縁の花
(本物を目指して心と心のネットワーク)
第63号
競争社会
競争という言葉があります。
皆さんはこの言葉が好きですか。
それとも嫌いですか。
いえ、皆さんは競争する事自体が好きですか、嫌いですか。
人が人と争う事がです。
それとも、そんな事を考えた事が一度もありませんか。
残念ながらも紫陽花には分かりませんが、一度機会、縁があったら是非皆さんとゆっくり話してみたいと思います。
一体、競争という概念が、今の社会に必要なのか、必要でないのか。
皆さんの意見を聞いてみたいのです。
というのも紫陽花は今、よく競争に付いて考えます。
競争する事は果たして善、正しい事なんだろうか。
そんな事をついつい考えてしまうのです。
しかし紫陽花がこんな事を考え出したのは、4年ぐらい前からです。
船井先生の人間の研究という本を読んで、始めて本物という考えにふれる間では、そんな事は考えた事もありませんでした。
何故なら紫陽花が生まれた時から競争するのは当たり前でした。
今ほど酷くはないと思いますが、受験競争はありました。
紫陽花は今から考えれば幸いの事に、この受験競争の勝者にはなれませんでしたが、いい高校や大学に入りたかった事は覚えています。
いい高校に入れなかった事はやっぱり悲しかったです。
また、社会人になってからも競争するのは当然でした。
特に紫陽花が選んだ仕事は営業ですから、他の会社や会社の同僚と戦うのは当たり前です。
きついノルマは達成しないといけないとずっと思っていたのです。
でも船井先生はそんな紫陽花の考えを一発で変えてしまいました。
忘れもしません。
船井先生はあの頃の紫陽花に、分かり易い理屈というか、理論で、競争の空しさを教えてくれたのです。
それは競争社会では、決して誰も幸せになれないという事です。
これは皆さんも考えたら分かりますが、例えば、IBMとかトヨタ自動車という会社があります。
世界や日本を代表する会社です。
5年前ならどんな人でも入りたいと思って憧れた会社です。
が、そんな会社でも将来どうなるか分かりません。
コンピューター業界にしろ、自動車業界にしろ、競争が激しすぎて、ちょっと戦略や戦術を誤るとすぐに業績が悪化します。
IBMがコンピューターの小型化、パソコンの波に乗れずに赤字を出したのは2、3年前の事ですし、日本で一番儲かっていたトヨタ自動車も円高などで、今は昔の面影はありません。
わずかの間に誰もが認める1番の会社ではなくなったのです。
しかしそれでも、ももちろIBMにしろ、トヨタ自動車にしろ今でも大企業です。
でも紫陽花は、少なくてもそこで勤めている会社の社員が幸せかといえばもの凄く疑問です。
というのもIBMがもの凄いリストラを実施したというのは有名です。
その効果で今年は黒字になったそうですが、雇用を守るといわれていた日本IBMでも沢山の中年社員がリストラの嵐で会社を辞めていきましたし、世界に誇る日本の自動車産業もおかしくなっています。
マツダがフォードに吸収されたのはつい最近の事ですが、これからマツダにリストラがおきる可能性があるのではないかと多くの社員を不安にしています。
もしそんな事になれば、日産やホンダやトヨタ自動車でもリストラが起こります。
他の会社もマツダに負ける訳にはいかないので、必要でないと思う社員をどんどん切っていく可能性があります。
アメリカ流のリストラが自動車業界だけでなく、日本の全産業に広がるかもしれないのです。
紫陽花はそうなったら、日本でもこれから欧米諸国並の大量の失業者が、いよいよ出て来ると思います。
が、これは決してひとごとではなく、皆さんやすべての日本人にもいえる事です。
何故ならIBMやトヨタ自動車で働いてる社員にでも、何年後にもどうなるか分からないのであれば、日本にある民間企業に勤めている社員で、絶対に自分は大丈夫だといいきれる人はまずいないと思います。
オーナーの一族でもないかぎり、誰もおれは首にならないとはいえません。
その業界が一時は証券会社や不動産会社のように儲かっていても、そんなものはすぐに変わります。
それだけ競争というものが、今の時代は激しすぎます。
今の3年は、昔の30年から50年に匹敵するといわれ始めてからもうだいぶたつような気がしますが、それは企業間の競争の世界では特にいえます。
どの企業もとにかく相手の企業に勝てという事で必死に競争していますが、結局それは多くの社員を幸せにはしないのではないか。
特にバブル崩壊以後、誰もが余りにも激しい競争の為に、自分の会社や自分に対して、将来にもの凄く不安を持っている。
これではサラリーマンで本当に幸せの人はいない。
紫陽花はそういいきれると思うのです。
が、紫陽花がこんな事をいえば、この縁の花の読者の皆さんの中にもきっと反論する人がいると思います。
「確かに競争は大変かもしれないが、それは必要なんだ。もし競争がなかったら、日本の企業はここまで大きくなれなかっただろうし、誰も努力をしなくなる。競争があるから誰もが負ける訳にはいかないと努力するから進歩もする。結局それが人類全体の幸せにもなるんだ」
ときっと中にはいう人がいると思います。
紫陽花はそういった考えを持つ人がいても当たり前だと思います。
いえ、そう考える人の方が圧倒的に多いと思いますし、それが間違っているとも思いません。
紫陽花自身も長い間そう考えていたからです。
というのも紫陽花は高校生から大学生の時に、花と という作家のドラマが大好きでした。
皆さんもドラマの題名を書けば分かると思いますが、どてらい男とかあかんたれ、細腕繁盛記というような根性もんです。
最初は何もない人物が、知恵と努力と多くの人との縁で支えられて、ライバルとの競争に勝って、最終的には大成功するという物語です。
どてらい男は日曜日の午後9時から10時まで、あかんたれは昼の1時半から2時まで長い間放送されて結構視聴率があったので、きっと皆さんも一度や二度は見た事はあると思います。
紫陽花はそれが100パーセントの正義で正しい事だ。
人生はそういったもので、紫陽花自身もいつかそんな人生を歩きたいと思っていました。
それをずっと疑った事もなかったのです。
たぶん今から考えたら紫陽花は、普通の人よりも競争は善だと思っていたと思います。
だから競争は正しい事だと思っている多くの人の考えは理解できるつもりです。
でもそんな紫陽花も本物を知ってから、ちょっとだけ考え方が変わりました。
その紫陽花の考えを皆さんに述べますと、紫陽花は今も猛やんや秀松の生き方は好きですし、今の紫陽花を支えてくれていますが、それでもドラマに出て来る悪役の人を含めて、最初から仲良くやれたらいいのに。・・・・
そうすれば店や会社は、もっと早くから成功して、2倍も3倍も最終的には大きくなったのではないか。
紫陽花はそう考えています。
だって花と のドラマではライバルがいるから、競争相手や、主人公をいじめる人間がいるから、主人公は鍛えられて大きく成長していくとなっていますが、紫陽花にはそう思えないからです。
むしろ競争する事によって、戦う事によって無駄なエネルギーを使って、デメリットばかりではないか。
紫陽花はそんな気がするのです。
だから紫陽花はもうこの頃は誰とも競争しない事にしました。
職場でも、MGでも紫陽花にはライバルといった人はいませんし、人と争う事自体が嫌いになっています。
人と争う事で人間として成長するなんて紫陽花にはとても思えないのです。
また紫陽花は日本企業が競争する事で、ここまで大きく成ったという事にも疑問を感じています。
何故なら日本は今、欧米にはアンフエアーの国だと思われています。
日本は自国の市場を開放しない国だと思われているのですが、これはある意味では正しい事です。
海外では激しい競争をしている日本企業も、国内では保護されています。
日本で買う商品は農作物だけでなく、電気製品なんかも高いといわれていますし、海外から物が入らないように長い間保護していました。
日本は何でも競争していたから成功したのではなく、むしろ逆に国内では業界同士で適当に談合していたから成功したのではないか。
ある意味ではそういえると思いますし、今、日本企業がなかなか立ち直れないのも、冷戦以後欧米だけでなく、中国やアセアンといったアジア諸国を含めて、世界中の国と競争しないといけなくなったからだとも思います。
その競争が激しすぎて、売り上げがあっても利益が得られない。
何しろ日本は人件費が高くて、諸外国に比べて圧倒的に不利です。
これが日本経済がなかなか回復できない大きな原因だと思います。
が、紫陽花が皆さんに競争で考えて欲しいのは、そういったことだけではなく、次に話す環境問題に付いてです。
というのも実は、環境問題がここまで悪化した大きな原因に、企業間の激しい競争が考えられます。
どの会社もライバル会社に勝てという事で、シェアーを上げる為にあの手、この手と打ちます。
でもこれが地球という目で考えれば殆どいい事ではありません。
今の工業社会で相手に勝つというのは、はっきりいってどうしたら今以上に物が売れるかを考えるという事です。
もっともっと物を大量に生産して、相手よりも安く販売する。
企業の頭の中にあるのはその事だけです。
これでは地球にいい訳がありません。
企業が消費者の為といって競争するのは価格が大部分で、環境問題なんて二の次だからです。
むしろ環境問題なんかを考える会社は、今の社会では競争に負けてしまうのです。
紫陽花はこの事が結局人類を幸せにしないと思います。
だっていくら競争に勝っても、地球がなくなったら何の意味もありません。
競争が人類を幸せにするというのは間違っていると思うのです。
でも紫陽花がそんな事をいえば、皆さんの中には
「それでも競争は必要だ。今の官僚を見て見ろ。大蔵省や厚生省にしろ、競争がないとあんな無責任な組織になってしまう。JRだって民営化したからサービスがよく成ったではないか。競争はやっぱり必要なんだ」
という人がいると思います。
紫陽花はそんな人の意見には大賛成です。
確かに役省の人を見ていても、あまりにも能率が悪すぎます。
それで国民である我々に迷惑を掛けないのならいいですが、そうではありません。
行政改革なんか一向に進まず、税金を増やす事しか考えません。
競争がない社会が、こういった人達を生み出すのであれば、紫陽花は競争は必要だと思います。
紫陽花はまるっきり競争が駄目だといっている訳ではないのです。
むしろまったく競争がないというのも問題だと思うのです。
ですから紫陽花は、3社から5社はどんなものでも必要だと思います。
1社が何でも独占するなんていうのは絶対に間違っています。
例え大蔵省といえども民営会社にして、紫陽花は絶対に分ける必要があると思います。
ただそういっても同じ役省が何個もあるのも問題です。
多すぎても絶対にいけません。
紫陽花は単純にすべての役省は3つないし、4つに分けたらいいと思っていますが、皆さんはどう思います。
この紫陽花の政府改造計画の考えはいつか皆さんに話せる時が来たら話したいと思いますが、そんなことよりも紫陽花が是非皆さんに考えて欲しい事は、これからの社会はもう競争のない社会にしないといけないのではないかという事です。
そうしないと人類だけでなく、地球上のすべての生物も、地球自身も決して幸せにはなれません。
もうそんな馬鹿らしい事はそろそろやめにしたい方がいいと思うのです。
しかしでは、そんな競争のない社会が、紫陽花がいっている高度情報社会かといえば、そうですとはいいきれない部分もあります。
何故ならコンピューターの世界程、競争の激しい世界はないといわれています。
マイクロソフト社やインテルといった会社の名前を聞いた事が皆さんもあると思いますが、この二つの会社がコンピューターの世界を支配するなんて、10年前なら誰も予想できなかったと思います。
それが急速に伸びて、あっという間に大成功しましたが、そんな世界も長くは続かない可能性があります。
インターネットの世界ではジャバといわれるものが出て来て、マイクロソフトを脅かしています。
それぐらいコンピューターの世界は日進月歩の為に息が抜けません。
ベンチャー企業があっという間に成功しますが、反対に消えてしまうのも、コンピューター業界なんです。
しかも高度情報社会になれば、人間の才能がある、才能がないが、今よりもっと鮮明に出てしまうといわれています。
例えばデザイナーの仕事であれば、才能のある人には何社も仕事の依頼がありますが、ない人にはまったく来ません。
そういった才能のない人が沢山出てしまうのが、高度情報社会だと一部の人達にはいわれているのです。
だから紫陽花も高度情報社会は競争のない社会だとは残念ながらいいきれません。
反対に今よりももっと競争が激しくなって、大量の失業者を産む大失業時代かもしれないのです。
しかしそれでも紫陽花や、紫陽花達MGの理想とする高度情報社会は、あくまで競争のない社会です。
紫陽花はそういった社会、すべての人が幸せになれる本物の社会を、多くのMGクルーと創りたいのです。
またそれができる根拠もあります。
というのも紫陽花達、MGにはライバルがいったものが存在しません。
今、ネットワーク事業は商社からコンピューターメーカー、CATV会社などが、21世紀生き残る為に必死で競争していますが、紫陽花達とは大きく違います。
どの会社も利益だけで、MGのように福祉や環境の為に、しかも市民の草の根運動で、ネットワークを創ろうとしている所なんてありません。
だから紫陽花達MGと他の会社とは根本的に違いますので、本格的に争う必要はないではないかという気がしますし、その対策も考えています。
だって競争のない社会を創ろうとしている紫陽花達MGが、よそと争っていたら話にならないからです。
が、そんな事よりも紫陽花が皆さんに是非聞いて欲しいのは、もしMG構想、家庭に600万台、職場に200万台の端末を普及させる事ができたら、紫陽花達はそのネットワークに入るすべての企業から競争を取り除く事ができるという事です。
これがどれだけ素晴らしい事か、皆さんは分かりますか。
紫陽花達のネットワークの中には、情報だけでなく、ありとあらゆる物が入ります。
車、タイヤ、ビデオ、エアコン、食品、おもちゃなど・・・・・
今のスーパーや百貨店、専門店にあるものは全部です。
でもMGはこの中で今までの常識になっている、値段の競争をさせるつもりはありません。
同じ商品を造っているS社とK社があれば、S社が800円ならK社はもっと安くしろというつもりはないのです。
いいかえるならMGが競争させる気に成れば価格破壊をする事なんて簡単ですが、逆に競争しないようにする事も可能です。
値段が安い方にこした事はありませんが、メーカーに十分儲けさせて、それで福祉や環境に貢献するように指導する事もできます。
必要なら値段をあげて、その分生産を減らしても、十分利益が得られるようにして、車などの物自体を減らす事もできますし、紫陽花達のネットワークの消費者を値段だけで走らないように教育する事も可能です。
もし紫陽花達がそれをできたら、民間企業から競争がなくなると思います。
紫陽花はそんな社会を夢見ているのです。
しかしもちろんそれで民間企業の競争が完全になくなるかといったらそんな訳はありません。
たぶん完全に競争といった概念を消すには、こういった紫陽花達のMG構想よりも、まず一人一人の身に付いた競争は善だとか、必要なんだという考え方を改める必要があると思います。
本物流にいえば、「どんな人でもこの世では天から与えられたそれぞれの役目がある。だから人は人生というドラマの役者で、一人一人が主人公。日本の首相や大臣を勤める役者も必要なら、公園を掃除する役者も必要。どの役者が消えても大きな時代というドラマは成立しない。すべての人にまったく同じ価値がある」という考えです。
又、経済でいえば、今、流行のインドの経済学者、ラビ・バトラー博士がいうように、米国のようにわずか上流階級の1パーセントの人が40パーセントちかくの国の富を握ったりする世の中は間違っています。
日本でも1パーセントの人が25パーセントぐらい持っているそうですが、これは改める必要があります。
が、そんな世の中にする為にも、最初の第1歩としての具体的プラン、構想はMGは決して間違っていないと紫陽花は思います。
皆さんはどう考えますか。
では皆さん今後も合縁で。・・・・
平成8年4月29日
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