縁の花
(本物を目指して心と心のネットワーク)
第70号
瞑想
瞑想という言葉があります。
この言葉に皆さんがどんなイメージを持っているかは分かりませんが、中にはいいイメージを持っていない人もいると思います。
オームの事件以来、何か瞑想や修業といったら悪いイメージがあるからです。
でも紫陽花はその瞑想をできるだけ夜寝る前に実施しています。
時間でいえば調子のいい時で20分ぐらい、なかなかできない時で30分ぐらいですが、電気を消して一人でやっているのです。
が、だからといって決して危ない奴だとは思わないで下さい。
紫陽花は自分が瞑想をしているからといって、他人に無理に勧めるつもりはありませんし、皆さんに対してもそうするつもりです。
ただそれでも紫陽花は瞑想に対する紫陽花なりの正しい考えを皆さんに是非知って欲しいとは思っています。
というのは実は縁の花を書き始めた時から紫陽花は、瞑想の事を書きたくて書きたくて仕方がありませんでした。
いつかかならず書いて、皆さんに瞑想の重要性を知って欲しかったのです。
何故なら山梨の清里の知花先生は、瞑想を通してでないと、決して宇宙意識とは一体になれないといいます。
本物の人物にはなれないというのです。
それぐらい瞑想とは重要なもんなんです。
瞑想をしないと決して天国、霊界には帰れないとさえいわれているのです。
だから紫陽花は知花先生に始めて会った3年ぐらい前から、瞑想をやっていますが、もうそろそろ紫陽花なりに分かって来ましたので、今後、皆さんが紫陽花の瞑想に対する情報で、どう判断するか分かりませんが伝えるだけは伝えておきたいと思ったのです。
しかしそうはいっても、ここで皆さんに注意して欲しいのは、この瞑想は間違ったやり方でやると大変危険だという事です。
知花先生はその事を何度も繰り返していっていますが、皆さんにも注意して欲しいと思います。
やるのなら正しいやり方でやって欲しいのです。
が、じゃその正しいやり方とは一体どんな方法かといいますと、紫陽花もまだ勉強段階で、皆さんと一緒に勉強していきたいとは思いますが、一言でいうと何も求めないという事です。
オームのように瞑想中に光や神様のようなものが現れるなんていうのを求めてもいけませんし、ナポレオン・ヒルに代表されるような、金銭や物や成功を求めるといった、潜在意識を使う能力開発のようなものも瞑想中は避けた方がいいのです。
だって天は決して瞑想中に現れる事はないからです。
ですから瞑想中に何かを見たという人は天ではなく、幽霊のようなものに憑依されたと思ったら間違いないですし、潜在意識を利用して、何かの夢を実現させるのも結局は、普段の生活でお金持ちになりたいとか、車が欲しいと思っているのと同じように意識が外に向いている事になります。
これでは瞑想の目的が達成されないのです。
というのも確かに人間の思いは実現されますから、瞑想中に何かが起こって欲しいと願って瞑想したら、何かが憑依して実現しますし、お金や地位を得られた自分を強くイメージしていたら実現する可能性は高いですが、瞑想とはそういった目的でするものではないからです。
瞑想とはあくまでも内観する事、意識を内に向けないといけないのです。
すなわち自分が無限の存在である事。
自分が神である事。
それだけを念じて、神に一心集中しないといけないのです。
これが紫陽花が知花先生に教わった正しい瞑想なんです。
だから瞑想はある意味では難しい事はありません。
自分が神や仏だと思っていたら、人間の思いはかならず実現しますから、神の波動が出て、神に近づく事が可能だからです。
そうすれば神も瞑想をしている人に、もっともっと近づいてくれるのです。
ですから瞑想にはいろんな団体や宗教団体がいうようなテクニックや、いろんなトレーニングをする必要はありません。
ただ目を閉じて、意識を内に向けて、自分が神だと思ったらいいからです。
が、こんな事を書いている紫陽花自身、ではこの瞑想をちゃんとやれているかといったら、正直いってできていません。
皆さんもやってみたら分かると思いますが、瞑想をするといろんな思い、概念が内から生まれて来て、我神なりと念じていても、1分か2分ぐらいしか持たないのです。
だから紫陽花は、紫陽花なりに、岩谷式の天をイメージできるものを持っています。
それを毎日できるだけやっているのですが、それを今から皆さんに披露したいと思います。
瞑想をしてみようかなと思う人や今、実際にやっている人の何かの参考になればと思っているのです。
ただしそうはいっても、紫陽花は瞑想はその人が自分に合っているやり方でやったらいいと思っています。
これはピラミット瞑想という大きなピラミットの中で瞑想を多くの仲間とやっている、ゲン・インターナショナルの林先生がいわれた事ですが、自分式の瞑想で各自が、基本の線にそって好きなようにやったらいいのです。
ですから皆さんも自分なりのものをやったらいいと思いますし、紫陽花のやり方が正しいともかぎらないので皆さんもそのつもりでいて下さい。
何故なら紫陽花自身、自分のやり方が100パーセント正しいと思ってないからです。
だから瞑想をしている人に、紫陽花の方こそいろんな意見を聞きたいし、この縁の花には知花先生の元で、紫陽花なんかよりももっと瞑想をしている人も何人かいます。
実は今回の縁の花は、そんな人にいろんな事を是非教えて欲しいと思って、紫陽花自身楽しみに書いているのです。
どうか返事をよろしくお願いします。
紫陽花式瞑想
まず紫陽花の瞑想は、河内哲先生に教わった「先生、有縁の死者霊を救わせて下さい」という言葉をいいながら金沢にいる河内先生に意識を向ける事から始まります。
そうすれば意識は瞬時に河内先生の元に届き、河内先生が有縁の死者霊を救ってくれると教
わっているのですが、そうすると次に紫陽花は、紫陽花の縁を頼って、目には見えなくても空間にたくさんいる幽霊、有縁の死者霊の事を思って上げます。
というのも紫陽花は瞑想を自分だけでなく、有縁の死者霊とも一緒にやっているつもりです。
残念ながら紫陽花にはそんな有縁の死者霊がいるのか、いないのかは分かりませんが、もしいるとしたらきっと瞑想はやりたいと心から願っていると思います。
そんな有縁の死者霊の為に、一緒にやってあげようと思うと、有縁の死者霊達に心の中で幽界で有縁の死者霊の仲間の為にやって上げなさい。紫陽花は現世でするからといいきかせると、「先生有縁の死者霊と瞑想活動をさせて下さい」といい、その後、今度は小林美元先生に教わった災いを避ける方法をやって、やっと始めるのです。
が、その方法は簡単です。
まず電気を消して、座禅を組み、姿勢を正します。
その後、今日一日あった事を思い浮かべ、天に話し掛けます。
今日は、こんな楽しい事がありました。
こんな本物活動ができましたと報告するのです。
ただその報告はいい事ばかりとはかぎりません。
もし人と争ったり、悪口をいってしまったり、怒ったりする事があったら、「またやってしまいました。今後は気を付けます」と素直に謝ります。
その時のポイントとして決してその事を引きずらない事。
悪い事はその日、一日であっさり忘れてしまって、後はできるだけ生かされている感謝を述べて、自分が幸せだという事を認識する事です。
例えば今日は地球村のMMRに参加して、こういった人との縁ができましたというような具合です。
そしてその後、明日のやる活動を簡単に報告して、一日、一日、与えられた事を全力でやる事を誓って、やっと本格的な瞑想活動に入るのです。
その紫陽花の瞑想を今から普段やっているように書いていくとこうなります。
まず紫陽花の瞑想は「我は神なり、我は神なり、我は神の波動成り」と何回か、よく小さい頃に池に石を落とした時に、波が広がっていった姿を思い浮かべながらいいます。
と次に実際その紫陽花のいった波動が、何倍もの大きさで宇宙から帰った来た事を思い浮かべます。
が、何故そんな事をするかといいますと、実はこれは知花先生の教えです。
知花先生は、自分は神だと思うだけで、思いは即実現しますから神に近づけるといいます。
しかも言葉に発すれば石が落ちて、広がった水の波が最後には大きく戻って来るように、自分は神だと発した波動は、4倍の大きさで宇宙から戻って来るといっており、それを実践しているのです。
これが瞑想なんです。
ですから本来はこれだけでいいのです。
これを15分間から20分間、集中して続けられたら瞑想の達人なんです。
でも紫陽花はこれができません。
これだけを集中してやる事が、どうしてもできないのです。
ついつい他の事を考えてしまうのです。
だから紫陽花は紫陽花なりに10段階まで考えた、神をイメージできるものを次々と創造していきます。
が、それをする前に紫陽花は二つのテクニックを使います。
その一つが言霊を使う方法ですが、神の波動を出した後、今度は、「言葉は神なり」「言葉は意志成り」「言葉は最初なり」「言葉はすべてを実現する成り」と4つの言葉を紫陽花はいいます。
というのも言葉には意志、いった事を実現させる力があり、これから紫陽花が心の中で思った事はかならず実現するよと潜在意識に命令しているのです。
そしてその後紫陽花はもう一つのテクニック「瞑想は一心集中成り」「我は神を思い続ける成り」といい、「神様、神様」と呼びます。
そうすれば神様が近くまでやってくる。
天は呼び掛けないかぎり来てはくれないと神谷先生から教わったのですが、そう呼ぶ事で神を意識し、身近に感じる事ができます。
だから紫陽花は神に一心集中もしやすくなれるので、瞑想中に集中力が途絶えたと思ったら、何回でも「神様」と叫ぶ事にしています。
以上の事をすると紫陽花はいよいよ第1段階に入るのです。
その第1段階で、「我は宇宙意志の小宇宙成り」「我の全細胞は、我の小宇宙成り」といって、以前清里で知花先生が見せてくれた、人間の細胞が一つ一つ小宇宙として集まって、それが何兆個も重なって人間ができた絵を思い浮かべます。
そうする事で紫陽花という存在が無数の細胞から集まってできている事を自覚するのです。
そして自覚できると、続けて、「全細胞は我と一体成り」「細胞一つ一つ意志がある成り」「すべては我自身成り」といって、細胞、一つ、一つと自分が結ばれている事。
紫陽花の身体の中にある全細胞とこの瞑想を一緒にやっている事を意識して、今度は、「我は宇宙意志と一体成り」「宇宙意志は我自身成り」と紫陽花の身体の中から急速に宇宙間へと一気に視野を広げます。
紫陽花自身が宇宙意志から見たら、一つの細胞のようにちっぽけな存在だけど、実は全体でもある。
紫陽花が宇宙意識そのものだと思って、次の第3段階へと移るのです。
その第3段階では、紫陽花は知花先生が、人間は大海に浮かぶ一つの泡のような存在だという話を思い出します。
図で書けば下のようになりますが、これを思い浮かべて、
「我は大海の泡成り」「我は大海に帰る成り」「我は光に変える成り」「光に帰った成り」といって、紫陽花の意識てある一つの泡が本来帰る所の大海、光の国に帰った事をイメージします。
実際に紫陽花の意識が、肉体から放れて、光の国、霊界に帰ったと強く思うのです。
そしてその上で、「いい気持ち成り」「我は幸せ成り」と霊界に帰った気になると、
「この世にあるものはすべて意識がある成り」「植物にもある成り、石にもある成り、動物にもある成り」「すべては一体成り」と続けて、「この世は神一元成り」「すべては原子と電子成り」「すべては光成り」「すべては微生物成り」というと、紫陽花自身も原子と電子や光や微生物の集まりにすぎない事。
この世にあるものは全部、原子や電子などの存在でしかすぎない事を強く思います。
光から全部生まれて来ている事を、認識するのですが、それができると、
「すべては宇宙意識成り」「我と一体成り」「我ともつながっている成り」というと、紫陽花はまず部屋にある幸運の木という名前の植物に「我は植物ともつながっている成り」といって植物に意識を向けます。
その植物と紫陽花は本来、同じものだという事。
魂の面から考えれば繋がっていると思い、「今日も元気」なんて話し掛けます。
意識を幸運の木にだけに一心集中するのです。
そしてそれができると「石ともつながっている成り」「いろんなお守りともつながっている成り」と自分の部屋にあるものに意識を向けて、意識の中では部屋にあるものすべてと繋がっている事に認識していき、最後に「すべてとつながっているなり」と意識を、この世にあるもの全部とつながっている事を認識して、第3段階を終えるのです。
が、その次の第4段階では、今度はがらっと一転して、「我は大愛成り」「愛そのもの成り」という所から始まります。
その後「我は愛に満ちあふれている成り」「愛で一杯成り」「愛をどんどん生み出している成り」といって、紫陽花の心の中が愛だけになっている事を認識します。
紫陽花の心の中が愛で一杯で、いっさい憎しみなどがない自分をイメージするのです。
またそれができると、今度は「我は愛や優しさや思いやりをどんどん生み出している成り」「友情や勇気や信頼も生み出している成り」「感謝や感激も生んでいる成り」(ここで神様ありがとうございますと感謝します)「夢や希望や人を尊敬する気持ち」「楽しさや明るさや素直な気持ちもどんどん生まれて来る成り」といいます。
紫陽花の心がつねに愛を生み出している素晴らしい存在だと自覚するのです。
これが第4段階で、それができると第5段階に入るのです。
その第5段階では「愛は光成り」「光そのもの成り」「光で一杯成り」という所から始まり続けて「我は岩戸開き成り」「光の子成り」「光自身成り」と発展させて、その後「我のオーラは白色成り」「我はますます輝いている成り」「我の意識は、神や月に近づいている成り」「宇宙意識に近づいている成り」と進んでいきます。
ここで紫陽花の意識の波動がどんどん上がり、光がましている姿を想像するのです。
紫陽花の身体全体が光に成っている姿を創造するのです。
そしてその後、「我は人間ではない。肉体でもない。個人でもない。我は無限成り、無限成り」と知花先生から清里に行った時に教わった言葉をいいます。
この無限という言葉をいう事で、紫陽花の波動を上げるのです。
しかも紫陽花はそれを紫陽花の身体の中にあるすべての細胞と一緒にします。
「全細胞は我と一体成り」「細胞一つ一つ意志がある成り」「無限という存在に気が付いている成り」「我と共に一緒に光輝いている成り」というと紫陽花の全細胞に一緒に光輝くぞと心の中でいいきかせます。
その後は「無限成り、無限成り」と念仏ように何回か訴えて、自分が全細胞と共にどんどん光輝いているのを意識するのです。
これが第5段階なんです。
で、その次の第6段階ですが、これは「我は大霊成り、我は気体成り」といって、自分が本来は霊である事を意識します。
ここで紫陽花はもう完全に光り輝いている存在に成っています。
自分が大霊という高級な霊の存在だと自覚すると、次の第7段階へと変わります。
その第7段階で、「我は人々に安らぎを与えている成り」といって、自分が創った愛や光をいよいよ外に出します。
続けて「愛をどんどんを出している成り」といって、いろんなものを心から愛します。
まず心配を掛けている両親に心をこめて詫びながらも、今まで育てて貰った事や、生んで貰った事に感謝します。
自分が今、いろんな事があっても幸せだという事を伝えて、いつか知花先生の話を聞いたり、いろんな本物活動をしようねと話掛けます。
心から両親を心から愛し、その愛や波動が両親に届いている姿をイメージするのです。
が、それを基本にして、その後は、どんどんいろんな、縁のあるものを愛していきます。
紫陽花の弟や妹、親戚、縁の花の読者や昔からの友人、MGのシニアや原先生や原所長、MGのすべての同志。
「無限。無限」といいながら、紫陽花の身体から愛や光がどんどん大きく成って、届けていくのをイメージしているのです。
しかもその後も紫陽花の光はどんどん大きく成ります。
今、日本にいる、笑顔共和国や地球村や、沢山の本物の仲間、日本人全体、人類全体、地球上のすべての生物、地球、宇宙へと紫陽花の光は大きく広がっていき、最後には神と創造主へと愛は伝わります。
宇宙一杯まで広がって終わるのです。
が、その後は今度は一変して愛を貰います。
沢山の人から愛されている姿をイメージして、創造主からは、いろんな幸運を送って貰っている姿もイメージします。
それを紫陽花が喜んで両手でつかんでいる所を想像しているのです。
そしてその後、「我は幸せ成り。我に接するすべての人を幸せにする成り」といって、紫陽花は幸せの波動や愛の波動を出します。
普段どんな時でも紫陽花から光や愛が出ており、回りの人を幸せにしている姿を思い浮かべるのです。
以上が第7段階なんです。
でも紫陽花の愛の放出はまだまだ続きます。
第8段階では「我は一体成り」「我は生命の木成り」「我の思いはすべての人類に伝わる成り」といって、人類が一つの木としたら、紫陽花は葉っぱの一つで、全人類と繋がっていると認識すると今度はいろんなもののレベルを上げます。
まず紫陽花の大切なMGですが、「我はMG成り」「我はMGの意識を上げる成り」「MGを本物にする成り」といって、自分のレベルが上がる事で、MG全体の意識が上がっている事を意識します。
そしてその後、紫陽花はこれは正しいのか、どうか分かりませんが、天に完了形でお礼をいいます。
「MGがやっと成功しました。ありがとうございます。これでやっと人類を救えます」
「知花先生、聖徳太子、ブッダ、キリスト、サイババやりましたよ。やっとMG構想を成功させました。これで人類救済ができます。本当に嬉しいです。みんなも喜んでいます」
といって多くの仲間と抱き合って喜んでいる姿を、感情を込めて、本当に感激して今にも泣きそうに成りながらいいます。
バンダイと全員でいっているのです。
が、そこでMGの件は終わりです。
MGの後に、今度は「我は天照大御神成り」「日本人は天照大御神の子孫成り」といって日本人の意識をどんどん上げます。
紫陽花が光輝く事で、日本人全体の意識を上っている事をイメージするのです。
しかもその時に紫陽花の意識は、いろんな人の近くまでいって、いろんな日本人を引き上げています。
いろんな人を引き上げ、最後には他の瞑想を多くしている仲間と一緒に、光のドームを次々と日本から作って、日本という国を光輝かすのです。
これが第8段階なんです。
が、この第8段階で、大きな一つのものが終わりです。
次の第9段階で、まったく新しくなります。
その第9段階は、「我は神の一人子成り」「神は我の両親成り」「父成り、優しい母成り」というと次には、「我は神といつも一緒成り」「我の喜びは神の喜び成り」「我の悲しみは神の悲しみ成り」「神は我に無限の力を与える成り」と続きます。
その後、紫陽花の両手や頭のチャクラーから宇宙エネルギー、気のエネルギーがどんどん入っている姿をイメージします。
実際に紫陽花の身体の中に入っていますが、それが普段どんな時にも入っていると認識するのです。
またその後、紫陽花は次に知恵がわいてくるのをイメージします。
「内から知恵がわいている成り」といって、いろんな知恵が内からわいて来る事を姿を思い浮かべ、この縁の花も天国でいろんな仲間が送ってくれる事もイメージしています。
それを紫陽花がキャッチしながら、一緒に書いているのです。
これで第9段階は終わり、第10段階へと進むのです。
第10段階は、これもがらっと変わって、「しょせんこの世は幻成り」「心が作り出した幻成り」「幻想成り」「人生は心から作り出したスクリーン成り」から始まります。
紫陽花はそういうと紫陽花の人生は、実は紫陽花自身の心が創り出している事を強く意識します。
その後、「我は神と自分の人生をエンジョイする成り」「人生のゲームを楽しむ成り」「我は神の子成り」「我は愛の子成り」「我は光の子成り」「我は幸せの子成り」というと、ここで有縁の死者霊と一緒に、笑顔共和国のある動作を一緒にします。
「私は幸せ」とちょっと変わった事を、心から幸せだなあと思ってするのです。
しかもその後、「我は愛成り」「我はすべてを愛する成り」と続けて、紫陽花は今、生きている人生をせっいっぱい生きて、自分の魂を成長させている姿を創造します。
「この世は人生の道場成り」「我は人の出会い、縁を大切にする成り」「徳を磨く成り」「多くの人から信頼される成り」と続きます。
その後も「一日一善、我は毎日いい事をする成り」「我の波動をどんどん上げるなり」と進めていき、最後に「我は神が与えた一日、一日の課題を全力で達成する成り」で終わります。
自分が毎日しっかり人生の道場を生きる事を誓って、神に約束して第10段階が終わるのです。
そして最後に第11段階へと進んでいきます。
これを「我は神成り」「我は神の宮成り」というと、今度は小林美元先生に教わった天と一体になる方法や、日本を守る方法を行います。
簡単なまじないをいうのですが、これを有縁の死者霊と一緒にやって上げると、最後の段階として、「我は神成り」「我は何でも直感で分かる成り」といった後、紫陽花の第3の目は開いている成りといって、額にある第3の目が開いている事をイメージします。
これでどんな事も分かるといいきかせるのです。
そしてその後、「目は本物の目成り、どんな事も冷静に客観的に見れる成り」
「耳も本物の耳成り、相手は正直に何でも教えてくれる成り」「それをしっかり聞いている成り」
「口も本物成り、天の伝えたい事をいう成り」
「手も本物を探している成り、それをしっかり掴む成り」
「足も本物を求める成り、行動して探し出す成り」
と次々といって、瞑想は終わりです。
後は12段階としては「我は神成り、神なり」といって、神を意識して1分ぐらいで終わるからです。
では皆さん、今後も合縁で。・・・
平成8年8月8日
追伸、瞑想をまったくした事がない方には、ちょっとイメージしにくいと思いますが、これが紫陽花の瞑想です。
3年前知花先生に出会う前は一種のイメージトレーニングをしていましたが、知花先生の講演で本当の瞑想の意味を知ってから全面的に切り替えたのです。
それがどんどん発展して、今の形に成ったのです。
しかも紫陽花はこれを夜寝る前だけではなく、電車の中や仕事をしている時にもしています。
それは皆さんに説明したものをもっと簡単にしたものですが、できるだけ暇があればやっているのです。
しかし紫陽花がこんな事を書けば、たぶん皆さんの中には、何故瞑想をやるのと疑問を持つ人もいると思います。
何の為にそんな事を毎日やるのかと不思議がっていると思うのです。
だからそれを説明します。
何故紫陽花が瞑想をするかですが、もちろんそれは紫陽花の意識をどんどん高め、紫陽花が成長する為です。
自分の為にやっているのです。
が、それだけではなく、実は瞑想は、縁の花の皆さんの為、人類の為にもやっています。
人類を救済の為にもやっているのです。
というのも瞑想の中で説明したように、人類にしろ、すべての存在にしろ、魂というレベルでみたら一つに繋がっています。
全部同じものなんです。
だから紫陽花が少しでも意識をあげたら、人類全体が意識を上げた事になります。
紫陽花が何かを悟ったら、全体が悟った事になるのです。
ですから知花先生を中心とした多くの本物の仲間は、必死でこの瞑想活動をしています。
少しでも瞑想を通して意識を上げたら、かならずそれは全体に波及して、同じように瞑想を通して意識をあげようという仲間が増えるからです。
これを「シンクロニシテイー」とか百匹目のサル現象といいます。
百匹目のサルの話は、以前詳しく縁の花の中で書いた事がありますが、これが瞑想の真の狙いなんです。
瞑想をする事によって、目には見えないけど多くの瞑想や本物仲間をどんどん増やし、ある一定の数まで増やせたら、ある日突然人類すべてが本物になる。
簡単にいえば、これを狙っているのです。
何故ならこれしか人類を救済する方法が無いからです。
この瞑想に比べたらどんなに素晴らしいボランティアをして、何千人を救ったり、何千人の中で講演活動をして、多くの人に環境や人間の生き方を話してもそれはインスタントでしかすぎないといわれているのです。
だから釈迦はそれを「5千人に飯を盛るよりも、5分内観しなさい」という言葉で教えています。
阪神大震災の例を出すまでもなく、どんなに沢山の困っている人をボランティア活動で救っても、それで人は心から目覚めません。
反対に目覚める邪魔をしている可能性さえあります。
またどんなにいい話をしても、ほとんどの場合はいい話が聞けたという段階で、魂まで浸透する事はありません。
それをするには瞑想で、相手に訴えるしかないのです。
それが瞑想が唯一の人類救済だといわれるゆえんです。
皆さんが早く多くの本物の仲間と一緒に真の瞑想に目覚める事を祈っています。
ではこれで。・・・
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