縁の花

       (本物を目指して心と心のネットワーク)

                 第96号

                 もののけ姫

天才宮崎駿監督のもののけ姫が大爆発しています。

 まるで宮崎監督の執念が乗り移ったかのような勢いで、観客動員が1000万人を突破して、あのETを越えてしまったなんて、正直いって誰も予想していなかったと思います。

 宮崎監督の作品ですから、ある程度のヒットは予想されていましたが、この結果はとても神業としか思えないのです。

 ですから紫陽花はこれには何か大きな大きな意味があるような気がします。

 この世に起こる事はすべて必然であり、必要であり、ベストの結果だという宇宙法則を適用するなら、これは日本人や人類に対して何か大きな意味があるはずです。

 天からの大きなメッセージが与えられていると思うのです。

 だから紫陽花も勧めてくれる読者もいたので、慌ててみて来ました。

 たぶん12人に1人はみている計算になりますので、縁の花の読者の中にもみている人は多いと思います。

 しかし結論をいえば、紫陽花には自然と人間は共存できるかというテーマが重いという事もあって、どう感想をいえばいいのか分かりません。

 確かに今までみて来た宮崎作品、ルパン3世カリオストロの城とか風の谷のナウシカ、となりのトトロとは違います。

 よくこんな重たいテーマで、こんな見事な映画を作れるものだ。

 宮崎監督はつくづく天才だと思います。

 が、この作品の評価はやめておきます。

 実際にこの作品に対する評価はよかった。いや全然分からないという二つに別れていると聞いていましたが、映画をみてそうだろうなあと紫陽花自身納得しました。

 それは皆さんが一人一人考えたらいい事だと思います。

 でも一度みる事は勧めます。

 映画ではもう遅くて上映されていなくても、少し待てばビデオがでます。

 是非それをみて、天が皆さん一人一人に何を伝えたいのか考えてみるのも悪くはありませんし、今からそのあらすじを紫陽花の解説入りで書くので、何かの参考にして頂けたら幸せです。

 よろしくお願いします。

 

              もののけ姫のあらすじ

  

 室町時代があります。

 この室町時代は足利氏が政権を中央では握っていた時代になりますが、実はこの時代に人間が持っている自然に対する恐れがなくなったともいわれています。

 というのも平安時代なんかは鬼伝説などというものが京都でずっと信じられていましたし、菅原道真のたたりを恐れて神社を建てて、学問の神様にするように、人の怨みがもの凄く恐怖を与えていたのです。

 しかしそれが鎌倉時代からだんだん薄れ、室町時代には完全になくなりました。

 木を切るとたたられるという考えが無くなり、平気で切られるようになったのです。

 ですが実はこれには司馬遼太郎が書いていましたが、鉄の生産が大きな影響を与えています。

 中国でも韓国でも鉄の生産が急増した時から、森がなくなっているのです。

 そしてそれは実は日本も同じ運命になるはずでした。

 ただ幸い日本は気候に恵まれ、木の成長が早かったので、日本から森林がなくなる危機から免れただけなのですが、この物語になる出雲を中心とした中国地方は特に危なかったのです。

 もののけ姫の物語の場所は、そんな時代に、人間は決して入らなかった境のシシ神がいると信じられていたシシ神の森を中心に起こります。

 この森には、動物も本当に大きく育っており、長い間人間は恐れて入らなかったのですが、エボシ御前と呼ばれている謎の女性をリーダーとした鉄を生産するタタラ師達が入ると、要塞のようなタタラ場を作り、木を切り始めたのです。

 しかもこのエボシ御前はシシ神の首には不老不死の力があると信じる謎の組織師匠連から、シシ神を退治してその首を渡すという事を条件に、40名の石火矢衆という傭兵を連れていました。

 この石火矢衆とは種子島にポルトガルから鉄砲が入る前に、日本にも少し入っていた明の国から入っていた火の槍っという銃です。

 もののけ姫ではこの石火矢衆が主要な武器として登場しますが、他にもいろんな火薬を使った武器が出てきます。

 又この火薬の存在が、実は動物と人間のバランスを崩したといわれています。

 火薬を人類が使うようになってから、森から動物が追い出されるようになったのです。

 だから「もののけ姫」はそんな人間と森を守る役目を持った、人間の言葉を話す犬神、猪神などの動物神と人間の戦いですが、その中の一匹であるナゴの守りという猪神が石火矢衆が放った玉によって深手の傷を負わされた事に対する苦しみや人間に対する怒りから物語は始まります。

 そんな猪神に同じように憎しみや怒りを持った多くの霊が付いて、黒蛇のごとき触手に覆われた巨大な蜘蛛、タタリ神になったのです。

 しかもそんなタタリ神になったナゴの守りは冷静さを無くし、タタラ場からは遠く離れた北の果てにある、昔ヤマトとの戦いに負けて、500年以上もひっそり暮らしたエミシ一族の村を襲おうとします。

 映画もののけ姫は、このシーンから始まったのです。

 が、そんなタタラ神は、王家の血を引く頼もしい青年アシタカによって倒されます。

 アシタカはじいという老人がタタリ神を傷つけたらタタラレルと注意したにもかかわらず、三人の少女の命を守る為に止むなく、二つの眼を矢で撃って倒したのです。

 だけどその戦いでアシタカは右腕を黒蛇にからまれ、痣を付けられてしまいます。

 その上タタリ神はその痣に死の呪いを掛けたので、痣は消えずに、どんどん大きくなり、やがてアシタカの命を奪わってしまう事になります。

 このままエミシの村に居て何もしなかったら死が待っている。

 そんな過酷な運命がアシタカを襲ったのです。

 でも村の老 女のヒイ様は占いを行うと、タタリ神の身体に入っていた大きな鉄の玉を取り出し「西の国で何か不吉な起こっている。何が起こっているのか冷静な眼で見つめる事ができたら、あるいは呪いを断つ方法が見つかるかもしれぬ」とアシタカにアドバイスします。

 アシタカはそのヒイ様の言葉で運命を受け入れてこのまま村で黙って死んでしまうよりも、運命と対決する為に村を出ていく事にしました。

 アシタカの事を慕っている少女カヤを残して、村の掟で誰にも見送られずに、アシタカはずっと共に行動している大カモシカのヤックルに乗ると出ていったのです。

 ところがそんなアシタカを待っていたものはエミシ一族の村とはまったく違った別世界でした。

 村から一歩出たアシタカは戦に巻き込まれてしまいます。

 その時にジコ坊という謎の坊さんを助けたのです。

 又アシタカ自身、お金の価値も分からないので、町にはとても住めません。

 助けたジコ坊と偶然合ったアシタカは、事情を知ったジコ坊から「これよりさらに西へ西へ進むと、山の奥のまた山奥に、人をよせつけぬ深い森がある。シシ神の森だ。ここでは動物も大きく育つという。あるいはここなら」と教えられ、シシ神の森を目指したのです。

 しかしその森に行く途中、アシタカは大きな山犬モロと二匹の子供の山犬、モロに育てられた少女サンと出会います。

 モロ達は石火矢衆が守るエボシ御前やタタラ場の牛飼い達を襲っていたのです。

 だけどそんなモロの襲撃は失敗します。

 モロはエボシ御前の放った石火矢衆の玉を受けて、何人かの牛飼い達と谷に落ちてしまったのです。

 でもモロはエボシ御前がいったようにこんな事ぐらいでは死にません。

 心配したモロの子供二匹とサンと谷底で水を飲んでいたのです。

 アシタカとサンが始めて出会ったのはその時です。

 谷に落ちた牛飼いを助ける為にアシタカは降りると、二人を助けましたが、その時にもののけ姫と呼ばれているサンが付けている仮面を外して綺麗な素顔をみたのです。

 が、二人はすぐに別れました。

 サンはアシタカをみると「立ち去れ」といって、すぐに姿を消しましたし、アシタカは多くのコダマという豊かな森に住む精霊達の案内で、重病の二人を担いで運んだからです。

 そしてその途中のシシ神の森の大きな湖でアシタカは偶然、不思議な形をしたシカに出会います。

 そのシカをみた瞬間、痣が付いている右腕が大きく動揺し、アシタカを驚かせたのです。

 けれどアシタカはそれがシシ神だとは思いませんでした。

 そのまま二人をタタラ場まで運び、今度はスビシ御前と出会います。

 二人の命を助けてくれたアシタカをタタラ場の人達はお客さんとして歓迎してくれたのです。

 こうしてアシタカはタタラ場に入ったのです。

 しかしここでアシタカがみた物は驚く物ばかりでした。

 エボシ御前はアシタカを気にいると、タタラ場の中を案内してくれ、アシタカは鉄を造る工程を見学したのです。

 でもアシタカをもっと驚かせたのは、タタラ場に居る人達の楽しそうな姿でした。

 エボシ御前は売られている娘達を買って、本来なら女人禁制のタタラで仕事を与えているので、どの女性も生き生きと働いています。

 どの女性も心からエボシ御前を慕っており、エボシ御前は男からも女からもリーダーとして認められていたのです。

 しかもエボシ御前はアシタカのようなタタリを受けた人や病気にかかっている人達を病者として引き取り、タタラ場の別 に隔離して、石火矢衆の開発を任しています。

 病者までエボシ御前に感謝し、エボシ御前はタタラ場に楽園を作っているのです。

 がその反面、アシタカはそんな楽園を作る為に、木や動物などの多くの自然を犠牲にしているも知りました。

「どうだ。ここで一緒に暮らさないか」と勧めるエボシ御前に、アシタカは持っている鉄の玉に心当たりがないかと尋ねると、あっさりエボシ御前が自分達の石火矢衆が放った鉄の玉だと認められたからです。

 森を守る為に戦った猪をタタリ神にし、自分に痣を付けた原因を作ったのが実はエボシ御前が率いるタタラ場の人達だという事が分かったのです。

 でもアシタカはそんなエボシ御前を切れません。

 痣の付いた右腕が勝手に切ろうとするのを、アシタカは左腕で必死に押さえて止めようとしました。

 自然を破壊をしている人間の事情、生きる為にやっているエボシ御前をアシタカは冷静に見つめて、悪い奴だといって切れなかったのです。

 だけど真実を知ったアシタカはタタラ場にはいる事はできません。

 タタラ場から出ようとしたのです。

 が、そんなアシタカをモロの子供の二匹の山犬とサンの襲撃が押し止めます。

 モロが傷ついている事で焦ったサンは山犬の協力で単身タタラ場に乗り込むとエボシ御前を殺そうとし、アシタカはそれをやめさせようとします。

 アシタカはそれでは何も解決しないと思ったのです。

 だからアシタカはそんな二人の殺し合いの邪魔をしました。

 エボシ御前から傷ついたサンを助けたのです。

 でもその時にアシタカは、夫をモロ達に殺された女性が撃った石火矢衆の鉄の玉を胸に受けてしまいます。

 アシタカはそんな中で気を失っているサンをタタラ場の外にやっとの思いで出し、待っている二匹のモロの子供に渡すと意識を失ったのです。

 しかしそんなアシタカを気が付いたサンは助けました。

 人間の男を助けるべきか、どうか、迷ったサンはシシ神の居る湖まで運び、シシ神の判断に任せたのです。

 ですからアシタカは夜の姿、ディダラボツチという十数メートルもある巨人となって、夜の間に命を集め、命を与える、生命をつかさどる仕事をしているシシ神によって助けられました。

 夜明けになって、ディダラボッチの夜の姿から、日の出の時の猿の顔をしている変わったしかの姿に戻ったシシ神は、湖で倒れて居るアシタカの傷を直し、エネルギーを与えたからです。

 アシタカはこうして息を吹き返したのです。

 だけどシシ神はアシタカの右腕の痣は消してくれませんでした。

 アシタカにそんな宿命を背負って生きろといい、ショックを与えたのです。

 けれどそんなアシタカにとって唯一の救いは、サンがアシタカの事を理解した事です。

 サンはヤックルからアシタカに何があったのかすべて聞き出し、アシタカを許しました。

 二人はお互いを理解したのです。

 でもだからといって二人は共に生活はできません。

 サンは自然そのものの荒ぶる神々、アシタカは人間です。

 アシタカはどちらに付いていいのか分からず、「森と人が争わずにすむ道はないのか。本当にもう止められないか」と悩み出したのです。

 が、そんな二人に自然の怒りは待ってはくれません。

 森を切り拓く人間との争いに決着を付けようと西から、齢五百歳の老猪、目のみえない鎮西の乙事主が多くの猪神を引き連れてシシ神の森にやって来ました。

 木を平気で切る人間に対する怒りで爆発していたのです。

 でもそんな猪の神々が来た事は、ジバジリといって全身熊などの動物の毛皮を着る事で、臭いを消したり、姿をカモフラージュしている狩人から、アシタカにシシ神の森の事を教えた謎の坊さん、ジコ坊に伝えられました。

 ジコ坊は師匠連の一員であり、シバジリや唐傘連という冷酷な集団を率いて、タタラ場のエボシ御前と合流しました。

 タタラ場では、荒々しい神々とだけでなく、領主が鉄をよこせと戦になっており、ジコ坊はエボシ御前が戦で死んでしまう前に、約束のシシ神の首を取ろうとしたのです。

 そしてついに荒々しい猪の神々と人間との戦いが始まりました。

 エボシ御前はタタラ師の男達や石火矢衆を率い、ジコ坊は唐傘連やジバジリを率いると、山に入り罠を仕掛けました。

 まず動物の鼻をおかしくする煙を流したり、木をどんどん切って、神々の猪達をわざと怒らせ、怒りで突進した所を地面に地雷を仕掛けたり、上から爆弾を落として、全滅させようとしたのです。

 しかもエボシ御前は、その為に何人かの仲間である牛飼い達をわざと囮にします。

 地雷や爆弾で仲間もろとも吹き飛ばす事を平気で行い、神々の猪達を全滅させる事を計画しました。

 それに罠だという事は十分承知しながらも、正面から堂々と突進した神々の猪達や目のみえない乙事主の目になったサンや二匹のモロの子供も引っ掛かり、火薬に吹き飛ばされてしまいます。

 しょせん悪知恵の働く人間の敵ではなかったのです。

 こうして神々の動物と人間の戦いの決着は付いたのです。

 しかしその中で唯一アシタカだけは居場所がありませんでした。

 モロに人間と森は共存できないのかと尋ねた時には、「お前に山犬にもなれず、人間にもなれないサン一人救えるのか」といわれてもアシタカは何も答えられません。

 アシタカは荒ぶる神々の味方も、エボシ御前達の味方にもなれず、一人でヤックルと行動する事しかできなかったのです。

 が、そんなアシタカにも大きな役がきました。

 ジコ坊の密告で、荒ぶる神々と戦う為にエボシ御前や男達が留守にしているタタラ場を領主の侍達が襲い、女達が必死で戦っていました。

 アシタカはその事をエボシ御前に知らせる為に、侍と戦いながら荒ぶる神々との戦いの場所に向かいました。

 その途中ヤックルは矢を受けて負傷しましたが、付いた時にはもうエボシ御前やジコ坊は居ませんでした。

 シシ神を倒す為にシシ神の森の奥深くへと進んでおり、あるのは多くの猪神の死体と囮にされたタタラ場で働く牛飼いの死体と何人かの留守を守っている人達だけでした。

 アシタカはそんな中でタタラ場の危機を知らせると、生き埋めになっているモロの子供の一匹を見つけると、タタラ場の人達と助けます。

 エボシ御前にタタラ場を襲われる事を伝えるには、モロの子供の助けが必要で、結局タタラ場の人達も協力して助け出すと、モロの子供の背中に乗りました。

 助けられた以上モロの子供も義理を果たし、やっとアシタカはモロの子供とも分かりあえました。

 そんなモロの子供はシシ神の森の深くまで一直線に進み、アシタカはエボシ御前にタタラ場が侍に襲われている事を告げたのです。

 でもエボシ御前はそれでもやめようとしませんでした。

 というのも猪神の中で唯一生き残った乙事主は、何故自然を守ろうとしている自分達が負けなければならないのか、その怒りをシシ神にぶっつけようと傷ついた身体で、サンとけがをしているもう一匹のモロに支えられながら向かっていました。

 それを同じ猪神の毛皮で全身を隠しているジバシリ達が密かに後を付けており、今ならシシ神の居る場所が分かります。。

 もしシシ神を倒せたら森に光が入り、山犬共も静かになり、この国はもっと豊かになると考えているエボシ御前は「女達には十分の武器を渡している」というと進み始めたのです。

 が、そんな中でついにタタリ神が誕生しました。

 全身に石火矢衆の玉を受けている痛みや人間に対する怒りで、完全に冷静さをなくした乙事主はサンが何かに後を付けられていると忠告しているのも耳に入らないのか、赤蛇で全身をおおわれ始めたのです。

 しかもそれにサンまでも巻き込まれようとしていました。

 乙事主の背中にいたサンの身体にも赤蛇が沢山出てきたのです。

 そしてそんなタタリ神になった乙事主はついにシシ神のいる湖まで人間を連れて来てしまいます。

 後を付けたジバシリ達の報告で、エボシ御前やジコ坊もやって来たのです。

 又そんなサンを助ける為にアシタカも入り、湖で最後の戦いをするつもりでエボシ達を待っていたモロと一緒にサンを助けようとします。

 モロはタタリ神を押し止め、その間にアシタカは赤蛇の中にいたサンを助け出したのです。

 さあ、シシ神が湖から現れたのはその時です。

 人間が近くにいる事を承知でシシ神は現れ、エボシ御前が撃った石火矢衆の玉が当たっても平気なのか、モロとタタリ神になった乙事主に近づくとその生命を吸い取りました。

 その後夜が近づいて来たのでシシ神はディダラボッチになると、紫陽花の解釈では人間をやっつけようとしたのです。

 でもシシ神がディダラボッチになろうとして、石火矢衆の玉もきかない身体が薄くなり、隙ができた瞬間に、エボシ御前が抵抗されながらも撃った石火矢衆の鉄の玉はシシ神の首にあたり、見事にシシ神の首をとりました。

 それをジコ坊達は樽の中にいれると逃げ、首を取り戻そうとしたデイダラボッチとの追い駆けっこが始まったのです。

 それに首を無くしたデイダラボッチはどんどん大きくなり、触るものすべての生命を吸い取り、森を枯らしてしまいます。

 タタラ場を攻める侍から、タタラ場を守っていた女達まで逃げ出す事になる程、大変な事になったのです。

 しかしそれでもジコ坊は逃げます。

 日の出になればディダラボッチは消えなくてはいけません。

 それまで逃げ切れたら勝てると思っていたのです。

 だけどアシタカとサンはそんなジコ坊をタタラ場の近くで捕まえました。

 その時にエボシ御前は最後の命を使ったモロの一撃で片腕を無くして戦えず、結局ジコ坊は諦めました。

 アシタカとサンによってシシ神の首は返されたのです。

 でもその時日が上り始め、ディダラボッチは大きく倒れると、完全に姿を消してしまいました。

 人間はついにシシ神を殺してしまったのです。

 ただそれでもディダラボッチが通って枯らした森は、見事に甦っていました。

 人間を寄せ付けない以前の恐い森ではなくなっていましたが、緑は戻っていたのです。

 ですからそんな森をみてサンは「甦っても、ここはもうシシ神の森じゃない。シシ神さまは死んでしまった」といい、アシタカは「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。私に生きろといってくれた」と不思議と痣が薄くなった右手をみせていったのです。

 アシタカは生きる事をシシ神から許されたのです。

 でもそれでもアシタカはサンとは最後まで一緒に暮らせません。

 サンに「アシタカは好きだ。でも人間を許す事はできない」といわれ、「それでもイイ。サンは森で私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」と答えたからです。

 アシタカはそういうと、ディダラボッチが消えた瞬間に起こった竜巻でこっぱ微塵に吹き飛んで跡形もなくなったタタラ場で負傷したエボシ御前や生き残った何十人かのタタラ場にいた人達と生きる決心をします。 

 やっと自分の居る場所を見つけ、タタラ場の人達と森と共存できる生き方ができると信じたのでした。

    終わり。

 さてもののけ姫のあらすじを、紫陽花の解釈を加えてざっと書いてみましたが、皆さんの感想はどうでしょうか。

 もし少しでも興味が持てれば、是非ビデオでいいからみて下さい。

 きっと皆さん一人一人に何かの気づきがあると思いますし、皆さんなりに心の中であらすじを書いてみるのも面白いと思います。

 というのも紫陽花自身も、このあらすじを書いていて一つ教えられた事があります。

 それが今、日本にアシタカが居るとしたら、一体誰かという事です。

 紫陽花はこんな事は全然考えていなかったのですが、あらすじを書いている間に、ひょっとしたらアシタカは紫陽花や皆さんや地球村の人達の事でないかという気がしてきました。

 いえ、宮崎監督は、今、このまま環境破壊が続いたら、人類は大変な事になると気が付き、なにかの行動をしようとしている人達に、アシタカを通じてメッセージをくれたような気がするのです。

 なぜなら紫陽花達もアシタカと同じように、現在の環境を破壊する文明や生活の中では住めません。

 だけどじゃ、完全に自然と一体の生活ができるかといったらできません。

 いくらつつましく暮らしていても生きている事自体自然を破壊しており、自然と現在の人類の文明は共生できないかともがき苦しんでいるのです。

 しかも紫陽花たちに何ができるかといったら、アシタカと同じように正直何もできません。

 まったく無力です。

 でもそれでも宮崎監督はラストのシーンで、生きろといってくれました。

 冷静な眼,第3の眼でしっかり今、起きている事を見つめなさいといってくれている気がするのです。

 又そう考えるとサンもいます。

 サンは今、生まれて来ている子供達、素晴らしい魂を持って、大きな使命を持っている人達です。

 まずこのアシタカとサンが分かり合い、お互いを認め合えなければ、次の本物社会を迎える事ができないような気がします。

 だから紫陽花は、自然と人類の仲を取り留められるサン、素晴らしい魂の子供達に期待していますし、アシタカのようなどこかに影を持った生き方をするのも面白いかなという気がしています。

 もしよかったら皆さんも、もののけ姫をみた感想を送ってくれたら幸せです。

 では皆さん南天阿弥陀仏(紫陽花と縁ある人達だけでなく、その背景にいる眼にみえない霊達までも救わせて下さい)

 

 追伸、アニメの話ついでに、もう一つアニメの話をさせて下さい。

 というのもつい最近、紫陽花は神園社長と不思議な縁で、名古屋で真愛グループという所がやったある催しに参加して来ました。

 第90号で紹介した萩原先生のお誘いや本物雑誌で有名なアネモネの編集長が来るというので何をするのか全然分からないまま、成り行きに任せて参加したのです。

 だからこの真愛グループの催しには正直いってびっくりしました。

 最初紫陽花の世代では懐かしい宇宙戦艦ヤマトが登場して、今から発進するので席に付いて下さいとか、出て来る人を蔵本艦長といったり、森ゆきが出てこないのが不満でしたが、宇宙戦艦ヤマトの歌まで聞かされものすごく懐かしい気持ちになれました。

 そんな中でとても素人は思えない蔵本艦長の情けねえとかふれあいの歌を聞いたり、今から30年前、20年前にワープしますといって、今はもう存在しない、自転車に乗ってアイスキャンディーを売ってくれるおじさんと数人の子供の寸劇、(田舎の子供たち)や始めて喫茶店に入った時の戸惑いの寸劇(喫茶店にて)などもみさせて貰いました。

 昔日本人が持っており、今無くしている心を思い出させて貰ったのです。

 ですから結構面白かったです。

 特に感心したのは、登場する人は皆さん一生懸命に寸劇をしてくれましたし、歌手になりたいという一人の女の子の夢をかなえてあげる為に、こういったものを企画したという事にも感動を覚えました。

 多くの人が舞台にたって、何かをやるというのもいいものだ。

 何かを企画するといえば、本物の先生の講演しか思いつかない紫陽花には、いろいろ考えさせられました。

 宇宙戦艦ヤマトのようにうまく演出を使ってやれば、紫陽花も縁の花の読者の皆さんと将来何かをやれるかななんて思い、ここで出る宇宙戦艦ヤマトは演出だけだと思いこんでいたのです。

 しかしそんな紫陽花の考えは、この会場に参加している人ではたぶん一番年上、戦前の生活を経験している榊原氏がゲストとして壇上に上がると一変しました。

 というのも榊原氏は太平洋戦争の生き残りで、同じ生き残りで癌でなくなった俳優の鶴田  さんの親友でもありますが、そんな榊原氏が戦後ずっと夢見た事は戦艦大和を復活させる事でした。

 この戦艦大和は当時世界一の攻撃力と防御力を持った巨大戦艦で、日本海軍の誇りでした。

 ただ残念な事に時代が戦艦から空母の時代になっていた為に、ろくな活躍ができず、最後は沖縄にたった 隻の駆逐艦と共に向かい、途中米軍機によってあっけなく撃沈されてしまったのですが、榊原氏はこの戦艦大和を引き上げるか、昔の設計のままで製造するかして日本人に持って来たかったのです

 その為に浜名湖に土地まで確保していたそうです。

 でもそんな榊原氏の夢は叶えられませんでした。

 戦艦大和を復活させる事で、戦後の人達に、何故日本は戦争をしたのかを考えたり、戦争とは一体どんな悲惨な事なのかという事を伝えたいという望みは実現しなかったのです。

 だけどそんな榊原氏の夢はもっと大きな別の形で実現しました。

 それが宇宙戦艦ヤマトです。

 宇宙戦艦ヤマトは榊原氏の弟子の西崎さんやアニメ界の巨人松本  などが先生の夢を何とか実現させたいという事で作ったのです。

 が、この事は宇宙戦艦ヤマト大好き人間の紫陽花も全然知りませんでした。

 宇宙戦艦ヤマトにはこんな秘話があったのです。

 しかもそんな宇宙戦艦ヤマトを宇宙戦艦SINVIに変えて、今度は日本中だけでなく、世界中に広げていく話があるそうです。

 それを紫陽花にやらせて下さいと、榊原氏にいって来たのが、艦長役をやった蔵本さんですが、紫陽花はそれを聞いて是非成功して欲しいと心から思いました。

 何故なら皆さんの中にも、敏感な人なら分かっていると思いますが、日本も、日米安保が見直されたりしてちょっときな臭くなっていますし、いろんな予言の中にはもうすぐ日本も大きな戦争に巻き込まれる可能性があるという人もいます。

 日本が再び戦争をする可能性は大なんです。

 だからそんな日本人が、宇宙戦艦SINVIを飛ばす事によって、一度戦争に付いてゆっくり考えてみる事は必要な事だと思います。

 榊原氏もそんな願いでもう一回勝負したい。

 是非これからは女性の時代なので、母親である女性の方にみて欲しいといっていましたが、紫陽花も大賛成です。

 宇宙戦艦ヤマトのファンとしても絶対に成功して欲しいと願いました。

 ただそれでも紫陽花は、この催しが終わった後、萩原先生、アネモネの中尾龍一編集長、(縁の花を読んでくれていました)神事をする猪岡唯一さん、真愛グループの辻孝幸さんを含めた何人かの人と喫茶店で話をするまで、宇宙戦艦ヤマトのブームはもう終わっているので、宇宙戦艦SINVIを浮上させるのは難しいのではないかと思っていました。

 でも辻さんの話では、榊原氏の人脈は相当なもので、スビーグ    や宮崎監督にまで話はいっているそうです。

 紫陽花はそれを聞いてもしかしたら本当に成功するかもしれないと思うと嬉しくなりました。

 だってもののけ姫がこんなに大ヒットした理由も、天が宇宙戦艦SINVIを世界に発進させる為の資金を与えたといえば、否定はできませんし、この宇宙戦艦SINVIには戦争でなくなった沢山の霊達の思い、もう二度と同じ過ちを繰り返して欲しくないというのもあります。

 だから神園社長や萩原先生や紫陽花などの河内先生と縁ある人とつながったのかもしれない。

 紫陽花はそんな事をふっと考えましたが、皆さんはどう思います。

 どうか21世紀までに宇宙戦艦SINVIが世界中の人の心の中で発進する事を、戦争でなくなった霊達と共に祈ってあげて下さい。

 ではこれで。・・・・・・       

 

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