縁の花
(本物を目指して心と心のネットワーク)
第109号
有縁の死者霊
●白紙で考える●
紫陽花は今、河内先生のことをよく書いています。
それは毎回送る縁の花の中でも1号は、河内先生のことを書こうと決めているからです。 それぐらい河内先生のことで書きたいことがまだまだたくさんあるのです。
しかも紫陽花は1999年の6月までは、これに自分の使命を賭けてみようと決心しています。
この河内先生に紫陽花は人類の命運を托しているのです。
ですから、もう一つ河内先生のことは関心がないという読者はこの号は読まなくて構わないので、無視して下さい。
紫陽花は決して強制するつもりはありません。
でも皆さんが今の人類の生き方では駄目だ。
このままだったらもうすぐ経済恐慌が起こったりして、人類は核戦争を起こすとか、環境問題で人類は間違いなく滅んでしまうと心配している方や、今の人類を何とかしたいけど、どうしたらいいか分からないという人は読んで下さい。
また今まで地球村とかサイ・ババなどのいろんなものと縁を持ってきたけれど、もう一つしっくりいかないという人や、人類をこれなら救えると確信できるもの、「自分は今まで求めていたものはこれだという究極の答えが欲しい」という人も、是非読んで下さい。
その答えがすべて「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」という言葉の中にあります。 というのも紫陽花は、河内先生のことをいろんな角度から書いていますが、ポイントはたった一つです。
それは本当に河内先生がいうように有縁の死者霊と呼ぶ存在が、地球上はもとより、宇宙全体、いえ霊界を含めた三界万霊に、目にはみえなくても、この空間にびっしり存在するのか、存在しないのか、問題はそれだけなんです。
だってそれが本当に事実なら、今まで考えられていたことがすべて180度がらりと変わってしまいます。
今まで紫陽花達は「地球をここまで悪くしたのは、人間の間違った心が原因です。だからその間違った心を正さないことには、どんなに表面にあらわれる現象、経済問題や環境問題を解決しようとしても駄目だ」といろんな先生に教わってきましたが、それだけでは駄目だということになるからです。
なぜなら皆さんも少し考えてみて下さい。
もし多くの有縁の死者霊達が存在するのなら存在を認め、彼らが本当に苦しんでいるのならまず彼らを救ってあげないと何も始まりません。
彼らと共に次の素晴らしい時代を目指さないと、人類の未来はいい方向には向かうことは不可能なんです。
だって彼らも紫陽花達と同じ時代に生きている大切な一員なんですから。・・・
そんな有縁の死者霊の存在をまるっきり無視して、自分達だけが勝手に人類の理想とする社会を目指そうという考え自体が間違っていることになります。
彼らの応援どころか、邪魔が入るからです。
それがはっきりいって河内先生がいっている教えだし、古くは釈迦やイエス・キリストから始まって、今でも多くの有名な本物と呼ばれている先生がどんないいことをいっても、結局人類の意識が少しも変わらなかった真の原因もそこにあるのです。
だから河内先生との縁はそんな目にはみえない有縁の死者霊達が存在するのか、しないのか、それを皆さんがどう判断するかで、すべて決まります。
確かにそういった存在はいると思う方は縁を一度持って欲しいですし、そんなものはいないと頭から否定する人は、縁を持つ必要はありません。
これが紫陽花の正直な気持ちなんです。
ただそうはいっても紫陽花は、有縁の死者霊達は間違いなく存在する。
しかもとんでもない数、存在するなんて決め付けるつもりはありません。
実際に目にみえる存在ではありませんし、存在するという証拠がある訳ではありません。 ですから紫陽花自身も、今から皆さんと頭を白紙にして、考えてみたいと思います。
有縁の死者霊が存在するのか、しないのか、それを原点に戻って皆さんと一緒に考えてみたいのです。
どうかよろしくお願いします。
●死後の世界●
有縁の死者霊という言葉があります。
この言葉、特に死者霊という言葉が、うすきみ悪いし、何となく嫌だ。
それで河内先生との縁を最初は持つ気もしなかったという人が何人もいます。
紫陽花はもっともなことだと思います。
確かに有縁の死者霊という言葉自体に、何か怖いものがあると思うのです。
けれどそういった多くの人も、この世にあるものはすべて意識、波動、魂があるといえば、それは否定しないと思います。
だって人間がこうして生きているのも肉体というハードに、魂というソフトが入っているからだし、それはどんな小さな動物や蟻や虫にしても同じです。
すべての動物や昆虫にも魂があるのです。
しかもそれは動物や昆虫のように動けるものだけにかぎりません。
植物にももちろん意志、魂がありますし、この頃は石や物にも波動、何らかの意志があるといわれだしています。
机とかテレビに始まって、今年アカデミー賞を受賞した、氷河にぶつかって沈んだタイタニック号にも何らかの意志、魂があるというのです。
紫陽花は、このことなら縁の花の読者の皆さんも「その通りだと」、決して否定はしないと信じています。
そして実は有縁の死者霊という言葉も要するにすべてのものには魂があると考えればよく理解できます。
魂、波動というものは決してなくなりはしないのですから、どんなものも死んだら永遠の魂、霊になります。
早い話、それが有縁の死者霊なんです。
しかしじゃ、そんな魂、意志が、肉体などのハードから離れたら一体どうなるのかは、まだはっきりとは分かっていません。
近年になってから臨死体験や死後の世界を取り上げている本が何冊も出てきていますが、はっきりと科学的にこうだと実証されているものはないからです。
ただそれでもある程度のことは分かっていますし、たぶん紫陽花は皆さんが想像しているものは丹波哲郎さんの死後の世界だと思います。
まず死ぬ前に肉体から魂が離れて、自分が死んでいる姿などをみさされ、それが認識できるとお花畑などのある綺麗な場所にいったり、トンネルのようなものがあらわれ、そこを通り抜けると懐かしい死んだはずの家族や親戚の人達が待ってくれている、幽界や霊界に自動的に帰ることになる。
これがほとんどの人達が考えている死後の世界のイメージだと思います。
またそういった単純なことではだけではなく、死んだら人間はマスターと呼ばれる指導霊と共に、今まで歩いてきた人生がどうだったか、どう自分が計画してきた課題を克服できたかを一端整理して、その上で霊界に帰るなり、もう一度生まれ変わるかを決定するというのが、今話題になっている福島大学の教授である飯田先生の学術論文である「生きがいの創造です」
この「生きがいの創造」については縁の花65号でも皆さんに詳しく紹介しましたが、死後についての大方の考えはこの二つに代表されます。
後は地球村の高木先生にしろ、今度縁を持った木内先生にしろ、臨死体験をした人の話は同じです。
人間にしろ、他の動物にしろ、霊界、光輝いている世界に、死んだらすべてが一つになる為に魂は簡単に帰れるのです。
これが今までの紫陽花達の世界の常識なんです。
ただそうはいっても、丹波哲郎さんの映画に出てくるように、幽霊という存在もある程度は認められています。
自縛霊といって、何かの事故で突然死んだり、お金や自分の土地というものに執着して守護霊がいくら帰るように導いても、帰ろうとしない霊もごく一部だけど存在しており、そうなってはいけませんよというのが、丹波哲郎さんのいっていることなんです。
ようするに死ぬことは決して怖くないですよといっている訳です。
しかし紫陽花がここで皆さんに是非一緒に考えたいのは、果たして本当にそうなのかということです。
実際にそんなに簡単に、3次元の世界から、4次元の幽界、5次元以上の霊界に帰れるのだろうか。
それを皆さんもこの世に人間として何十年と生きているのだから、目にはみえないことなので分からないとは思いますが、今から紫陽花と一緒に考えて欲しいのです。
皆さんの直感、内なる魂に聞いてみて欲しいのです。
というのもそうではないよ。
ほとんどの人は、実は簡単に霊界に帰れないと教えてくれる先生も、紫陽花のまわりに何人かいます。
それが例えば潜在意識の活用では日本一の小林充先生です。
実はこの小林先生は潜在意識だけでなく、上級セミナーでは霊のことも、何十年と取り組んでおられる方で、人間のほとんどの99、9パーセントは死んだ時にいろんな後悔をして完全に成仏はしないと説明しています。
自分はこの世ですべてのことをやりきったと思って死ぬ人なんかまずいない。
大抵の人は、何らかのことをもっと「やりたかった」という未練を持ってこの世を終えるのが当り前だというのです。
しかもこの世に生まれてきている人は、多くの先祖霊達の夢や未練や、「私はこんなことをやりたかった」という目にはみえない思いを、実は誰もが無意識に背負っているともいいます。
それが皆さんにしろ、紫陽花にしろ進んでいる人生に大きな影響を与えているというのです。 また萩原先生は、河内先生とのジョイント講演の中で、5次元から7次元などの高次元から魂を成長させる為に生れてきている多くの魂が、いざ3次元のこの世を離れて、元いた世界に帰ろうとしても、この世でいろんな埃を身に付けてしまって、重たくなって飛びたくても飛べなくなった魂がほとんどだと教えてくれました。
このように簡単に帰れないほとんどの魂は、この世に今も漂っているという考えの先生もいらっしゃるのです。
しかもそれは紫陽花の回りの縁ある先生だけではありません。
船井先生と親しい波動で有名な足立育朗先生は、その著書や講演の中で「実はこの地球の上空何万キロまで目にはみえなくても多くの魂が存在している」といっていますし「多くの重たくなった魂はどんどん地下に落ちていき、マグマのような存在になり、その魂達を浄化する為にたまに大きな地震が起こる」とも書いています。
神戸で起きた阪神大地震も、そんな浮かばれない魂の存在が原因だと考えているのです。 今、そんなことをいいだしている本物の人達が増えているのです。
でも紫陽花はだからといってここで皆さんに有縁の死者霊は存在すると断定するつもりはありません。
本当の所は紫陽花にもよく分からないというのが本音です。
紫陽花自身もそれを今、必死に求めているのです。
ただそうはいっても河内先生の縁に付いている人の中には、この有縁の死者霊を感じたり、みた人が何人もいます。
例えばトンネルに入ると無数の手が自分に握手を求めてきたり、家の壁に無数の魂の目だけがみえたりといろんなケースがあります。
はっきりいってそんな経験や金縛りとか、何となく多くの霊を昔から感じていたから、河内先生の話を信じられたという人が、河内先生の縁につく人には多いです。
ですからその意見は決して無視はできないのです。
でもその反面、紫陽花はそんな経験は一度もありませんし、何となくこの頃多くの霊に頼られているというのは分かるような気がしますが、まだまだ疑問も持っています。 だから皆さんと本当にじっくりと考えてみたいのです。
一体、真実はどうなんでしょう。
●有縁の死者霊●
しかしそんなことをここで議論しても何も始まりません。
堂々巡りになって決着はつかないと思います。
だからここは、有縁の死者霊という存在が数えきれないぐらい無数にいると仮定して、河内先生が一体どうして死後の人間や動物や植物などの多くの魂が、有縁の死者霊になるかを具体的に説明しているので、それを皆さんと一緒に考えたいと思います。
その上で皆さんの感性で判断して欲しいのです。
というのも河内先生が説明する、多くの魂がどうして有縁の死者霊になるかという理由も簡単です。
縁の花ではそれを何回も説明していますが、人間が死んで魂になっても自分はこの夢や仕事をもっとしたかったという思いや、好物をもっと食べたかったとか、もっと遊びたかったという未練が残りますし、現在なら病気の為に水が飲みたいのに飲ませても貰えずに死んだり、昔なら戦争で食べたいものが食べたいのに食べられずに死んだりしたら(餓鬼霊)水一杯や食べ物にどうしても執着してしまいます。
しかも色情因縁といって、もっと妻やご主人と交わりたかったとか、あの人と一度交わりたかったという思いなども含めて、人間には多くの満たされない思いがあって、それが霊になったら果たすことができず、結局成仏できずにいます。
それがネックになって何万年も漂っているというのです。
又それは人間だけでなく、すべての動物や植物や微生物の魂も同じです。
人間のような思いとは違っても、やっぱり思いはあると思いますし、人間に対しては恨みもあると思います。
今どんどんいろんな生物が全滅していますが、その殆どの原因は人間だということは分かっており、決して人間を許していないと思います。
そんな人間を含めた多くの生物の霊が、今のままじゃ霊界に帰れないのです。
しかも河内先生はそんな多くの霊は、今も目にはみえなくても、皆さんや人類の前にいて、自分達の存在を認め、暖かい心で一緒にその思いを果たそうねと思ってくれる人を捜しているといいます。
自分を救ってくれそうな人や霊感の強い人に頼ってきたりして、それが分かってくれないと怒って、自分と同じ苦しみの病気や何かの霊的な現象も起こします。
それで訴えてくるのです。
でも霊達がどんなに訴えても人間には聞こえないし、今まで誰もそんなことを教えてくれる人もいないので、結局人間に無視されるだけです。
だけどそれでも何かを「したい、したい」という思いで頭が一杯で、もがき苦しんでいる。
そんなかわいそうな存在が有縁の死者霊だと河内先生はいうのです。
紫陽花は一つの真理だと思います。
しかし、だからといってこの教えが100パーセント正しいのかどうかは紫陽花には分かりません。
紫陽花自身「有縁の死者霊」になった経験があったとしても、今の肉体を持っている紫陽花は覚えていないし、実際に見たこともありません。
死んでみたら分かるそうですが、本当にそんな存在がたくさんいるのかどうかは分からないのです。
また皆さんの中にもそんな教えはおかしいという人も何人もいます。
大体死んで魂になったら、お腹が空くことなんかないので食べる必要もありませんし、どんな病気だとしても霊には関係ないので苦しむこともありません。
すべての真実も、死んだら全部思い出すので、有縁の死者霊になる訳がないという人もいます。
紫陽花はそれはもっともな意見だと思います。
ですから本当に分からないのです。
ただそれでも紫陽花が皆さんに考えて欲しいことは、霊になると一見本当に万能になります。 つい最近臨死体験をした有名な彗星探求家の木内先生によれば、霊になると思っただけでどこにでもいけるし、過去や未来まで分かるそうです。
しかも生きている他の人の肉体に憑依する、何かのメッセージを伝えることも可能になります。
本当にスーパーマンなんです。
でも人間が感じていた五感(味とか触ったりとか、香りとか響くなどの感覚のこと)というようなことを感じることはできません。
それはよく映画なんかで幽霊が出てきますが、彼らが人間に話しかけても聞こえないし、何かものを掴もうとしても、透き徹ってしまって何も掴むことができないシーンを想像すれば分かります。
紫陽花はそれはそれで結構辛いと思うのです。
だから紫陽花はそのことに関しては皆さんが、一度自分が死んだら有縁の死者霊になるかどうかで考えてみたらいいと思います。
自分が今、確かに死んだとしたら「あれを食べたかったとか」「もっと愛する人と触れあったり、愛を確かめたかった」という思いや、愛する子供や果たせなかった夢に対してきっと執着を持ってしまうから、自分ならきっと有縁の死者霊になってしまうかもしれないという人もいるだろうし、自分は決してそんな存在にならないという人もいると思います。
どちらにしても、そのことは紫陽花自身はっきり分からないことなので、皆さん自分自身で決めたらいいと思います。
その上で河内先生の縁を持つかどうか判断して貰いたいのです。
●救わせて下さい●
でもそれでも紫陽花がどうしても皆さんに一つだけ分かって欲しいことは、もし「有縁の死者霊」がいるとしたら、彼らはそれが理由で大変苦しんでおり、そんな彼らを救えるのは生きている皆さんしかいないということです。
というのもこの問題はいくら守護霊がいても、肉体がない以上どうすることもできませんし、皆さんも肉体がなくなってから「有縁の死者霊」の存在が見えてもどうすることもできません。
肉体がある今しか救ってあげることはできないのです。
だから紫陽花自身は皆さんより先に、有縁の死者霊を怖がるのではなく救ってあげる道を選択しました。
だって例えそれが河内先生がいうように無数の有縁の死者霊を救うことはできず、実際はたった一体とか二体しか救えなくても、それは本当に素晴らしいことです。
霊界に帰ったら、本当にその霊に感謝されます。
紫陽花はそれだけでも満足です。
なぜならこの世で霊を救うという最高のことができる訳ですし、例え目には見えなくても苦しんでいるものがいて、この紫陽花を頼ってきてくれるとしたら、何とかしてあげたいと思うからです。
そんな暖かい心を持ちたいのです。
しかもこの有縁の死者霊を救うことには、今の人類を救済するというとんでもないロマンが秘めております。
というのも人間の意識がここまで狂った原因に、実は有縁の死者霊の訴えが大きいと河内先生はいいます。
有縁の死者霊が早く自分達を救って欲しいと訴えているのに、人間達はまるっきり無視しているし、他の生物をどんどん滅亡させ、地球の環境を汚して、すべての魂から恨みを買うことしかしていません。
ですから今、有縁の死者霊が本当に怒って、自分達を救おうともしない人間なんか早く滅んでしまえと、大地震や異常気象などの天変地異を起こしたり、人類のリーダーを戦争などの間違った方向に動かすのです。
それが選挙で自民党が負けて、世の中が大きく変わるようなことが起こっても、なかなか変わらない理由だし、人類の意識がなかなか向上しない原因でもあります。
自分達だけで理想の社会なんかいかさないぞ。
そういった有縁の死者霊の訴えが、人類全体の意識や皆さんの意識に大きな影響を与えているのです。
でもそれは見方を変えたらそんな有縁の死者霊の存在に気が付いて、もし救いきることができたら、人類の意識はがらっと変わることになります。
特に今の人類をリードしているエリートの人達や、何よりもフリーメーソンやイルミナテイといった影の組織を動かしている人達は、ユダヤ関係などの有縁の死者霊に操られて、間違った方向に人類の未来を進めている可能性が高いですが、それを止めるようになります。
悪いことを計画している有縁の死者霊と戦うのではなく、暖かく包み込み、帰りたがっている霊界に返すのです。
これが河内先生のいう醍醐味だし、それができたら地震を含めた天変地異も起こらない上に、素晴らしい真のリーダーも出てきます。
助けられた有縁の死者霊達が逆に応援してくれるので、人類はやっと本物社会へと進めるのです。
ですから紫陽花はこの教えが100パーセント正しいという自信はありませんが、他にこれに変わるすごい教えがないので賭けています。
と同時に紫陽花は縁の花の読者である皆さんにも、一人でも多くの人に、多くの有縁の死者霊を救うというこの世でしかできない最高のことがやれる縁に付けてあげたいと願っています。
それが紫陽花が皆さんにしてあげられる最高のことだし、是非、皆さんの中でも「目にはみえなくても、本当に私の回りでも苦しんでいる多くの有縁の死者霊がいて、救うという大きなお仕事をさせて貰えるのなら私も救わせて欲しい」と志願する人を求めています。
一緒に救っていきましょう。
●有縁の死者霊の救済方法●
じゃ最後に有縁の死者霊をどうやって救くかですが、実は今までそんな方法はありませんでした。
今までは祈祷師の人や霊媒師の人がいて、人についている悪い霊達を追い払うことぐらいしかなかったのです。
救うなんていう発想自体が存在しなかったのです。
だから長い間、霊というものは怖い存在だと、ずっと怖れられたり、いみ嫌われていたのです。
しかし紫陽花はこの追い払うという考えは何の意味もないと思っています。
たとえ霊が祈祷師の人がうるさいので一端離れたとしても、そんなものはすぐに戻って来れます。
何の解決にもなりませんし、よく怪我をしている所に多くの霊達が付いているから追い払わないといけないといってお金を取る人もいますが、そんなものは何もならないと思うのです。
でもではまったく方法が無かったかといえば、そんなことはありません。
縁の花で紹介している小林充先生や、中川昌蔵先生は霊達を感じたり、見える人はその霊を説得して帰すことができるのです。
霊が訴えることを聞いてあげたり、死んでいることを教えてあげることによって、自ら霊界に帰るように説得するのです。
紫陽花はこのやり方で霊界に帰すことは十分可能だと思いますし、それができる先生達は本当に素晴らしいと思っていました。
霊を救うことは、この世では最高のことだといわれていますし、霊が見えたり、感じられる能力のある人達もごく小数だけど何人かいるのです。
しかしそんな先生にしても救える霊は一回に一体か二体だし、かならず救えるということではありません。
有縁の死者霊を救うということは、それほど難しいことだったのです。
だけどそれを河内先生は、まったく霊を感じられない普通の人にもさせてくれるといいます。
しかも一体や二体ではなく、何万体でも無限の数だけ救わせてあげるといっている訳です。
だから本当にすごい教えなんです。
では次にどうやって救うかですが、その方法は縁の花で何度も説明しています。
霊のままでは五感というものをまったく感じられない有縁の死者霊も、生きている人間の思い(波動)は感じることはできます。
一緒に食べようねとか、美味しいね。気持ちがいいよ。
そんな思いを食事をする時も、風呂に入る時も、仕事や家事をする時にも、何をする時にでも、夫婦だったら合体する時にさえ、つねにしたいのにできない有縁の死者を意識して一緒にやってあげることで、思いは届きます。
それで多くの有縁の死者霊も満足するのです。
これが河内先生の教えです。
はっきりいってこんな単純で、一銭もかけずに、日々の日常生活でできる教えを、世界で他の誰も今までいわなかったのです。
しかしだからといって皆さんがそれを翌日から実行しても、救える有縁の死者霊の数は限られています。
紫陽花は何体もいないと思います。
●先生、有縁●
そこで「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」という言葉が必要になってきます。
というのもこの言葉の先生とは河内先生のことで、実は河内先生は、人類史上始めて有縁の死者霊達を救うことを志願して、この世に生まれてきた人なのです。
天からそんな能力を与えられているのです。
しかもその救うと志願した有縁の死者霊の数も、地球上の規模ではありません。
宇宙全体どころか、幽界や霊界にいてもまだ完全には満足しきれない有縁の死者霊も、全部救うという決心の元で生まれてきたというのです。
ですからある意味では河内先生は人間ではなく、仏様だといえますし、多くの人が「先生」と河内先生を思うだけで、有縁の死者霊は河内先生の所まで一瞬に行けて救って貰えるということになるのです。
これが河内先生のいう「有縁の死者霊を救う」システムです。
またこの有縁の死者霊を救うシステムに皆さんが参加して貰うには、思いを有縁の死者霊に届けるだけでなく、河内先生との縁を持って貰わないといけないことにもなります。
なぜなら河内先生を知らなかったら河内先生をイメージできませんし、河内先生が始めて縁を持った時に「一念帰命」を受けないと、皆さんが救う菩薩だということが有縁の死者霊に分からないからです。
というのも「一念帰命」とはいろんな素晴らしいことがあります。
萩原先生は講演の中で「一念帰命」をして頂いた人の額から「光」が出ているといっており、これが有縁の死者霊にとって自分を救ってくれる人の目印になるのです。
だからそれがないと多くの有縁死者霊が頼ってこれないのです。
と同時に念の為にいっておきますが、「一念帰命」をして貰ったからといって後は何もしなかったら救うこともできません。
有縁の死者霊のことを思わなかったら波動が届かないので、有縁の死者霊は「何だ」ということですぐに去ってしまいます。
ですから難しいけど、つねに有縁の死者霊のことを考えることが大事だし、本当に膨大な有縁の死者霊を救うには、107号で書いた金沢済度に参加する必要もあります。
河内先生の身近に行くことが分かった時点で多くの有縁の死者霊が頼ってくるので、それを皆で一気に救って貰うのです。
これが、河内先生が18年も前からやっていることなんです。
紫陽花は本当だったらこの世で間違いなく最高のことだと確信しています。
しかしだからといって、紫陽花はこのことを皆さんに「全部信じて下さい」というつもりはありません。
証拠がある訳ではありませんし、正直紫陽花自身も完全には理解していないからです。
だからこのことこそ、皆さんが実際に河内先生と何回か縁を持って、「私はこの先生を信じられる」「いや信じられない」で判断して頂くしかないと思いますが、河内先生の話では、今の危機は地球という惑星のレベルではなく、日月神示や一部の本物の人がいっているように宇宙全体、三界万霊の危機だそうです。
それを河内先生は「今、膨大な数の有縁の死者霊達が苦しんでいるのに救って貰えない状況が続いており、このままでは宇宙や三界万霊も崩壊してしまうので、自分は地球という星を選んで生まれてきており、宇宙からこの地球を目指して他の星の有縁の死者霊が救って欲しいとどんどん来ている」といっていますが、真相はどうなんでしょう。
正直いって紫陽花には話があまりにもでかすぎて分かりません。
ただそれでも紫陽花は大きな話が好きだし、縁の花自体も書きごたえがあります。
また河内先生のことを書き出してから、確かに縁自体も急速に広がっているし、済度自体も面白い面もあります。
それに地球どころか、宇宙や三界万霊というとてつもない世界を救うという縁に変わる縁も紫陽花にはありません。
ですから紫陽花は分からないなりに、河内先生や多くの仲間を信じて進んでいます。
どうか皆さんの多くも一緒に進んで頂けたら幸せです。
共に済度しましょう。
追伸、有縁という言葉があります。
この意味は済度している人と縁がある有縁の死者霊ということになりますが、これは過去世で何回、いや何千回、何万回と生まれ変わった時に、縁があった人達の霊をいいます。 しかも面白いのは河内先生の縁に付く人は今までろくな生き方をしていなかったそうです。
たくさんの人の首をはねたり、多くの人をだましたりした人が大半だそうです。
それでたくさんの有縁の死者霊達の恨みを買って、今回そんな人達をかならず救うからといって、堅く約束して、この世に生を受けたというのです。
それが今回紫陽花が生まれた唯一の使命だし、日本で生まれた多くの人々の真の使命だというのです。
どうです、驚きでしょう。
またそう考えると紫陽花にしろ、多くの人にしろ、前は有縁の死者霊だったのですが、それをすっかり忘れているということになります。
さあ、皆さんはどうですか。思い出しましたか。
紫陽花は残念ながら思い出せませんが、前世で迷惑をかけた霊達と硬く救いますと約束したのだったら後悔しないようにできるだけ、救ってあげたいと思います。
ではこれで・・・・・・
読者の皆さんにご報告
2007年7月7日、七夕の日、まったく意識していなかったのですが、縁の花のHPを見たある人と、大阪で初めてお会いする事になりました。
昔、菊がやっていた済度のご縁の人です。
その人と、空海さんが、嵯峨天皇から賜った、世界遺産でもある、京都の東寺に行きました。
ここで空海さんは、多くの弟子と共に、密教をしていて、東寺は、真言密教の根本道場となっていたのです。
しかもそこでは、偶然にも、夜から、環境問題に関わる大きな世界的な行事をするということで、忙しくしていました。
何と、世界で見れば、20億人が参加した行事です。
これも、何か大きな意味がある気がします。
また、その後、久しぶりに、京都の河内先生の講演会に参加して、河内晢先生のお話聞きました。
河内先生のご縁は、21世紀になってから活動はしていませんが、情報は得ていました。
相変わらずお元気でした。
でも、河内晢先生も、7月1日が誕生日なので、もう60歳、還暦になります。
いよいよ河内先生の活動も最後の仕上がりになるそうです。
菊自身、それが成就するのか、しないのかは分かりませんが、以前、追伸として書いた文章は、消すことにします。
ご迷惑をおかけした済度の仲間には、申し訳ないと思います。
しかも驚くことに、その追伸の最後に、「2007年頃、河内晢先生が、本当の阿弥陀如来だと、紫陽花自身が思えたら、その時には、紹介したいと思います。」と書いています。
正直言えば、河内先生が、本当の阿弥陀如来だと思えたのと聞かれたら、思えていませんと答えますが、菊自身、2007年頃、済度のご縁を、再び、紹介すると書いていたこと、忘れていました。
京都の講演会で、済度の仲間に、お会いして、その事を言われて、驚きです。
自分でも、まったく無意識に、2007年と書いたのかもしれません。
菊の魂が、そう望んでいたことなのかな。
確か、2005年と書いて、まだ、その時期になっていないので、2007年にした記憶がありますが、2007年7月7日に、再び、済度のご縁についたことは、何か、天の大いなる意志、河内先生の願いを感じました。
ということで、昔書いていた追伸の文章は消すことにしました。
河内先生の済度のご縁に関心ある人は、菊にメール下さい。
済度を今も、実践している人をご紹介したいと思います。
2007年7月9日