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                                       縁の花  

                      (魂が向上する心と心のネットワーク誌)

                                        第123号        

      太平洋戦争済度

 

                     《「太平洋戦争で亡くなった霊達」》

 太平洋戦争といわれているものが今から58年前にありました。

 日本名でいえば大東亜戦争といわれるものです。

 この戦争では日本人だけでも民間人を含めて600万人以上、中国人などのアジアの人達を含めたら、1千万人以上という想像もできないぐらい、沢山の人が死んでいます。

 もちろん日本の歴史始まって以来の数です。

 多くの人が死んで後、魂というものが存在するのなら膨大な数の霊達になったのです。

 しかしそんな戦争で亡くなった多くの霊達が今、どうなっているのかは紫陽花には分かりません。

 河内先生と縁を持つまでは、きっと霊界に殆どの霊が帰っていると思っていましたが、今の紫陽花はそうではなく有縁の死者霊として、眼にはみえないけど、意外と短なこの空間に居る気がするのです。

 というのもやはり戦争は悲惨です。

 ガダルカナルやニューギリアの戦いにしろ、沖縄の戦いやインパール作戦しろ、本当に残酷です。

 殆どの兵士が食べ物も食べられずに餓死するか、体力が落ちてマラリアなどの伝染病で死んでいます。

 何万という人がです。

 紫陽花はそんな兵士達の記録をみれば、きっと「食べ物を食べたいとか」「どうせ死ぬのなら祖国日本に土で死にたい」という強烈な思いを残して死んだとしか思えず、声も出ません。

 またそんな戦場でなくても空襲などで多くの民間人も死んでいますが、気持ちは同じです。

 明日空襲があると予測して死んだ人はいません。

 爆弾や原子爆弾は突然降ったきたのです。

 だから民間人の多くの人も「この戦争が終わったらこんな事をやりたい」とか、家族や愛する人の事を心配しながら死んだと思います。

 病気のようにもうすぐ死ぬと覚悟して死んだのとは違うのです。

 ですからこういった人も強烈な思いを残しています。

 紫陽花はそんな人の思いが、結局無くならず、多くの人が有縁の死者霊になってしまう可能性は高いと考えているのです。

 また紫陽花には太平洋戦争で亡くなった霊達には、感覚の思いだけでなく、無念だったという思いも強烈にあると思います。          

 というのも太平洋戦争の当時の日本人の多くはこの戦争の意味も分からなければ、戦争が起こった理由も分かりませんでした。

 ただ欧米は鬼畜だといって、よく分からないまま戦争になったのだと思います。

 今の歴史なら分かっている、欧米の陰謀や、日本の指導者の馬鹿さかげん、暗号が解読されていたことなど、全然知らなかったのです。

 だけど死んだ時点で、いや死んでからしばらくしたらどうでしょう。

 紫陽花は霊になったら、米国にも一瞬にいけるし、政治家や軍人が何を考えているかも全部分かるのだから、真実を全部知るようになると思います。

 少なくても紫陽花が太平洋戦争で死んだら、真実を確かめずに霊界に帰る気にはなれません。 そしてその真実を知って、今まで聞かされていた事とあまりに違うのに愕然とすると思います。

 だって真実は全然違うのですから、自分は日本の国や外国に騙された。 

 「こんな事の為に死んだのか」と悔しいという気持ちで一杯になると思うのです。

 紫陽花はその時、彼らが有縁の死者霊になっても仕方がないと思います。

 ただそうはいっても戦争で亡くなった霊達も、少し落ち着くと生きがいの創造の本では、死んだらマスターが現れて、その人と人生を整理し、反省すると書いているような事が起こると思います。

 何故ならそうしないと人生を生きた事にはならないからです。

 たぶんその時には、何故太平洋戦争になったのか、一人一人の意識の面からも反省させられると思います。

 自分は何の力も、決定権もなかったのだから、責任はないといっても、全体の責任は、実は個人の責任でもあります。

 どれだけ真実をしろうとしたかとか、大正時代のデモクラシーがどんどんなくなり、軍人が政権を持つようになった事をよく考えずに支持したのではないか。

 もし支持していたのなら、そんな自分の姿をみせられるのかも知れません。

 二度とこんな戦争を一人一人が起こしたらいけないという事を、徹底的に反省させられると思うのです。

 これが紫陽花の考えている死んだ後に起こるイメージです。

 でもその後、そういった霊がそれで死の課題を果たして、霊界に帰れるかといえば、帰れないと思います。

 冒頭に書いたように太平洋の島で餓死したり、空襲などで突然に焼け死にした人の強烈な思いはなくならないし、騙されたという無念さも無くなりません。

 この思いだけはマスターにもどうする事もできないのです。

 と同時に紫陽花はあの戦争はこうすべきだったとか、こうしたら勝てた。

 ハワイの真珠湾はこうすべきだった。

 ミットウエー海戦はこうしたら勝てたというような思いを持つ霊達も、沢山いると思います。 何故なら今、太平洋戦争の頃と同じように、いえそれとは比較にならないぐらいの大きな危機を持っている日本人や人類に、あの頃のこんな失敗はしないで欲しい。

 二度と戦争のない社会を創って欲しいという有縁の死者霊達のメッセジーや訴えが、3次元の今の世界に投影されているからです。

 それが以前にも書きましたが、今流行りのシュミレーション小説に現れているのです。       

 

                           《「シュミレーション小説 」

 

 今、シュミレーション小説、または逆転小説といわれているものが流行っていますが、これは戦国時代や太平洋戦争で亡くなった霊達から、現在の紫陽花達に対する訴えですよというのは第54号「シュミレーションゲーム」で最後に少し書きました。

 この10年ぐらいで、今までなかった、いろんな時代のシュミレーション小説が出てきていますが、それ一つとってみても、今の時代は霊達の思いのそう決算時期だというのが分かるのです。

 ですから紫陽花も第54号で、前世が武田信玄の息子として、武田家の天下取りのシュミレーションを書き、見事に武田家に天下を取らせました。    

 あの当時の武田家と縁ある霊達の事を思って書いたのです。

 それで武田家に係わる霊達を済度したのです。

 しかし今のシュミレーション小説は、残念ながらこの霊達の思いが抜けているようで、紫陽花は不満を持っています。

 始めてシュミレーション小説を書いた荒巻義雄さんや霧島那智さんの初期の頃は確かに霊達の思いが入っていた気がします。

 実際に荒巻さんはそんな霊達の思いが紺碧の艦隊という小説を書かせていると書いていたし、霧島那智さんも山本五十六大将の霊や南雲中将の霊が、死んだ後、何と真珠湾攻撃の直前やミットウエー海戦の直前に生まれ変わって、戦うシュミレーション小説を書いています。

 いえ、今でもいろんな人が、日露戦争の時に活躍した秋山真之さんの霊の指示を受けて戦っているシュミレーション小説などを書いているのです。

 でも紫陽花はそれを読んでも、全然感動しません。

 太平洋戦争で死んだ霊達がこんな内容で満足するのだろうかと思ってしまいます。

 特に今のシュミレーション小説は売れるという事でいろんな人が書いており、現実ばなれしたものが多いです。

 高性能のレーザーやジエット戦闘機が開発されたとか、日本の自衛隊が太平洋戦争に巻き込まれたなんて奇想天外のものばかりです。

 現実ばなれしているのです。             

 これでは霊達が浮かばれる訳がありません。

 それではあの当時の思いが少しも晴れる事はないからです。       

 だから紫陽花は今から、太平洋戦争で亡くなった霊達の思いを実現する、シュミレーション小説を書いてみようと思います。

 太平洋戦争で亡くなった人達をそれで済度したいのです。

 訴えや思いを文面にする事で聞いてあげ、河内先生に読んで貰う事で霊界に帰してあげたいのです。

 どうか皆さんもそんな霊達の訴えを聞いてあげるという気持ちで読んであげて下さい。

 お願いします。

 

 

                        《「太平洋戦争のプロローグ 」》

 

 太平洋戦争は昭和16年(1941年)12月8日、ハワイ諸島の真珠湾にある米国の基地やフイリピンの飛行機場を攻撃した事から始まります。

 しかしこの戦争は最初から絶対にするべき戦争ではありませんでした。

 米国一つとっても国力は下手をしたら百分の一ぐらいの差があります。

 そんな国力で、資源をまったく持たない日本が、米国だけでなく、イギリスなどの世界中を相手にしてしまったのです。         

 今から考えれば勝てる道理がありません。

 しかも日本は中国と何年も戦争を続けており、陸軍は中国にはりつけ状態でした。

 將介石の中国との戦いで泥沼がしており、全力を米英に向けられません。

 その当時の指導者が冷静に判断すれば、太平洋戦争などという無謀の戦いをすべきではなかったのです。

 でも日本は戦いました。

 その理由の一つは、あの当時の指導者の傲慢です。

 軍人などというものは視野が狭く、一端始めた戦争をなかなかやめる事ができません。

 中国との戦いはこれ以上しても勝てません。

 米国やイギリスと戦えば負けますとはいえなかったのです。

 そんな事があれば、予算が減らされます。

 今の日本の官僚組織が硬直かしているのと同じように、あの当時の日本の軍隊も官僚かしており、一国をちゃんとリードしていく事ができなかったのです。

 だから余談として日本は負けて良かったと思います。

 負けたからその頃の呪縛から解放されて、戦後の奇跡の発展がありました。

 もしあの戦争に勝っていたら、アジア諸国に対しても植民地にしたりして、間違った方向に進む事を止める事はできなかったと思うのです。

 又二つ目の理由として、米国や英国に見事にはめられたという事もあります。

 日本自体は戦争をしたくなくても英国や米国は戦争をしたかったのです。

 英国はドイツとの戦いに苦戦しており、米国の参戦なしでは勝つ事は不可能です。

 米国も英国を助ける為に、ドイツと戦いたいのです。

 だけど米国の国民は戦争には反対なので、よほどの理由がないかぎり米国から戦争を仕掛ける事はできません。

 それで米国のルーズベルト大統領は、武器を英国に堂々と運んだりして、ドイツを挑発するのですが、第1次世界大戦で懲りたヒットラーは、その誘いに乗りません。

 そこでルーズベルト大統領が目を付けたのが、ドイツの同盟国である日本です。

 日本を挑発する事で、米国は第2次世界大戦に参戦しようとしたのです。

 そしてその為に米国は日本に対して仕掛けをします。

 まずABCD包囲網といって石油が取れない日本に、米国や英国、蘭国(オランダ)が一致団結して石油が入らないようにしたのです。

 しかも外交面でもABCD包囲網を解いて欲しいなら、中国からの撤退しろというような次々と日本が飲めないような条件を言い出して、外交音痴の日本はついにその罠に乗ってしまいました。

 石油の備蓄がなくなったら船も飛行機も動かせません。

 そうなる前に一か八かで太平洋戦争に突入したのです。

 でもこの太平洋戦争は日本人があの当時欲にかられず、指導者にちゃんとした人を持っていたら防げる戦争でした。           

 いえ、日本が外圧に弱い事を利用して、その米国のハルーノートという最後通牒などを逆手に取って中国との戦争をやめてしまうべきではなかったかと思います。

 日本が米国からの難題を受け入れたら、米国も石油などを止める事はできなかったからです。

 そういう選択も本当に難しいけどできたのです。

 又この時に米国と戦争をせずに英国や蘭国とだけ戦争をする手もありました。

 この方が現実的ですが、そうすれば日本は一気にシンガポールを落とし、マレーシアやインドネシアから英国や蘭国を叩き出し、東南アジアのゴムとか石油などの資源を押さえる事は簡単でした。

 その上で米国の出方をみればよかったと思います。

 日本軍の強さをみれば、米国も簡単には戦争を仕掛けられないからです。

 ですからこの方法を取ったシュミレーション小説もありますが、実はこの選択を英国などは恐れており、採択したら面白かったと思うのです。

 でも紫陽花のシュミレーション小説ではこの選択はするつもりはありません。

 太平洋戦争をしたのだから、その上でシュミレーションを組んでいかなければ、太平洋戦争で死んだ霊達が浮かばれないと思うのです。

 だから紫陽花は12月8日の真珠湾攻撃の時から物語を始めます。

 

                                     《「真珠湾攻撃」》

 

 昭和16年12月8日、日本の正式空母6隻(赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴)を中心とした日本海軍は、ハワイの真珠湾の米国の海軍基地を奇襲しました。

 イギリスはこの事を察知していましたが、米国に報告はせず、米国も日本軍が仕掛けてくる事は分かっていましたが、まさか真珠湾を攻撃するとは思っていなかったのです。

 だからこの攻撃は完全に成功しました。

 米国の太平洋艦隊の内、9隻の戦艦はすべて破壊されました。

 飛行機も二百機以上破壊したのです。

 しかし何故か日本海軍の指揮官南雲中将はその後、真珠湾の基地を破壊する事もしなければ、米国の空母を探そうともしませんでした。

 空母は近くまでいたのですが、取り逃がしたのです。

 しかしこの物語ではそうはなりませんでした。

 山本五十六大将は真珠湾攻撃を計画した時に、それに積極的でない南雲中将に力量に疑問を感じていました。

 南雲中将は航空戦の経験がなく、飛行機の重要性が理解できないのです。

 でも帝国海軍にしろ、帝国陸軍にしろ、人事は硬直しており、年齢や学校の成績順に決まってしまいます。

 山本大将の思ったような人事ができなかったのです。

 だけどこんな事では米国相手の戦争など不可能です。

 山本大将は決断をして南雲中将を変えて、真珠湾攻撃の指揮官を、自分の考えを指示してくれている山口多聞少将に命じました。

 人事部は文句をいいましたが、山本大将は「そんな事で戦ができるか」と一括して強引に山口少将に任せたのです。

 その山本大将の決断は大成功しました。

 山口少将は真珠湾攻撃の成功に満足せず、まずハワイから離れると米国の空母を探す事にしました。

 ハワイにいなければ近くにいる可能性は高いです。

 山口少将は一端攻撃機を全機空母に収容すると、ハワイから離れ、偵察隊を40機と多数出す事にしました。

 ハワイの基地は米国の空母が近くにいない事を確かめてからでは遅くはないと思ったのです。

 さあ、その選択は間違いありませんでした。

 空母エンタープライズとレキシントンは別々に艦隊を率いて、近づいていたのです。

 そして日本の機動艦隊は、怒りに狂ったハルゼー中将率いるエンタープライズを発見すると最初の空母同士の戦いをしたのです。

 でもこれは圧倒的に日本軍の勝利でした。

 6隻対1隻では相手になりません。

 最初に発見したエンタープライズの攻撃機は日本の空母を守るゼロ戦の相手にならず、爆弾を放つ前に全滅したのに対して、日本の攻撃機は驚異的な命中率で、エンタープライスを撃沈しました。

 しかもその上、ミットウエー沖でもジョン・Hニュートン率いるレキシントンにも同じように攻撃を仕掛け、これまた撃沈しました。

 日本の機動艦隊には一切の損害も出さずに、米国の太平洋艦隊がほぼ全滅するという信じられない大勝利をおさめたのです。

 すべては空母同士の戦いでは、先に相手を発見して先制攻撃した方が圧倒的に有利だということで、偵察機を四方に出しまくった山口少将の戦術が勝たせたのです。

 また、こうなると帝国海軍に恐れるものはありません。

 ハワイに引き換えすと、真珠湾の海軍の基地である燃料タンクや格納庫、船の造船場を破壊しようとしたのです。

 でもここで山本五十六から作戦変更の指示が届きました。

 何とか破壊せずに降伏させて、ハワイを占領できないかといってきたのです。

 そこで山口少将は戦艦比叡、霧島、重巡洋艦、利根、筑摩をハワイ諸島に近づけて、海上から民間施設を砲撃して民間人に恐怖を与えました。

 太平洋艦隊司令長官であるキンメル大将に、民間人を巻き込みたくなければ降伏しろと勧告したのです。

 しかしそんな事ではキンメル大将も降伏しません。

 結局作戦はうまくはいかなかったのです。

 でもその間にも長門や陸奥、金剛、榛名、伊勢、日向などの6隻の戦艦や積めるだけのゼロ戦を4隻の軽空母(瑞鳳・鳳翔・龍驤・隼鷹)に積んだ山本五十六は、陸軍と交渉して輸送船に陸軍7千人を乗せ、輸送船や補給船をありったけ連れて機動艦隊との合流を目指していました。

 他の作戦であるフイリピンやマレーシア、インドネシア方面の上陸作戦はうまくいき、英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈して、反撃の心配はないので後は陸軍に任せて、ミットウエー・ハワイ方面に全盛力を向けたのです。

 さあ、この山本大将の決断は成功しました。

 ミットウエーはこの時期、米国の飛行機も殆どありません。

 山本五十六は合流した機動艦隊に米国の空母からの攻撃を警戒させると率いた艦隊にミットウエーを攻撃させ、あっという間にミットウエーを占領しました。

 陸軍は上陸すると2時間後には占領していたのです。

 そしてその後、帝国艦隊は再びハワイ諸島を目指し、戦艦の砲撃で度肝を抜くと、同じ陸軍7千人を上陸させて、ハワイも占領しました。

 援軍が来るはずもない中では志気があがらず、戦意を無くした米国軍はわずかの兵の上陸にもあっさり降伏したのです。

 でもそれでもキンメル大将は燃料タンクやレーダー基地は自ら破壊しており、山本五十六に誤算を与えたのです。

 だけど第1段階の作戦は見事に成功したのです。

 しかし山本五十六には一つ許せない事がありました。

 米国にいる日本大使館の怠慢で宣戦通知が送れてしまい、だまし討ちになってしまったのです。

 米国はこの事を批判して、恐れていた米国の国民に火をつけてしまいました。

 山本五十六はこの事に激怒して、通知が送れた責任を取らせました。

 東条首相に強くいって、米国にいた日本の大使館員を全員罷免させ、米国にも分かるように責任者の野村吉三郎日米交渉全権大使を泣く泣く切腹させたのです。

 

                                  《パナワ運河破壊作戦》

 

 見事にミットウエー島やハワイ諸島を占領した日本軍はそこに小数の陸軍の人員を残すとさっそく次の作戦の準備に入りました。

 というのも山本五十六は短期決戦しか考えていません。

 国力が違う米国とは経済力や科学力から考えても長期戦になれば勝つ事は不可能です。

 一年ないし二年で米国との和平を結ばないかぎり勝てる見込みはなく、山本五十六は、それまでは暴れまくるつもりだったのです。

 またそんな山本五十六を強気にしたのは、日本の航空機の優秀さにありました。

 米国の飛行機は最初の予想よりも性能が悪く、戦闘機はゼロ戦の相手にはなりませんでした。

 爆撃機でも雷撃機でも日本の方が遙かに優れています。

 しかも日本人のパイロットは中国との戦いで戦争に慣れており、これが緒戦の米国のパイロットよりも遙かに優秀です。

 だから山本五十六は米国の事だから優秀な飛行機を開発するのは間違いないだろうけどそれまでに徹底的にアメリカを叩いておこうと決心したのです。

 その為に山本五十六は海軍の全作戦をハワイ・ミットウエーに集中させました。

 オーストラリア方面のラバウルの占領なども延期して、日本海軍の7割近くの戦力を集中させました。

 井上成美中将がウエーク島の占領を失敗した時には激怒しましたが、ただちに山口少将の機動部隊に攻略を命じ、陸軍が占領すると、航続距離の長いゼロ戦を密かにハワイ諸島に集めました。

 台湾、沖縄、本土、硫黄島、サイパン、トラック諸島、ウエーク島、ミットウエー、ハワイと1日後とに飛ばさせました。

 台湾にある優秀なゼロ戦隊もできるだけ集めたのです。

 だからハワイ諸島にはゼロ戦だけでも350機近くが集まりました。

 後はインドネシアの油田地帯に、戦艦山城、扶桑と海軍と陸軍の攻撃機を残して、守りも固めたのです。

 ですからこれからの作戦の勝敗如何によって日本の命運は決まる事になります。

 インドネシアを占領した事で、石油の確保の目処が付いた事でやれる大作戦で、日本が備蓄していた石油の殆どを持ってきたのです。

 しかしこの山本五十六の作戦は再び成功しました。

 まず山本五十六は山口少将の機動艦隊に、ウエーク島攻略の後、1週間の休みを与え、すぐにパナワ運河の破壊を命令しました。

 パナワ運河は大西洋と太平洋を結び唯一の運河です。

 ここを破壊すれば米国の大西洋艦隊は、太平洋に入るのに、アフリカか南米大陸を一周しなければ進む事ができません。

 米国の海上輸送の心臓部分を破壊する事にもなり、米国のダメージは大きかったのです。 でもそんな山本五十六にも心配もありました。

 本国から補給船でどんどんハワイに軽空母の瑞鳳と駆逐艦20隻以上を護衛に付けて、石油を運んでいましたが、全艦隊を動かせるだけの石油はまだ集まりません。

 真珠湾基地の石油が使えない事はやはり痛手でした。

 ハワイにいる全艦隊で攻撃する事は不可能だったのです。

 だけどそれでもこのパナマ運河破壊作戦は、6隻の正式空母と比叡、霧島、金剛、榛名の4隻の高速戦艦や重巡洋艦12隻、軽巡洋艦8隻、駆逐艦20隻を護衛として向かわせた大機動艦隊なので成功しました。

 これだけの機動艦隊を組めるのは今や世界に日本一国しかありません

 日本の機動艦隊がパナワに向かっている事を暗号を解読した事でキャッチした米軍もどうする事もできません。

 太平洋にある空母はサラトガ一隻で、後の大西洋にいる空母4隻は間にあいそうもありません。

 日本の機動艦隊の動きが早すぎ為、太西洋の空母が、パナワ運河に通るには時間が無さすぎました。

 しかも日本の潜水艦はパナマ運河周辺で空母を狙って、手ぐすねをひいており、簡単に

はパナワ運河を通る事は不可能だったのです。

 だから米軍は慌てて米国内にある飛行機やメキシコの基地にある飛行機を、バナマの基地の飛行機場に集めましたが、それでも陸軍・海軍を含めて250機が限界でした。

 この内戦闘機は100機、B−17爆撃機が50機、艦爆機50機、雷撃機50機と頭数だけは揃いましたが、これで精鋭である日本の機動艦隊に勝てる見込みはありませんでした。

 極めて不利が予想されたのです。

 そしてパナマ運河の戦いは、新しく太平洋艦隊司令長官になったニミッツの予想通り、いえ遙かに超えて惨敗しました。

 というのも山本五十六は山口少将に命令して、機動艦隊の編成をゼロ戦中心にしていました。

 真珠湾沖海戦を山口少将と分析した山本五十六は改めて戦闘機の重要性に気がつき、軽空母4隻に積んでいたゼロ戦135機の内何と100機を機動艦隊にまわしました。

 これともともと積んでいたゼロ戦150機を含めると250機もあります。

 その分爆撃機は減りますが、海戦は予想しにくいので思い切って雷撃機を減らして、艦爆機150機、雷撃機63機に改めて組み直していたのです。

 ですからこの戦いはゼロ戦が中心でした。

 山口少将はゼロ戦の航続距離をいかして、アウトレンジ作戦を取り、米軍の飛行機が届かない距離から、ゼロ戦130機を攻撃に指し抜けました。

 130機のゼロ戦だけで、まず米軍の戦闘機を全部落とし、その後第2次攻撃機、ゼロ戦30機、艦爆機100機でパナマ基地にある飛行機場を破壊する計画だったのです。

 またこの計画は見事に成功しました。

 米軍はまさかゼロ戦がそんなにあるとは思わず、最初の戦いで米軍の戦闘機はあっさり全滅しました。

 後は第2次攻撃機で、パナマの飛行機場も破壊し、米軍の飛行機は飛行機場に降りる事もかなわず、結局逃げる事しかできませんでした。

 米軍機はBー17爆撃機以外は一発の爆弾も落とす事もできず、機動艦隊に攻撃に向かった50機のB−17も守っていたゼロ戦90機に追い立てられ、高度5000メートルからの水平爆撃では一発も当たらなかったのです。

 こうして見事にパナマ作戦は米軍の負けで終わりました。

 米軍機のいなくなったパナマ運河に対して機動艦隊は、4隻の戦艦を中心とした前線部隊を近づけ猛烈な艦方射撃をしました。

 戦艦の攻撃力はとてつもなく大きく、特に新兵器の三式弾は200メートル周辺を一発で焼きつくし、パナマ運河は決定的に破壊されました。

 その上第1機動艦隊の爆撃機は戦艦の攻撃で破壊できなかった所を破壊して、パナマ運河の復興は1年は不可能になったのです。

 

                            《「アメリカ西海岸破壊作戦」》

 

 しかし日本海軍の攻撃はそれだけでは終わりません。

 パナマ運河を破壊した第1機動艦隊は、ハワイから出航した山本五十六率いる艦隊と合流すると今度は米国本土のサンチアゴを目指しました。

 山本五十六は日本本土にあるありったけの油をハワイに持って来させ、第1機動艦隊も補給船から油を補給すると、日本海軍あげての大作戦を開始したのです。

 でもこの日本海軍の作戦は米国民をパニックしました。

 まさか日本海軍が米国本土を攻撃するなんて予想しなかった国民は、大混乱していました。

 山本五十六は本土を攻撃された事がない米国民がショックで厭戦気分になるのを狙っており、その作戦は成功しようとしていました。

 その事を恐れていた米国のルーズベルト大統領も、解読した暗号で、日本軍がサンチアゴを攻撃すると分かると、ニミッツ長官にサンチアゴに全ての軍用機を集める命令を出していました。

 サンチアゴ基地の飛行機場に納まらない軍用機は一般道路から発進させてでも、日本海軍を全滅させようとしたのです。

 またその為にパナマ運河から戻ってきた軍用機を含めて、700機ぐらいを集めました。 大西洋にあった4隻の空母の艦載機を集めたのです。

 でもやはりサンチアゴの戦いも米軍の不利でした。

 山本五十六も日本海軍の持っているゼロ戦などの軍用機を集められるだけ集めていました。

 しかもそのゼロ戦に山本五十六は真珠湾に残っていた雷撃機のパイロットが嫌がるのを無理やり乗せ、猛訓練を施していました。

 空母からの出撃は余程の訓練なしではできず、雷撃機のパイロットならすぐにできると判断したのです。

 こうして日本海軍も10隻の空母に350機のゼロ戦と200機の九九艦爆機と70機の九七攻撃機を積むと、8隻の戦艦を中心とした100隻以上の大艦隊で立ち向かったのです。

 そしてサンチアゴで両軍はぶつかりました。

 一大決戦になったのです。

 だけどここでは日本海軍は始めて苦戦しました。

 パナマ運河と同じようにゼロ戦170機を向けても、今回は待ちかまえている米軍の戦闘機の数で苦戦すると判断した山本五十六と山口少将は、まず戦艦伊勢と日向を中心とした前線部隊に前進させました。

 囮として出し、ここに米軍の軍用機が攻撃するのを待つ作戦を選んだのです。

 でも米軍はその罠に乗らず、700機近くの軍用機をすべて日本艦隊に向けました。

 航続距離からいっても日本艦隊を攻撃すれば、燃料が足りずに海に不時着するしか仕方ありませんが、米軍は漁船を集めて、軍用機からバラシュートで脱出したパイロットは拾いあげることを計画していたのです。

 さあ、その捨て身の米軍の作戦は、日本軍に少なからずの損害を与えました。

 レーザーのない日本海軍は艦爆機と雷撃機各20機以上を偵察機として出して、ずっと監視していたので、漁船が沢山港から出ている事を掴んでいても、まさか米軍が軍用機を全部海に沈める覚悟で、攻撃してくるとは思いませんでした。

 伊勢と日向の前線部隊を攻撃してくると思っていたゼロ戦隊は、前線部隊には見向きもせずに、日本艦隊に突撃していった米軍機に戸惑ったのです。

 でも偵察機の報告で危険を感じたゼロ戦隊は、スピードの遅い雷撃機、艦爆機を捕らえ、ここに壮烈な空中戦が始まりました。

 必死で守ろうとする米軍の戦闘機とゼロ戦は戦ったのです。

 しかし今までの戦いとは違って、250機のゼロ戦を持ってしても、700機の米軍機を全滅させる事は不可能でした。

 不意を付かれた事もあり、多くの軍用機が日本艦隊に到着しました。

 380機の米軍機は最後の砦、空母を護衛する為に、上空に待機した100機のゼロ戦も抜くと日本艦隊に突入したのです。

 だけど日本艦隊も黙っていません。

 そんな日本艦隊を最後に守ったのは6隻の戦艦や重巡洋艦を中心とした新兵器三式弾の網でした。

 一発の爆弾は空中で破裂すると沢山の弾丸を次々と破裂させます。

 パナマ運河の時と同様、その効果は絶大で、そんな攻撃をまったく予想しなかった米軍機を慌てさせました。

 多くの米軍機が後一歩という所で網に捕まると落ちたのです。

 でも祖国を救いたいという米国民のヤンキー魂もこの程度ではメゲません。

 いよいよ空母に近づくと爆弾を落としました。

 赤城に艦爆が2発、加賀に艦弾が3発、飛龍に艦爆1発、戦艦霧島に艦爆2発を命中させたのです。

 米軍機はこの攻撃で特に加賀を中波させ意地をみせたのです。

 しかもその後Bー17爆撃機が混乱している日本艦隊に接近すると、傷ついてスピード

の落ちている加賀と赤城を集中的に狙い、加賀に3000メートルから500キロ爆弾2発、赤城に500キロ爆弾を1発命中させ、加賀と赤城を大破させました。

 米軍の攻撃に備えて空母内の爆弾物をきっちり保管していなかったら、二隻とも沈没を免れないぐらいの高度3000メートルからの爆弾の威力はすごかったのです。

 ですが米軍の反撃もそこまででした。

 雷撃機デバステーターはあまりにもスピードが遅く、殆どがゼロ戦に捕まってしまい、攻撃できたのは艦爆のドーントレスとB−17爆撃機のみでした。

 止めをさすはずの雷撃機からは結局1発も空母に当てる事はできませんでした。

 唯一戦艦榛名に魚雷を1発命中させる事しかできなかったのです。

 だけどその米軍の損害は深刻でした。                              

 攻撃を仕掛けた50機のB−17機で、ゼロ戦の攻撃で生き残った25機を除いてすべての米軍の飛行機650機は海に没しました。                     

 本来なら生き残った130機以上の軍用機も、計画通りに米国の漁船が待つ地域で燃料不足の為、海に墜落しました。

 パイロットなどの乗り組み員は全員パラシュートで脱出し、それを漁船が引き上げたのです。

 しかし日本海軍も甘くはありません。

 その米軍の作戦に、気が付くと前線部隊の駆逐艦を漁船に急行させたり、米軍機を追い駆けたゼロ戦には漁船を攻撃させました。

 漁船がサンチアゴに逃げ込むのを防ぎ、殆どの漁船は駆逐艦で捕らえました。

 多くのパイロットや乗り組み員を捕虜にしたのです。

 これで米軍は多くの乗り組み員をなくし、しばらくは軍用機があってもパイロットがいない為に日本艦隊を攻撃したくてもできなくなったのです。

 もう反撃したくてもできなくなったのです。

 でも大破した加賀と赤城をハワイに引き戻させられた日本艦隊はそんな事で怒りが治まりません。

 まず目の前のサンチアゴにぶっつけました。

 8隻の戦艦をサンチアゴに近づけると、砲撃でサンチアゴの基地を目茶苦茶にしてしまいました。

 サンチアゴの造船場、燃料施設、海軍基地、すべて壊滅させたのです。 

 だけど日本艦隊はそれでもあきたらずサンチアゴの住民の住んでいる所も火の海にしてやっと引き上げたのです。

 ですが日本艦隊の攻撃はそんなものでは済みません。

 そのまま北上すると翌日にはロサンゼルスに近づき、同じ攻撃で、ロサンゼルスの町も火の海にしました。

 300機以上のゼロ戦が守っている日本艦隊に対して、米軍は打つ手がありません。

 米軍の潜水艦に日本艦隊を狙わせましたが、警戒が厳しく近づく事はできず、次々と日本の駆逐艦の餌食になるので、攻撃をやめさせたのです。

 だから今や日本艦隊は無敵です。

 ロサンゼルス攻撃の二日後にはサンフランシスコに近づき、ここも艦隊からの砲撃と航空機からの爆撃で、サンフランシスコにある基地を徹底的に叩きました。

 造船場、燃料基地、海軍と陸軍の基地、完璧に叩かれました。

 米軍の太平洋基地はすべて破壊されたのです。

 しかし米軍がショックを受けたのはその後の日本艦隊の進路でした。

 サンフランシスコを破壊した事で作戦を終了させて、ハワイに帰港すると思われた日本艦隊は何とそのまま北上しました。

 ハワイから来た補給船からたっぷり燃料と弾薬を補給すると、シアトルを目指したのです。

 ですがこの日本艦隊の行動は米軍を慌てさせました。

 シアトルにはB−17戦略爆撃機を製造しているボーイングの工場があります。

 ここを攻撃されたらB−17機や新しく開発しているB−29爆撃機が製造できません。 その攻撃だけは何とか防ぎたかったのです。

 でも日本艦隊も必死でした。

 大量のB−17機の攻撃がどれだけ破壊力があるかは、赤城と加賀が大破された事で実証されました。

 ましてやスパイの情報によるとボーイング社が次に開発しようとしているB−29爆撃機はものすごい航続距離があり、マリアナ諸島から日本を火の海にする事も可能です。

 絶対に破壊する必要があったのです。

 ですから日本艦隊はボーイング工場に関しては持てる戦力を出しきりました。

 ゼロ戦100機、艦爆100機、水平爆撃機50機で遠距離を堂々と飛んだのです。

 そしてこの攻撃も成功しました。

 米軍は陸軍機のP38ライトニング40機で向かい討ちましたが、ゼロ戦に全部破壊されました。

 後は日本海軍のワンサイドゲームでした。

 日本海軍は徹底的にボーイング工場を破壊しました。

 翌日にももっと多くの爆撃機を出してまで、打ち損じを無くすという徹底ぶりで、やっとそれで満足すると引き換えしました。

 それ以上の燃料が持たなかったのです。

 だけどこの日本艦隊の殴り込みは米国民にショックを与えました。

 日本軍がこれ程強いとは思わず、厭戦気分が漂い、日本軍に対してなんら有効な対策が打てないルーズベルト大統領に怒りが向かい始めたのです。

 

                         《ニュージーランド占領作戦 》

 

見事にアメリカ西海岸を破壊した山本五十六率いる日本艦隊は、それに安心する事なく次の行動に入りました。

 一端ハワイの基地に全艦隊が入ると、そこでまず修理が必要な赤城と加賀を残した山口中将(昇進)率いる4隻の正式空母の機動艦隊を1週間後には日本本土に帰しました。

 本土で武器を補給したり、壊れた航空機の修理をしたりすると、次の作戦に備えさせたのです。

 またその日本海軍の次の作戦はニュージランドとオーストラリアを降伏させる事に決定しました。

 というのも今や無敵になった日本海軍にはインド方面を攻撃するのとニュージランド、オーストラリア方面を攻撃するのと二つの選択があります。     

 もう一つの選択守りに入って、米・英両国の出方を見るという手もありましたが、山本五十六はその選択は今は取るつもりはありませんでした。

 圧倒的に国力が違う米英両国に対して、何の攻撃もしなかったら、どんどん戦力の差ができてしまいます。

 1、2年もすれば、米英両国の海軍は日本海軍を圧倒してしまいます。

 この何か月かでまだ戦力が整っていない米英両国の海軍を叩き、講和するように持っていないかぎり日本に勝ち目はありません。

 山本五十六は部下が疲れている事は十分承知していましたが、どうしても今、休む事はできなかったのです。

 そしてそんな山本五十六が選んだのはニュージランドとオーストラリアを降伏させる事でした。

 なぜならニュージランドもオーストラリアも戦力的には大した事はありませんが、英連邦の一員であり、米国が反撃する強大な基地になります。

 実際に米国の潜水艦はオーストラリアの基地に集まり始め、日本の輸送船を破壊される

事は脅威でした。

 折角マレーシアやインドネシアなどの資源を手に入れても、輸送船を次々と沈められたら本国に何も入らないからです。

 しかも米国が南方の島々を占領しながら、日本に向かって北上する事は目に見えており、その出花を挫く事は大切でした。

 山本五十六はその為に、日本海軍の総力をあげてニュージランド・オーストラリアを叩く覚悟をしました。

 二国とも領土が広く、特にオーストラリアは日本の陸軍の力では占領する事は不可能でしたが、最低でも米国の西海岸と同じように、港という港を破壊して、米国が使えなくする必要があったのです。

 こうして日本と米英両国の決戦の場が決まりました。

 山本五十六はハワイに残っていた4隻の軽空母も3週間後には本国に戻すと、ここで戦力を整え、次にトラック諸島に機動艦隊と共に進ませました。

 日本艦隊は、インドネシアで待機している戦艦伊勢、日向とハワイの基地の守りに残したゼロ戦80機、一式陸航60機、九九艦爆70機、九七艦攻60機と扶桑と山城の両戦艦以外の殆どの艦隊、正規空母4隻、軽空母4隻、戦艦は新しく完成した大和含めて7隻、重巡洋艦15隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦35隻をトラック島に集めたのです。

 しかしそれに対して米軍も黙ってはいません。

 大西洋にあるワスプ、ヨークタウン、レンジャー、ホーネットの4隻の正規空母とニューメキシコ、アイダホ、ミシシッピー、ニューヨーク・・・・など6隻の戦艦や重巡洋艦5隻、駆逐艦20隻をオーストラリアに廻していました。

 パナマ運河を破壊されたので、南米を迂回してきたのです。

 こうして米国も戦力を充実させました。

 太平洋で唯一生き残ったサラトガを含めると、日本海軍と互角の勢力になったのです。

 しかも米軍は英国に強烈に申し入れて、英国のインド洋に居る英国艦隊の協力を要請しました。

 米国のルーズベルト大統領の強い要請に、シンガポールなどのアジアの植民地の殆どをなくした事で衝撃を受け、しばらくは立ち直れなかったチャーチル首相も決心すると、正規空母インドミタブル、フォーミタブル、軽空母ハーミズと戦艦ウォースパイト、ラミリーズ、ロンドン・・・などの5戦艦、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦15隻を中心とした艦隊を向けました。

 ニュージーランド・オーストラリアをほっとけなかったのです。

 ですから米国と英国を含めると正規空母7隻、軽空母1隻、戦艦11隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦35隻の大艦隊にもなったのです。

 さあこうして日本と米国・英国の命運をかけた戦いが始まろうとしていました。

 もしこの戦いで完全に破れた国はもう後がありません。

 太平洋とインド洋の制海権をなくしてしまう事になるのです。

 ですがこの戦いは実は日本海軍の方が圧倒的に有利でした。

 米軍の空母に載っている優秀なパイロットの多くはアメリカ西海岸の戦いに参加しており、殆どは戦死するか捕虜になっています。

 その戦いから1カ月ちょっとした経過しておらず、殆どのパイロットは新米です。

 ゼロ戦に載っている戦い慣れた優秀なパイロットに勝てる道理はまずありません。

 英国の軍用機も日本の軍用機とは比べものにならず、米・英両海軍は決死の覚悟をしていたのです。

 しかも米軍が有利だった暗号解読も日本海軍に見破られようとしていました。

 米軍がサンチアゴに全軍用機を集められたのは時期的にも早すぎると考えた小沢少将は山本五十六や山口中将に強烈に意見を具申しました。

 まさか暗号を見破られているとは思えない山本五十六も、あまりにもうるさい小沢の意見を取り入れ、暗号が読まれている事を前提に作戦を考える事にしました。

 こうしてニュージーランド作戦は、若干の修正を加えられると開始されました。 

 日本艦隊はニューブリテン島のラバウルやポートモレスピーを攻略すると見せかけて、一気にニュージーランドを目指したのです。

 でも暗号を解読している米・英海軍はこの事はとっくによんでいました。

 ニュージーランド沖で待ち構えていたのです。

 しかしこの戦いは日本艦隊の圧勝でした。

 暗号を解読されているかもしれない事を前提にしていた日本艦隊は、ニュージーランド沖に米・英海軍が居る事を予想していました。

 最初からニュージーランドの飛行機場や基地を狙うつもりはなく、日本艦隊はニュージーランドからの軍用機が届かない距離を取ると、偵察隊をどんどん出して米英海軍を捜しました。

 ニュージーランドの攻撃は、完全に米英海軍が近くにいない事が分かってから攻撃する事に当初の作戦を変更したのです。

 その作戦は成功しました。

 米英海軍は推測される位置で発見されたのです。

 ですがこの事は米英海軍を慌てさせました。

 暗号通りに進んでいた日本艦隊は最後の土壇場で、突然別な作戦を取りました。

 日本艦隊がニュージーランドに航空機の攻撃をした後に、攻撃するつもりだった米英海軍は当てが外れて大騒ぎとなりました。

 日本艦隊の罠にはまった。

 暗号を解読していた事を見破られた。

 日本艦隊はニュージーランドではなく、米英艦隊をおびき出して叩くつもりだったと悟ったのです。 

 でも残念ながらもう手をくれでした。

 米英海軍を発見した日本艦隊はただちに航空機を発進させました。

 先手必勝といわんばかりに、第1次攻撃隊として日本艦隊は翔鶴と瑞鶴からはゼロ戦40機、飛竜と蒼竜からはゼロ戦30機、4隻の軽空母からは九九偵察機3機とゼロ戦40機を出しました。

 まずはゼロ戦110機で米英海軍の戦闘機を叩き、その後空母に第2次攻撃隊としてゼロ戦15機と九九艦爆50機が攻撃を仕掛けて、飛行甲板を破壊して、航空機が発進できないようにして、次に第3次攻撃機として九七艦攻を中心とした雷撃で空母を沈める作戦でした。

 山口中将、小沢少将は源田実航空参謀などと徹底的に航空戦を研究してそんな思い切った作戦を取ったのです。

 さあその作戦は当たりました。

 日本海軍よりも1時間送れて日本艦隊を発見した米・英艦隊は、慌てて第1次攻撃隊、艦爆90機、艦攻60機、第2次攻撃隊、艦爆80機、艦攻70機と出しましたが、航続距離の短い戦闘機は護衛に出す事はできませんでした。

 戦闘機の護衛なしではどれだけの被害を与えられるか分からないまま出す事になったのです。

 しかも情けない事に米・英の戦闘機は半分の数のゼロ戦に勝てませんでした。

 先に攻撃を仕掛けた日本の航空機をレーザーで発見するとすぐに全戦闘機を上げましたが、250機近くあった戦闘機は全部叩き落とされました。

 ゼロ戦は7機しか落とされなかったのです。

 だからその後の第2次攻撃隊の九九艦爆は戦闘機からの攻撃がないので余裕を持って攻撃できました。

 各空母に6機ずつ向かうと、米軍の空母ワスプ、ヨークタウンに2爆、レンジャー、ホーネット、サラトガーに1爆、英軍のインドミタブルとフォーミダブルに3爆、軽空母ハーミズに4爆を命中させました。

 軽空母ハーミズはこの爆撃の被害が大きく2時間後には撃沈してしまったのです。

 ですが実は日本機もこの攻撃で大きな被害を受けていました。

 米軍は航空戦では日本機に勝てないので、対空砲火に力を入れており、その威力は絶大でした。

 九九艦爆は17機が撃墜され、戻ってきても修理が必要で発進できない機体9機を含めて半数以上が出撃できなくなったのです。

 それぐらい被害は大きく山口中将、小沢少将に衝撃を与えたのです。

 だから山口中将は第3次攻撃隊の艦攻80機にはまず護衛艦である駆逐艦、重巡洋艦などを30機で攻撃して輪形陣を崩してから空母を攻撃させる事にしました。

 ゼロ戦18機、九九艦爆50機、九七艦攻80機はこうして米英軍に襲いかかったのです。

 またこの日本機の攻撃も成功しました。

 米英軍は必死に逃げていましたが、偵察隊がマークしており、逃しません。

 第3次攻撃隊も膨大な被害を与えました。

 重巡洋艦は2隻、駆逐艦は8隻に魚雷が当たり撃沈させました。

 空母にも艦爆、艦攻含めて、米軍にはワスプとヨークタウンに艦爆2弾、魚雷2発、レンジャーに艦爆2弾、魚雷1発、ホーネットとサラトガーには艦爆1弾を魚雷1発、英軍のインドミタブルとフォミータブルには艦爆3弾と魚雷2発を命中させました。

 これで米英海軍は壊滅しました。

 日本機は艦爆15機、艦攻35機の被害と引き換えに、インドミタブルは撃沈し後の空母も大破で、ホーネットとサラトガー以外は着艦不可能にしたのです。 

 日本の海軍機の圧倒的な勝利だったのです。                 

 ですがそれに対して米・英軍の航空機はまったく成果をあげられませんでした。

 レーザーのない日本艦隊は九七艦攻を10機、空母から20キロ離れた所から偵察させる事でレーザーの代わりをさせていました。

 米・英機を発見するとただちに母艦に報告するので、直掩の任務に付いたゼロ戦110機は待ち構えていました。

 戦闘機の護衛の付いていない米・英軍の第1次、第2次攻撃隊はこのゼロ戦に抹殺されてしまいました。

 日本艦隊の空母に1発も当てられず、重巡洋艦に艦爆1発と戦艦大和に魚雷を1発当てるだけでわずかの米・英の航空機は母艦へと逃げ帰ったのです。

 だけど残念ながら彼らには着艦するはずの母艦の空母は残されていませんでした。 

 後に日本ではニュージーランド沖の鴨撃ちと呼ばれるように、帰るはずの母艦がなくなった米、英海軍は全部海の中に没したのです。

 というのも航空機の予想以上の被害に衝撃を受けながらも、山口中将は第1次攻撃機、第2次攻撃機を収容すると戦闘可能の機はどんどん出しました。

 第3次攻撃、第4次攻撃、第5次攻撃、第6次攻撃と攻撃させました。

 この攻撃でワスプ、ヨークタウン、レンジャー、フォミータブルが撃沈し、ホーネットとサラトガーも大破して着艦不可能になったので、帰る場所がなくなったのです。

 しかも山口中将は高速戦艦4隻と大和を中心とした重巡洋艦10隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦20隻の艦隊を三川軍一中将に任せると向かわせました。

 逃がした2隻の空母と傷ついている艦隊を狙わせたのです。

 この攻撃が最後の止めになりました。

 翌朝速度の落ちた2隻の空母は日本の艦隊に捕まりました。         

 2隻の空母を守っていた戦艦テキサス、ニューメキシコ、アイタボ、ミシシッピー、ニューヨークなどの艦隊とは砲撃戦になりましたが、大和の威力は絶大でした。

 米軍の戦艦の届かない距離からの砲撃とその威力に恐れをなした米軍の艦隊は、駆逐艦の魚雷で、ホーネットとサラトガーを自沈させると逃げました。

 速度の襲いテキサス、アイタボは大和と高速戦艦の集中攻撃で降伏し、後の戦艦は逃げきれたのです。

 こうしてニュージーランドの沖の戦いは終わりました。

 生き残った米英海軍は撤退し、米英軍に見捨てられたニュージーランドは2日後には日本帝国にあっさり降伏しました。

 降伏しないと陸軍を発見して、占領しまうぞという脅しに恐れをなした、ニュージーランドは全面降伏しました。

 飛行機の機体の材料になるボーキサイトなどの資源を日本に渡し、英国や米国からは離れて、大東亜連邦の一員になりました。

 英米の戦争からは中立する事を誓ったのです。

 

 

                         《オーストラリア占領作戦》

 

 ニュージーランド沖で米英軍をやっつけた日本艦隊はそのまま米英軍を追いかけていました。

 空母は全部沈めましたが、戦艦を中心とした艦隊は残っています。

 1隻でも多く破壊しておきたい。

 そんな思いが山口中将に積極策を取らせたのです。

 しかし米英軍の逃げ足は早く、結局テキサス、アイタボ以外の戦艦は今だに健在です。 そんな米英軍は全速力で必死でインド洋に逃げようとしていたのです。

 でも山本五十六は最初から敗れた米英軍がオーストラリア方面に逃げるように作戦を組んでおり、待機させた潜水艦部隊にすでに攻撃命令を出していました。

 潜水艦部隊が罠をはっていたのです。           

 またこの作戦も成功しました。

 ニューヨーク、ミッシシッピーに潜水艦は近づくと雷撃しました。

 日本の戦艦との砲撃で損害を受けていた2隻の戦艦はこれで大破しました。

 そこを後を追いかけた4隻の高速戦艦に捕まり、降伏したのです。

 だけどそんな山本五十六や山口中将にも誤算がありました。

 6回に及ぶ攻撃で、艦爆、艦攻の被害は大きく艦爆28機、艦攻7機しか使えなくなってしまいました。

 後の機体は修理が必要で出せず、撃墜された軍用機も艦爆50機、艦攻で65機で及んでいました。

 これでは例えゼロ戦がいくら残っていても、どうする事もできません。

 ゼロ戦では爆弾を投下する事はできず、結局山口中将は小沢小将の指揮する飛竜、蒼竜に発進できる艦爆、艦攻を集め、瑞鶴、翔鶴のゼロ戦に護衛させると三川中将の率いる艦隊の応援をさせましたが、戦闘の中心は戦艦などの砲撃戦になったのです。         

 そして日本は英米両国との歴史上最大の艦隊決戦でも勝ちました。

 というのも山本五十六は事前にインドネシアで待機していた高須中将率いる戦艦伊勢、日向、重巡洋艦3隻、駆逐艦7隻をオーストラリア大陸のルーイン岬近くまで待機させていました。                            

 三川中将の高速戦艦や小沢少将の空母との挟み撃ちを狙ったおり、見事に成功しました。 オーストラリア大陸の西方沖で両軍はぶつかったのです。                      

 だけどこの海戦は圧倒的に日本海軍の方が有利でした。

 戦艦の数では7隻対9隻(米4隻・英5隻)と英米が有利でしたが、英米の戦艦は日本の航空機により損害を受けており、戦意は喪失していたのです。

 しかも大和の四十六センチ三連装砲から発射される徹甲弾は脅威的でした。

 英米の戦艦の届かない距離から撃つので、その破壊力と共に英米の艦隊を恐怖を与えたのです。

 でも日本艦隊を勝利に導いたのは、大和などの戦艦の砲撃よりも、新兵器の無雷跡酸素魚雷である九三式魚雷にありました。

 この無雷跡酸素魚雷とは魚雷が発射された時に海上からみえる純白のラインをできるだけ消したものです。

 その為に魚雷の痕跡がみえず、避ける事が難しいのです。

 その上に九三式魚雷は英米よりも有効射程で3倍以上、破壊力でも遙かに優れています。 日本海軍はその九三式魚雷をこれまた新兵器の雷撃装置によって、連続発射可能にして重巡洋艦や軽巡洋艦や駆逐艦に取り付けています。

 だから前哨戦の駆逐艦同士の戦いでも日本の艦隊の圧勝でした。

 英米の駆逐艦は次々と日本の駆逐艦が放つ九三式魚雷で沈み、その後日本の駆逐艦は英米の戦艦にも魚雷を発射しました。

 英米の戦艦は、この駆逐艦の魚雷、大和などの戦艦の徹甲弾、航空機の執拗な攻撃に耐えられませんでした。

 9隻の戦艦とも大破した後降伏し、日本海軍に捕獲されました。

 それに対して日本海軍は8隻の駆逐艦が撃沈された以外は損害は殆どなく、日露戦争の時、にバルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦並の大勝利をおさめたのです。

 英米の艦隊はここに壊滅してしまったのです。

 ですがこの事でオーストラリアの命運も決まりました。

 山本五十六は三川中将の高速艦隊と山口少将の機動艦隊をニュージーランドに戻すと、ここで1週間の休養を与えました。

 戦力を整えたのです。

 そして修理が必要な機体を全部軽空母2隻に収容してトラック島に引き上げさせると、正規空母4隻と軽空母2隻で機動艦隊を組ませ、7隻の戦艦と共にオーストラリアに向かわせました。

 米英海軍が逃げた以上、艦爆、艦攻はそんなに必要ありません。

 米国の西海岸を攻撃したように、戦艦の砲撃でオーストラリアの港は破壊できます。

 日本艦隊はまず首都のメルボルンを攻撃し、そのままインド洋の方に向かいました。

 オーストラリアの軍隊の多くは、イギリスの応援で今、本国にはいないので、軍事的には非力で、航空機もほとんどありません。

 戦力を温存する為に、日本艦隊に攻撃してくる機体は1機もなく、日本の戦艦はオーストラリアのアデレード、フリーマントル、パースなどの港や海軍基地を破壊しました。

 特に大和の破壊力はものすごくオーストラリアの国民に恐怖を与えました。

 日本艦隊は米軍の潜水艦がオーストラリア大陸を基地として使う事を防ぐ事に成功したのです。

 しかし日本艦隊の攻撃はそんな事では終わりません。

 インドネシアで石油と弾薬を補給すると再びオーストラリアに向かいました。

 今度はまずニューブリテン島のラバウルを攻撃して、陸軍を上陸させて1日で占領しま

した。

 その後、ニューギニアのポートモレスピー、オーストラリアのケアンズ、プリスペン、シドニーと進むと徹底的に破壊すると、オーストラリア大陸を一周したのです。

 そしてそこで日本艦隊はオーストラリアの降伏を受入れました。

 オーストラリアもニュージーランドと同様に日本陸軍の上陸を恐れていました。

 日本陸軍にそんな余力があるかどうかは疑わしかったですが、日本はインドネシアやフィピンを占領した部隊を向けるといっています。

 そうなればオーストラリアは中国と同じように奥地にひきずりこんで戦うしかありません。

 でも大陸の殆どが砂漠であるオーストラリアでは難しいです。

 結局オーストラリアは議会で議論した後、日本国にニュージーランドと同じ条件で降伏を求めました。

 日本もニュージーランド、オーストラリアとは米英との戦争が終わった後の事を考えると手荒な事はするつもりはありませんでした。

 ニュージーランド、オーストラリアが米英から離れたら、米軍が南方の島々から反撃するにしても後方の基地がないので難しくなります。

 山本五十六はそれに満足するとオーストラリアの降伏を認めたのです。

 

 

                                           《インド解放》

 

 オーストラリアとの和平を実現させた日本艦隊は、その後レーザーを瑞鶴、翔鶴に取り付ける為に本国に戻すと、後の艦隊をインドネシアに集中させました。

 ここからインド洋に逃げた米英海軍に圧力をかけたのです。

 またその山本五十六の試みは成功していました。

 今、米英はヒットラーの率いるドイツと北アフリカで戦っていました。

 しかもロンメル率いるドイツ陸軍は強く、英国はエジプトで苦戦中です。     

 もしこの戦いで負けたらスエズ運河をドイツに占領され、中東にある石油などの資源を奪われます。

 その上ドイツと日本海軍はインド洋でつながります。

 スエズ運河を通して日本艦隊が大西洋に来る事も可能になります。

 あの航続距離が長いゼロ戦がイギリス本国に来る。

 そう考えるだけで、ドイツとの本国での空戦の死闘が予想されます。

 今度はドイツ、日本が勝つ可能性は十分にあります。

 ドイツ陸軍が本国に上陸する。

 英国は日本軍に恐怖を覚えており、絶対にロンメルには負けられなかったのです。

 しかしそんな英国には大問題がありました。

 米国が参戦したので膨大な物資が戦線に入り、戦局は英国に有利になっていました。

 でも地中海をドイツに押さえられているので、英米国は物資を運ぶのにアフリカの南端、南アフリカの喜望峰を経由して運ばないといけません。

 地中海から物資を運べるドイツと比べたら極めて不利なのです。

 だけどそれは大船団を組んで、戦車や弾薬などの物資をエジプトに運ぶ事で何とか解決していました。

 ところが日本艦隊がインドネシアで睨みをきかせられると英米両国は大船団を派遣できなくなりました。

 日本艦隊にその船団を襲われたら、今の英米の海軍では防ぐ事は不可能です。

 出したくても出せず、チャーチルは苦悩していたのです。

 だからこの山本五十六の作戦は見事に当たりました。

 山本五十六は世界の動きをみれる名将になろうとしていたのです。

 でもその山本五十六にも悩みはありました。

 ニュージーランド沖海戦で多くのパイロットを戦死させました。

 その補充は大変でした。

 あれだけの優秀なパイロットを育てるには最低2年は必要です。

 山本五十六はその事を考えるとショックを受けていました。

 今、教官としてアジア諸国に派遣している優秀なパイロットを呼び戻すしか方法はなく、結局山本五十六は復帰させると、レーザーを取付た瑞鶴、翔鶴がインドネシアに戻るのを待って全日本艦隊にインドへの進撃を命令しました。

 インドネシアで睨みあって、ドイツ軍が英国に勝って、アジアに雪崩れ込むのを待つ事も考えられましたが、ドイツ嫌いの山本五十六にはある考えがありました。

 ドイツ軍がアジアに入る前に、インドを解放させたかったのです。

 こうして日本艦隊はインド洋に入り、まずスリランカを目指しました。

 スリランカの英国の基地を破壊し、ここを拠点にインドを攻撃する作戦だったのです。

 そしてここで英国の空軍と日本艦隊は激突しました。       

 というのも英国には空母は本国にあるイラストリアスとビクトリアスの2隻の正規空母と7隻の軽空母がありますが、搭載飛行機の数は全部で180機ぐらいしかありません。

 頼みの米国の海軍には正規空母が一隻もなく、応援は求められません。

 やれば必ず負けますし、今更大西洋から呼んでも間に合いません。

 といって、このままスリランカを渡したらインド洋の制海権は日本のものです。

 そこで英国は、スリランカにはドイツの航空機から本国を守った“バトル・オブ・ブリテン”の戦いに勝ったスピットファィアとハリケーンといった優秀な戦闘機で守る事にしました。  

 スピットファィアなら日本のゼロ戦にも勝てるという希望がありました。      

 最後の望みを英国が誇るスピットファイアに持っていたのです。

 だけどこの英米の作戦はうまくいきませんでした。

 スリランカにある500機にも及ぶ英国の軍用機は、日本のゼロ戦との壮烈な戦いで善戦しましたが勝てませんでした。

 なぜなら英国はスピットファイア170機、ハリケーン130機も揃えていましたが、やはりゼロ戦は機体としても、パイロットの腕としてもこの当時世界一でした。

 日本艦隊はそれに負けない数のゼロ戦270機を揃えており、スリランカ沖で激しい空中戦をしていました。

 さすがにドイツから本国を守ったスピットファイアは強かったですが、日本は長門、陸奥に突っ込ませ、それを攻撃する英国の艦爆機と艦攻機を護衛するスピットファィアに対してゼロ戦という組み合わせで戦い、ゼロ戦が勝ちました。

 最初の戦いでゼロ戦も今度ばかりは27機も撃墜されましたが、それでスピットファィアを60機以上、ハリケーンも80機は撃墜し、艦爆、艦攻は半数を撃墜しました。 

 それで長門に艦爆3爆、陸奥に艦爆4爆の被害だけですんだのです。

 しかもその後スリランカの飛行機場は長門と陸奥の砲撃と日本の九九艦爆機と九七水平攻撃機の攻撃で徹底的に破壊しました。                                                 

 こうしてスリランカもたった一日で持てる航空戦力を無くしてしまったのです。 日本艦隊はそれに満足すると、今度はインドのベンガル湾に接近すると、インドのマトラス、カルカッタという都市を攻撃しました。

 日本軍がインドに来る事で、インドの英国からの独立を誘ったのです。

 さあ、その作戦は大成功しました。

 アジア諸国は日本のおかげで次々とヨーロッパ諸国から独立しており次はインドの番だとインド人は熱く燃えていました。

 その日本が来ました。

 日本海軍は大和をインドの港に入ると、その巨大な姿をインド人に見せつけました。   しかも日本の陸軍もビルマからチャンドラ・ボーズの案内でインドを目指し始めたという情報が入り、一気に独立へと進みました。

 6億人ものインド国民が英国に暴動を起こしたのです。

 あっという間に英国はインドから叩きだされたのです。

 山本五十六のインド解放作戦はあっけなく成功したのです。

 しかしその後で日本が取った手は世界を驚かせました。

 日本は、いえ日本海軍は何と英国との和平を求めました。

 というのもインドを基地にして使えば、中近東は占領する事も簡単です。 

 ロンメルのアフリカ軍団と鋏打ちになっており、英国は苦悩していました。

 日本艦隊が恐く、エジプトに物資が送る事もできず、アフリカの英国軍は風前の灯火でした。

 エジプトを取られ、日独に中近東を押さえられたら、石油の資源は日本とドイツに握られます。

 英国は米国から石油さえ援助して貰うしか手にする方法がなくなり、石油を握ったドイツはますます巨大になります。

 どうみてもじり貧になり、ドイツに勝ち目がなくなります。

 だからここで日本海軍の和平の申し込みは英国に取っては渡りに船でした。

 チャーチルは日本の強さは痛いほど分かり、日本を敵にした事を後悔していました。

 日本海軍の和平の申し込みに対して否応もありません。

 @日本海軍との即時の停戦 Aアジア諸国の独立(中近東の国々も戦争終了後英国から独立させる)B米国との和平の仲立ち C海軍に関する軍事技術の相互の交換という4つの条件を受け入れたのです。

 こうして英国との戦争は終わり、日本海軍はインドネシアに引きあげました。

 インドは独立したのです。

 ですがこの山本五十六の決断に怒ったのは日本陸軍です。

 勝ち戦にすっかり舞い上がり、ますます傲慢になった日本陸軍は日本海軍と戦争も辞さないぐらい怒ったのです。

 だけど米英両国をやっつけた日本海軍や山本五十六を相手に戦っても仕方がありません。 しかも国民はこの山本五十六の決断を大決断だと支持しています。

 陸軍の東条秀機内閣総理大臣は、苦悩しましたが、結局ドイツとは絶対に戦わないという条件でこれを飲みました。                      

 日本海軍がこれ以上米英と戦っても勝ち目がないという以上、どうする事もできません。 インドネシアの今村均中将などはそんな山本五十六の決断を支持し、陸軍には石油を渡さないとさえいっており、東条もそんな空気に逆らえませんでした。

 陸軍にさえ若者を中心に多くの同伴者が出た上に、天皇が山本五十六を支持しては、東条はどうする事もできず、内閣を解散させると、首相をやめてしまったのでした。

 

 

                               《終戦》

 

 東条に変わって、新しく首相になったのは米内光政でした。

 米内首相はさっそく米英派で内閣を組むと、山本五十六と相談して、外務大臣に吉田茂を任命すると、次に將介石の中国との停戦を実現しました。

 米英からの物質を運ぶビルマルートをたたれ、インドや東南アジアなどからも方位されたままでは、中国といえどもこれ以上戦う事は不可能です。

 日本との停戦に応じたのです

 と同時に米内首相はそれに自信を持つと米国との和平に動き出しました。

 英国を通して米国に和平を求めたのです。

 だけど米国はなかなか応じようとはしませんでした。

 日本にアジア諸国を握られたままで戦争をやめたら、戦後米国はアジアの市場を無くす事になるのを恐れたのです。

 しかしそうはいっても日本との戦局は負けたままで膠着段階になり、どうする事もできません。

 というのもドイツとの戦いは日本海軍と英国の和解のおかげで、物資が堂々とエジプトに運べ、米軍の得意の持てる物量でロンメル軍団を破りました。

 アフリカからドイツを追い出し、イタリアの侵攻も準備しようとしていました。

 その上ソ連とドイツの戦いも米国の膨大な物資の援助のおかげでソ連はスターリングラードの戦いで勝利する事で、戦局の流れがソ連有利に変わりました。 

 それが証拠に日本の裏切りに激怒したヒットラーも自国の戦局を整える事で精一杯なのか、日本を強く批判はしませんでした。

 日本が敵になるのを恐れていたのです。

 だから米国はドイツとの戦いはどうやら勝利する目安がつき始めたのです。

 だけど日本との戦いはまだ目安まではいっていません。

 空母や飛行機はどんどん生産され始め、負けない自信はありましたが、日本をやっつけるにはまだまだ時間を必要としていたのです。

 でも米国国民はそれまで待ってくれるとは限りません。

 日本との戦いはやめようという厭戦状態になっていたのです。

 しかも山本五十六はそんなルーズベルト大統領の心理を掴んでおり、戦争の方針を攻撃から防御に切り替えていました。

 インドから撤退した日本海軍はインドネシアに引き上げ、陸軍との話が解決すると、本国に一端引き上げ、そこから真珠湾攻撃と同じように単冠湾から出撃すると、最後の戦いダッチハーバーを攻撃して破壊するともうそれ以上は出てきませんでした。

 むしろ守りを固め、南方の島々を米軍の反撃に備え、次々と要塞化しています。

 食料を最低でも1年分以上は備蓄し、飛行機を砲撃されても破壊されないように地下に隠しています。

 地下の穴掘りばかりをやらせて地下要塞を造ると、米軍が攻めて来ても膨大な被害が出るようにしています。

 ですからラバウルから始まる日本陸軍の守りは鉄壁になりました。

 米軍は、ラバウル(2万)、ギルバート諸島(3万)、マーシャル諸島(2万)、トラック諸島(5万)、マリアナ諸島(10万)と進むのに膨大な被害を覚悟しないといけません。

 山本五十六は島々の住民を本国に住まわせると、日本の陸海軍の戦力を南方の島々と、北方の島々に集中させました。

 北方の千島列島(15万)にも同じように住民を北海道に引き上げさせると、地下要塞を造ったのです。

 さあ、この日本軍の作戦は成功しました。

 防御する相手を攻めるには、最低でも3倍の戦力が必要だといいます。

 米軍の国力を持ってしたら、10倍、20倍の戦力で攻める事も可能ですが、島一つ取るのに多くの戦死者を出さないといけません。

 そんな事は米国民が許すはずがありません。

 ルーズベルト大統領は南方の島々や千島列島を攻略する事を諦めたのです。

 そこでルーズベルトの大統領はニミッツ長官に相談して、何とか日本艦隊をおびき出す作戦を考えていました。

 ハワイ諸島の奪還作戦を考え、ここで日本海軍と戦おうとしたのです。

 でもその目論見も外れました。     

 山本五十六はすでにハワイからの撤退していました。  

 ハワイは本国から遠すぎて、武器を運ぶだけでも大変です。

 輸送船は米国の潜水艦に攻撃される恐れがあり、米国の西海岸を破壊した後から、山本五十六は撤退を開始していました。

 南方の島々を守る事と同時に、ハワイを占領した半年後には修理できた加賀と赤城、戦艦扶桑と日向も本国に戻しました。

 艦隊はいなくなり、軍用機などの飛行機だけで守ろうとしたのです。

 しかもその上山本五十六はハワイ諸島にあるものはすでにどんどん運んでいました。

 戦車や大砲だけでなくブルドーザーや車、レーザー施設に始まり、造船場そのものまでばらばらに分解すると運んでいました。

 そして極め付けは真珠湾に沈んだ戦艦も全部引き上げ、簡単な修理をすると本国に運んでいました。

 日本海軍はニュージーランド・オーストラリア沖で捕獲した11隻の戦艦と真珠湾から引き上げた戦艦8隻を空母に改造したり、その資材で新しい空母を造るのに役立てていたのです。

 ですから今の日本海軍にはハワイ諸島には何のメリットもなく、米軍の奪還作戦は成功しました。

 戦争が始まって10カ月後、米軍が新しく造った2隻の空母を中心とした艦隊で攻めた時には日本軍は軍用機さえすべてミッドウエーに撤退していたのです。

 そしてそこで日米の戦争は終わりました。

 日本が防御を固めて出てこない以上、これ以上戦っても無意味です。

 しかも日本は実際にアジア諸国の国々から撤退すると、次々とアジア諸国から独立させ、その国々とアジアの集団安保体制を結び始めました。

 いつの間にか米国は、日本一国ではなくアジア諸国と戦わないといけなくなったのです。 外交面でも日本は米国に勝ち始めたのです。

 だから米国も世界からの圧力で渋々和平の提案のテーブルに座り、日本は米国の出した厳しい条件を3つ受け入れました。

  アジア諸国からすべて撤退して、完全に独立させました。

  アジアの市場も、米国の市場を開放するのを条件に開放しました。

  占領したミッドウエーやグアムなどのすべての領土も返したのです。

 これで米国もしぶしぶ和平に応じました。

 後は日本の陸軍をどう説得するかですが、それにはドイツの負けは確実という現実と、米国が原爆という未知な爆弾を開発しているという情報と天皇陛下のラジオの終戦の言葉で決まりました。

 日本陸軍も結局応じてこうして戦争は終わったのです。

 

                                   《その後のエピソード》

 

 日米の戦争が終わった後の日本は経済大国の道を爆進しました。

 アジアを開放した長男として、アジア諸国からは尊敬を受けました。

 アジア諸国の教科書にも何ページも載り、日本の技術援助で、アジア諸国も経済的に発展していきました。

 欧米諸国もそんな日本に負けないように、経済で進出して来て、21世紀はアジアの時代になりました。

 日本はそんなアジア諸国の長男として、外交面でも米国と渡り合いました。

 核兵器も天皇陛下の意志である世界からの廃止の願いとは違って、防御用に(20個限定)で持ちましたが、憲法を改正すると昭和天皇の意志で平和国家を目指して、憲法9条を作り、自国だけではなく、中東以外のアジアからは一切の戦争さえ起こさなかったのでした。

 こうして2000年は過ぎ、世界は平和になっていったのです。

 アジア諸国や世界は、そんな時代の中で、アジアやアフリカ、南米諸国を独立させた、日本を尊敬し、白人からの民族解放の為に太平洋戦争で戦って亡くなった多くの日本人の御霊を敬いました。

 ずっと民族解放の英雄達として尊敬を受け続けたのです。   

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