縁の花
(魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)
第159号
利家とまつ
§「前田家の済度」§
NHKの大河ドラマ、利家とまつが好評です。
この頃の大河ドラマは、前回の北条時宗もそうでしたが、あまり視聴率もよくありませんでしたが、反町隆史(織田信長)と松島菜々子(前田まつ)の夫婦や、唐沢寿明(前田利家)や竹野内豊(利家の弟)などの、若手のキャスティングという事で、話題になっています。
視聴率も、ものすごくいいです。
紫陽花も、毎週、かかさずに見ているのです。
また、この時期に、利家とまつが、取り上げられた事も、紫陽花は、偶然とはないと思います。
何か大きな意味があるはずです。
というのも、日本全体で考えたら、マスコミなんかで、よく言われている事ですが、脚本家の竹内洋さんやNHKのスタッフの願いに、元気を無くしている日本人に、利家とまつの、信頼しあった夫婦像を見せる事で、元気を与えるといった事もあると思います。
実際に、まつの、夫を支える良妻賢母ぶりに、励まされている男性も多いといいます。
紫陽花も、まつのような女性が欲しいと心から思ったのです。
と同時に、紫陽花の立場で、考えたら、利家とまつといえば、加賀百万石の前田家です。
この前田家が、本城に置いたのが、金沢にある金沢城です。
そして金沢といえば、河内晢先生です。
だから、紫陽花は、今年、日本国民が利家とまつに、注目するのは、河内晢先生がやっている活動、済度にとっても大きい意味があると考えています。
今年、利家とまつが注目されるという事は、河内晢先生の地元である、石川県、富山県を中心とした、昔でいえば、加賀、能登、越中という土地で、戦国時代になくなった多くの有縁の死者霊を、救うという事になるのです。
ですから、紫陽花も、今回の縁の花では、前田家の済度をしたいと思います。
今迄、戦国時代の武田家や、太平洋戦争で亡くなった霊達の事を思って、いろいろシュミレーション小説を書いてきましたが、今度は、前田家の事を書きたいと思うのです。
しかし、何も、紫陽花は、前田家の天下取りを、シュミレーションするつもりはありません。
前田利家が、天下を狙う意志があったかと問えば、戦国時代の武将ですから、なかったといえば嘘になると思いますが、紫陽花は、そんな野望は持たないように努力したと思うからです。
あくまでも、親友である豊臣秀吉の息子、秀頼が成長するまで、徳川家康から、守ろうとしていたと思うのです。
だから、それができずに、徳川家康との争いの中で、病気で死んでしまった事は、利家にとって、無念だったとは思います。
だけど、前田家は、まつや長男の利長や多くの家臣によって、江戸時代、唯一の百万石の大藩として、生き残ります。
前田利長やまつは、利家が亡くなった後、徳川家康に苛められ、利長は、謀反の疑いをかけられ、まつは前田家を守る為に、江戸城にまで、人質として行っていますが、そんな事、あっさり忘れて、今は、徳川家に対して、恨みはないと思うのです。
ですから、紫陽花は、前田家のシュミレーション小説を書くつもりはありません。
紫陽花が、今回、挑戦したいのは、別な事、解釈なのです。
というのも、小説の世界は、今、どんどん変わっています。
吉川英治さんや山岡荘八さんが活躍した頃は、歴史上の人物が、やってきた事を、できるだけ忠実に書いていたように思います。
もちろん歴史ですから分からない事も多いのですが、できるだけ、自分の考えを入れず、ほぼ、歴史として思われている事を書いていたと思うのです。
しかし、それでは書くネタがなくなってきたのか、近年、流行したのが、シュミレーション小説、逆転小説というものです。
本来なら、天下を取れなかった武田信玄が、天下を取ったり、日本が、太平洋戦争で、米国に勝つといった具合に、想像力を働かせて、バーチャルの世界を創るのです。
でも、このシュミレーション小説も、息詰まっています。
紫陽花からみても、あまりにも、骨董無形で、現実離れしている作品が多すぎます。
それで、だんだん読みたいと思う作品がなくなってきたのです。
たぶん、今、戦国時代や、太平洋戦争で亡くなった霊達も、一部の作品の作家を除いて、ほとんどの作品に対して、不満を持っていると思います。
それで、ヒット作品があまり出ないのです。
だけど、小説の世界も、どんどん進歩しています。
紫陽花が、シュミレーション小説のかわりに、出てきたなあと思っているのは、新しい解釈の元で書かれている、小説です。
というのも、織田信長にしろ、武田信玄にしろ、一度書かれた人物の事を書く場合、同じ内容を書いても、多くの人に読まれる訳がありません。
新しい視点で、新しい解釈で、書く必用があります。
だから、歴史上に起こった事はちゃんとそのまま書いても、何故、そういった事が起こったのか。
その時の当事者の気持ちは、どうだったのだろう。
歴史として、今迄伝えられていた事と、本当は違ったのではないか。
作者の人は、そんな事を必死に考えて、小説を書くのです。
ですから紫陽花は、そんな新しい解釈の小説には、亡くなった霊達の思いが、今、入っているような気がします。
歴史では、こういわれているけど、真実は、こうだったというメッセージを、今の人に伝えようとしていると思うのです。
そしてそれは、紫陽花は、前田利家やまつも同じだと思います。
織田信長には、織田家の元々の家臣だったのに、新しく入った、秀吉や明智光秀に出世争いで遠く及ばず、抜かれてしまい、あまり評価して貰えなかったと思われていますが、織田信長との関係はどうだったのか。
秀吉とは、お互いの妻である、ねねとまつを含めて、家族づきあいをしており、本当に仲がよかったらといわれていますが、それは、本当だったのか。
織田信長が死んだ後、秀吉が、織田家を乗っ取って、天下を取った事に対して、織田の家臣として、いろんな葛藤はなかったのだろうか
徳川家康とは、秀吉の元で、両雄に例えられて、秀吉が死んだ後、対立しましたが、どんな気持ちを持っていたのだろうか。
紫陽花は、利家やまつや多くの前田家や織田家と縁を持った霊達が、訴えたい事がたくさんある気がします。
そんな霊達の思いが、今回、NHKの大河ドラマで、利家とまつが取り上げられた一つのような気がします。
利家やまつなどの多くの霊達が、脚本家の竹内洋さんなどに訴えて、利家とまつのドラマが出来た気がするのです。
だから紫陽花は、このドラマで書かれている新しい解釈の中には、真実も、結構あるのではないかと思います。
全部が、全部、正しいとは思いませんが、真実もあるはずです。
ですから、そんな解釈を、皆さんに紹介する事で、前田家の霊達の済度にしたいのです。
どうか前田家だけでなく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にからんだ多くの霊達を済度すると言う大きな視点でお読み頂けたら幸せです。
§「利家とまつの縁」§
利家の妻になるまつは、4歳の時に、尾張の国の荒子というところで、荒子城を持ち、織田家に仕えている、二千貫を知行している前田家の幼女になっています。
まつの母、たけのは、利家の母、たつの姉なので、たけのの夫、篠原主計が、戦死した後、再婚をした時に、まつは引き取られた事になっているのです。
でも、史実は、4歳の時に、幼女になったという事しか分かっていないそうです。
何故、まつが、前田家に幼女として来たのか、はっきりとした理由は分かっていないのです。
だから脚本家の竹山洋さんは、まつが、再婚に邪魔になるから、捨てられたのではなく、他家に嫁いだ母は、もう自分の母ではないと自らの意志で別れ、単身前田家にやってきたという解釈で、このドラマを勧めています。
自分の運命は、自分で決めていく。
小さい時から、そんな芯の強さを持った女性として、描いているのです。
またそれは、前田家で育てられて、利家とも一緒に住むようになってからも同じです。
利家とまつは、十歳程、歳が違いますが、まつは、槍を持たせたら、織田家随一で、槍の又左と呼ばれている、利家の持つ強さ、男らしさに引かれて、好きになります。
後に秀吉と結婚する、ねねや佐々成政の妻になる、はるなども、利家が好きなので、争うのですが、まつは、自ら、「私を妻にしてくださいませ」と、告白してしまいます。
育ての親であるたつは、前田家の跡取息子、前田利久と結婚させようとしますが、まつは、自分の意志を貫こうとするのです。
それで利家は、まつと結婚する事にします。
利家自身、家族として一緒に住んでいた、綺麗で、性格もよかった、十歳年下のまつの事が好きだったのです。
こうして二人は、親戚同士の、一種の幼なじみという関係の中で、結婚しています。
史実としては、二人が結婚するに当たって、いろんな苦難があったのか、どうかは分かりませんが、二人が相思相愛で、まつは、心から好きだった男と結婚したのは間違いありません。
ドラマでは、その事を何度もいっており、織田信長の妹、市が浅井長政と政略結婚が決まった時には、同情するシーンさえあるのです。
と同時に、二人の結婚生活では、まつが、利家を上手にリードして、利家を出世させていく事になります。
今までの利家像では、まつというすばらしい妻を持ちながらも、前田家は、利家が長として動かしていると思われていましたが、「利家とまつ」の物語では、まつが、前田家の大将になっています。
結婚した事を、最初に多くの領民の前で報告した時に、「困ったことがございましたら、なんなりと私にお話しくださりませ。お金のこと、病のこと、食べ物のこと、なんなりと」といっています。
利家をまるっきり無視していたので、ドラマでは、その時の利家の表情が面白かったですが、まつは、自分は無意識なのに、天がいわせたといっています。
その後も、まつの乳母、うめが、「前田家の本当の大将は、まつ様、貴方です」と言うシーンもあります。
ドラマでは前田家は、まつが、中心だったと、とらえていますし、紫陽花は、利家やまつの霊も、そうだったと伝えたがっているような気がするのです。
ですから、ドラマでは、律儀で、出世がなかなかできない利家に対して、まつは影から支えて出世させていきます。
というのも、利家は、まつと結婚して、すぐに長女の幸(さち)を持ちましたが、早々と生涯最大のピンチの大事件を起こしてしまいます。
織田信長が可愛がっていた茶坊主の拾阿弥が、まつがくれた利家の笄を盗んだので、利家は怒って、信長の斬るなという命令に背いて斬りました。
それで信長の逆鱗にふれて、切腹は免れたものの、織田家を追放となってしまったのです。
幼い子供を抱えて、まつは、浪々の身になった利家を、貧しい生活の中で支えないといけない事になったのです。
しかも夫の利家は、織田家の復帰を願って、いろんな所を転々としてなかなか帰ってきません。
1年後に起こった桶狭間の戦いで、手柄をたてても許されず、結局、2年後、美濃・森部の戦いで、斎藤家の豪傑、足立六兵衛を討ち取った事で許され、前の禄高に三百貫加増されて、四百五百貫になるまで、生活の苦労は続くのです。
また、その後は、織田信長が持つ、直々の軍団、赤母衣衆の筆頭となりましたが、戦で槍を持って、命懸けで戦う事で、手柄を得ようとする利家は、頭を使う、秀吉や明智秀吉に比べて、出世争いでは遅れを取ってしまいます。
律儀な利家は、なかなか出世できなかったのです。
ですが、まつは、そんな利家に、時には慰め、時には叱咤激励をし、時には、助言を与えて、支えます。
しかも、利家とまつの仲は、側室が何人かいても、本当にいいのか、戦国時代最高の二男十女もの子宝に恵まれ、子供ができない秀吉、ねね夫婦に、四女、豪をあげています。
秀吉との絆を深めていたのです。
と同時に、利家も、ただの戦う武将から、智恵も持つ、知将となり、長篠の戦では、織田家の鉄砲隊を率いて、手柄をたてています。
大名としての道を開き、最初は、越前府中に3万三千石と大名になり、織田信長が本能寺で明智光秀の謀反で亡くなった時には、能登一国、約、23万石を与えられています。
一国一城の主になっているのです。
ですが、そんな順調だった利家とまつに、大きな運命の試練がやってきます。
織田信長が、本能寺で亡くなった後の、跡目争いに巻き込まれてしまいます。
利家は、織田家の筆頭といわれている柴田勝家の配下で、秀吉と柴田活家の争そいに巻き込まれてしまいます。
「おやじ様」と呼んで、ずっとお世話になっていた上司になる柴田勝家と、親友である秀吉のどちらを選ぶのか悩む事になるのです。
だけど、残念ながら、ドラマは、そこまで、5月26日の時点では進んでいないので、利家とまつの心情は分かりません。
ただ苦悩した事は想像できますし、その後も、柴田勝家を破って、織田家を乗っ取った、秀吉の親友として、同じ織田家で、ライバルでもあり、親友でもあった、佐々成政と戦い、大大名になっていきます。
徳川家康と並ぶ、五大老の筆頭になり、秀吉の片腕になるのです。
でも、紫陽花は、織田信長に、本当に崇拝していた利家には、秀吉が織田家を滅ぼしていく事に、複雑な気持ちはあったと思います。
それをまつが、どう割り切って、利家をリードしていったのかも興味があります。
しかも、秀吉が亡くなった後、利家と徳川家康は、争い、利家が病気で亡くなった後は、前田家を守る為に、まつは奮闘します。
前田家に対して難癖をつけて、滅ぼそうとする徳川家康に、人質として、江戸城まで行って、前田家を守っています。
利家亡き後の事実上の、大将は、まつだったのです。
NHKのドラマでは、そんな新しいまつ像を想像させてくれて、紫陽花を楽しませてくれるのです。
§「前田家の人々の縁」§
利家とまつのドラマでは、よく知られている利家とまつ以外の事も、教えてくれました。
父親である利昌や、兄である利久や妻であるつねとの事、つねの連れ子で、本来なら荒子城を継ぐはずだった、かぶき者で有名な前田慶次郎、利家の弟で、佐脇藤右衛門の養子になった佐脇良之、利家の最初の家臣で苦楽を供にした村井長頼や、奥村家福など、いろんな人が登場します。
紫陽花自身、前田慶次郎以外の人は、よく知らなかったので、とても勉強になったのです。
特に、紫陽花だけでなく、多くの人が、驚いたのは、佐脇良之の存在だと思います。
佐脇良之は、利家の弟で、信長の家臣である佐脇藤右衛門の養子となって、利家よりも早く、織田信長に仕えて、信長の側用人の一人になるのですが、運の巡り合わせがあまりよくありませんでした。
ドラマでは合戦で左腕を負傷して、武芸に優れていたのに、戦で手柄をたてる事ができなくなったのです。
しかも、頭も、秀吉にさえ、負けないぐらいよく、秀吉の考えている策略を見抜いて、兄の利家は、人がいいと忠告します。
もし利家の参謀についたら、後の利家の出世争いは、大きく進展したのではないかと思わせるのです。
しかし、佐脇良之は、まっすぐな生き方をさせて貰えませんでした。
左手が動かないので、右手で仏像などを彫っている、どこか人生に、不貞腐れている佐脇良之に、織田信長は、浅井家の家臣になるようにいいます。
妹のお市が浅井家に嫁ぐので、お市が心配だから、付き従うように命令するのです。
でも、これはただお市が、心配だから、相談相手になって欲しいというだけでなく、いつ裏切るか分からない、浅井家を監視する策略でもありました。
実際、お市は、浅井長政が、突然、兄を裏切った時に、越前の朝倉攻めをしている織田信長に、両端をしばった小豆袋を、佐脇良之に届けさせます。
それで織田家は、朝倉家、浅井家の裏切りで、袋のねずみだと知らせて、信長の命を助けるのです。
だけど、佐脇良之は、そんな手柄をたてたのに、織田家に戻れませんでした。
浅井家に戻され、浅井家にいられなくなってからは、今度は、比叡山攻めのおりに、すべてのものを殺せという信長の命令を破って、一人の赤子の女の子(三女麻阿)を救って為に、逐電して徳川家康の元に走っています。
秀吉などが、佐脇良之の頭を恐れて、織田信長に進言して、徳川家康の家臣になるように仕向けて、徳川家康が、武田信玄が、組むかもしれない事をスパイさせようとしたというのです。
ですが、そんな織田信長の計略は、徳川家康が、武田信玄によって、三方ヶ原の戦いで敗れた時に終わります。
佐脇良之は、徳川家康を守って、討ち死にするのです。
紫陽花が、調べたかぎりでは、佐脇良之は、織田信長の近習の一人でしたが、五人で組んでいた一人が、信長の側近を殺した為に、織田信長の怒りを恐れて、五人とも逐電し、徳川家康の元で、三方ヶ原の合戦の時に戦い、五人とも死んでいるのが、史実ですが、ドラマでは、佐脇良之をそんな不運が付きまとった、武将として、ものすごくクローズアップさせていました。
佐脇良之が、ずっと生きて、お市の相談相手として生きていたら、お市が、柴田勝家と再婚して、北ノ庄城で死ぬ事もなっかたのではないか。
利家の家臣として仕えたら、利家は、秀吉に負ける事はなかったのではないか。
そう思わせながら、静かに死んでいるのです。
また、利家の兄で、前田家の家督を継いだ、長男の利久は、戦が嫌いな、本当に武将に向かない人物として描かれています。
実際にも、そうだったといわれていますが、織田信長にも、戦をしようとしない利久は、ばかにされ、荒子城ニ千貫文の身代を、利家に継ぐように命令されます。
兄なのに、お前は無能だから、弟の利家の部下になれといわれてしまうのです。
だから、利久は、その事で、反発して、利家と争います。
荒子城は、絶対に渡さないというのです。
しかし、結局、利久は、誠意をつくそうとする利家やまつに負けて、荒子城を出ると、浪人になってしまいます。
利久には、後妻ながら甲賀忍者だったといわれている滝川一益の息子だった益と結婚した気の強いつねやその子の慶次郎がおり、二人が利家やまつに対して、自分達の土地を奪ったという事で反発すると、荒子城に、呪いをかけるというので、利家達と一緒に荒子城で住む訳にはいかなかったのです。
だけど紫陽花が、その後に感心するのは、利家とまつは、不仲になった利久やつねと和して、能登国主になった時には、利久を迎えている事です。
史実としても、利久は前田家に戻ると「御隠居」と呼ばれて、前田家の人達にも、尊敬されていたそうですが、利家とまつの誠実さが伝わってきます。
ドラマでは、利久が、家督を利家が継いだのは、天の配慮だったというシーンがあるそうですが、紫陽花は、利久の霊の本音だと思います。
口のきたない人の中には、利家が利久の家督を、信長にうまく取り入って、奪ったのだという人さえいましたが、そうではないという気がするのです。
しかも、利家は、同僚の佐々成政や柴田勝家が、兄の利久をばかにした時は、怒っています。
兄の悪口はいうなあといっていますが、紫陽花は、これも実際に会った事のような気がするのです。
と同時に、利久と一緒に、荒子を出ていった前田安勝や、家臣の奥村家福も、帰参を許されると、前田利家の片腕として活躍しています。
前田家は、戦国時代、兄弟が仲たがいした事が多い中で、驚く程、団結が強いのです。
これも紫陽花は、前田家の霊達の訴え、自慢したい事のような気がします。
しかし、そんな中で、唯一の例外は、傾奇者として有名な前田慶次郎の存在です。
慶次郎は、利家を凌ぐ、傾奇者として有名ですが、前田利久の養子となって、本来なら、荒子城を継ぐはずだったのが、織田信長の命令で、利家が継いだ為に、荒子城を利久と一緒に出ています。
その後、慶次郎は、利家が大名になると、利家に仕えていますが、思う所があるのか、利家に水風呂を振る舞い、あまりの冷たさに、利家が悲鳴をあげたなかで、前田家を出奔し、京都に登っています。
慶次郎のその後は分からないのですが、関ケ原の戦いでは、会津の上杉景勝の軍に属すると、活躍しています。
結局、慶次郎は、上杉家の家臣になり、前田家に戻ってくる事はなかったのです。
だけど、利家にしろ、まつにしろ、そんな慶次郎を許しています。
ドラマでも、利家は、自分の若い頃よりも、もっと傾奇者な慶次郎に、自分をみて、家臣として大切にしていますし、まつも、非常に可愛がったといいます。
前田家が、たった一人の慶次郎を潰そうと思ったら、簡単にできるのに、それをしなかっただけでも、利家とまつが、慶次郎に対して、その行為をあたたかく見守っていた事は分かると思うのです。
§「織田信長との因縁、尾張遍」§
ドラマでは、前田利家が、織田信長に始めて会ったのは、織田信長の父、信秀が死んだ頃だとしています。
まつが、前田家の養女になった頃です。
傾奇者である利家は、自分以上の傾奇者、尾張の大うつけと、尾張の国で評判の国主、織田信長に一度、会ってみたいと思って、信長が、若手の家臣達と、領土内で軍事練習をしていた時に待ち伏せしていたのです。。
また、その時に、傾奇者として、槍を持ち、顔に白いものをつけて、張り合おうとしている利家に対して、織田信長は、金糸銀糸の陣羽織を素肌に羽織、腰には無数の瓢箪をぶら下げ、片手に、鉄砲を持っている、およせ国主とは思えない姿をしており、利家を呆れさせます。
「なんじゃ・・・・傾奇者ではないわ。あいつはばかじゃ。大うつけじゃ」
と思ったのです。
しかし、織田信長は、そんな利家の気持ちが分かったのか、一瞬笑うと、鉄砲を渡すと「撃ってみよ」といい、利家が、手に向って撃つと、森の中の鳥が驚いて空に舞い、それをみた信長は、「あの鳥が室町幕府よ」「その鉄砲が、貴様や俺だ」と謎の言葉をいっています。
利家は、その織田信長の言葉に感動して、織田信長の鉄砲の弾になろうと思ったというのです。
紫陽花は、ドラマとしても、本当に最高の筋書きだと思いますし、実際に、利家は、信長の鉄砲の玉になったと思います。
と同時に、信長と利家の出会いが、どんな縁だったのかは史実としては、分かりませんが、利家が早くから、信長の家臣になった事は間違いありません。
利家自身、若い頃は、傾奇者であった事は、いろんな小説で書かれていますし、それはどうやら真実らしいので、たぶん、自分以上の傾奇者である、織田信長という男の大きさに引かれて家臣になったというのが、真実だと思うのです。
しかも、それは、利家だけでなく、織田信長も、同じ気持ちがあったような気がします。
ドラマでは、織田信長が、利家を気にいると、前田家に来て、父親の前田利昌に、利家を欲しいといっています。
織田信長と利家は、傾奇者として暴れている者同志として、他の家臣には持てない連帯感のようなものがあったという解釈をしているのです。
そして、織田信長の近習となった利家は、信長に、犬と呼ばれながらも、織田家の家臣としては、槍の又左として怖れられ、戦で手柄をたてていきます。
その勇敢な戦い方が認められて、信長直の部隊、赤母衣衆筆頭になるのです。
しかし、その反面、利家は、律儀で、相手に対しても、正々堂々と戦う事しか知りません。
秀吉(猿)などの武将とは違って、謀略というものを、理解できない武将なのです。
でもその事は、信長も、よく分かっています。
織田信長は、弟の信行を、仮病を使って、呼び寄せる時に、利家の性格を利用します。
信行の使者に利家を使い、信長が病気だと信行を信用させ、那古野城に誘き寄せて、殺してしまいました。
利家には、本当に病気だと思わせて、謀略だとは言わなかったのです。
だから、その事で、利家が抗議しても、ドラマでは、信長は激怒してしまいます。
信長は、謀略を理解できない利家の性格は認めても、家臣としては、不満を持ったのです。
というのも、信長と家臣の立場は違います。
信長は、早く、尾張を統一しないといけないという大義があります。
その為なら、犠牲が少なくすむ謀略も許されます。
利家の考えは、考えとしても、自分と考えが違うからと命令を聞かなかったら、家臣としては使えないのです。
また、そんな信長の気持ちは、まつと利家が、結婚した後、利家が、信長のお気に入りの茶坊主、拾阿弥を斬って追放した事で、証明されます。
今までは、利家が、単純に信長が大切にしている茶坊主が斬ったので、信長の怒りで、織田家を追放させられたと考えられていましたが、ドラマでは、信長は、利家が正しい事は分かっていても、信長の斬るなという命令を、破った事に対して、怒ったと言う新しい解釈されたのです。
しかも、その後、利家は、その事が、なかなか分からず、桶狭間の戦いでも失敗しようとします。
信長から極秘の命令で、熱田神宮に、織田軍が集まった時に、白鷺を放つようにいわれるのですが、利家はその命令の意味が分からずに、不満を持ってしまいます。
利家は、そんな事よりも、何とか、今川の大将首でもあげて、速く帰参を適えたかったのです。
それで、やっと1匹だけ捕まえた白鷺の件は、まつに任せて、自分は、織田軍が、熱田神宮に来ると、信長の前に、姿を見せたのです。
ですが、そんな利家の思惑は、当然、信長の怒りを買います。
「また、わしのいう命を聞けないのか」と信長はいうと、利家を斬ろうするのです。
だけど、そんな信長の前に、まつが白鷺を放った事で、利家は救われました。
白鷺が、織田軍の前を飛んだ事で、「この戦は勝てるぞ」と一気に士気が高まりました。
今川の武将の首を、一つや二つ取るのとは、比較にならないぐらい、白鷺を放つ事は価値のある事だったのです。
利家も、やっと信長が命じる事は、ばかな自分には、何の意味がない事に思える事でも、すべて意味があってしている事だから、自分は、その命を素直に聞かないといけないという事が、心から分かったのです。
それで、利家は、自分のしていた過ちに、恥じ入り、「やっと、分かったか」と信長に、参戦する事を許されるのです。
だけど、利家は、桶狭間の戦いで、今川の部将の首を取りましたが、帰参は許されませんでした。
利家が許されたのは、美濃・森部の戦いで、斎藤勢の頸取足立(くびとりあだち)といって怖れられている、足立六平衛を討つという手柄をたてた時でした。
その時、やっと利家は、許されたのです。
と同時に、この辛い2年間は、利家にとっては、自分を成長させる上で、本当に大きな貴重な年月でした。
今迄自分と親しいかった友人の多くも、信長の勘気を受けたとなると、離れていき、親しく付き合ってくれたのは、親友の秀吉と、柴田勝家、佐々成政ぐらいしかいなかったといいます。
利家は、人間の持つ冷たさを知る事で、大きく成長していたのです。
また、信長も、その事もよく分かっていました。
信長は、勘当を許した利家を招くと、2年間、信長を見捨てずに、ずっと耐えてくれた礼をいいました。
家臣はもちろん、親や兄弟、子供でさえ、裏切る世の中で、信長は一族の者さえ信じられず、誰も信じないと思っていた。
利家が、桶狭間で手柄をかけた時にも、勘当をなかなか許さなかったのは、人はどれだけ信じられるか、試していたという新しい解釈をしたのです。
そしてその上で、信長は、「今日より儂は、貴様だけは信じる。信じると決めた」といって、利家はむせび泣かせました。
「貴様は、秀吉のように出世はしないだろう。何故なら、儂が、お前を手放さないからだ。儂は、お前だけには何でも告げるぞ。誰にもいえない秘密もお前だけには話す。お前には、誰にもいえない影の仕事もして貰う」
信長はそういうと、利家を、再び、加増して、赤母衣衆筆頭にしたのです。
こうして、利家の新しい活躍が始まったのです。
§「織田信長の因縁・天下布武遍」§
織田家の家臣に戻った利家でしたが、信長がいったように、あまり出世はできませんでした。
秀吉や滝川一益のような、もともとの尾張の家臣よりも、信長に見いだされた新参者の方が重要視され、利家も悩む事になります。
いくさ人たる部将と、奉行仕事をする奉行と、秀吉のように武功はなくても、知恵働きができる知将ではどちらが偉いのか、悩み出します。
利家が、美濃や近江などで、命をかけて、槍働きをしても、秀吉や滝川一益、十五代足利義昭を織田家に連れてきた、明智光秀に及ばないのです。
それで利家も、出世争そいに負けないように、ソロバンなども扱う知将としての知恵も身につけようとしていくのです。
また、その事は、利家だけでなく、織田家に元々仕える、家老の柴田勝家や佐久間信盛などの重臣から、もう一つの織田軍団、黒母衣衆の筆頭である、利家のライバルになる佐々成政も同じでした。
織田家の家臣達の中に、秀吉や光秀に対する嫉妬心や妬みが充満するのです。
しかし、その中で、利家は、秀吉や光秀のいい所は、素直に認め、信長の評価を高めます。
秀吉が、斎藤家の家臣、東美濃の虎と呼ばれている大沢次郎左衛門を凋落したり、有名な墨俣に一夜で城を建てたりする功績をあげた時に、猿は天才だと誉めた時にも、利家は、
嫌な顔をせずに、親友の手柄を心から喜びました。
信長は、元々の家臣達が、秀吉の事をよく思わずに、嫉妬している事が分かっており、男の嫉妬ほど醜いものはないが、さすがは利家だと誉めました。
利家が、家臣には珍しく、新参者の秀吉と仲良くしている事に、評価を与えていたのです。
だから、信長は、そんな利家を可愛がると出世させようとします。
「たまには、手柄をたてて、まつにいい衣を着させてやれ」と利家をけしかけて、武功の手柄をたてさせたり、利昌が妻のつねの連れ子の慶次郎に、荒子の前田家の後継ぎにしようとしているのを、前田家の血がないものに継がせるのはならんといって、利家に継がせました。
信長は、利家を出世させようとしたのです。
また、利家も、そんな信長の期待通りに、部将としても、成長していきます。
今までの槍働きだけでなく、知将としても、信長が何を考えているか、分かるようになっていたったのです。
特に、それは、信長が比叡山にこもる坊主達を、皆殺しにせよと命じた時に、それが発揮されました。
比叡山を焼き討ちにする事には、柴田勝家だけでなく、秀吉や明智光秀までもが異論を訴えた時に、ドラマでは、利家が、悪い坊主を数名縛って、登場すると、
「これが比叡山の僧侶でござる。肉を食い、女を抱き、人を殺す。比叡山は・・・今や魔物の山を滅ぼすは正しき力による天下統一。御大将の志・・・・天下布武の為には宗門との決着、いた仕方なしと存じあげまする」といって、信長を喜ばせます。
信長は、自分を理解してくれる利家の言葉に、勇気づけられて、比叡山を攻撃しました。
日吉大社、延暦寺を焼き払い、僧侶、民合わせて数千人を殺戮しました。
利家は、信長と一番、心の中で通じている家臣になったのです。
参謀を持とうとしない信長にとって、利家は唯一、信頼できる家臣で、ナンバー2の存在だといってもおかしくない家臣に成長していたのです。
しかも利家は、信長を心から信用しており、他の家臣のように恐れません。
実際に、史実としても、家臣は、信長を恐れ、その命令は即座に守られたといいますが、ドラマの解釈では、利家だけは違います。
浅井・朝倉勢を滅ぼした時、浅井長政、浅井久政、朝倉義景の首で盃を作ったもので、家臣達と酒盛りしようとした時にも、利家だけは、「かつては、義理の兄と弟。ともに天下を号令すると誓った男の頭を盃にいたし、その盃で固めの儀式とは、そんな人間は人とは申せませぬ。魔物でござる。天下を束ねる資格はござりませぬ」といって、諌言して、信長を怒らせています。
さすがの信長も、「利家は一つも、儂を怖れぬ」といって、後で刀を送らせているのです。
ですから、信長にとって、利家は、秀吉や光秀程に、禄は与えていませんが、かわいい、一番大切な存在になっていました。
朝倉攻めの時に、浅井氏が裏切り、絶対絶命の時にも、しんがりを秀吉に任せ、利家が秀吉の為に、一緒に残ろうとした時にも、自分と同行するように命じて、利家の命を守ろうとしています。
秀吉に「お館方様は、自分よりも、利家の方が、ずっとかわいいのだ」とさえ、いわせているのです。
そしてその事は、織田家の中でも、柴田勝家や佐々成政だけでなく、明智光秀なども分かっていました。
今は良くても、今後の自分の地位は、信長の怒りを買ったら、分からないと、内心怖れている明智光秀まで、利家との縁を深めようとして、「貴方は、織田家の中でも一番運がいい、必ず立身出世します。私は卜筮(占い)を少しやるのです」といって本城の坂本城に、利家、まつ夫婦を誘おうとしていましたし、徳川家康さえ、武田家と内通しているという罪で、殺すように命じられた正室の築山と嫡男の命ごいを、まつや利家に頼んでいます。
しかも、秀吉が、仲の悪い、柴田勝家と仲たがいして、上杉謙信との戦、手取川に惨敗する前に、戦列を自ら離れるという大きな罪を犯して、信長の怒りを買った時も、親友の秀吉の為に、命をかけて許しを乞うています。
もしこの時に秀吉が処分されていたら、本能寺の変の後、秀吉が天下を取る事もありえませんでしたし、柴田勝家が、賤ヶ岳の戦いで敗れ、市と供に死ぬ事もなかったかもしれません。
信長は、秀吉が、やってはいけない戦をした。
敵の上杉謙信と戦うのではなく、味方の柴田勝家を潰そうとして、軍を引いたという、魂胆が分かっていたという解釈の中で、怒っており、切腹させるつもりでしたが、利家は、「秀吉は、織田家にとって貴重だ」といって思い止めさせます。
信長も、柴田勝家も、利家に免じて許します。
利家は、歴史を大きく動かすような事さえできる武将になっていたのです。
だから利家も、信長の意向で、秀吉に遅ればせながらも大名へとなっていきます。
長篠の戦では、赤母衣衆筆頭として、信長が編み出した、三千丁の鉄砲の3段撃ち戦法の陣頭指揮して、戦国時代最強といわれる武田家を破っている活躍が認められて、越前府中に、3万三千石を賜る事になりました。
柴田勝家の与力になり、目付け役も仰せつかります。
ライバルの佐々成政や不破光治と、越前府中10万石を分ける事になるのです。
そしてそこで利家は、信長を見習って、本願寺門徒の一向一揆に対しては、徹底的に戦い、相当なむごい事もしています。
一向一揆を生き埋めにしたりもしているそうです。
天下布武の為、利家は、平和の世の中にする為に、宗教が政治に口出す事を、絶対に許さないという、信長の信念を理解しているから、迷わずにやりとげたのです。
ですから、利家は、佐々成政が越中、40万石を任されるのに対して、少し及ばなくても、能登一国、25万石を信長から貰います。
五十貫から始めて、とうとう一国の主にまで、信長にして貰ったのです。
だけど、そんな順調な利家や、織田家の家臣に、大変な事が起こります。
本能寺の変で、信長が、後を継ぐ事が決まっている嫡男の信忠とも、明智光秀の謀反で殺されてしまいます。
明智光秀が、何故、謀反を起したのかは、いろんな説があって、今でもはっきりとは分かりませんが、このドラマでは、武田氏や毛利氏や、上杉氏などの勢力を追い詰め、ほぼ天下取りが見えた段階で、信長はわざと乱心しているようにみせかけて、織田軍の編制をしなおそうとしていた為だという事になっています。
信長は、跡を継ぐ嫡男の信忠がやりやすいように、「お屋形様は、今迄たくさんの人を殺し過ぎたので、その人達の怨念が取りついでいる」という噂をたてられながらも、ろくな働きをしなかった佐久間信盛、信栄親子、林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝などを追放していますが、明智光秀は、次に自分がその一人になる事が分かっていて、それを怖れて、信長に反逆したという事のです。
家康がそれをけしかけ、秀吉は分かっていたという説 もありますし、天皇が、信長が、自分の地位を脅かすのを怖れて、本願寺に招いて、明智光秀に裏で手を回して、殺したという説も有力です。
いずれにしても、信長という火は、敵だけでなく、味方までも激しく焼いてしまい、最後には、自分さえ焼き殺さないとすまない性だったのです。
§「秀吉との因縁」§
歴史の史実としては、利家と秀吉は、親友という事になっています。
妻のまつと秀吉のおねは、本当に仲がよく、お隣同士だという事で、お互いの家を行き来しており、家族付きあいをしていたというのです。
だから、信長が本能寺で死んで、秀吉が天下を取った後は、利家の運は大きく開け、百万石の大名へと出世していきます。
正直いって、信長の元では、こうはならなかったと思います。
というのも利家は、信長が死んだ後、柴田勝家陣営に属していたので、賤ヶ岳の戦いでは、秀吉と戦いましたが、途中で軍を退き、秀吉に忠誠を誓うと、それ以後は秀吉の為に戦っています。
秀吉の政権では、秀長が病死した後、ナンバー2となり、徳川家康と並ぶ、大大名として扱われるのです。
でも、実力では、利家は、人望はあっても、策略では家康には遠く及ばず、秀吉の死後、家康に振り回され、最後は病死してしまい、秀頼を守れなかった。
これが、今までの利家のイメージですし、何回か、利家は、大河ドラマに登場しても、秀吉や信長の目からみた利家しか見えなかったので、どうしても、そう扱われてしまうのです。
しかしこのドラマでは少し違います。
秀吉は、確かに利家の親友になりますが、同じ近習の中で、利家と親しくなったのは、利家が、律儀で、信長に可愛がって貰っているからです。
利家と縁を持っていると、何かのメリットがあるという下心もあって、信長に勘当された、利家夫婦に、届け物をしたり、いろんな情報を伝えたりしていたのです。
しかも、秀吉は、野心家で、出世意欲が旺盛です。
頭もよく、信長の考えている事も、よく分かります。
秀吉は、そんな中で、信長に信用されている利家を利用して、手柄をたてる時もあるのです。
ドラマでは、秀吉はそんなずるがしこい男として描かれているのです。
しかしその反面、そんな秀吉は、柴田勝家や佐々成政などに代表される元々の織田家の家臣達に嫌われます。
大袈裟で、信長の前で演技し、いろんなものやお金で、人の歓心を得ようとする、百姓での秀吉の成り上がりの心は、みえみえだったのです。
だから、そんな中で、自分と親しくし付き合い、時には庇ってくれる利家の存在は、秀吉に取っては、本当に大切でした。
秀吉と利家は、出世争いでは、秀吉の方が、遥に上をいっても、二人の関係は、五分と五分だったのです。
そんな関係でいられるように、利家は、時には秀吉と喧嘩しても、自分の立場を主張したのです。
と同時に、そんな秀吉と利家よりも、もっと親しかったのは、まつとおねの妻同士の関係でした。
まつとおねは、どちらも戦場で父親を亡くした後、前田家と浅野家に養女になったもの同士として、秀吉とおねが結婚する前から親しく、利家を取り合ったライバルでもあります。
女同士に、出世争いはなく、佐々成政の妻、はると三人は、本当に仲がよい、友人として、ドラマには出てくるのです。
しかもそんな中で、おねは、最初は秀吉の求愛を嫌がっていましたが、一端受け入れると、秀吉を信じて、わざと悪妻のように振舞って、織田家の家臣の妬みを薄らげるようなことまでして、心から尽くし、本当に仲のいい夫婦になりますが、秀吉の女性問題で悩む事になります。
秀吉は、女性好きで、浮気をしますが、おねは、子供が持てず、文句がいえません。
おねにとって、秀吉は、いなくなったら生きていけない存在で、秀吉が、笑う姿をみるのが、とても幸せな反面、秀吉の子供を持てない、辛さをじっと感じる事になるのです。
だから、まつは、そんなおねと秀吉のたっての願いで、四女、豪姫をあげています。
このままいったら、秀吉とおねの関係は、おかしくなると思ったまつは、つらいけど、豪をあげる事で、子供のいない秀吉夫婦に、子供を持つ楽しさを教えてあげました。
おねも、まつの子供なら、喜んで育て、秀吉も、本当に大切にします。
豪は、秀吉夫婦の元で、贅沢な暮らしをさせて貰い、五家老になる宇喜田秀家に嫁ぐ事になるのです。
そしてそんな関係は、秀吉が死ぬまで続きます。
利家の前田家と秀吉の豊臣家は、家族同様の間柄だったのです。
でも、ドラマでは、利家やまつに、そんな太陽のような秀吉やおねに対して、わだかまりがなかった訳ではありません。
利家は、自分よりもどんどん出世していく秀吉に対して、ライバル心を持ち、表面とは違って、内面では荒んでしまいます。
若い時は、酒を飲んだり、遊んだりして、憂さを晴らそうとするのです。
また、まつも、夫の利家よりも、浮気などで親友のおねを苦しめ、ずる賢い事をしては、出世していく秀吉に対して、不信感を持っています。
利家にも、「秀吉は好きでない」といっていますし、ライバル心を持ちます。
戦国時代に生きた武士の妻として、出世心は、大いにあります。
「秀吉の後を走って、秀吉が疲れた後、一気に抜き猿」なんていって、利家を励ますし、おねとの女同士の戦いでは、負けませんでした。
おねも、まつの前では、秀吉の浮気の愚痴ばかりいっていたのです。
しかしそんな関係は、信長が死んだ後で、新たな関係になります。
織田信長の家臣、同僚から、秀吉の家臣として、仕える事になるのです。
しかも秀吉は、重臣の柴田勝家、妹、市だけでなく、信長の三男、信孝や次男、信雄なども殺していきます。
律儀な性格の利家が、素直にそれを納得できるとは思えません。
「秀吉の奴、やりすぎだ。何様のつもりだ。自分をここまでしてくれた信長様の恩を忘れたのか」という思いが、ない訳ではないと思います。
残念ながら、ドラマは、そこまで進んでいませんから、まつが、そんな利家の気持ちを、うまくどうリードしたのか、分かりませんが、ものすごく興味があります。
たぶんまつが、利家を和ませたから、利家は、秀吉に忠誠を誓えたと思うのです。
§「家康との因縁」§
史実としては、利家と徳川家康が、争ったのは、秀吉が死んだ後でした。
それまで家康は、織田信長と連合していたので、味方でしたし、信長が死んだ後、秀吉に対して、小牧・長久手で、秀吉を破っても、その後は素直に従い、忠誠を誓っていました。
さすがの秀吉も、家康を潰す、口実がなく、徳川家康は、豊臣政権で、五大老筆頭になりました。
禄高も、270万石を持つ、並ぶものがない大名になったのです。
しかし、そんな家康に対抗できる存在は、唯一、前田利家だけでした。
禄高でいえば、87万石で、家康の3分の1しかなくても、人望は、利家にあり、多くの大名が、利家についていました。
だから、もし、後、十年、利家が生きていたら、徳川家康が、政権を取る事はなかった。
戦をする事があっても、利家は、有利に戦を進め、家康に勝てたのではないか。
そんな事を、歴史は想像させます。
シュミレーション小説にしても、本当に面白いと思います。
間違いなく、利家が長生きしたら、紫陽花は、豊臣家は続いた可能性は高かったと思うのです
と同時に、もう一つのシュミレーションとして、紫陽花は、秀吉の後見人として、おねに任せる選択もあったのではないかと思います。
秀吉が、どうしてその選択をしなかったのか、不思議でなりません。
秀頼の母、気の強い淀殿に遠慮をしたのかも、しれませんが、秀吉がぼけていなかったら、おねに任せたはずです。
ドラマでは、秀吉とおねの関係は、歴史で信じられている程、仲がいい関係ではなかったという解釈していますが、理由はそこらへんにあるのかもしれません。
何故なら、おねだったら、長生きもしましたし、まつの助言も借りられたので、家康といえども、政治的に相手にならなかったと思えるからです。
しかも戦になっても、加藤清正や福島市松など、おねが育てた、秀吉の子飼いの武将がいます。
関ヶ原の戦いでは、石田三成に対する憎しみから、東軍につきましたが、おねに実権があれば、石田三成との対決も起きなかったと思います。
対決があっても、おねは、清正や市松の味方をしながら、うまく、石田三成や小西行長などの奉行との関係を調整したはずです。
豊臣の家臣達が、崩れなかったら、家康が、いくら策謀をめぐらしても、どうする事もできません。
それに、前田利家やまつや、一族の浅野長吉なども、おねについています。
紫陽花は、きっと、秀吉の霊は、その事を後悔し、秀頼や淀殿、利家やまつに、あの世で詫びたと思うのです。
しかし、現実は、そうはならず、利家と家康は対決しています。
ドラマでは、どんな解釈をされているか、今の時点では、原作を読むしか分かりませんが、面白いのは、まつが、家康の事を、早くから、利家の天敵だと認識していたという解釈です。
というのも、まつの父、篠原主計は、目の前で、今川勢に組した徳川の侍に殺されましたし、利家の父、利昌も、家康の部下が放った弓矢で、深手を負っています。
その上に、利家の弟、佐脇良之も、三方ヶ原で死んでいます。
徳川は、前田家にとって、鬼門だったのです。
だからまつは、信長が、まつの長女、幸を、織田家と徳川家の縁を深める為に、徳川家康の家臣の嫁にやれと命令した時も、反対します。
家康に、篠原主計や利昌、佐脇良之の事を話し「利家と家康様は、竜虎です。かならず、いつか対決します。対決すると分かっている所に、大事な娘をあげられない」といって、断っています。
この時から、前田家では、徳川家康の事を、密かに天敵と呼ぶようになったのです。
また、家康も、堂々と、信長の命を背いて、自分の思いを主張するまつに対して、侮り難いものを感じました。
前田家は、利家より、まつの存在が恐いと思ったのです。
ですから、家康は、武田家と内通しているという疑いをかけられた、自分の妻である築山と嫡男の信康の命乞いをまつに頼んでいます。
以前、築山と信康が、信長の前で、喚問されていた時に、まつが機転を働かせて救ってくれた事があり、家康は、二人を救えるかもしれないのは、まつしかしないといったというのです。
ただ、この事件は、まつでも駄目で、二人は家康によって、殺されています。
だけど、家康は、まつが信長の勘気を受ける覚悟でしてくれた行動に感謝し、築山が、まつに感謝していたといって、築山がまつにお礼といって渡して欲しいといっていた「南無阿弥陀仏」のお札を渡しています。
(このシーンには、金沢の河内晢先生のお札と一緒なので、大変びっくりしました。きっと、縁の花、第159号、済度されると確信もちました)
この時に、家康は、このご恩は、一生忘れませんといっているのです。
だから、これは紫陽花の想像ですが、利家が亡くなった後、家康によって、前田家が疑いをかけられて、まつが江戸に人質になった時、紫陽花は、このお札は、切り札になった気がします。
加賀百万石は、このお札で守られた気がするのです。
是非、皆さんもそのシーンを楽しみに、利家とまつ、最後までみて、自分なりの解釈考えてみて下さい。
前田家や豊臣家、徳川家、多くの霊が、私達の思い、分かってくれて「ありがとうございます」と感謝の波動送ってくれると思います。
では、皆さんこれで・・・・・
平成14年6月9日
追伸、前田利家が、亡くなる時に、一つのエピソーとがあります。
利家が、病気で亡くなる時に、まつが、利家の為に、経帷子(きょうかたぴら)を縫い上げています。
経帷子とは、死人を葬る時に、着せる麻の白衣で、それを着て死んだら、あの世に帰れると信じられていたのです。
だから、まつは、「若年よりか、やりを執り、あまたの人を手にかけています。後生の日々が怖しゅございます」といって、利家に着せようとするのです。
しかし利家は、「せっかくの経帷子だが、私には無用だ。私は故なき者をうった試しはない。後生は不要。先にゆきし、家来どもを率い、地獄に牛頭馬頭を討ち取ってくれよう」といって断っています。
利家は、今迄、自分がしてきた戦の日々に対して、まったく後悔していないまま、死んでいるのです。
でも、紫陽花は、利家の思いに、少し不安があります。
利家が、前田家の家臣を従えて、今もさ迷っているとは思えませんが、もしかしたら、そうなのかもしれません。
河内先生の霊言でも、利家さんも出てくるのです。
だから、利家の霊や一緒にいる前田家の家臣の霊は、今も、金沢の行って、多くの人を見守っているかもしれません。
紫陽花は、その可能性もあると思います。
だから、そんな利家や前田家の家臣や、秀吉、信長の家臣達の為に「ありがとうございます」の波動を送ってあげたいと思います。
金沢市が、ここまで発展したのも利家の力ですし、加賀百万石として、前田家は、北陸の土地でいろんな貢献をしています。
「利家さんありがとうございます」「まつさんありがとうございます」「利家につくした前田家の家臣の人達、ありがとうございます」「利家やまつと同じ時代に生きた人達ありがとうございます」
そして21世紀、大河ドラマの中で、どんな危機も乗り越えられる、信頼している夫婦の姿を見せる事で、多くの日本人に元気と愛を与えてくれて、本当に「ありがとうございます」
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