縁の花

         (魂が成長する心と心のネットワーク誌)

             第219号

      「不思議なご縁 三輪山・長野の旅」

           ∞「西岡さんとの不思議な出会い」∞

 2005年12月から、2006年の正月にかけて、菊は、ご縁のある人達と、いろんな旅に行かせて頂きました。

 それは、本当に不思議な旅でした。

 八尾市から始まって、飛鳥の三輪山、長野市と、菊は動かされました。

 天が、企画したとしか想えない不思議なご縁の連発でした。

 今までも、いろんなご縁を持ってきましたが、今回ほど、つくづく、人間は、天に動かして頂いているだと想った事はありませんでした。

 それを皆さんに、ご報告したいと想います。

 というのも、そもそもの始まりは、12月6日でした。

 菊は、昔、お世話になっていたKさんの見舞いに、八尾市に行く事になりました。

 その方は、「なんでんかんでん村」の原裕一郎先生の片腕として活躍されていた方でしたが、今は、少し休まれています。

 原先生は、福岡から、何度も、大阪の八尾市まで見舞いに来ていて、菊も、前から、一度は行かないといけないと想っていました。

 それが、原先生が行く時に、菊も行かせて頂いたのです。

 しかし、その事が、縁の奇跡を生むとは菊は、まったく予想もしていませんでした。

 菊は、ただ、八尾市の看護センターの病院に行っただけだったのです。

 そこで受付で、部屋を聞き、後は、Kさんと、菊を待ってくれていた原先生と、3人で、2時間ちかく過ごしました。

 その間、部屋から、まったく出なかったのです。

 そしてそんな菊が、原先生と、部屋から出て、次の目的地に、行こうとした時、その奇跡は、起きました。

 病院の1階に下りる為に、エレベーターを乗ろうとしたら、そのエレベーターから、ご縁のある看護婦姿の西岡さんが、出てきたのです。

 これにはびっくりです。

 菊は、西岡さんが、この病院に勤めているなんて、まったく知らなかったからです。

 しかも、西岡さんは、八尾市に住んでいるので、そちらに行くことだけは連絡しようとしていましたが、忙しくて、ついつい連絡できなかった女性です。

 前から、西岡さんには、近くの新しい所に引越ししたというので、遊びに来てと、お誘いを受けていて、一度は行かないと想っていたのです。

 だから、このご縁には、本当に驚いてしまいました。

 菊が、八尾市でご縁のある方は、泉苑の泉さんと、西岡さんですが、その西岡さんと、こんな形で会うなんて、確率で言えば、何百万の一ぐらいしかないと想うからです。

 その上に、連絡できていたら、「どこの病院」という事になって、「そこの病院なら、私、勤めているわ・本当に不思議ね」という事で終わったと想うので、こんな劇的な出会いにはなっていなかったと想います。

 連絡できなくてよかったと想います。

 しかも、この縁は、どちらかが、1分でも遅れていたら、生まれる事はなかった縁です。

 天、神様が、仕組んでくれたとしか考えられないのです。

 きっと、何か、大きな意味があると想いますし、天は、何かを教えてくれたと想います。

 また、その時は、ゆっくり話ができませんでしたが、後日、電話して、菊は、ますます驚いてしまいました。

 何と、西岡さんは、菊がお見舞いしたKさんの部屋を任されていて、Kさんの担当だという事でしたし、もうすぐ、2週間後には、その病院を辞めて、別な病院に行くとの事でした。

 こんなご縁があるのですね。

 菊は、再び、驚いてしまいました。

 いえ、お互いに驚いてしまったのです。

 そしてその事で、このご縁の意味探しが始まりました。

 どうして、天は、こんなご縁を作ってくれたのか、何を伝えようとしてくれているのか、考えたのです。

 でも、はっきりとは分かりませんでした。

 だけど、西岡さんと知り合ったのは、7、8年前で、ご縁は続いていて、たまに、電話をする関係でしたが、本当はもっともっと深いご縁があるという事を、天が教えてくれたと想います。

 それで、2005年12月13日、三輪山の神社に行くという、西岡さんのお誘いに、応じる事にしました。

 何でも、西岡さんのご縁のある吉野由美さんが、名古屋から、三輪山の神社に、お参りに行くので、一緒にいかないかという事でした。

 その日は、平日の火曜日でしたが、菊は、たまたま休みでしたし、西岡さんも、何とか、休みを取れるという事でした。

 それで、良くは分かりませんでしたが、不思議なご縁の意味探しの為に、参加させて頂く事にしたのです。

 

 

                 ∞「八尾・高安」∞

 西岡さんの新しい家に、菊が行ったのは、12月12日の夜です。

 菊が住んでいる大阪の泉州地方の泉大津市から、河内長野にある八尾市までは、電車で、1時半ぐらいかかります。

 正直遠いです。

 13日、朝から行くのは無理なので、前日に行って泊めて貰う事にしました。

 西岡さんと一緒に暮らしているYさんの家に、お邪魔したのです。

 ですが、ここで菊が驚いたのは、西岡さんの引越しした家は、近鉄電車の高安駅から、本当に近くなった事です。

 歩いて、10分で、行けると想います。

 しかも、泉苑さんと同じ方向です。

 これには、菊は、不思議なご縁をますます感じました。

 何故なら、菊が、泉苑に始めて行ったのは、2004年の12月23日の誕生日ですが、その後も、泉苑には何度も行っています。

 その上に、西岡さんも、高安駅を利用していることを知って、去年、西岡さんに、泉苑を紹介した事もありますが、その距離が、引越しした事で、ものすごく接近しています。

 十分歩いて、行ける距離です。

 やはり、何かのご縁があるなあと想うと、鳥肌がたってきました。

 菊が、地元以外で、こんなにご縁のある土地は、八尾の高安ぐらいしかないからです。

 しかも、あの泉苑の泉さんとご縁のある土地だという事は大きいです。

 聖徳太子などの飛鳥時代から始まって、いろんな歴史があるご縁、土地だと直感したのです。

 それで、改めて、八尾市の歴史調べてみましたが、いろんな事が分かりました。

 まず、八尾市には、2万年前の石器、縄文時代の石器がたくさん発見されているそうですし、弥生時代にも、何と、大阪の河内地方は、内湾で、高安は港になっていて、川にも恵まれていたという事で、発展していた土地だったそうです。

 遺跡も、大阪の高台、恩智、(おんじ)遺跡から始まって、千塚遺跡、八尾南遺跡、亀井遺跡、久宝寺遺跡、美園遺跡・・・・などの遺跡が発見されていて、跡部遺跡から銅鐸が一つ発見されているそうです。

 その上に、地方としての発展が早く、小さな国も、できていたのか、歴史では、奈良県飛鳥古墳が有名ですが、八尾にもこれにまさるともおとらない古墳がたくさんあるそうです。

それが、高安古墳、心合寺山古墳、向山古墳、西の山古墳、郡川古墳、愛宕塚古墳等ですし、和銅3(710)には、玉祖神社というものも建てられているのです。

特に、その中でも、高安古墳は、とても大きいのです。

また、歴史としても、聖徳太子が参加した、蘇我氏と物部氏の戦いでは、戦場の一つになっていますし、八尾の市民病院の前に将軍寺という寺がありますが、これは、聖徳太子が物部守屋を倒した跡に建てたものだそうです。

ものすごく歴史があるのです。

しかも交通の要所で、八尾は、難波宮と飛鳥を結ぶ奈良街道や、十三街道の通り道になるのです。

だけど菊が驚いたのは、白村江の戦いで敗れた大和政権が、唐の侵略を恐れて、国土防衛の為に建てた山城が4つありますが、その一つが高安城だという事です。

福岡の太宰府、長門、讃岐と同じように、天智天皇が、力を入れた城で、天智天皇が死んだ後、その子どもの大友皇子と弟の後の天武天皇が、壬申の乱で戦いますが、この戦いの時に、大友皇子が敗れて「高安城に逃げ、場内の倉を焼き払う」ということがおきたそうです。

その時から、幻の城と言われていたそうですが、「市民グループ」によって、1978年高安城がついに発見されたそうなのです。

また他にも奈良時代には、「和同開珎」が八尾の中田や亀井遺跡から出てきたり、天皇家を大きく揺るがした、銅鏡も、八尾市出身だという事ですし、清和源氏も、河内から出てきたりしているそうです。

その上に、玉祖神社の前の中にある薗光寺では、わが国最古の木製制札と言われる北条時政の制札(国・重文)があります。
 その制札には「神社にある薗光寺は鎌倉殿の祈祷所なので乱入してはならぬ」と記されているのです。

こんな歴史と文化があるのが八尾市であり、その中でも、高安は、今も、地名が残っている由緒ある土地です。

まるで、菊や、西岡さんや、泉さんは、前世、八尾市の歴史にかかわっていたのではないか、そんな気がしてきました。

とにかく、どうして高安の土地にご縁があるのだろうと想いながら、西岡さんの家に泊めて頂いたのです。

また、この西岡さんの家でも、霊媒体質の西岡さんに、指導されている存在が降りて来て、メッセージを伝えて貰いました。

それによると、菊と西岡さんは、いろんなところでご縁があるみたいです。

今、西岡さんは、新しい住まいを、ご縁のある人の癒しの場所にしたいという願いで、活動しようとしています。

何でも、去年の夏頃から女の神さまが再三 「光の柱を建てなさい」というメッセージがくるので何かアクションを起こさないと想っているそうです。

菊もよかったら、力になってあげて欲しいという事でした。

菊なりにできる事はさせて頂きたいと想います。

 

                    ∞「三輪山の旅」∞

翌日の、13日、西岡さんの車で、朝出発した菊と西岡さんは、高安駅で、吉野由美さんという年配の女性と合流して、喫茶店でモーニングを食べると、飛鳥方面に向かいました。

吉野由美さんは、つい最近まで、20年間も奈良で住んでいたという事で、地理には詳しいです。

運転手は、吉野由美さんがしてくれ、最初の目的地、二上山の當痲山口神社に行きました。

また、菊にとっては、この三輪山の旅に関しては、初めてでしたが、ある方から、美内すずえさんの漫画、アマテラス4冊や、アマテラスの外伝になる、「倭姫幻想まほろば編」を貰っていて、読んでいたので、少しは関心ありました。

今まで、神社巡りをした事はなかったのですが、ご縁のある人でしている人もあって、大和に関わる神社には、一度は行ってお参りしたいと想っていました。

行けてよかったと想います。

そしてそんな感じで、二上山の當痲山口神社では、中将姫の像や、神社に参拝しました。

この當痲山口神社では、平成10年10月31日に、平成當痲曼荼羅という事で、多くの人が集って、岩笛や舞などが披露されたそうですが、吉野由美さんも大きく関わった事があるそうです。

吉野由美さんにとっては、とてもご縁のあるところですし、中将姫さんともご縁があると想います。

この中将姫とは、中将姫伝説で有名な方で、何でも、天平時代(750年ごろ・聖武天皇のころ)、奈良(今の帯解あたり)に住んでいた、実在している藤原豊成という人の娘だったそうですが、7歳の時実母が死に、継母に育てられたそうです。

でも、継母とは、折り合いが悪く、危うく、殺されようとしたぐらい苦労したそうです。

その後、女人禁制の當麻寺で、中将姫は、3日間一心にお経を唱えたところ修行をしていた石に姫の足跡がつくという奇跡が起きた事で、入山を許されて、翌年姫は中将法如尼(ほうにょに)という名を貰い尼になりました。

その中将法如尼は、26歳の時「仏がこの世にあるならば目の前に現れ給え」という三七日間(21日間)の願を立て念仏した時、最後の晩、老尼が現れ蓮の茎を集めその蓮茎の糸から曼荼羅を織ることを命じたそうです。

それで、中将法如尼が、いろんな人の手助けで、やり遂げようとしたら、織姫が現れその夜3時間で1丈5尺(4.5メートル)の曼荼羅を織り上げたそうです。

織姫は、自分は西方極楽の教主阿弥陀如来であることを伝え、中将法如尼に礼拝の仕方を教え13年後に迎えに来ることを約束して、実際に、13年後の3月14日雲間から光明がさし阿弥陀如来や多くの仏菩薩が現れ中将法如尼は西方浄土に旅立ったそうです。

そんなちょっとした実話のような感じもする伝説なのですが、吉野由美さん達がやった、平成當痲曼荼羅とは、この中将姫に対しての、祈りでもあったみたいです。

だから、吉野由美さんや西岡さんにとっては、中将姫の像は、特別なご縁があるみたいです。

菊には当然、聞こえませんが、西岡さんには、中将姫が、「また来て下さい」と言ったそうです。

そんな不思議な女性の人達や、同じように、天からメッセージが来る、新しく加わった割石泰弘さんという不思議な方と、合計4人で、目的地、異常に名前が長い、飛鳥川上座宇須多姫売命神社に行ったのです。

 また、この飛鳥川上座宇須多姫売命神社は、一言で言えば、寂しい神社でした。

山の上の、急な石段の上にあって、水も電気もなく、殆ど、誰も登って来ないのです。

だから、大きな20リットルちかくの水を運ぶだけでも大変でした。

西岡さん曰く、菊に神様が宿ったそうですが、菊は、両手に、たくさんの水が入っているボトルを抱えて、階段を一気に登って、大活躍したのです。

でも、肝心なのは、それからです。

その神社の大掃除をするのが、今回の旅の目的で、吉野由美さんは、3年、4年前からしているそうです。
 まず本殿を開けて、窓を全部開け、本殿に光りが入るようにしました。

しかも、不思議なのは、まったく光が入らない本殿に、1匹の弱っている蛾がいて、今まで守ってくれていたようにいた事です。

外に出してあげましたが、どうして本殿で生きていられたのか、今でも、不思議です。

普通なら、絶対に生きているはずがないからです。

しかし、一番の不思議なのは、宮司でも、氏子でもない4人が、飛鳥川上座宇須多姫売命神社を、大掃除させて頂けた事です。

これには、心から感謝しましたし、寒いけど、楽しかったです。

すべての大柱なども、磨きました。

菊は、落ち葉を掃除しました。

神様も大喜びで、西岡さんと吉野由美さん、割石泰弘さんを通してメッセージ頂きました。

3人とも、神様の声が聞けるみたいです。(*^_^*)

約、3時間ぐらい掃除して、最後に、吉野由美さんが、祝詞を上げてくれて、終わりましたが、あっという間でした。

その上に、吉野由美さんの祝詞も、本格的で、すごい声にビックリです。

何でも、今、ある大学で、神社に関する資格を取る為に、勉強していて、名古屋から大阪に何回も来たり、卒論を出す為に奔走したりしていますが、さずがは、そんな志を持っている方だと納得したのです。

しかも、菊自身も、神様の御霊の姿が写っているデジカメの写真も、何個も撮れましたし、西岡さんには、龍の顔が見えたそうです。
 はっきり言って、そんな怪しい人の集まりでした。

だけど、参加できて良かったです。

でも4人では、まだまだ足りないので、次回は、もっと多くの人で行こうという事になりました。神社にお参りするのもいいですが、実際に神社を掃除させて頂ける事は、本当にすばらしいです。気持ちもいいです。

無の気持ちにもなれます。

よかったら、次回は、皆さんと行きたいと想います。菊に参加したい人は、言って下さい。

飛鳥坐神社掃除ツアー企画したいと想います。

 

                   ∞「大神神社」∞
飛鳥川上座宇須多姫売命神社を大掃除させて頂いた後、昼食になりました。

ここで、4人が入ったのは、吉野由美さんとご縁のある、元NHKのアナウンサーの渡辺さんが経営しているお店、飛鳥藍染織館で、おいしいおそばや、藍染の商品を見せて頂きました。

これもよかったです。

藍染よかったですし、年を取っても美男子な男性、渡辺さんと話ができた事もとてもよかったです。

手作りのおそばもなかなかの味だったのです。

でも一番の驚きは、食事をしている中で、吉野由美さんが、来年、2006年16日から7日に、長野の玉依比()神社で御神事があって行くので、一緒に行かないかというお誘いがあった時に、思わず、休みの金曜日、土曜日という事もあって、「それは菊の為のご縁ですね」と答えてしまった事です。

菊は、玉依比()神社がどんな神社で、長野県のどこにあるかも分からないのに、想わず、そう答えてしまったのです。

というのも、菊には、一人会わないといけない人がいました。

もしかしたら、前世の菊のお母さんになる里冴さんです。

里冴さんは、信玄の側室だった諏訪家の姫で、勝頼の母になります。

菊自身は、勝頼の記憶はまったくありませんが、不思議と武田家のご縁があって、里冴さんは、最初に、正式にご縁ができた人です。

もう、8年ぐらい前になりますが、菊は、縁の花を通してご縁を続けさせて頂いたのです。

前世のお母さんと呼ばせて頂いていたのです。

でも会ったのは、一度きりで、どうしても前世のお母さんとは、一度はお会いしたいと願っていました。

だけど大阪と長野で距離が離れているので、なかなか会うご縁がありませんでした。

一度だけ、縁の花 第177号『武田家/諏訪神々「ありがとうございます」奉納紀行』で出会うチャンスもあったのですが、うまくいきませんでした。

自然に再び、ご縁ができるのを信じて待っていたのです。

そのご縁が再び、動き出し始めていました。

今度は、里冴さんが、大阪の泉大津市の菊の所まで来てくれるという話にもなっていました。

奈良まで、仕事で行く予定があって、菊の所まで来てくれるという話もあったのです。

しかしそれも年末という事で流れてしまいました。

それだけに、菊は、漠然と、長野に行く事を、里冴さんに伝えたら、何とか少しの時間お会いできるのではないか、そう想ったのです。

それで想わず、行きますと、言ってしまったのです。

また、4人は、飛鳥藍染織館で食事した後、最後の目的地大神神社に行きました。

この大神神社ですが、さすがは、大神神社という名前だけあって広かったです。

大和国一の宮「大神神社」で「三輪明神」と呼ばれているそうですが、ここでも不思議な事ありました。

大神神社と飛鳥坐神社は、神様同士でつながっていて、吉野由美さんを通して、ご褒美として、何でも願い事を一つ願いなさいと言われました。

大神神社の一つとしてある狭井神の御神水というものも、4人で飲んだ後です。

その時に、菊が、願った事は、何か、皆さんの想像にお任せしますが、たぶん分かると想います。

やはり言ってしまうとパートナー女性と何回も掃除させて頂きたいので、是非、すてきな女性

とのご縁を作って下さい。よろしくです。(>_<)
また、大神神社でも、一言で言って楽しかったです。

3人には、いろんな神様のメッセージが入るのか、面白かったです。

大神神社のいる知恵の神様を通った時、「今日は、寄らないのか」というメッセージが、西岡さん

に入りましたが、吉野由美さんが無視したら、神様がずっこけたりしていました。

正直言って、そのメッセージが、本当に神様のものなのかは、菊には分かりませんが、縁として

は、本当だという事は間違いないと確信しています。

何故なら、同じ日、里冴さん達も、仕事で飛鳥にいて、この大神神社を通った事を後で知ったか

らです。

本当に不思議な縁でした。

菊は、この時点で、もうご縁が、すでに繋がっているとは夢にも思っていませんでした。

すでに目に見えない世界では繋がっていたのです。

 その後は、夕食を皆で食べて、駅まで送って貰って、帰りましたが、本当に楽しい体験をさせて貰って、神様に感謝しているのです。

 

  

          ∞「16日、風林火山の縁」∞

 16日、菊は、吉野由美さんと一緒に、長野の北側、長野市にある一番のホテル、ロイヤルホテル長野に向けて、車で走りました。

 名古屋まで、近鉄の特急で走り、名古屋で、吉野由美さんの車で、高速道路で向かったのです。

 また、今年は、戦後の中でも、一番寒いということで、新潟や長野では、大雪という事で心配しましたが、高速道路では、雪は殆どありませんでした。

 順調に走れたのです。

 しかも菊自身も、実は、金曜は休みなのに、正月休みの兼ね合いで、仕事がありましたが、有給取れました。

 4日から6日は、休んではいけないという通達があったそうですが、菊は、その日は、たまたま休みで聞いていなかったのです。

 その上に、里冴さんとも連絡が取れて、安曇野市から、一緒に仕事をしているKさんと、ロイヤルホテル長野に来てくれる事になりました。

 やっと前世のお母さん、里冴さんと会える事になったのです。

 その上に、Kさんは、長野市に詳しく、川中島や、道が複雑で、行くのが難しい山本勘助の墓に案内してくれると言ってくれていました。

 普通では、絶対に考えられない事です。

 まるで、神様、武田家の英霊が、菊や里冴さんや、いろんな人を依せている、集めてくれているとしか想えなかったのです。

 しかし、菊が一番、驚いたのは、7日の次の日、18日、朝日放送で、開局50周年の記念番組として、風林火山のドラマが、夜の9時から、2時間半の番組として放送される事です。

 これにはびっくりです。

 何故なら「風林火山」の物語とは、原作は、井上靖さんで、昔、映画としても1969年に、大ヒットした事もある作品です。

信玄に中村(萬屋)錦之助、軍師の山本勘助に、三船敏郎、上杉謙信に、石原裕次郎、信玄の側室、諏訪の御料人、由布姫に佐久間良子が演じて、本当に、豪華版でした。

その「風林火山」の物語が、今度は、テレビに放送されるのです。

しかも来年、2007年には、NHKの大河ドラマで、早々と、1年間、放送される事が決まっています。

今回の朝日テレビのドラマは、その前祝です。

その放送される前日に、長野市の川中島にいる、本当に不思議なのです。

その上に、この風林火山のドラマの主人公は、信玄、勘助、諏訪の御料人で、勝頼や重臣の高坂弾正も出てきますが、菊の前世のお母さん、里冴さんが、父親を信玄に殺されたのに、美貌と勝気な性格を知った信玄に、強引に信玄の側室にされながらも、しっかり生きたと言う物語です。

諏訪の御料人は、信玄を憎みながらも、信玄を愛したという、もっとも輝いている物語ですし、メインの山本勘助が亡くなる川中島の戦いでは、多くの武田家、上杉家の人が、必死で戦って、両軍で、7千人もの兵が亡くなる、大変な激戦でした。

そんな英霊達が、川中島に、菊や里冴さんを呼んでくれたとしか想えなかったのです。

だから菊は、この日に、里冴さんと、川中島や山本勘助の墓にお参りにいける事、心から嬉しかったのです。

また、そんな菊が、現地に、昼の2時の頃についてまず、びっくりしたのは、川中島の戦場は、長野市のロイヤルホテルの目の前と言うほど近いという事でした。

まさか、そんなに近くにあるなんて、菊は夢にも想いませんでした。

 これも本当に不思議なのです。

 そして菊は、長野のロイヤルホテルで、里冴さんと写真家のKさんと会い、吉野由美さんは、待ち合わせの畑山Tさんと会い、それぞれ別な目的の為に、別れました。

 菊は、里冴さん、Kさんと、川中島へと行き、吉野由美さんと畑山さんは、長野の県立図書館に行きました。

 明日行く、玉依比()神社の神事のレポートを、もうすぐ提出しないといけないということで、膨大な資料を、コピーする為に行ったのです。

 こうして二手に分かれましたが、里冴さん、Kさん、菊の方は、順調でした。

 川中島では、3人で、川中島の戦いで亡くなった英霊達を参る事ができましたし、山本勘助の墓も、少し迷いましたが、里冴さん曰く、「きっとあの人は武田家の人だね」といった、親切な女性がいて、丁寧に教えてくれたので、山本勘助の墓に行く事ができました。

 山本勘助の墓は、畑にぽつんとあるだけで、来年、大河ドラマの主人公の墓とはとても想えない寂しい墓でした。

松代の人達の怠慢を感じますが、雪のある中を歩いて、3人で、参る事ができました。

しかも里冴さんは、前日のミクシイの中で、信玄公と話をしています。

長野県にある『龍雲寺』では、信玄霊廟があり、信玄の遺骨と副葬品と伝えられるものがあって、中に入ってみたら、脇の塔から引っ張られる感覚があって、一部の遺骨などを発掘したらしい場所で、武田信玄公と話をしたそうです。

残念ながら、その会話は、里冴さんと信玄公のプライベートの会話なので、どんな会話かは分かりませんが、そんな事もあったのです。

その上に、山本勘助の墓でも、墓の前で、想わず、「勘助」とつぶやいていました。

前世、そう呼んでいた事を想い出したみたいです。

菊自身は、鈍感なので、小さい頃可愛がって貰っていた山本勘助の存在感じませんでしたが、たぶん、その日は、山本勘助の御霊、里冴さん待っていたと想います。

と言うのも、GUNSOHさんの話だと、山本勘助の魂は、その墓にはいないそうです。

だから聞くところによると、山本勘助の墓は、他にもあって、山本勘助の子孫が護っている墓が、長野にあるので、もしかしたら、普段はそこにいるのかもしれないと思います。

いえ、あまりにも寂しすぎるので、ここにはいないと思います。

でも菊は、その日は、そこに来て、里冴さんを待っていたと確信しているのです。

だから里冴さんは、今度来る時には、お線香とお花を持って来たいと言ってくれましたが、菊は、本当に嬉しかったです。

だって、実際の所は、誰にも分かりませんが、風林火山の物語では、老体で、片目の背の小さい勘助は、若い綺麗な諏訪の御料人を密かに愛していたという事になっています。

信玄が、諏訪の御料人を側室にしようとしたら、家臣に反対されて、どうにもならなくなった時、山本勘助が、「諏訪の御料人に、男のお子さんが生まれ、その子に諏訪家を継がせたら、諏訪の民も、喜んで武田家に仕えるでしょう」と助け船を出した時から、ご縁が生まれている事になっていますが、皮肉にも、降伏した、諏訪の御料人の父、諏訪頼重を、武田家臣板垣信方の屋敷で自害させるように勧めたのも山本勘助という事なので、その心境は複雑です。

でも、それだけに、何の後ろ盾もない諏訪の御料人を、山本勘助は精一杯支え、諏訪の御料人も、そんな山本勘助の気持ちは分かり、乱世の戦国時代なので、父親を殺すように勧めた山本勘助を許していたと想います。

菊は、山本勘助に、「本当によかったね。諏訪の御料人が、来てくれたよ」と心から言ったのです。

本当に里冴さん、運転して道を探してくれたKさん「ありがとうございます」です。

そしてその後、3人は、明日、神事に参加する、玉依比()神社に行く事もできました。

残念ながら、里冴さん、Kさんは、今日、帰る為に、明日参加する事はできないので、玉依比賣()命神社に行けてよかったと想います。

しかも里冴さんは、玉依比姫を何となく感じたそうですし、菊自身も、デジカメで撮った写真の中で、緑の玉響(たまゆら)を撮る事もできました。

本当によかったと想います。

 

 

                 ∞「里見八犬伝・玉依せ」∞

 玉依比賣()命神社から帰った3人は、ロイヤルホテル長野に戻ると、吉野由美さん、畑山さんや、長野県にいる縁の村の読者、GUNSOHさんやまみちゃん、その娘さんを待ちました。

 ミクシイや、縁の花で、長野に入る事をお伝えしたら、GUNSOHさんやまみちゃんが、連絡くれて、16日、7日、参加してくれる事になったからです。

 まみちゃんは、仕事が終わると、長野の駒ヶ根市から高速バスで駆けつけてくれましたし、GUNSOHさんは、長野市に住んでいて、自宅から結構近いので、車で、まみちゃん親子を連れて参加してくれました。

 まみちゃんは、GUNSOHさんのお友達で、待ち合わせをして参加してくれたのです。

 その後は、ロイヤルホテル長野の、吉野由美さん達、女性人の部屋で、大宴会が始まったのです。

 また、この宴会は、想像以上に楽しかったです。

 菊にとっては、お会いした、吉野由美さん、畑山さん、里冴さん、Kさん、GUNSOHさん、まみちゃん、まみちゃんの娘さん、合計、8人ですが、どの人とも、何回もあった事はありません。

 吉野由美さんとは2回目ですし、里冴さんとは78年前に一回だけ会っただけです。

 GUNSOHさんとは、以前にメール頂いた事があるだけですし、まみちゃんとは、ミクシイで、GUNSOHさんを通して知り合い、マイミクの関係になって頂いた関係です。

 だけど、不思議と、初めと言う気はしませんでした。

 前世で何回かあっているというか、皆さん、すぐに打ち解けました。

 きっと、ミクシイで、里冴さん、GUNSOHさん、まみちゃんとは、やりとりしている事もあると想いますが、不思議と他人のような気はしなかったのです。

 しかも皆さん、個性豊かな本当に不思議な人達の集まりでした。

 いろんなメッセージが聞ける人や、感じられる人もいましたし、ヒーラーもいました。

 菊は、驚いてしまったのです。

 その上に、菊が不思議な縁を感じたのは、名前です。

 菊と里冴さんは、武田ですし、Kさんは、真田家のご縁があるそうですが、他にも、吉野由美さんは、室町時代の前の南北朝の動乱の時に、足利尊氏に敗れた後醍醐天皇が、吉野に逃れて、吉野に南朝(吉野朝廷)を開いたあの吉野ですし、畑山(はたやま)さんは、畠山と同じ名前で、足利尊氏に従い、室町幕府創立時の功績によって能登、越中、河内、和泉を領する守護大名となり、管領としても活躍した畠山氏を想像させます。

 能登の畠山氏は、戦国時代、上杉謙信に、七尾城を落とされ、滅亡しているのです。

 その上に、GUNSOHさんは、名前が、生島(いくしま)さんですが、前世は、秦の始皇帝に、自分よりは先に死ぬなと言われていた軍師で、織田信長の時にも、参謀として、祈祷もしていたそうですが、菊には、生島神社を大切にしていた中国の雄、毛利家を連想させました。

 こじつけだと言われたら、それまでですが、菊には、戦国時代の前世の縁がかかわっているのではないか、そんな気がしていました。

 ちょうど、正月に、毎日放送で、二夜に渡って放送された里見八犬伝ではありませんが、8人の人間を、天が集めてくれたのではないか。

 歴史に詳しくない里冴さんも、何故か、NHKの大河ドラマ義経には夢中で、義経役をしていたタッキーを応援していて、里見八犬伝でも、タッキーが主演したので見ていたそうですが、そんな事で里見八犬伝の話で盛り上がりました。

玉依り姫が、8人を、玉を依せるように集めてくれたのではないか、そんな話になったのです。

しかも、GUNSOHさんや、まちみゃんの娘さんなどは、御霊がみえるそうで、ホテルの部屋に、玉依比姫か、その縁の人達が、来ている事で、盛り上がりました。

始めてみる人達なので、どんな人か知りたいのだろうという事でした。

本当に不思議な集まりだったのです。

また、お話も、本当に楽しかったです。

特に、菊自身、GUNSOHさんが、こんなに面白い人とは想いませんでした。

GUNSOHさんは、元自衛隊員で、長野県警に航空隊を作る為に、長野県警に入った後、航空隊が出来上がったので、離任してからは、ヒーラーとして活躍していますし、インドにも何回か行っています。

いろんな話を聞かせてくれました。

里冴さんなどもインドのサイババに行った事があって、盛り上がりました。

GUNSOHさんは、今は、サイババよりも、無名だけど、もっとすごい聖者とご縁があるみたいですが、菊は、すごい人だと納得してしまいました。

しかも、今回、すごく活躍してくれたのは、畑山さんで、普段は、こんな事はないそうですが、霊媒として大活躍してくれました。

とても陽気で明るいすてきな女性なのですが、霊媒体質なのか、今までに、自分を頼ってきた多くの霊達を、自分の体内に取り組んでいたそうです。

霊達を何とかしてあげたいという気持ちを持っていたのです。

それをGUNSOHさんが、体内から救い出してあげて、本来の霊達を喜ばせてあげました。

畑山さんの背景にいた霊達は、たくさんの霊達が、頼ってきたので、畑山さんの身体の中に、押し込められていて、苦しんでいたのです。

この事は、霊達の事に関心のない人には、なかなか分からないと想いますが、菊は、昔、少しかかわっていたので、十分に理解できました。

菊自身、霊に関しては、感じる感性はありませんので、本当の事は何ともいえませんが、少なくても、畑山さんの魂は、喜んでいました。

畑山さんは、何回も涙汲んで、菊にも、その躍動が伝わったのです。

しかし、菊が、本当に驚いたのは、ヒーラーとしての、GUNSOHさんの能力です。

菊自身、今までに、いろんな霊を救える人を見てきましたが、こんな人は初めてです。

インドの聖者に教わったそうですが、最初は、一体でも、今は、何万体の霊達を救えるそうです。相手の人に、手をかざすだけで、その人の背景にいる霊や、肉体の中にいる霊達を出すことが、

できるし、インドで手に入れた、不思議な道具というか、小さな像があって、相手の頭にのせるだけで、霊が出てくるそうです。

 それを、GUNSOHさんは、小さな像をのせるだけなので、誰にでもできると言いました。

 正直いって、菊は、そんなGUNSOHさんの話に、カルチャショックを受けました。

 霊を救うというのは、本当に大変な事で、殆どの人はできません。

 テレビで、霊と話をしたり、浄化させたりする人が出てきますが、殆ど嘘だと想っています。

 ましてや、何万体も救うなんていうのは、人間にできることではないと菊は、想っていました。

 それをGUNSOHさんは、何万体も救っていると、堂々と言っています。

 その言葉の中には嘘はありません。

 少なくても、GUNSOHさんは、固く信じています。

 菊は、そんなGUNSOHさんが、本当に救えているのか、どうかはわかりませんが、直感で、救えているのだろうと信じる事にしました。

 あれこれ、菊がいう事は、まったくないのです。

 だからGUNSOHさんや皆さんと話をした事は、本当に楽しかったです。

 菊自身、この世をさ迷っている霊達の事を想ってあげる事は大好きですし、そんな霊達を救ってあげようとする人は大好きです。

 何故なら、今も、この世では無数の霊達が、いろんな執着にとらわれて、あの世に帰れずに苦しんでいますし、癌などの病気の原因は、本当は、霊がついていることだと言います。

 でも、そんな霊達を救わせて貰うという事は大変です。

 霊達を一旦自分に体内に入れたりしないといけませんし、たくさんの霊達が頼ってくるので、身体か不調になったりします。

 GUNSOHさんも、身体に不調になったり、病気にもなったりしているみたいです。

 ですから、これをすることがどれだけ大変で、霊達に対する愛がないとできないことは、菊自身にも分かっています。

 目に見えない存在には、想っている事は、全部波動で伝わるので、嘘は絶対につけません。

 大愛が何よりも大切なのです。

 だから菊自身も、「ありがとうございます」で、どれだけ救わせて頂いているか、もしかしたら一体も救えていないかもしれませんが、GUNSOHさんのように、何万体の霊を救わせて頂くなんて、とても言えないだけに、つくづくすごい人だなあと想いました。

 GUNSOHさんは、本当のヒーラーだと想います。

 そんなGUNSOHさんの話は、とても勉強になったのです。

 結局、ホテルでは、GUNSOHさんのお時間が許すまで、夜の12時までちかくまで話していて、その後、女性陣と菊に別れて、別々の部屋で寝ることになったのです。

 

         ∞「玉依比賣()命神社」∞

 玉依毘売(タマヨリビメ)とは、日本の神話で出て来るお姫様で、竜宮で住んでいる海神(一説には豊玉彦命という)の娘で、山幸彦と神婚した(豊玉姫)トヨタマビメの妹です。

 また神話としては登場するのは、神代の話の最後の方にある「海幸彦と山幸彦」の話です。

 菊が古事記の本や、インターネットで調べた事で、お話を要約すると、兄の海幸彦と弟の山幸彦がある時、山幸彦の提案で、持っている道具を交換して獲物をとろうと言う事になって、釣り具を貸して貰った山幸彦は、海で魚をとろうしましたが、肴が取れず、大切な釣り針を無くしてしまい、兄の海幸彦に怒られて困っていたそうです。

 その時に、塩つちの翁が、白くて長いひげをゆらゆら揺らしながら現れると、「竹で、竹船を作りそれに乗せると、海の道に沿ってかなたまで行くと、海神の住む竜宮に着きます。その竜宮の門の近くにある美しい水の出る泉のそばに、よい香りのするかつらの木があるので、登って待っていて下さい。きっと海神の娘が、あなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょう」といって、竹舟を押し出しました。

 山幸彦が、その翁の言う通りにしたら、竜宮に着き、海神の娘、豊玉姫(よたま)に会えました。

 二人は、赤い糸に引かれたように、一目で恋に落ち、豊玉姫は父のわたつみの神の許しを得て、結婚しました。

 3年間、山幸彦は、竜宮所で、夢幻のうちに三年の(みとせ)月日、よたま姫と仲良く暮らしたのです。

 しかし、山幸彦は、忘れていた釣り針の事を思い出して、元気をなくし、よたま姫の父親、わたつみの神の協力で、鯛ののどに刺さっていいた釣り針を探し出して、陸に帰る事になりました。

 このへんは、浦島太郎の話によく似ているのです。

 そして陸に戻った山幸彦は、わたつみの神の助言どおりにした結果、海幸彦との戦いに勝ち、父親の「にらぎの命」の後継者となったのです。

 神話の世界の天皇になったのです。

 また、そんな山幸彦の元に、妊娠していたよたま姫が、竜宮から来て、「天つ神の御子は海で産むわけにはいきませんので、こうしてやって来たのです」と言って、子供を産もうとしました。

 その時、「竜宮では、子供を産む時にはもとの姿に戻って子供を産みます。だからけっして見ないで下さい」と言ったのに、難産に心配した山幸彦が覗いてしまった為に、八尋(約十四、四m)もある大きな大きなわに鮫が、実は、よたま姫だという事を知って、逃げ出してしまいました。

 それで、夫に、本当の姿を見られて事を知ったよたま姫は、「はづかしい」といたくおなげきになって、玉のような男の子を砂浜に生み残して、帰ってしまったのです。

 その時に生まれた子供が、波打ち際に建てる/鶏の  きの/いまだ作り終えず、という意味の波限建鶏 草葺不合の命と(ふきあえずの命)と名づけられたのです。

 後の天皇、日本の天皇家の初代、人としての初めての天皇、神武天皇に父親になる方なのです。

 というのも、自分の姿を盗みみた夫にお怒りになっていても、恋しい夫を忘れる事ができないよたま姫は、子供の養育という理由で、妹のたまより姫(玉依姫)を夫のもとへ送りました。

この玉依姫を、姉の子供、「ふきあえずの命」が妻にして、「いつ稲の命」「稲ひの命」「御食ぬの命」「若御食ぬの命」の4人の子供を産みました。

この内、三男の「御食ぬの命」と四男の「若御食ぬの命」が、平安な土地を求めて東に向かって旅立ち、途中、亀の背に乗って釣りをしている老人に出会うという不思議な大冒険をするのですが、その中で、四男の「若御食ぬの命」が、神武天皇と名乗るようになったというのです。

日本の神話は、ここから、神から、人の話に変わるのですが、その大切なお母さんが、玉依比姫なのです。

要するに、菊もまったく知らなかったのですが、神武天皇は、そんな巫女の女性から生まれ、イエスキリストのような処女妊娠だったということになるのです。

またこの玉依比姫に関しては、いろんな学者が研究していて、柳田国男は、「各地に「玉依」という名前を持った神が沢山いることに注目し、タマヨリビメとは特定の神を指すのではなく、神の依り憑く巫女や、神霊が表意する乙女の意味を指しているのではないか」と指摘していますし、実際に、タマヨリビメという神聖な名を持った女性を祀った神社は、全国に数多く見ることができます。

「熊本の玉名大神宮の祭神は、藤僚則隆の娘の玉依姫。鹿児島の開聞岳の祭神の玉依姫は、仙人を父とし霊鹿を母とする神女で、天智天皇の妃となった。千葉の玉前神社の伝説では、海上に光り輝く玉崎神(タマヨリビメ)が現れた」と伝えられているそうです。

 菊の行く長野県玉依比売命神社でも、「17日に玉占袖事が行われる。これは、神宝である200種類の勾玉によって、その年の吉凶を占う行事といわれている。依り憑いた神の意志を伝えるという、タマヨリビメの神格をよく表している。」と紹介されていました。

 そこから考えても、タマヨリビメは固有名詞ではなく、神婚による処女懐胎によって神の子を宿したり、選ばれて神の妻となったりする巫女の総称であると考えられています。

 だから要するに、ここで菊の言いたいことは、長野の玉依比売命神社は、そんな巫女である玉依比姫を奉っている神社だという事と、長野の玉依比売命神社の奉っている玉依比姫が、神武天皇のお母さんかもしれないということです。

 詳しい事は菊には分かりませんが、玉依比売命神社の玉依比姫とは、誰の事がはっきりしていないので、吉野由美さんも、卒論を書くのにあたって、研究してテーマにしているのです。

 でも、菊にはそんな事は関係ありません。

 神様の巫女である玉依比姫とご縁が持てるなら、誰でもいいのです。

 少し説明が長くなりましたが、玉依比売命とは、そんな神社で、翌朝、朝9時に、新しく参加してくれたGUNSOHさんの長男さんのお嫁さんと、長野市で、純喫茶店や映画館を経営している、名前が、北原里見さん(何故か里見八犬伝、戦国時代の里見家)さんと、一緒に、いよいよ玉依比売命神社の神事に参加する為に行ったのです。

 またこのご神事も面白かったです。

 日本の文化というか、日本の神社では、こんな神聖な事をするのですね。

 長い伝統を感じて、とてもよかったです。

 というのも毎年、1月7日に、玉依比売命神社では、大切に保管している神宝である200種類の勾玉によって、その年の吉凶を占う行事をします。

毎年、一つか、二つ、由緒あるところから玉を寄贈されるらしいですが、玉の数を数えて、その年の吉凶を占います。

ちゃんと計算通りの数の石が出てくるか、出てこないかで、その年が、吉なのか、凶なのかを判断するのです。

ただ、残念ながら、そんな神事については、インターネットで調べても、なかなか記事がないので、まだまだよく分かりませんが、玉が割れたりして、数が、一つ多いという事もあるそうです。

その時は、今年はおかしい年ということになると思います。

ですから、わざわざ遠くの関東からでも、その神事の為に、参加する人もいるのです。

しかも他にも、紙に早稲とか、木綿、麻、大豆と書いたものに、ある作物を包んで、1年間、壷のようなところに入れて、1年後、取り出して、カビの生えるぐあいで作物が豊作かを占うか神事もあります。

カビが、見事に生えていたら豊作です。

それによると、今年は、どれも豊作でした。

そこを玉依比売命神社の氏子さん達が、伝統行事として熱心にやっていて、菊達も参加させて貰えました。

昔は、参加させて貰えなかったそうですが、時代が変わったので、参加させて貰えるようになったみたいです。

伝統行事を護る事と、新しい時代に適合させる事、氏子さん達も、宮司と協力していて、取り組んでいて、菊は、すばらしい事だと感心しました。

特に、神事が終わった後、事務所のようなところで、氏子さんが集まって、新年会と言うか、料理やお酒を頂きました。

今まで体験したこともない、神社の世界を味わえたような気がしたのです。

 

 

              ∞「玉依比姫の不思議な縁」∞

 しかし、この玉依比姫神社で、菊が本当にびっくりしたのは、残念ながら、菊だけが参加できませんでしたが、GUNSOHさんや吉野由美さん達、女性陣は、本殿にあるすばらしい玉依比姫の絵を見ていることです。

 神事が行われている部屋の後ろが、本殿と繋がっていて、本殿を、菊が知らないうちに、宮司さんの好意で見せて貰っているのです。

 しかもそこで、すごい事がおきたそうです。

 玉依比姫神社では、1年に1度だけ、神事をする1月7日に、玉を開けるのと同じように、大切にしまっていた玉依比姫の絵も、外に出してあげるそうですが、GUNSOHさんの息子のお嫁さんや、畑山さん、まみちゃんの娘さん、北原里見さんなど、皆さん、そこに玉依比姫を感じて大変だったそうです。

 皆さん、急に涙ぐんだのです。

 しかもその中でも、畑山さんは、昨日の晩の時から、夢の中で、玉依比姫と会話していたのか、ずっと寝ながらぶつぶつ言っていたそうですが、それが何かを忘れていたのが、玉依比姫の絵が再びしまわれようとした時に、想いだしたのか、閉じ込めないでと少し暴れたそうです。

 本当にすごい事になっていたのです。

 きっと玉依比姫は、閉じ込められるのが嫌で、それを誰かに伝えたくて、霊的に敏感な人達を呼び寄せたのだと想います。

 その上に、何故か、玉依比姫の絵を写真で撮ることはいけない事だそうですが、玉依比姫を護っている氏子さんは、止めなかったのか、許してくれたのか、デジカメで何枚も撮れているのです。

 それは、GUNSOHさんが、菊にも後で送ってくれたので、今、手元に持っています。

 大きな龍と、白い玉を大切そうに持っている、オーラーで輝かれている、玉依比姫が、見事に描かれているのです。

 菊は、こんなすごいものだとは想わないだけに、本当にびっくりしました。

 残念ながら、男性だからか、GUNSOHさんはよくても、菊だけが呼び依せて頂けなかったので、直接見る事ができなかったのは、本当に残念ですが、菊は、それでも、本当にすばらしい写真を何枚も手に入ったと心から喜んでいます。

 何故なら玉依比姫の絵を、ずっと外に出してあげる事は、GUNSOHさんが、氏子さんに話しても実現しませんでした。

 当然です。

 それが、文化というものです。

 外の人の言葉で、簡単に制度が変わる訳がないのです。

 だけど、玉依比姫の願いは、GUNSOHさんが送ってくれた写真が、菊や吉野由美さんや、里冴さんなどに、渡ったという事で実現されたと想います。

 よく考えたら、絵は閉じ込められても、写真は出す事ができます。

 写真を通して、玉依比姫は、外にでることができますし、菊を応援してくれる事になります。

 すばらしい玉依比姫という女神さまが、新たに菊についてくれたのです。

 今、玉依比姫さんの写真は、菊の部屋で、飾っています。

 本当に、長野市まで行ってよかったと想ったのです。

 また、その玉依比姫神社の行事が終わった後、武田家の同志、前世、高坂弾正の魂の一部を持っている黄桜さんも、東京から駆けつけてくれました。

GUNSOHさんは、そんな僕達や、吉野由美さんの為に、本当に病気が治るという事で有名な、神水が出るところを案内してくれたり、その近くにある不思議な神社にも案内してくれたりしました。

本当に、この土地に詳しいと言うか、この土地を護っているようなすごい人の感じだったのです。

 それで後の菊の耳に入って来た情報によれば、、GUNSOHさんは、この長野市を天から任されているというか、精神世界では、本当に有名な方だそうですが、成る程と納得してしまいました。

昨日、ちらっと冗談で、何故、参加してくれたかという話題に、ここで菊や吉野由美さんに来て、荒らされたくなかったからだと言っていましたが、本音かもしれないと想ったのです。(笑)

また、その後、GUNSOHさんは、菊や黄桜さんの為に、川中島の戦場に連れて行ってくれました。

さすがにこの川中島の戦場は、霊達のスポットなのか、たくさんの、武田家や上杉家の英霊以外の霊も無数にいるそうで、まみちゃん親子や、畑山さんも、怖がって、車の中から出て来ませんでしたが、菊や黄桜さんや吉野由美さんは、平気で、前回の『武田家/諏訪の神々「ありがとうございます」奉納紀行』と同じように、川中島の神社や、高坂弾正が、戦で亡くなった兵士達の為に作ったという首塚に参る事ができたのです。

しかも吉野由美さんには、武田家の英霊の声が聞こえて、「天下統一の為という事であの時は、信じてたたかったけど、今から考えたら、空しい事だった」というようなメッセージも入ってきたのです。

しかし、ここで菊や黄桜さんにとっては、信じられない事が起きました。

GUNSOHさんと畑山さんが、首塚に来て、祈ってくれたのです。

その上、この時、畑山さんは、一瞬、肉体から魂が出ようとして、それを抑えるのが大変だったみたいですが、それが終わると、GUNSOHさんは、簡単な動作をして、川中島で亡くなった英霊を全部救ってくれました。

「ここも終わった」という一言に、正直、菊も黄桜さんも絶句です。

 GUNSOHさんでも、川中島の戦場には、なかなか行くご縁がなかったみたいですが、川中島で亡くなった兵士達は、今日で、全部救われたということになるのです。

 菊自身、まったく分からないので、本来なら、その事を「そうですか」と簡単に信じる事はできませんが、自然に、何故か、それを神様のメッセージとして信じました。

 そうでないと、菊が、不思議なご縁で、川中島まで来る訳がないからです。

 神様の言葉だと想ったのです。

 だから菊や黄桜さんにしても大喜びです。

 かねてからの念願だった川中島の英霊を救う事が、こんな形で実現されるとは夢にも想いませんでしたが、救われたと信じる事にしました。

 GUNSOHさん、本当に「ありがとうございます」なのです。

 そしてその後、菊と吉野由美さんは、車で、黄桜さんと畑山さんは、GUNSOHさんに、近くまで送って貰って、高速バスで、関東に帰りました。

 今から考えても、本当に不思議な旅だったのです。

 後で菊と、黄桜さんと畑山さんは、話が弾みすぎて、帰りの高速バスに乗り遅れて、翌日帰ると言う、野次喜田さんの並みのチン道中になったみたいですが、すばらしい思い出になったと想います。

 では、皆さん、縁の花第219号読んで頂いて「ありがとうございます」

    平成18(2006)年1月28日

 

 

 追伸、不思議な旅は、その後も続いています。

 翌日の「風林火山」のドラマを見た、里冴さんや黄桜さんは、過去の事を少し思い出したそうです。

 でも、菊の持っているはずの武田家を滅ぼしてしまった勝頼の記憶は、思い出さない方がいいのか、全然ですが、それでもよかったと想います。

 また1月20日には、今度は、戦艦大和のご縁で、広島県の尾道市に行って、今、大ヒットしている映画「男たちの大和」のロケに使った、実物と同じ大きさの戦艦大和に会ってきました。

 これもどうして行く事になったのか不思議でしたが、戦艦大和で亡くなった3千名の英霊に呼ばれたような気がします。

 自然に、ある人のご縁で、行くように導かれていたのです。

 しかも戦艦大和とは不思議です。

 名前が、大きな和という事で、およそ戦争に使われる名前ではありません。

 実際に、世界最強の戦艦だった大和は、誕生したと同時に、真珠湾攻撃によって、飛行機の時代になって、ろくに活躍していません。

 大和ホテル、姉妹艦の武蔵は、武蔵旅館と影口を叩かれていました。

 レイテ湾海戦でも、殆ど活躍しなかったのです。

 でも、世界最大の大和を製造したと言う技術は残り、戦後の日本復興には、大活躍してくれました。

 戦後の日本の造船産業だけでなく、トヨタの看板方式などにもいかされました。

 大和を造ったことは無駄でなかったのです。

 そして、戦艦大和は、3333名を乗せて、船の特攻という形で、片道だけの燃料を積んで、沖縄を救う為に、飛行機の援護もなく、何隻かの駆逐艦を引き連れて出動して、米国の航空機による総攻撃を浴びて、屋久島付近の海底に沈みました。

 日本海軍の象徴である戦艦大和は、日本が、負けた事を、最終的に、日本人に伝えたのです。

 その戦死者は、3千名といわれています。

 その事実が、ちょうど戦後60年になる2005年、角川春樹がプロデュースした映画「男たちの大和」のヒットで、蘇りました。

しかも「天皇の真実」の河内正臣先生は、日本の最後の海戦で、戦艦大和が、3千名の兵士と一緒に亡くなった事は、天の世界から見たら、大きな意味があると言っています。

 というのも、乗組員が3333名で、亡くなった人が、3千名というのは、仏教の世界で言う3千世界に通じます。

 その上に、戦後、60年、日本は、それから一度も戦争はせず、経済的には、奇跡の復興をなし遂げました。

 敗戦によって、失ったものもたくさんありますが、日本は、大和になれたのです。

 まさしく戦艦大和で亡くなった人達は、そんな日本のする為に、礎になってくれたと考えられるのです。

 何故なら、戦艦大和に乗って、沖縄に行った3333名の人達は、少年兵を含めて、誰もが死ぬ事は分かっていたと言います。

 それでも、神風特攻隊と同じように、何かの意味を見出して、日本の為、愛する家族の為に亡くなりました。

 それが、天に通じたのか、いえ、その事を、今の日本人に、気概や、日本民族としてのアイデンティティーを失った後世の人達に教える為に、天が計画していた事で、魂も望んでいて、60年前に、亡くなったかもしれないのです。

 そんな尊い魂、英霊なのです。

 だから、「男達の戦艦大和」の映画が、去年から今年、ヒットした事は、偶然ではありません。

 すべては、必然、計画されていた事だと、菊は確信しているのです。

 ですから、菊は、戦艦大和のロケ地には、3千名の英霊に対して、尊い犠牲になってくれた事に対する感謝と、これからの日本の平和をお願いにいきました。

 今も見守ってくれる英霊に対しては、一緒に、福山市にある仙水島というような、戦後60年、変わらない事を歩きましたし、戦艦大和のロケ地でも、一緒に歩いて、戦艦大和の大きさを感じたのです。

 それが、今の菊ができる唯一の供養だと信じているのです。

 きっと少しは、大和の英霊救えたと信じています。

 また、そんな菊に対して、英霊からのサインも頂けました。

 福山市に入る前日、1月19日、何と、尾道市の隣、菊が、高速バスで行く福山市に住んでいる、大和光さんという方から、縁の花村の参加申し込みを頂きました。

こんにちわ、はじめまして、緑の花村入会申し込みとありクリックしましたら、メールアドレスが出ました。是非とも入会したいのでメールで入会申し込みをいたします。日本を素晴らしい国にしていく仲間としてよろしく。」

 というメールでした。

 菊には、大和の英霊達が伝えてくれた、最高の歓迎の言葉だったのです。

 その上に、大和光さんは、「なんでんかんでん村」の原村長とは、5年前から、ご縁のある同志で、意識も非常に高い人だという事も、後で分かりました。

 ミクシイにも、青い海という名前で参加してくれて、菊とも同志になってくれているのです。

 そんなすごい縁に発展しているのです。

 そして最後に、冒頭で紹介した西岡さんも、泉苑の仲間と見事に繋がりました。

 前に、泉苑の泉さんは、紹介していたのですが、1月20日の日、何かを感じると言う事で、泉さんに電話して、翌日の21日、泉苑の催し、言葉のセラピーの二次会に参加して、すごい事になったそうです。

 神社を掃除した話や、去年の夏頃から女の神様の声が聞こえるようになったという話をして、泉さんだけでなく、ルカさんや、卑弥呼さん、マントラさんとも意気投合したそうです。

 しかも、西岡さんが言っていた、光の柱を建てる話も、卑弥呼さんやマントラさんが、高安の仲間と2月から始める、エネルギーワークというものと融合して、大きく動き出したみたいです。

 帰り、卑弥呼さんと西岡さんは、一緒に帰った時には、「あなたたちはできます」「あなたたちがするのではなく、あなたたちをとうして天がするのだから、できます」というようなメッセージも入ったそうです。

 本当に、不思議な縁、いろんな目にみえない存在に、導かれているのです。

 是非、皆さんも、そんなご縁にご参加してください。

        縁の花第219号表紙 「不思議なご縁 三輪山・長野の旅」

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