんいると想います。
内心では、パートナーさんが亡くなって、一人になれた事でほっとしたという人も、男性には考えられませんが、女性の中には多いといいます。
ですから紫陽花は、異性に対しても、結婚する気持ちはなくても、ずっと亡くなった人に操をたてるよりも、いい人がいたら、出会いたい、友人として縁が持ちたいというのが、多くの人達の気持ちだと想います。
少なくても、年寄りになったら、恋愛をしたくない、異性と出会いたくないというのはありえません。
人は、年寄りになっても、恋愛もしたいし、本当に信頼できる異性の人がいたら、セックスはしなくても、仲良く、話をしたり、遊んだりしたいというのが、正直な気持ちだと想うのです。
だから、紫陽花は、皆さんの中で、批判する人は、当然いるとは想いますが、あえて言わせて頂きますと、この問題も、家族や、社会が、国家が、もっと真剣に考えて、60歳以上になれば、遺産と言った問題に関しては、法律を改正して、60歳で結婚した場合、相手の人が亡くなった場合の遺産は、わずか以外は、全部放棄するという条件であれば、結婚してもいいという風にしたらいいと想いますし、結婚しなくても、年寄り同士が、お互いに一緒に住む事も、家族や社会では、認めるべきだと想います。
年寄りの恋愛に対して、暖かい、社会、家族になるべきだと想うのです。
何故なら、ボケや鬱と言った病気に関しても、紫陽花は、一番の薬は、恋だと想います。
よく、妻や夫を亡くして、ずっと家から出なくなった年寄りの人が、恋をして、元気になったという話は聞きます。
別に煩わしいセックスはなくても、相手の人に、料理を作って貰ったり、作ってあげたりする事で、十分だと言います。
紫陽花は、まだまだ年寄りになっていないので、その気持ちは分かりませんが、年をとればとるだけ、寂しいというか、誰かと分かり合いという気持ちが強くなるのだと想います。
お金や地位は、年を取ればあまり関係ないのだと想うのです。
ですから紫陽花は、年寄りの人も、どんどん恋愛したらいいと想いますし、紫陽花自身も、60歳、80歳になっても、全然駄目でも、諦めずにずっと異性との恋愛をしたいと想います。
「この縁の花では、いつまでも、素敵なパートナーさんが現れる、現れないは関係なく、めげずに、パートナーさんを募集したいと想います」
その事を、この章では、皆さんに宣言したいと想うのです。
そして、縁の花の読者の中には、年寄りから、若い人まで、いろんな人がいると想いますが、皆さん、運がよければ、全員年寄りになります。
その時に、自分はどうしたいか、どんな社会に住みたいか、いつまでも異性と縁を持ったり、恋愛をしたりしたいか、それとも、年寄りになったら、一人で生きていたいか、もっとみじかな問題として考えて欲しいと想います。
紫陽花は、年寄りになっても、恋愛したいという想いがあるのに、それを我慢しないといけない社会にはすみたくないのです。
よろしく、お願いします。
∞「観音菩薩」∞
紫陽花は、今、毎日、「ありがとうございます瞑想」しています。
縁の花 第190号で書いたように、太陽や月、自然、守護霊、ご先祖様、神、ありがとうございます大神様などに、「ありがとうございます」しています。
何故なら毎日、よく考えたら、紫陽花は生きている以上、いろんな想いを生み出しています。
それは、いくら気を付けていても、現世で生きている以上、いい想いとは限りません。
縁の花で、書いている事さえ、全部が全部いい想いとは限らないのです。
いえ、かえって悪い想いの方が、はるかに多いと想います。
たぶん、90パーセントは、悪いと想うのです。
だから、せめて、1時間以上は、「ありがとうございます」「感謝します」といった波動を、神々や背景の御魂に届けたいと想っています。
それで紫陽花は、何の為に、毎日生きているかといえば、「ありがとうございます瞑想」をして、いろんな存在に感謝する為ですという意気込みで、やっているのです。
それで朝起きた時の20分間〜80分間と、夕方、1時間以上〜しています。
何とか、できるだけ毎日しているのです。
しかし、皆さんに、ありがとうございます瞑想していますなんて偉そうに言っていますが、実体は、なかなかできなくて苦しんでいます。
朝は、何とかできるのですが、夕方の瞑想になると、いろんな想いが出て来て、大変です。
酷い時には、5分も進まないケースがあります。
できるだけ想いが生まれるのは仕方ない、「ありがとうございます」で消して頂いているのだと感謝して、とにかく、最後まで、いろんな存在に感謝するようにしていますが、人の想いというのは、 本当にたいへんだなあと実感しているのです。
また、恥ずかしながら、その想いの中には、性欲もあります。
日々、起こる嫌な事や、腹がたつ事と同じように、たまに、突然「セックスがしたい」という想いが出て来て大変です。
これだけは、なかなか「ありがとうございます」では消えてくれません。
無視して「ありがとうございます」をしていますが、どうしても消えない時には、一人でしているので、パートナーさんがいない不甲斐ない事を、背景の御魂にお詫びして、簡単に処理して「ありがとうございます瞑想」を続ける事にしています。
あくまでも時々ですが、これをやっている時もあるというのが、実体なのです。
自分で言うのも何ですが、本当にカッコ悪いです。
また、紫陽花は、毎日の「ありがとうございます」の中で、自然や神々だけでなく、人に対しても「ありがとうございます」しています。
両親や、妹、弟から始まって、今迄縁ある人達に、「ありがとうございます」しています。
紫陽花が、尊敬している人、本人はありがた迷惑だと言って怒るかもしれないので、名前は言いませんが、男性、女性関係なく、紫陽花の大好きな人達、より縁が深まって欲しい人にしているのです。
というのも、これはアスカ住環境の松岡所長に教わった事ですが、嫌だなあと想っている人や、苦手な人にでも、その人の顔、イメージを思い浮かべて、「ありがとうございます」「愛しています」などの波動をずっと届けていたら、人間関係がうまくいくと聞いたからです。
それで、紫陽花も、嫌いな人はあまりいないので、縁ある人達にする事にしたのです。
しかも、今の時代は、デジカメといった素晴らしいものがあります。
デジカメで撮れば、いくらでも、コンピューターから写真が印刷できます。
それで、2年前に、デジカメを買ってから、縁ある人を撮る事は、紫陽花の趣味になりました。
内緒ですが、撮らせて頂いた人達の幸せを願って、「愛しています」「いつもありがとうございます」「合縁に感謝します」を届けさせて頂いているのです。
これも実は、紫陽花の「無限の無限の喜び」の一つなのです。
しかし、ここでも、こんなことを言えば、カッコいいように見えるかもしれませんが、紫陽花が、願っているのは、殆ど女性です。
男性で願っている人といったら、ごくわずかです。
大抵の場合は、男性に対しては、ふっと思い浮かんだ人や、その日に会った人とか、もうすぐ会う人、電話やメールくれた人が殆どで、特別に毎日「ありがとうございます」する人は、ごくわずかなのです。
ですが、これが女性になると別です。
一杯、一杯「ありがとうございます」させて頂いています。
しかも、「ありがとうございます」させて頂くのは、どうしても、縁が深い女性になります。
まったく縁がない女性を願う事はできませんし、もうアイドルや好きな芸能人がいるという訳でもありません。
どうしても、紫陽花と一緒に、どこかに行った事がある女性とか、紫陽花邸に、一人で遊びに来てくれた勇気ある女性といった事になります。
今迄、そんな過去に愛を注いでくれた女性に「ありがとうございます」しているのです。
40歳になれば、自分に何もしてくれなかった綺麗な女性や、相手にしてくれなかった女性よりも、少しでも優しくしてくれた、恩ある女性の方が、本当に感謝できるといった事に、今更ながら分かったのです。
だから今、紫陽花は、縁ある女性ばかり集めた写真のアルバムを持っています。
残念ながら、今までに、女性とお付きあいした事はあまりありませんが、紫陽花と二人で撮った写真ならたくさんあります。
そんな多くの女性さんには、「ありがとうございます瞑想」の間は、申し訳ありませんが、紫陽花の彼女になって頂いて「愛しています」をさせて頂いているのです。
そして、ここで紫陽花が、皆さんに言いたい事は、紫陽花が、特別に感謝する女性は、やはり、二人だけで同じ空間や同じ時間を過ごした女性や、ほんのわずかな間でも、愛し合った、セックスした事のある女性だという事です。
そんな人の数は、少ないですが、いえ、少ないだけに、ずっと覚えていて、名前を想い出すだけに心から感謝できるのです。
また、それにはもちろんお金が係った女性は一人もいません。
20歳〜30歳の頃に、お金で、いろんな天使さんのお世話に成りましたが、どんなに綺麗な女性でも、もう名前も、顔も全然覚えていません。
紫陽花が、覚えているのは、少しでも、紫陽花の事を愛してくれた女性、無償で愛してくれた女性なのです。
しかも紫陽花には、詳しい事は、皆さんにも絶対に言えませんが、ある時期の間、菩薩さん、観音菩薩さん達と縁を持たせて頂いた事があります。
これは、皆さんには、とても信じられない夢のような話だと想いますが、同情とか、ボランティアとはまったく違うものですが、紫陽花がお願いしたら、一時だけ紫陽花に、心から愛させてくれた女性が何人かいるのです。
ただ、もちろん紫陽花の性格から言っても、セックスをしたという事でないのですが、添い寝をしてくれたり、お互いに裸になって抱きしめあったり、愛しさせて頂いた事があります。
一緒に、お風呂に入ったこともあります。
今は、もうそんな縁はありませんが、紫陽花にとっては、一生感謝する最高な事です。
はっきり言って、これ以上の恩はないと想っています。
今から考えても、心から「ありがとうございます」していますし、もし、紫陽花の人生の中で、この菩薩さん達の縁がなかったらと、きっと女性と縁のない、空しい人生になったと想うのです。
本当に、縁が持てて心からよかったと想います。
だって、相手の女性が、紫陽花を心から、愛してくれたという事ではないのですが、それでも紫陽花の寂しい気持ちを理解して、紫陽花の男としてのどうしようもない欲望も分かってくれただけで、今でも、想い出すだけで、本当に涙がでるぐらい嬉しいからです。
未来永劫、あの世に帰っても、心から感謝すると想いますし、まさしくその女性は、紫陽花にとっては、観音菩薩さんです。
たぶん、その女性に、貴方は紫陽花にとって菩薩さんですと言ったら、笑って、私は、そんなものではないと否定するでしょうが、その女性の性格が、本当はどうあれ、例え、殺人者であったとしても、やはり紫陽花にとっては、観音菩薩なのです。
心から拝める存在なのです。
また、ここで、あえて皆さんに、ぼこぼこにされる事を覚悟して、紫陽花のいろんな経験から言いますと、「紫陽花は、男性なので、女性の現状は、全然分かりませんが、類は類を呼ぶと言うか、紫陽花の同じように、独身で、ずっと女性と縁のない男性はたくさんいますし、きっと女性の中にもいると想います。その事に対しては、結局は、縁のものですし、紫陽花自身は、菩薩さんとの素敵な想い出もあれば、縁の花を通して、異性の人とメールのやりとりもできるので「無限の無限の幸せ」なので、我慢できますが、せっかくこの世に生まれて来た以上、すべての人がもっと愛し合える世界にならないかなと想います。そんな人は、日本人全体で考えたら、独身の人が、多い時代ですから何百万人はいると想います。これはやはりかわいそうです」と、自分の事を棚に上げて想うのです。
何故なら、人生は、あまりにも短いです
そんな限られた時間内で、人生の最高の喜び、異性と愛し合える人数は、紫陽花のように、酷い人になると、まったくない人もいますし、どんなに多い人でも、限られていると想います。
これは、あまりにもかわいそうですし、勿体ないと想います。
はっきり言えば、紫陽花は、そんな今の社会に、いつまでも住みたくないのです。
それよりも、異性の縁のない人でも、望めば、セックスが問題外でも、縁ある人と愛し合える、その人のできる範囲の事をして貰えるそんな暖かい社会にすみたいと想います。
一人でも、多くの異性や同性の人に、心から感謝して、あの世に帰れるこの世がいいです。
それが、本当は、すべての人を幸せにすると想うのです。
だって、紫陽花と違って、複数の女性と付き合っている人もいますが、当然ですが、いろんな障害あって、大変な事もあるみたいですし、夫婦の間でも、パートナーさんをまったく愛していないという人は多いです。
そこから考えても、結局、紫陽花は、結婚や恋人といった制度、縛りは、異性と縁のない人だけでなく、異性と縁ある人にも、幸せにしないと想います。
それだったら、男性も、女性も、何歳になっても、自由に愛せて、菩薩になれる世界の方がいいです。
そんなすべての人達に、愛が充満する社会になれば、誰も、お金や物、地位をそんなに求めようとしなくなりますし、すべての人類が、愛し合えれば、戦争が起こらなくなると想います。
それが、紫陽花が考えている、岩戸を開いて、天照大御神様が、世に出た社会です。
紫陽花は、だから、天の岩戸開き伝説で、あめのうずめ(天宇受売)が、日本初のストリップをして、神々を大笑いさせて、見事に、天照大御神様に、岩戸を開けさせたのだと想います。
単純に、天の岩戸伝説は、その事を、現在の人類に伝えていると確信しているのです。
という事で、「紫陽花は、これからも、パートナーさんが現れなくても、めげずに、自由恋愛を楽しむという精神だけは、捨てずにガンバリます」という事で、この章を終わりたいと想います。
∞「宇宙の真理」∞
2005年3月5日