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                             縁の花

      (魂が成長する正直な心と心のネットワーク誌)

               第187号

     ありがとうおじさんのお手紙

           ∞「2004年以降のありがとう村」∞

 縁の花は、2002年に「ありがとうおじさん」と縁を持ってから、「ありがとうございます」の言葉のすばらしさや秘密を「無限の無限の幸せ」で書いています。

 第161号「ありがとうございます」を2002年9月4日に書き上げてから、号の関係でいえば、この第187号「ありがとうおじさんのお手紙」で7号程度ありますし、関連する号を含めたら、10号以上になります。

 この事は、縁の花にとって、本当に「無限の無限の感謝で一杯」です。

 この世界の究極の神様である「ありがとうございますの大神様」のお役にたてたと想ったら、自然に笑顔が出てくるのです。

 しかし、その「ありがとうございます」ですが、動きが益々、急ピッチで動いています。

 2000年から活動していた事を、全て否定して、新しく生まれ変わろうとしています。

 いよいよ、本格的に始動し始めたのです。

 正直いって、紫陽花は、この「ありがとうございます」の動きに、最初絶句しました。

 紫陽花が、理解したのは、ありがとうボランティアグループから、誰が書いたのか不明なお手紙が2通程(以後お手紙か、またはありがとうございますのお手紙と呼びます)、2月末頃から、今迄「ありがとう村」に来た事のある人達に、突然届いた時からですが、予兆は今から考えればありました。

 いろんな本当の先生達を招いて月に1回か2回、土日に行っていた「ありがとうございますツアー」が、2003年の年末でなくなっていたからです。

 でも、その動きは、「ありがとうボランティア」の人達が出したお手紙が届いた事で、決定的になりました。

 その手紙は、「ありがとうおじさん」が、2000年から、膨大な人の質問に答えて来た内容でも、もっとも大事なもので、今迄やってきた事をすべて否定しています。

 2000年から、「ありがとうおじさん」が、質問に答えてきた膨大な量のテープ起こししたものを、すべては方便だったといっています。

 少し引用させて頂きますと「方便の教えを聞いて喜んでいるのは、思いの心である。次から次へと、新しい話を追い求めているのは、これまた思いの心である」

「ありがとうおじさんも、つまらない教えを立てて、しゃしゃり出てはいけないのである。出しゃばってはいけなかったのである」とあるのです。

 また、2000年始まった、いろんな媒体を使って、「ありがとうございます」の情報を、全国に伝えた活動自体もお手紙ではある意味では否定しています。

「思いの心、計らいの心というものは、本当に必要のない、詰まらないことをし過ぎるのである。自分の内なる絶対神へ一点集中して、心を向け続ける事のみが大事なのに、その自分と神様の一対一の関係をこわしてゆくのである」

「外界に心を奪われた時に、真の祈りは崩壊するのである。無限の無限の情報が氾濫する中で、本当に必要な情報を手中にする事は難事中の難事なのである。自分にとって本当に必要なものだけ受け入れないと、身も心も生命も滅ぼしかねないのである」

「祈りを忘れて情報に呑み込まれてしまったら、迷いに迷って、地獄に転落してゆくだけである」

「新しい情報を求めることは必要ないのである。祈りに祈っていれば、必要な情報は必ず神様から的確に与えられるものである」

 ざっと書いてこういった内容です。

 ですが、この内容は、紫陽花の心をグッサット刺しました。

 次々と新しい号を書きたがる紫陽花の心は、まさしく「思いの心」かもしれないと想ったのです。

 しかも、この手紙の内容でいえば、第161号から第187号までの間に、縁の花で、次々と書かせて頂いてきた事が、本当に、縁の花の読者の為になっていたかも疑問になりました。

 自分が縁の花で、好き勝手に書いてきた事が、かえって、皆さんを混乱させて、迷わせていただけではないか、地獄に転落させていたかもしれないと一瞬、正直いえば想いました。

 今迄、縁の花「ありがとうございます」シリーズでやっていた事が、すべて否定された気がしたのです。

 だけど、今は違います。

 今は、第161号から始めていた事は、縁の花は縁の花なりに大きなお役のある事だったと確信していますし、「ありがとうございますの大神様」も、とても喜んでくれていると信じているのです。

 しかし、今後は分かりません。

 第187号以後も、今までの調子で、「ありがとうございます」の事を書いていたら、皆さんにとって、大変迷惑になる可能性があります。

 今後は、読者の皆さんが、縁の花の号を読んで、皆さんの思いで「ありがとうございます」を唱えている気になっているのではなく、本当に、「ありがとうございます」を唱えて貰えるようにしないといけないと想うのです。

 そうしないと縁の花自体の存在価値がなくなってしまう。

 縁の花も、2004年からもっと成長して、変わらないといけないという大変な事になってきました。

 正直、どうしたらいいか、模索段階で、頭を抱えているのです。

 また、それは、縁の花だけでなく、比較にならない程、貢献している、「やすらぎの村」や「夢見村」や「伊路波村」、「広島ひふみ村」などの、各村も同じだと想いますし、「ありがとう広場」のサイトなども一緒だと想っています。

 何故なら、お手紙の中で「会や組織を作ったり、本やテープ等がたくさんあればいいと思ったり、たくさんの情報を与えるのが正しいんのように、人の貴重な時間を奪い取ってゆくのである」

「枝葉に心を奪われたら、思いの心に陥いるのである。感謝の心に戻る為には、神様へのみ心を向け続けなければならないのである。どんな理由があっても、神様へ心を向けるチャンスを奪ったら、大きな間違いなのである。理由があっても、神様へ心を向けるチャンスを奪ったら、大きな間違いなのである。本を読むよりも、祈る方が大事なのである。テープを聞くよりも、祈る方が大事なのである」

 と書いてあるからです。

 いろんな各村や、「ありがとう広場」のサイトも、お手紙にあるように、変わらないといけなくなったのです。

 そして、実際に、各村も変わり始めています。

 ありがとうおじさんなどが話してくれるテープやCDも送らなくなるそうですし、ありがとうおじさんの本ももう作らなくなるみたいです。

 (秩父出版)さんで、出している、一般の本屋さんで並んでいる「ありがとうおじさん」の本も、もう新しく出る事はないと想います。

 お手紙にあるように、もう情報はできるだけ発信しないようにしているのです。

 紫陽花は、この事には、本当に感激しました。

 何故なら2000年から、「ありがとうございます」の大神様が、いろんな一芸に優れている人を、「ありがとう村」に集めることによって、「ありがとうございます」の縁は、急速に広がりました。

「テープ、FAX通信、CD、小冊子、本、サイト」などを使って、大成功しました。

 その成功体験を、「ありがとう村」だけでなく、各村やサイトも、自主的に捨てようとしているからです。

 普通は、絶対にできないと想いますし、紫陽花にできるかと言われたら、とても自信がありません。

 本当に、すごいと想うのです。

 しかも各村や、サイトももうすでにそれを実践しています。

「夢見村」や「やすらぎの村」では、テープやCDを発送するのは止めて、「ありがとうございます」だけに内容を絞った、「いのちのりだす」という自在誌、月刊誌を発行しようとしていますし、《みんなでみんなで縁結び・みんなのみんなの縁結び》という事を始めて、自分の得意なこと、世話役、資料作成、パソコンの指導などの、自分が喜びでできる事を登録しあうような事も始めています。

 これなんか、紫陽花も、前からやりたい事でもあったのです。

また「ありがとう広場」のサイトでも、「ありがとうおじさん」さんから独立して、全国の人がしている、それぞれの「ありがとうございます」の体験談を紹介したり、何かに「ありがとうございます」を言おうという企画を勧めていたりしています。

 これも凄いです。

 さすがに、皆さん、凄いなあと想います。

 簡単に変われるという事は、やはりいろんな想いを、「ありがとうございます」で消す事ができているという証拠だと想うのです。

 そして「ありがとう村」も変わろうとしています。

 一言でいえば、2000年までの、殆ど誰にも知られていなかった頃のように、ただ、「ありがとうございます」の縁についた人達だけで、何の情報も発信せずに、祈る頃に戻ろうとしているのだと想います。

 ただ、祈るだけなのです。

 しかし、紫陽花は、それは20世紀までの「ありがとう村」に戻る事ではないと確信しています。

 何故なら、あの時とは違って、もう何万人以上の人が、「ありがとうございます」を唱える喜びを知ってしまったからです。

 今更、戻る事は不可能です。

 お手紙の内容を引用させて頂くと「無限の価値のある貴重な時間を割いて「ありがとうございます」の祈りの神様は、数年にわたって、みんなの質疑応答に付き合って下さったのである。それに対してどれほどの恩返しの心を起こせたのか?十分に反省すべきである」

「質疑応答では「ありがとうございます」の祈りの実行の大切さを説き続けたにも拘わらず、未だ祈りの実行に絞り込んでいる人は、ごくごくわずかなのである」

「神さまへの本当の恩返しとは何か?真心込めた「ありがとうございます」の祈りの実行である」

 と書いているように、もうそろそろ、いろんな情報を知って、満足するのではなくて、全国にいる何万人もの、「ありがとうございます」の縁に触れた人が、真剣に唱えないといけない時期になりました。

「ありがとうございます」の縁の人達や、何よりも、今、この第187号「ありがおじさんの手紙」を読んでいる皆さんも、変わらないといけないのです。

 そうしないと、再び、お手紙の内容を引用させて頂くと「地球人類の積み重ねて来た無限の無限の思いは、地球を破壊し続けているのである。その一方で救済の神々は、地球の滅亡を防ぐために、涙ぐましいまでの努力をし続けて来ているのである。今も地球人類の99.9%以上は、破壊の思いを出し続けているのである。神さまは、人類に対して、破壊の思いを出さないようにしてほしいと、ひたすら願っているのである」

「これからは、ありがとう村に来られる方は、神さまへの恩返しの心で、神さまのお手伝いの為に、「地球救済のひな形作り」の為に、お祈りと奉仕の為に、お越し下さい」

 と書いているように、人類は、自分達の思いの心で、地球を破壊してしまいます。

 ここは、すでに何かの縁で「ありがとうございます」と縁を持った、何万人もの人が、真剣に唱えないといけませんし、紫陽花も、大いに反省して、2004年からは、新たに「ありがとうございます」と取り組みたいと想います。

 お手紙にある『「ありがとうございます」の感謝の真祈りに出会えるのは、何億年に一回、何億人に一人の貴重なチャンスである、この出会いには、無限の無限の価値があるのである。他のいかなるものとも、比較できるようなものではないのである』という言葉に感謝し「ただひたすらに「ありがとうございます」を唱え続けているだけで、誰でもみんな、幸せで幸せで、どうしょうも無いくらい幸せで、無茶苦茶に幸せで、何が何でも幸せで、こんなに幸せでいいのかしらという状態に必ずなるのである。」言葉を信じて、取り組みたいと想います。

 是非、皆さんも一緒に唱えましょう。「ありがとうございます」

 

         ∞『職場での「ありがとうございます」』∞

 2004年3月6日、紫陽花は、久しぶりに「ありがとう村」の一日ツアーに参加してきました。

「ありがとうごさせいます」のお手紙が届いて、すぐです。

 どうやら、「ありがとうございます」の大神様に、呼んで頂いたみたいです。

 お手紙の内容にびっくりして、俄然興味を持ったという事もありますが、京都の縁有る女性からお誘い頂いたこともあって、参加してきたのです。

 また、久しぶりに参加した「ありがとう村」もいつもと同じでした。

 今回は、お手紙の影響もあって、参加した人は、いつもより少し多い、百名ぐらいでしたが、皆さんと一緒に「ありがとうございます」瞑想するのは気持ちが良かったです。

「ありがとうおじさん」も、お手紙にあるように、もう質問に答えてくれないのかなと想っていましたが、30分と短かったですが、答えてくれました。

 いつもの「ありがとうございます」だったのです。

 日帰りなので、そのまま帰ってきたのです。

 しかし、それから、いつもと違って、紫陽花は少しずつ変わり始めました。

 どこが、どう変わったのかは、最初、分かりませんでしたし、何故、変わったのかも分かりませんが、気が付いたら、今日は、4月10日なので、1ヶ月間ぐらいで、以前よりは、はるかに「ありがとうございます」を唱えている紫陽花さんがいます。

 いえ、唱えようとしている紫陽花さんがいます。

 これには、今、この原稿を書いている紫陽花自身が、一番驚いています。

 びっくりしています。

 奇跡が起きました。

本当に、すごい事だと想うのです。

 ただ、こんな事を書いたら、以前の紫陽花は、「ありがとうございます」を唱えていなかったみたいに聞えるかもしれませんが、そんな事はありません。

 紫陽花なりに意識しては、唱えていますし、普通の人よりは、唱えていると想います。

 何故なら、紫陽花は、これでも縁の花 第161号「ありがとうございます」の作者で、読んで頂いている方に、「ありがとうございます」サイクルで、「ありがとうございます」を唱えたら、いい事が起こるよと勧めています。

 人に勧める以上は、自分も率先しないといけないという幸運な立場にいるので、少しは皆さんよりは唱えさせて頂いているつもりなのです。

 でも、そんな紫陽花も、縁の花 第161号「ありがとうございます」を見た人に、どれだけしているのですかと質問されたら、正直返答に困りました。

 日本正直党の党首として、嘘はいえません。

「唱えていますし、いい事もどんどん起きています。ただ、一番簡単な事ですが、それでもずっと唱える事はなかなかできません、忘れてしまっている時も多いです」というように答えていますし、それが、嘘偽りなく、紫陽花の現状なのです。

また、そんな紫陽花ですから、「ありがとう村」に帰ってから、しばらく、2、3日は「よしやるぞ」となっているのですが、すぐに、エネルギーがきれるのか、元に戻ってしまいます。

一応唱えているけど、真剣に、本気で、命懸けで唱えている訳ではないのです。

お手紙にある「無限の価値ある貴重な時間を割いて、「ありがとうございます」の祈りの神さまは、数年にわたって、みんなの質疑応答につきあって下さったのである。それに対してどれほどの恩返しの心を起こせたか?十分に反省すべきである」

「本当に自分自身の思いの心を消し去ろうとしているか?感謝を深めて神さまを感じ取ろうとしているか?どれほど真剣に取り組んできたか、反省しなければならない」といわれたら、素直に「御免なさい」しかいえなかったのです。

しかし、不思議と、そんな紫陽花さんが、理由はさだかではありませんが、今回は、なかなかエネルギーがきれませんでした。

むしろ、少しずつ、増加している感じです。

最初は、お恥ずかしい事ですが、3月6日に行った以上は、元を取ろうと想っていて唱えていたのですが、それが、自然にできるようになったのです。

そして紫陽花は、1年前に物流センターが移転した事で、今、自分がいる職場の環境が、本当は、「無限の無限の幸せ」の環境だったのいう事に気が付いて驚いています。

今いる所が、紫陽花にとって、最高に「無限の無限の幸せな」場所だったのです。

というのも、紫陽花は、40歳を越えているのに、いろんな事があって、ある会社で、アルバイト正社員という事で10年前からお世話になっています。

世間からみたらいい歳をしているのにという事になりますし、大阪は失業率が高いので、この頃両親も諦めて、あまり言わなくなりましたが、とても心配させています。

しかも会社も大変で、リストラが言われ出しています。

労働組合があるので、何とか守られていますが、労働時間は、去年からますます減らされて、厚生年金が払えるギリギリの30時間になってしまいました。

休みが、1週間に何と3日間もある、超、時間にリッチーなのです。

ただ、それでも「ありがとうございます」の事に、時間給は比較的高いですし、ボーナスも1・2ヶ月以上は貰える上に、幸運にも、1年前に、自転車で駅まで通える所に、職場が移動したので、交通費が結構浮くので、助かっています。

借金もせずに、慎ましい生活をさせて頂いています。

だけどこれで、職場の環境が、「無限の無限の幸せ」の環境だといったら、「あなた頭が変じゃない」と言われてしまうと想うのです。

紫陽花自身も、いくら何でももう少し何とかしないとずっと想っていましたし、恥ずかしい想いがあって、詳しくはこの事は、皆さんにいえなかったのです。

でもお手紙には「すべてにおいて、必要最低限のギリギリの生き方を実行することである。少しでもぜいたくになった分は、大きく思いを背負うものなのである。思いの奴隷になり続けてきた自分が、思いから縛りから抜け出る方法は、安易な道ではないのである」

「どんな不労所得にも、大きく思いがくっついてくるものである。神さまへの献金には、無限の思いがくっついてくるものである。それを私的に流用すれば、心が狂ってしまい、末路はひさんである」とあります。

 お金さんは、思いなので、必要以上は持たない方がいいというのです。

 ただ、だからといって、誤解して欲しくないのは、紫陽花は、お金を否定するつもりは毛頭ありません。

お金さんは必要ですし、ある程度のお金さんは欲しいですが、今の職場の環境も、考えようによっては、「無限の無限の幸せ」だという事です。

だって、贅沢したくても、贅沢はできる程の給料ではありませんから、変な想いがつくわけがありません。

車なんかもとっくに捨てていますし、どこかに遊びにも行かなくなりました。

やっと、その事に心から感謝できるようになったのです。

だから、1年前に今の職場へと、何十年も前から自然に導いてくれた、天、「ありがとうございます」の大神様には、心から感謝しています。

紫陽花は、今「無限の無限の幸せ」の職場の環境にあると言えると想うのです。

しかも、お仕事自身も、いろんな商品を入れている、プラスチックの箱を台車に積んで、指定された場所に運ぶ仕事です。

はっきり言って肉体労働です。

1年前に、お仕事自体が、委託に任されるようになって、その仕事に固定されてしまって、他のお仕事がローテーションでできなくなったのです。

ですが、これが、「ありがとうございます」に唱えるには最高の環境です。

心の中で「ありがとうございます」1、「ありがとうございます」2と数えながら、箱を積んだらいいからです。

後は、心の中で、「ありがとうございます」といいながら、台車を運んだりしているだけでいいのです。

それで、「ありがとうございます」が、一日に、自動的に、何百回以上は唱える事になるのです。

しかも「ありがとうございますボランティア」でもそうですが、肉体労働をしながら、想いを消す事ができる環境は、「ありがとうございます」にとっては最高です。

これが頭を使う仕事や、ストレスを感じる営業の仕事では、こうはいかないと想います。

 とても「ありがとうございます」とは唱えられないと想うのです。

また紫陽花は、同じバイト仲間にも、適当に「ありがとうございます」の効果の事を話していますが、バイトの仲間だから話せるのであって、職場の同僚だと、変な奴と想われるのは困るので、話す事はまずできません。

そういった面でも、「ありがとうございます」なのです。

ですから紫陽花は、今のお仕事にも感謝しています。

最初は、地味な積みのお仕事よりも、もう少しましな、箱を切ったり、商品を補充したりする仕事をしながら、自慢の第161号の小冊子を、縁有るパートの人に、無料でプレゼントする事で「ありがとうございます」を普及したいと想っていたのですが、何十人の人に渡しても、それでは結局真剣に読まないという事は、やってみてよく分かりました。

道理で何回言っても、積みの仕事から変わらなかったはずです。

「ありがとうございます」の大神様が、紫陽花が、その事に気がつくまで、待っていてくれていたと想うのです。

だったら、それを素直に受け入れて、今の積みのお仕事で、一人で唱えている方がはるかに、世の中に貢献できます。

3月6日までは、そうはいっても、もう一つ、真剣さにかけていたのですが、俄然やる気が出てきたのです。

その上に、おまけに、今の職場は、昼休みは、ロッカーのある所に、畳がひいてあって、寝転んだりする事もできるのですが、誰もいない場合は、10分もすれば、電気が消えるようになっています。

「ありがとうございます」瞑想するのに、こんなにいい場所はないです。

 紫陽花は、瞑想していたら、周りに変な人と想われるので、壁に背を向けて、坐っている形で、「ありがとうございます」瞑想をしているのです。

 だから、紫陽花は職場にいるのは、一日の内、8時間ぐらいですが、できるだけ「ありがとうございます」を唱えていることになりますし、自転車やバスに乗っている時にもできるだけ唱えているようにしているので、何時間ぐらいはしている事になります。

 まだまだ意識は十分ではないので、何時間といわれたら困ってしまいますし、実際に簡単に唱えられるものでもないですが、3分の1の3時間と考えても、すごいと想っています。

 何故なら、荷物を積んでいるだけなのに、紫陽花は「ありがとうございます」の波動を送る事で、世の中を平和にする、最大の大きな貢献をしている事になるからです。

 紫陽花は、今、その事を考えるだけで、本当に「無限の無限の幸せ」で一杯です。

「ありがとうございますの大神様」真に「ありがとうございます」です。

 ただ、そうは言っても、正直いえば、会社も景気はよくないので、この職場での「無限の無限の幸せ」が、いつまで続くかは分かりませんが、はっきりいって、これ以上、落ちようがないので、「ありがとうございます」の神様が、与えてくれるかぎり、しっかり心から感謝して顔晴れ(ガンバリ)たいと想います。

 だって、たぶん、同じ職場で働いている人で、同じ条件で、紫陽花さんほど、職場に感謝している人はまずいないと想うからです。

それだけでも本当にすごい事だと想います。

 まさしく職場さん「ありがとうございます」なのです。

 

           ∞「紫陽花家でのありがとうございます」∞

 そんな紫陽花さんですが、3月6日まで、「ありがとうございます」のお手紙が、届くまでは、家に帰ると、日々、反省の連続でした。

「ありがとうございます」を常に唱えたいという意識はあるのですが、殆ど出来ませんでした。

 休日、家に24時間居ても、20、30分も唱えられたらいいところです。

 何故なら、紫陽花さんが、家に帰ってから、まずする事は、テレビのスイッチをいれる事と、パソコンのスイッチをいれる事です。

 テレビからのニュースの情報や、インターネットやメールの情報が押し寄せてきます。

 お手紙に「外界に心を奪われたときに、真の祈りは崩壊するのである。無限の無限の情報が氾濫する中で、本当に必要な情報を手中にする事は、難事中の難事なのである。自分にとって、本当に必要なものだけを受け入れないと、身も心も生命も滅ぼしかねないのである」とありますが、まさしくその通りです。

 テレビの情報や、インターネットの情報に呑みこまれて、紫陽花は、もうすっかりと「ありがとうございます」は忘れてしまっていたのです。

 しかも、紫陽花は、紫陽花の家に帰ると、縁の花モードに頭が切り替わります。

 読者や村人さんからのメールの返事や、縁の花村情報の作成に忙しくしています。

 休日も、縁の花を書いたり、縁の花村情報を書いたりして、殆ど休んだ事はありません。

 縁の花を書いたりしている時に、「ありがとうございます」と唱える事は、殆どできませんでした。

いい訳になりますが、「ありがとうございます」の事を、いろんな書く事で、「ありがとうございます」を唱えているつもりだったのです。

 深く、深く、反省したいと想います。

 しかし、そうはいっても、「縁の花の読者」の殆どの皆さんと違って、TV子の紫陽花は、情報がなかったら死んでしまいます。

 縁の花という情報誌を書いている以上、今の最新ニュースを知らなかったら、話になりませんし、インターネットを通しての情報も貴重です。

 とても「ありがとう村」に住み込んで、不必要な情報はすべて遮断するような世界に、情報中毒の紫陽花は、1週間も耐えられないと想うのです。

 また、紫陽花と縁ある御魂の存在も、情報を通しての感動を必要としています。

 娯楽のくだらない番組は見ませんが、多くの人が見ている人気ドラマは、ものを書く作家として、勉強も兼ねて、御魂と一緒に見ています。

 今でいえば、月9の木村拓哉が出ていた「プライド」の番組では、紫陽花にも架空の恋人でいいので、竹内結子のような女性が早くあらわれないだろうかと願っていましたし、火曜日の10時からの「紫陽花の生きる道」では、子役の凛ちゃん(美山加恋)の「はい」の笑顔に悩殺されていました。

 今回の最大のヒットになった、白い巨塔では、さすがに物語がすごいと感心していました。

 紫陽花は、御魂さんには、その感動を伝えたいので、これからも人気ドラマは見るつもりなのです。

 また、スポーツも殆ど見なくなりましたが、サッカーの日本代表の戦いだけは別です。

 日本が、外国と戦っている試合は、日本を心から愛している御魂と一緒に応援するのが、紫陽花の大きな使命です。

 日本が点を入れたら、御魂と一緒に大喜びしますし、入れられたら、悪い事ですが、「何をしているか」と怒りの波動が一瞬出てしまいます。

 これも日本の為に戦って死んだ英霊達には、欠かせない行事です。

 日本の国を心から愛し、日本民族だという意識、団結の波動を送ります。

「ガンバレ・日本・日本」です。

 サッカーなら、平和なので、戦争よりもはるかにいいと想うのです。

 その喜びを、今の紫陽花に、捨てるなんて、できそうもないのです。

 しかも、紫陽花は、まだまだ未熟で、Hな想いを全然消せていません。

 正直にいえば、綺麗な女優さんが脱いでいるビデオやフランス書房の本や、インターネットのHなサイトのお世話に今もなっています。

「止めろといわれても、今更止められません」

 だから紫陽花自身、紫陽花の家での「ありがとうございます」は、諦めていました。

 もちろん少し瞑想したり、「ありがとうございます」を意識したりしているのですが、情報やいろんな想いに、負けて気がつけば、布団の中で、「ありがとうございます」を少し唱えながら、反省する毎日だったのです。

 きっと家での紫陽花は、普通の人よりも忙しすぎるのだと想います。

 しかし、それが4月1日頃から、目に見えるように変わってしまいました。

 何と、休日の金・土は、ありがとう村でやっている12時〜1時に合わせてと、自宅に帰る前、5時〜5時40分に「ありがとうございます」瞑想をするようになりましたし、お仕事の日〜木は、ありがとう村がする6時〜7時に合わせてしています。

 1時と6時と11時の前後、5分間の「ありがとうございます」タイムさえ、ろくにできなかった紫陽花さんがです。

 これには、今、この原稿を書いている紫陽花自身が、一番驚いていますが、いつの間にか気がついたら、そうなっていました。

 奇跡が起きたのです。

 ただ、皆さんに種を明かしたら、何だという事になりますが、あるすばらしい人が、紫陽花の家に、「ありがとうございます」の波動を届けてくれる事になったのが、大きかったです。

 その人に、部屋を掃除するだけでは申し訳ないので、紫陽花の家の想いも綺麗にしたいと想って、「ありがとうございます瞑想」を自然にしていたのが、瓢箪から駒が出てしまった感じです。

「ありがとうございます」の神様や、縁の花の神様に、紫陽花は、つくづく何でも見抜かれています。

 今迄、まったく気がつきませんでしたが、紫陽花は、今の職場に1年前に移ってから、4時に仕事が終わるので、本屋さんに少しぐらい寄っても、6時には余裕を持って帰れるのです。

 ですから、「ありがとうございます」瞑想をするのは、十分に可能なのです。

 亡くなったドリフのいかりや長さんを偲んで書きましたら、「いや〜まいった、まいったです」

 それで、紫陽花は、今、毎日「ありがとうございます」瞑想を、「無限の無限の喜び」でしているのです。

 また、それをする事で、「ありがとうございます」の意識が強くなったのか、テレビをつけても、インターネットを見ても、少しは情報に負けずに、ずっと「ありがとうございます」が意識できるようにもなっています。

 朝起きて10分間、お風呂での「いい湯だな。ありがとうございます」瞑想、夜のお月さんを見ながらのお休み10分間の「ありがとうございます瞑想」(月瞑想)も何とかできる日が多いです。

 それが、紫陽花の自宅、紫陽花家での「ありがとうございます」なのです。

               ∞「紫陽花祭り」∞

紫陽花の家の「ありがとうございます」瞑想ですが、どうも一端始めてしまったら、止める事はできないみたいです。

継続は力なりが、紫陽花のいいところです。

しかも、縁の花村の村人に報告したら、合支縁の励ましのメールが入っていますし、「ありがとうございます」の大神様の応援もあるのか、いろんなアイデアも浮かんできます。

ここは、益々の紫陽花の「無限の無限の幸せ」の為です。

家に居る時は、毎日、実行したいと想っています。

また、どうせやるからには、紫陽花としては、一人ではなくて、縁の花の読者の皆さんや、「縁の花村」の村人の皆さんとしたいと想っています。

紫陽花に入っている情報によると、4月1日以降、ますます「ありがとうございます」大神様が近づいてきて、紫陽花のような心境になる人は多いみたいな感じです。

是非、皆さんも、紫陽花のように、自宅で「ありがとうございます」瞑想をする事を、お勧めしますし、紫陽花自身、その時間帯に限り、無料で自宅を開放したいと想っています。

今のところ、そんな人はいませんし、これからも現れるか、どうかは分かりませんが、家族の手前、家では「ありがとうございます」瞑想ができないという人は、大阪府の泉大津市にある紫陽花の家で一緒にやりましょう。

紫陽花の家は、南海電車の関西空港線の北助松駅から、歩いて5分の距離にあります。

一緒にされるご近所さん、大募集したいと想います。

ただし、紫陽花も、忙しい身なので、時間が終わったら、すぐに帰って頂きますし、車は、ハイツなので、迷惑がかかるので厳禁です。

イメージとしては、第184号「紫陽花の講演」で紹介した、まったくやっている事は違いますが、文化創造倶楽部さんのように、毎日、何人かは参加して頂けたらと願っています。

それでよかったら、是非、参加して頂きたいと想います。

また、女性の人も、紫陽花の男性の「ありがとうございます」の波動ばかりでは面白くないので、基本的に大歓迎ですが、紫陽花は独身だという事はご承知御願いします。

この事は、縁の神様、「ありがとうございます」大神様に誓って、決して、裏切る行為も、卑劣な行為もしない事は固くお約束しますし、「ありがとうございます」の仲間に、顔を合わせられない事は、紫陽花自身、もっとも戒める事でもあります。

ただ、紫陽花さん自身、独特の「男女の間」の考えを持っています。

一度、前号の第186号をお読み頂いた上で、参加して頂きたいと想います。

そして紫陽花自身、どうせするのなら、紫陽花の家での「ありがとうございます」瞑想は、紫陽花祭として考えたいと想っています。

これは、イメージとしては、去年の海の日(7月20日)に、滋賀の山奥に、1500人もの人が、全国から参加した惟喬親王祭(ありがとうございます祭り)をイメージしています。

何故なら紫陽花は、惟喬親王祭で、何に一番感動したかといえば、あの祭りに、本当に多くの御魂が集っていた事です。

 これは今も忘れませんが、祭りが終わった後、無数の御魂の写真を見せて頂きましたが、本当に凄かったです。

 多くの無数の御魂が写っていました。

 しかもあの御魂は、もちろん神々や、志士達の高級な霊達もいたと想いますが、武士の霊達や、この世を彷徨っている無名な存在もたくさんいたと、紫陽花は信じています。

 それらの御魂が、「ありがとうございます」と多くの人が唱える事で、神柱から、天界に帰ったのではないか、紫陽花は、そう確信しているのです。

 その事に、実は、一番感動したのです。

 また、紫陽花が、ここで、皆さんに知って欲しい事は、それは何も惟喬親王祭の時だけではない事です。

 数は違っても、「ありがとう村」や、本当に少しだけですが、「紫陽花の家」でもあると想うのです。

 少なくても、紫陽花はそう信じているのです。

 紫陽花の家は、惟喬親王陵に比べたら、はるかに小さいですが、紫陽花にとっては、惟喬親王陵だという事にやっと気がついたのです。

 だから、紫陽花としては、紫陽花の家でも、小さくても光の神柱が建っていて、「ありがとうございます」を唱える事で、紫陽花と縁が有る御魂も、あの世に帰してあげられると想っています。

 紫陽花の兼ねてからの念願、武田家の存在や、大東亜戦争の英霊達の為にも、是非、成功させたいです。

 いえ、長年、紫陽花の元で、一緒にいる、親友でもあり、よき理解者でもある真の同志、愛する縁ある御魂の為となると、紫陽花としても、もう後には引けません。

 皆さんに宣言する事で、今更止められない、背水の陣で、紫陽花祭に望みたいと想います。

 しかし、ここで、皆さんに理解して欲しいのは、紫陽花は、「ありがとうおじさん」とはまったく違うという事です。

 皆さんが、そんなイメージで来たら、100%幻滅する事、間違いなしです。

 紫陽花は、「ありがとうおじさん」と違って、何時間もずっと、座禅なんか組めません。

 いえ、お恥ずかしながら、人よりも組めないのか、10分もすれば、足を動かしてしまいます。

 しかも、「ありがとうございます」を無言で唱えようとしても、妄想ばかり浮かんで、「ありがとうございます」をどこまで唱えているのか、自分でも疑問です。

 1時間の内、30分もできたら、本当に「ありがとうございます」なのです。

 だから、紫陽花に何かを期待しても、何も出てこないと想います。

何かの質問もされても困りますし、「ありがとうおじさん」でさえ、口を答える事は、すべて方便だというぐらいです。

紫陽花は、何も答えるべきではないと想います。

 ですから紫陽花が皆さんにできる唯一の事は、時間の間、部屋を無料でお貸しするだけです。

 それ以外は、一切のもてなしはしませんし、したくてもできないので、ご理解下さい。

 では、宜しく御願いします。

 皆さん、縁の花 第187号「ありがとうおじさんからのお手紙」読んで頂いて本当に「ありがとうございます」

2004年4月13日

 

紫陽花祭り 日程 とりあえず毎日です。

   時間 金・土  12時〜1時  5時〜5時40分

      日〜木  6時〜7時

 

 参加をしたい人は、メールを下さい。携帯電話は持たない主義でしたが、一人でも参加したいという人が現れた時点で、持ちたいと想います。

 

 

追伸、ここまで書いて、まだまだ未熟な紫陽花です。

想いがまだまだありますし、紫陽花は、「ありがとうございます」がしている事は何でも正しいとも想いません。

そういった事は、してはいけないと想います。

だから、すいません、落ちるようですが、一つだけ言わせて下さい。

紫陽花は、「ありがとうございますボランティア」の人達を尊敬しています。

今迄「ありがとうおじさん」と一緒にずっと「ありがとうございます」のすばらしさを守っていたのです。

心から「ありがとうございます」と言いたいです。

しかし、今回の「ありがとうございます」のお手紙を、誰が書いたのかも明記せず、何の説明もせずに、多くの人に送るのはどうでしょうか。

お手紙自体は、本当にすごい内容です。

でも「ありがとうございます」の事が、よく理解できない人がみたら、よく分からないかもしれませんし、一種の脅迫に取る人がいてもおかしくないと想います。

 しかも未熟な紫陽花が、理解できないのは、「ありがとうございます」の一部のサイトの掲示板にも、この手紙の内容が、何の説明もせずに載せている事です。

 これでは混乱してしまいますし、もっと紫陽花が理解できないのは、混乱しているのが分かっているのに、何の説明もしようとしない事です。

 この事はどう考えても、間違っていると想います。

 また、紫陽花は、「ありがとうございます」がここまで普及したのは、「ありがとうございますボランティア」の人達と、新たに縁についた人が、2000年の時に、うまく「ありがとうございます」で縁結びできたからだと想います。

 その事は忘れてはいけないと想います。

 だって、紫陽花は、まだまだ未熟なので、お手紙の内容にあるように、「ありがとうございます大神様」から恩知らずといわれたら、「済みませんでした」と反省できますが、「ありがとうボランティア」の人達からは、感謝の言葉があってもいいと想うからです。

 何故なら、毎日「ありがとうございます」を唱えている人達が、周りに「ありがとうございます」と感謝できないなんて、紫陽花には理解できません。

 でもこの事は、きっときっと紫陽花には、理解できない大きな大きな意味があると想いますし、何よりも、「ありがとうございます」が満足にできない紫陽花は、自分でも分かっていますが、いう資格はないのでここで止めておきます。

 いずれ「ありがとうございます」の大神様から、答え頂ける事、楽しみにしています。

 ただ、その時までは、この部分は消さないつもりです。

 大変失礼な事を書いた事は、深くお詫びしたいと想います。



               縁の花 第187号 表紙(花) (紫陽花が入魂で書いています)

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