縁の花

      (本物を目指して心のネットワーク)

      第32号

    縁とは
 
 人生にはかならず2回か3回大きなチャンスが訪れるといわれています。

 あの時こうしておけば大成功したのにという事があるといいます。

 しかもそのチャンスは誰にでも平等に訪れるといわれています。

 たぶん皆さんも聞いた事があると思いますが、チャンスとはそういったものだそうです。 またそのチャンスは前髪だけで後ろははげているともいいます。

 後で気が付いて捕まえようとしても後ろは髪の毛がないので、すべってしまって掴む事はできない。

 そういわれていますが、今の紫陽花にはそれがよく分かります。

 紫陽花にとってその最初の大きなチャンスは、MGと出合った事になりますが、まさしくその瞬間に髪の毛を掴まなかったらMGと共に今同じ道を歩いてはいません。

 あの時MGのMISを聞かなかったら、たぶん紫陽花は今になっても皆さんと同じようにマルチメディアという言葉を聞いても、その本当の意味に気が付かなかっただろうし、何よりも紫陽花がMGに誘って貰えたのは、後にも先にもあの時だけです。

 ちょうど皆さんのほとんどが紫陽花以外の人物からMGという名前を聞いた事がないように、紫陽花も別の人にMGの事で誘って貰った事は、この4年間一度もありませんからチャンスは1回きりだったと思います。

 それで紫陽花の人生のほとんどが決ったのです。

 チャンスというものは実に恐ろしいものだと思います。

 じゃこのチャンスというものは一体その正体は何でしょう。

 なぜ後ろがはげているのでしょう。

 紫陽花は今までそんな事を考えた事はないんですが、今、その答えが分かった気がします。

 そのチャンスの正体は縁ではないのかと思うのです。

 だってチャンスというものは自分一人で決して作り出す事はできません。

 かならず人を通してやってくるものだからです。

 例えばあの紫陽花が尊敬してやまない坂本竜馬ですが、彼の大きなチャンスとは勝海舟との出合いだといわれています。

 竜馬は一説では友人の千葉重太郎と一緒に勝海舟を斬りに行こうとして、反対に弟子になったという面白い男ですが、この勝海舟との縁が後の竜馬に幸運をもたらしました。

 自分を斬りに来たただの浪人の竜馬に、西郷隆盛や松平春獄などの殿様を紹介した勝海舟も勝海舟ですが、そのチャンスを活かした竜馬も竜馬です。

 土佐藩を脱藩して何もバックがないのに、その後の竜馬があれだけの活躍ができたのも、持っている幅広い人脈の為ですが、竜馬という人物は実に、その時その時にあらわれた縁を上手に活かした訳ですが、この事からも紫陽花はチャンスとは結局人との縁だといえると思うのです。

 またそう考えれば後ろがピカピカにはげているというのも分かります。

 何しろ縁とは人間関係が基本です。

 最初にじゃけんに扱ったら、その人は2度と来ない可能性がありますし、何しろ人は、いつ来るのかまったく分かりません。 

 まさか勝海舟を斬りに行こうとした竜馬が、勝海舟が幸運を運んでくれるなんて予期しているはずがありませんし、紫陽花の場合も同じです。

 MGのMISを聞くまで、紫陽花はマルチメディアに対してまったく関心がありませんでしたし、自分がそれに係わるなんて夢にも思いませんでした。       

 それが突然ある人を通してやって来てのですが、紫陽花にそれが予測できるはずがありません。

 だって人間は明日の事は分かりません。

 正確に明日誰と誰に会って、その人がどういう人物なのか、百パーセント分かっている人物なんかいる訳ありませんから。・・・・・・

 これがチャンスといわれるものの正体だと思うのです。

 だから縁とチャンスといいますし、一度逃がすと二度と掴めないのです。

 じゃ次に、その縁と呼ぶべきものですが、これはすべて偶然でしょうか。

 坂本竜馬は偶然勝海舟に会って、明治の3大偉人になったのでしょうか。

 皆さんはどう考えますか。

 紫陽花は竜馬は竜馬になるように最初から決っていたんだと思います。

 いいかえるならあの時竜馬は勝海舟に最初から会えるように、仕組まれていたと思うのです。

 仕向けた人物がいると思うのです。

 それが神と呼んでも天と呼んでも構いませんが、もっと次元の大きな存在です。

 それが紫陽花がいうこの世に起こる事はすべて必要であり、必然であり、ベストだという事です。

 竜馬はあの時に勝海舟に会う必要があり、かならず会うように仕向けられ、それが竜馬にとってはベストの状態になるようになっていたのです。

 これが縁というものの基本的な法則です。

 よい事にしろ、悪い事にしろ、最後にはベストの状態になるようになっているのです。

 そしてそれは皆さんにとっても大切な事なので、これから是非覚えておいて欲しい言葉です。

 なぜならそれを知っていたら、たぶんこれから何が皆さんにおこっても、生きる支えになると思うからです。

 というのも、どんな難しい問題でも、どんな困難でも、天と呼ぶものはかならずその解決策を与えてくれているといわれています。

 縁によってです。

 その問題点の答えを持っている人や、解決できる力のある人を派遣してくれる。

 会わせてくれるのです。

 が、多くの人はそれに気が付きません。

 かならず答えを持っている人があらわれるなんて思っていませんから、ついついそのチャンスを逃がしてしまいます。

 その問題点をその人に尋ねたら答えてくれるのに聞かなかったり、頼ったらいいのに頼らずにみすみす逃してしまいます。

 何しろその答えを持っている人物も、聞かれるまではその人の悩みが何なのか知りません。

 知っているのは天のみです。

 だから人との縁は大切にしないといけません。

 例えばこの縁の花だって紫陽花は何でもないように書いていますが、それが読者である皆さんの誰かに取っては大きな答えになっているかもしれません。

 実際に悩んでいた時に本を読んで目覚めたなんていうのは、皆さんも経験があるかもしれませんが、これなんかは天が本という出合い、縁を与えてくれたのです。

 少なくても紫陽花はそう思っていますし、きっと皆さんに縁の花を書かして頂けるという事も意味があるだと思って書いています。

 ですから縁の花が、今は皆さんに取って意味がないように思えても、皆さんと直接会う事はなくても、本当に必要な時はばったりどこかで会うかもしれませんし、必要な時は会えると楽しみにしているのです。

 またこの縁には他にも類は類を呼ぶという法則もあります。

 これはこの世の中で仲間になる人は、同じような考えを持った人が集まっているという事です。

 不思議とこの法則も生きています。

 例えばMGです。

 MGにも類は類を呼ぶ法則は活かされています。

 MGに入る人というのは、さはり紫陽花と考えの似た人が多いです。

 マルチメディアや本物が分かる人や、世界経済や環境の問題に関心のある人がほとんどですし、なによりも日本やいろんな人の為に何かをしたいと思っている人です。

 さはりそういった人しか、新しいもの好きな人しかMGには入らないようになっているみたいです。

 ですから皆さんがMGに付いて判断したいのであれば、ある意味では紫陽花で判断して貰っても構いません。

 紫陽花と気が合う人がMGには多いからです。

 それは皆さんも自分の会社や何人かの親しい友人で考えれば分かると思います。

 やっぱり自分に似た人が同じ課でいますし、友人で長い間いるという事は自分と波長があうという事です。  

 世の中は不思議ですが、そうなっているのです。

 そしてそう意味で考えるなら、MGは一体どんな類の集まりですかといわれたら、紫陽花は志士の集まりですと答えられると思います。

 薩摩や長州、土佐の志士が集まって最後に大きな組織になったように、MGも全国から志士になれる人が集められています。

 天によってそういう人が、今、縁の花を読んでいる皆さんのように、いろんな方法で、多くの同志によって集まっているのです。

 しかもそれは紫陽花は全然分かりませんが、前世があるとしたら、もしかしたら関係あるかもしれません。

 前世で家族や親しい友人だった人は、この世でも同じ時期に生まれ変わるといいます。

 この世でも縁のある親しい友人や家族になるケースが多いそうです。

 もちろん紫陽花はこういった前世を見た事もないので、半分ぐらいしか信用していませんが、そうだといいなあとは思います。

 その方が面白いですし、何よりそう考えた方が人との出合い、縁を大切にできると思うからです。

 この人には前世でもお世話になったんだと思ったら大切にできるでしょう。

 それにこの前世は紫陽花の知っている多くの本物の先生も間違いなくあるといいますし、実はMGクルーの中には前世でも関係があった、きっと志士達の集まりなんだと信じている人も多いです。

前の時、志士として時代が変わった事が分かっていたから、見ていたから、人よりも先に今度も時代が変わる事が分かるんだという事です。

さあ真相はどうでしょう。

もし前世があるのなら死んだ時に答えがあの世で分かるのでしょうが、紫陽花はまんざら違うとはいいきれないと思います。

だって確かに内のクルーの中には凄い人物はいます。

西郷隆盛や坂本竜馬に匹敵するといえば嘘になりますが、それでも紫陽花が今まで会った多くの人物の中で、今の皆さんでも比較にならないぐらい凄い人です。

特に森宮シニアや原先生、大淵先生なんかは、幕末に生れていたらきっと名のある志士になったと思いますし、紫陽花自身もまた前世ではたぶん志士の一人だったのではないかと心のどこかでは思っています。  

だってその方がカッコいいでしょう。 

ではこれで。・・・・・             

                   平成7年5月20日

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