縁の花
(本物を目指して心のネットワーク)
第31号
船井幸雄
皆さんによく縁の花に登場する船井幸雄を紹介します。
本当は船井先生は紫陽花が紹介しなくても、本屋に行けばかならず本があるので皆さんがその気になればいつでも知る事ができます。
わざわざ紫陽花が紹介する必要はないのです。
しかし残念ながら皆さんの多くは船井先生の本を読んで頂いていないみたいので諦めて紹介する事にしました。
紫陽花の知っている船井先生の本による生い立つや、今、紫陽花が持っている船井先生観とMGや紫陽花達との現在の関係。
そんな事をざっくばらんに書いてみたいと思います。
ですからMGクルーや本物を目指している縁の花の読者にも面白いと思います。
よかったら読んで下さい。
さてでは始めますが、船井先生は著者略歴を見ると昭和8年に大阪に生れています。
これは西暦で直すと1933年になりますので、現在は62歳になります。
また学歴も京都大学農林経済学科、京大を卒業しているので大したものです。
が、だからといって船井先生は勉強ばかりやっているのかというとそうではなく、その著書によると柔道などのいろんな格闘技をやっています。
しかも負けず嫌いの性格からいっても一番にならないと気のすまなかったそうなので、相当真剣にやっていたみたいです。
そしてそんな性格からいっても船井先生は大学を卒業してサラリーマン生活に入ってからも順調に進んでいきます。
何かものを書く新聞記者ようなものにもなりたかったそうですが、いろんな事もあって経営コンサルタントの仕事を選ぶとどんどん出世していた訳なんです。
が、そんな船井先生が世に知られるようになったのは、昭和45年日本マーケティングセンターという会社を設立した時からです。
今は名称を船井総合研究所といいますが、船井先生はここで現在会長を勤めている訳です。
しかしここで皆さんに理解して欲しい大切な事は、船井先生は叩き上げの創業者だという事です。
しかもこの船井総合研究所、通称船井総研は今、現在二百数十人の経営専門家を擁する会社で、経営コンサルタント会社としては世界で唯一株式市場で上場している会社でもあります。
これがどんなに凄い方かは皆さんには分からないかもしれませんが、経営コンサルタントという安定していない職業を株式市場に認めさせる事は大変だったそうです。
船井先生は僅か20年ぐらいで日本でも有数の経営コンサルタント会社を何もない所から、誰の援助も受けずに育てる事ができる実力があります。
口だけの経営コンサルタントではないのです。
そしてその船井先生の実力は今、多くの経営者が認めています。
ダイエーの中内に始まって、東急百貨店の山中社長やそごうの水島さんなどの小売業界から銀行、証券会社などのいろんな会社のトップとも信頼関係があります。
今の日本では経営指導の神様としても有名で、個人としても紫陽花は日本で一番の力がある経営コンサルタントだと思います。
これが紫陽花の知っている船井先生の簡単な説明です。
がもっと皆さんに分かり易くいいますと、1970年から80年代当時船井先生は喧嘩の名人だったといいます。
船井先生が顧問で喧嘩をした小売業で負けた事がない程強く、他の会社も船井総研にしょばだいを払わないと潰されるという事で次々と顧問になったといいます。
これが現在の約2300社もの顧問先につながった訳ですが、その顧問の仕方も独特だといわれています。
たとえばバブル当時、船井総研では企業に会社の将来は99パーセントトップで決るといいう指導をしていました。
従って金融業も会社に融資するのに土地や株などの資産ではなくあくまでもトップの力量で決めるべきだといっていましたし、このバブルが長く続かない事もいっていました。
もちろん船井総研の顧問先がすべてその指導を守っていた訳ではありませんが、今から考えればその指導は正しかったといえます。
今の銀行も原点にかえって社長や会社の将来性などで融資を決めているからです。
これが船井先生のやり方ですし、皆さんにも船井先生が少し理解できたと思います。
船井幸雄という男は一流の経営者、日本の資本主義のチャンピンオンといってもいいすぎではありませんし、そんな船井先生の実力を認めている一流の経営者も多くいるので、本気になれば日本経済をある程度動かせるという事をまず皆さんに理解して欲しいのです。 が、実はそんな船井先生の支持者は最初は経営者が中心で、一般の人はそんなにいませんでした。
というのは船井先生は経営コンサルタントと同時に、その技術を本に紹介していましたがランチェスターなどに代表される経営の本なので、一般の人があまり関心をしめす本ではなかったからです。
しかしそんな船井先生も4年ぐらい前からごく一般の人が知るようになりました。
本の内容ががらっと変わったからです。
しかも船井先生は本だけでなく経営コンサルタントとしても変わりました。
今までの競争は善であり、この世の中は勝たないといけないという近代資本主義代表者としての考えが、まったく正反対の考えであるものに変わったのです。
ではそんな船井先生を見事に変えたものは何かという事ですが、それは意外にも船井先生の話ですと実はある大きなライバルの存在だそうです。
というのも皆さんも分かりますと思いますが、経営者や政治家などの孤独な立場の人には、一人や二人ぐらい信じる神様いるケースがあります。
折角船井先生が経営コンサルタントとして自信を持って顧問先とやる仕事も、土壇場というか肝心な所になるとその神様のいう事を聞いて自分のいう事を聞いて貰えなくなるそうです。
さすがの船井幸雄も神様には勝てないのです。
船井先生も最初はそんな結果に呆れたり怒ったりしていたそうですが、そんな事が何回かある内に考えてしまいました。
一流の経営コンサルタントの最大のライバルは神様だという事でその対策を考えたのです。
それが最初から経営者の神様とも相談して仕事を進めていく事です。
船井先生はそれでコンサルタントの仕事をしていくのに、まず経営者に信じている神様がいるかいないか尋ねる事にしたそうです。
が、驚いた事にそういった事を尋ねると何百人もの神様を紹介され、その内の何人かは本当に素晴らしい人がいたそうです。
特にそれはこの十年ぐらいの事ですが、船井先生はそんな人と付き合う内に考え方を変えたそうです。
自分よりも何でも直感で分かる人がいる事を素直に認めたのです。
と同時に船井先生はそれを経営コンサルタントの仕事に利用するようになりました。
例えば天気です。
繊維関係やビール会社には夏場が暑いのか、冬は寒いのかが他社よりも先に分かるという事が最高の情報になります。
それさえ分かれば経営コンサルタントの仕事はいらないぐらい企業にとっては大切です。 船井先生は知り合った神様なんかにも相談したり、よく当たるという人を紹介して貰って、その情報を顧問先に教えてあげたら当たるという事で喜ばれたり、経営者というのは会社の経営が悪くなるとかならず健康まで悪くなるそうですが、それを知り合った神様に治して貰ったそうです。
船井先生はそんな事で神様という存在を信じ、自分が他の人にコンサルタントとして説明できるように理論を勉強したのです。
それがほぼ完成したのが5年ぐらい前で、先生はそれを世に問い始め今までの読者である経営者とは違う一般の人をファンに持つようになりました。
大ベストセラーの本を書くようになったのです。
しかし紫陽花はそんな船井先生を全然知りませんでした。
先生の書く本は1000円以上もするので本屋によく行くわりには読む事がなかったのです。
でもそんな紫陽花も船井先生を知る時期が来ます。
そのきっかけは最初はMGでした。
船井先生が何とMGのセミナーに外部講師として参加してくれたのです。
が、これには実はいろんな説があります。
船井先生と親しくしている原先生が呼んだという人もいますし、船井総研に顧問先から問合せが殺到したからだともいわれています。
始めてMGのMISを聞いた経営者や社員が慌てて会社に問合せ、答えられない会社が船井総研に「MGとは一体なんだ」と聞いて来た訳なんです。
それが証拠に始めて森宮シニアに会った船井先生の秘書の最初の挨拶は、御高名は前から伺っておりますだったそうです。
船井先生も森宮シニアも前からお互いを知っていたそうですが、そんだけのインパクトをMGはすでに3年前に持っており、はっきりとはMGの事を答えられない船井先生がMGの事を知る為に外部講師をしてくれたともいわれています。
はっきりとした事は分かりませんが、たぶん紫陽花はそんな所だと思います。
しかもその船井先生の講演は大成功でした。
船井先生は経営コンサルタントだけではなく、物書きとしても講演者としても一流なんですが、話が面白いだけではなくある意味ではMGを変えてしまいました。
紫陽花がよくいう知花先生や長崎のアルゼルセンという喫茶店のマスターを紹介してくれたからです。
が、紫陽花はその船井先生の話は残念ながら聞く事はできませんでした。
紫陽花が船井先生を知ったのは船井先生の紹介された二人の人物に会って来た多くの仲間からの報告を聞いて時です。
アンゼルセンのマスター久松さんにしろ、知花先生にしろ、いつか精しい事を書きますが、本当に不思議な方で紫陽花は壇上に立って報告する仲間の話を聞いて、船井幸雄に関心を持ちました。
ちょうどその当時岡山県に住んでいる女性からも船井先生の本、人間の研究は素晴らしいと聞いた事からも縁があったと思いますが、紫陽花はさっそく船井先生の著書、PHPの人間の研究を読んだのです。
それが紫陽花と、この縁の花の副題にも使かわさせて頂いている本物という言葉の最初の出合いでした。
紫陽花はその時本物と呼べるものを始めて知ったのです。
オーリング検査といわれているものや、知花先生など船井先生の本は皆さんも是非読んでみたらいいですが、本当に誰にも分かるように簡単に紹介していたのです。
しかもそれは紫陽花が何年も捜していた答えでした。
オゾンの破壊や水質の汚染、砂漠の増加や酸性雨などの例をあげたらきりがない環境問題などから人類を救う方法は本物だという事が紫陽花にも理解できたのです。
ですから紫陽花はそれからしばらくは船井信者でした。
つぎつぎと船井先生の本を読んでいった訳なんです。
紫陽花にとっては本当に楽しい時期でした。
というのも船井先生はMGに講演した時に、よほどMGクルーが気にいったのか森宮シニアに「自分をMGの顧問だと思ってくれてもいい。何でも相談して欲しい」といってくれたそうです。
そんな事もあってMGクルーの中で船井先生は流行し、紫陽花の短かなクルーも船井先生の本を読むようになりました。
準備30号で紹介した富士会や他の省圏でも特に若手の人は船井先生の本を読むようになって、紫陽花は本当に嬉しかった事を今でも覚えています。
始めて紫陽花と同じ考えを持った仲間ができたというか、一体このMGという組織は何なんだ。
これだけ多くの人が船井幸雄の本物を理解できるなら、MGは絶対に成功する。
お金だけでない価値感をもっている本物の組織にMGはなれる。
はっきりいってMGに参加している素晴らしい同志なら世の中を救えると確信できたのです。
残念ながらその船井先生とは6・17事件以後、今も顧問だと思っていいのかは分かりませんが、それでもまんざら関係がない訳ではありません。
船井総研の中にはもちろんMGを知っている人は何人かいますし、注目もされています。 最後の縁がなくてMGに参加していないのか、参加して貰っているのかは紫陽花には分かりませんが、かならず本格的に組む時が来る。
紫陽花はそう信じているのです。
また内のクルーの中にはとんでもない人も多くいます。
船井幸雄が紹介する本物と親しい人なんかはざらですし、まだ紹介されていないけど紫陽花が本物だと思える人も多いです。
ですから紫陽花達MGクルーと船井先生は間接的には関係がありますし、紫陽花はそういったクルーの縁で船井先生に直接会って、色紙に一歩一歩と書いて貰った事もあります。
その時の印象は本当に人相がいいというか、にこにこしている人物ですが、紫陽花はこの船井先生ならいつかMGを応援してくれる。
紫陽花達の事も本に書いてくれるのではないかと期待しているのです。
しかしその反面誤解するのでいけませんので書きますが、船井先生はよくMGの事を理解しており、ある人によるとここはいけない、本物ではないと思う所もあるそうです。
それに船井先生自身高度情報社会と呼べるものを本を読むかぎりでは、あまり買ってはいません。
いえ正直にいえばこれからの世界は高度情報社会にはならずに本物社会になるというのが船井先生の考えです。
ですからMGと船井先生はある意味でも進む方向が違っているのかもしれません。
最後の目的地は同じですが紫陽花達MGクルーはまず高度情報社会が来てその後すぐに本物社会になると考えていますが、船井先生は違うからです。
紫陽花には多くの人がすぐにはサイババや知花先生のように、テレパシーで話ができるようになるとは思えないですから、テレビ電話などの技術はこれからの社会に取って必要だとは思いますが、船井先生の考えも無視はできません。
船井先生の考えがどうなのかはまだまだ紫陽花には勉強不足ですが、船井先生はある人によると10年くらい前にMG的な発想の事業をやろうとしてうまくいかなかってやめたともいいますから、相当な考えでいっているんだと思うからです。
また実際にそんな事をいっているのは船井先生以外にもいるというのも事実です。
日月神示なのもそんな感じですし、紫陽花の知っている本物の先生もあまり高度情報社会に関心のない方もいます。
ですから紫陽花自身未来の事を分かる力がある訳ないので、これに関心しては正確の事は分かりません。
もしかしたら未来は紫陽花達が理想としている形の社会にはならないのかもしれません。
でも紫陽花はそれでも絶対MGは成功すると思います。
MGのいっている事がすべて間違っているなんて考えられないし、MGが成功するという神様も多くいます。
そして何より船井先生でもたった1つの小さな縁で、あっという間に受け入れられる素晴らしい同志が多くいるかぎり、間違っていたら簡単に方向を変える事ができるからです。 今後の紫陽花達MGに期待しておいて下さい。
ではこれで。・・・・・・・・・・・・・
平成7年5月5日