縁の花
(本物を目指して心と心のネットワーク)
第115号
坂田道信
紫陽花自身全然知らなかったのですが、坂本竜馬の誕生日であり、命日である11月15日、広島の府中市の根幹志塾一周年記念に紫陽花は参加してきました。
山上さんとその友人である那須正啓さんと3人で関西根幹志塾を代表していってきたのです。
その感想をいえばよかったです。
教えない塾の子供達の何人かによるコンサートも良かったし、余ったピアノを海外に送る活動をしている河野康彦さんとゆかいな仲間達の音楽も素晴らしかったです。
特にピアノを演奏する河野さんの技術にはびっくりしました。
でも紫陽花にはそれよりも府中市でがんばっている根幹志塾の人達と始めて実際に縁を持てたことが嬉しかったです。
12名ぐらいの人と縁ができたのです。
この人達とは今後同志として一生お付き合いができます。
しかも紫陽花は今度はがき道の坂田先生という素晴らしい人と縁を持てました。
坂田先生は複写はがきで、有名で一日に20通も30通も書くそうです。
これが年賀状になると1万通以上にもなります。
それだけ多くの人との縁を大切にしており、はがきを書くということを一つの道にしてしまったすごい方なんです。
だから紫陽花は前から坂田先生とは一度会いたいと思っていました。
同じ縁を大切にしている者として、坂田先生が縁をどう考えているのか、その教えを聞きたかったのです。
それが根幹志塾との縁を持つことで実現できました。
正直いって嬉しいです。
是非皆さんもそんな坂田先生の話を聞いて下さい。
坂田道信先生の講演
●「生き方」●
坂田先生の講演は最初、壇上にある大きな机に正座するという所から始まりました。
ずっとその姿勢で最後まで話をしたのですが、突然の行動に紫陽花も正直びっくりしました。 そんなことをされた講師は今まで一人もいなかったからです。
でも今から考えたら、多くの人に対して正座して話をする姿こそ、坂田先生の生き方そのものなのでしょうが、本当に一生懸命、カッコもつけずに熱心に話してくれたのです。
またその坂田先生の話のテーマは、人間としての生き方についてです。
人間はどう生きるべきかを坂田先生は例を何個かあげて簡単に説明してくれたのです。
というのも例えば人間が生きるということは毎日の日常生活の中で、どんどん心を綺麗にすることですと坂田先生は教えてくれました。
それを意識して生きることが、人間が生きることだといわれたのです。
と同時に坂田先生は生きるということは、今から生きることだともいいました。
終わった過去のことをいくら悔やんでも何も始まらないし、将来のことを考えても誰にも分かりません。
それよりもこの瞬間の現実が一番大事です。
坂田先生は生きるということは、今を本当に大切にすることだと教えてくれたのです。
しかも坂田先生はそんな調子でどんどん生きるということで話をされます。
生きるということは運命を変えること。
お金持ちに生れた。貧しいもとに生れた。
そんな条件があっても、その条件通りに生きるのではなく、運命を好転させることが生きることだ。
そうもいわれました。
また江戸時代に活躍した上杉鷹山の一汁一菜の言葉を出して、質素に生きることの大切さもいいました。
バブル景気の頃、絶好調だった銀行業界や証券業界は今は苦しんでいます。
人間はいい時程、謙虚で、他の人にもお裾分けをしないといけない。
そうしないと、かならず滅亡してしまう。
生きるということは質素で、謙虚で、他にも分けるということを実行することですと教えてくれたのです。
と同時に坂田先生は生きるということは、男は男らしく、女は女らしく生きることだと訴えました。
それが幸せだというのです。
なぜなら今坂田先生の目には、男が女の子になったり、女が男の子になっているようにみえるそうです。
でもそうなったらお互いを引き合おうとはしません。
まったく違っているからお互いを引き付け合おうとするのであって、同じだと引き付け合わずに反対に離れてしまいます。
それが今の世の中の、男女の関係がおかしくなっている原因だというのです。
紫陽花はこの考えは面白いと思いました。
そしてその次に坂田先生は、食べ物の大切さを特に強調しました。
よくいわれていることですが、食べ物と人間の運命は大きく関係があります。
坂田先生によると食べ物は人間の運命の9割を影響するそうです。
血液はすべて食べ物からできており、いいものを食べていたら、血液も綺麗になる。
坂田先生はそういわれると奥さんの宜穂さんと夫婦で実行されている玄米食を勧めてくれました。
人間が生きるということは米、麦、あわなどの穀物を食べるということで、今のおかずをたくさん食べることは危険だと警告してくれたのです。
だって日月神示でもいうように4つ足の動物の肉などを食べていると、外見は人間なのに心が動物の人になります。
自己中心で、他人の気持ちなんかをまったく考えない人になるのです。
坂田先生はそんな人達が増えていることに警告を与え、自ら1カ月に一度奥さんと自宅で玄米の料理教室を開いています。
いつも多くの人が全国から参加してくれるそうですが、そんなこともやっているのです。 紫陽花は素晴らしいことだし、是非一度その料理教室に参加したいと思ったのです。
しかし紫陽花が1番感銘を受けたのは、次の生きるということは、自分自身で判断することだという坂田先生の言葉でした。
坂田先生は偉い先生と縁を持つ程気を付けないといけない。
ついついそんな偉い先生の判断に任せてしまって、自分で判断しなくなる。
迷うことは当り前、迷ってもいいから自分の判断で何事もすること。
それが本当に大切だと教えてくれたのです。
紫陽花はその話にはなるほどと思いました。
紫陽花自身もいろんな先生の考えに任せてしまって、自分で判断しなくなっているのではないかと考えさせられたのです。
●「複写はがき」●
坂田先生の講演はこのように生きるということをテーマにして次々というと、いよいよ話は複写はがきへ進みました。
というのも複写はがきとはカーボン用紙を使って、はがきに書いた内容を残す方法です。 はがきの上にカーボン用紙をひいて、カーボン用紙に文字を書くと、ちゃんとはがきに文字は写ります。
そのはがきを送れば書いた内容は、カーボン用紙に残せるのです。
坂田先生はそんなやり方で膨大な量のはがきの内容を残しています。
何万通もあるのです。
はっきりいって紫陽花は本当にすごいことだと思います。
しかも坂田先生は複写はがきのやり方を説明すると、なぜそんな複写はがきをしているかを生きるということで説明してくれました。
それが生きるということは、自分が今まで生きてきたことを残さないといけないということです。
坂田先生はそういうと、この複写はがきをみれば、自分の今までの一生が分かるといいきりました。
十年前はこんな人達と縁を持っていて、五年前はこんなことを考えていた。
坂田先生は複写はがきをみればそれが簡単に分かるといって、聞いている根幹志塾のメンバーに複写はがきをすることを勧めてくれたのです。
と同時に坂田先生ははがきを書くということも生きるという観点から勧めてくれました。
なぜなら生きるということは語るということです。
いろんな縁ある人に語るということなんです。
坂田先生はそういうとはがきで便りを書くことは一番誰にも読んで貰えるといいました。 実際にはがきを送れば、誰もが読んでくれますが、それが大事だといったのです。
しかもはがきを書くことは、企業でいえば売り上げアップにつながりますし、夫婦間や家族との絆を深めることもできます。
実際に坂田先生の講演依頼の80パーセントは企業で、社員がお客さんにはがきを出すと効果が出てくるそうです。
だって紫陽花の経験からいっても、貰って喜ばないお客はいませんし、何回も送っていたらかならず結果は出てくるからです。
また夫婦や子供に出すのも効果があります。
坂田先生自身、奥さんにどんどんはがきを出し、奥さんもはがきをくれ、夫婦間の仲は本当に理想なカップルです。(紫陽花もそんなはがきを早く書きたいです)
そんな奥さんに宛てたはがきの文面を坂田先生は講演中に読んでくれましたが、奥さんに対して愛しているとか、一番綺麗だとか、とても口では恥ずかしくていえないこともはがきなら書けます。
だからそんなはがきを旅先から書くだけでも奥さんは喜びます。
一番お金がかからずに愛情が表現できる方法で、紫陽花もなる程と納得したのです。
しかもそのはがきを出す相手は何も今生きている人に限りません。
亡くなったおとうさんにずっと出したり、もうすぐ生れてくる赤ちゃんに出すということも可能です。
また今の自分や過去や未来の自分に出すことも可能です。
ポストに入れていたら二日後か三日後に届いて励ましてくれることもできます。
それに尊敬する人に毎日はがきを書くということもできます。
一日一心で尊敬している人のことを思って書いていたら、その人の考えや生き方が自然に身に付きます。
坂田先生はそういったはがきの面白い活用の仕方を教えてくれたのです。
紫陽花もその話を聞いて、縁の花もいいけど、はがきを出すのもいいなあと素直に思いました。
紫陽花も複写はがきを是非やってみようと思ったのです。
しかし紫陽花が坂田先生の話で複写はがきをしたいと思ったのは、そんな複写はがきの効果の話だけではありません。
むしろそれよりも感動したのは複写はがきを始めた徳永先生の生き方です。
その人に縁の花を書いている紫陽花を照らし合わせたのです。 というのも坂田先生は徳永先生を学校の先生で、素晴らしい教育者と紹介してくれました。
なぜなら熊本で校長先生として、問題ある学校を二つも建て直したのに、校長でなく平の先生に戻して欲しいと申し入れたり、終戦後昼食が食べられない生徒が多いと知ると、自分も決して昼飯を食べずに一緒に遊んでいた先生だったからです。
ですからそんな先生の生き方に感銘を受けた生徒は多く、特効隊として遺書を書く時に両親だけでなく徳永先生宛てに書いた生徒がいたりしたそうです。
他にも徳永先生の家の回りをいつも飛行機で飛んだ生徒がいたりして、多くの生徒に慕われていたのです。
そしてそんな徳永先生は、卒業した生徒とも自然に複写はがきを出すようになりました。 二千通以上の複写はがきを出して、一人ひとりの生徒との絆を大切にしていたのです。 だから徳永先生が亡くなりそうだという時には多くの人が駆け付けました。
多くの人で千羽鶴が作られたそうですが、徳永先生は「自分は無名だけど、いくらでも有名な生徒の名前をあげることができる」と誇りを持っていいきったというエピソードが
あります。
徳永先生は名前は知られていなくても、最高の幸せな生き方をしたのです。
紫陽花はそんな徳永先生の生き方に感動しましたし、坂田先生はそんな徳永先生の生き方を一燈照国な生き方だと教えてくれました。
何も偉くなったり、お金持ちになったりするのが生きることではない。
門番でも構わないから、与えられたすべての仕事に対して、後に入った人の為に少しでもいいようにしてあげることが大切だ。
そんな生き方が自然にあった生き方だし、人間は自然の生活から離れた時に弱くなる。 坂田先生はそんなこともアドバイスしてくれたのです。
ですから紫陽花も別に有名にならなくてもいいから、今やっている縁の花をひっそりとでもいいからずっと続けたいと心底思いました。
坂田先生の話は、そんな決心を改めて紫陽花にさせてくれたのです。
縁の花の読者の皆さん、紫陽花はとても坂田先生や徳永先生のような生き方はできないと思いますが、今後もお付き合いよろしくお願いします。
では皆さん今後とも合縁で・・・・
平成10年11月22日
追伸、坂田先生の講演時間が短いこともあって、話はいいところで終わってしまいました。
この続きの話は1月23日、第3回関西根幹志塾に来られる時に聞けると思います。
是非皆さんもはがき道の坂田先生と縁を持って欲しいと思います。