いのちの風 bS98 

平成19年3月1日(水)発信 石黒大圓(だいえん

 

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(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。bS96までのバックナンバーを掲載   http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm

 

 

今回のテーマ 人権は神仏からの恩寵/赤ちゃんポスト/マザーテレサの反フェミニズム

 

いつもありがとうございます。 もう早くも3月になってしまいましたね。 雨と寒さが交互にやってきて、うっとうしい月です。 しかし最近は街中が建設ラッシュ。 クレーン車や建設トラックの姿を多く見かけるようになりました。 やっと日本も再び息を吹き返しつつあるのでしょうか。 

 

中共のバブルが崩壊間近で、北京オリンピックは中止させられるかもしれません。 あのような人権・言論弾圧・侵略国家に世界平和の祭典はさせたくない。 しかし中共が崩壊したら日本のせっかく上り調子になってきた経済も打撃を受けることでしょう。 痛し、かゆしです。

 

 

 

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人権は栄えて情衰える

 

10から大阪でもタバコのポイ捨てに対して罰金1000円が課せられるらしいです。 毎週掃除をしている大阪駅前がやっときれいになります。 掃除をしなくてもいい「美しい日本」にしてほしいものです。 この罰金に対して人権無視という声が上がるでしょうが、タバコのポイ捨てで他の人の人権を蹂躙していることには気がつかない。 自覚のないそのような人には罰を与えるのが相応です。 それに関連して。

 

  伊吹文明・文部科学相は先日の講演で、バターの食べすぎの例を引いて「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言しました。 また、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。 極めて同質的な国」などとも述べた。 

また彼は人権を「侵すべからざる大切なもの」としたうえで、「権利と自由だけを振り回している社会はいずれだめになる。 これが今回の教育基本法改正の一番のポイント」と持論を展開した。

 

 


  そして私が昨年学んだこと。 それは「基本的人権」とは、本来神の前に敬虔なキリスト教信者、社会において神の戒律を守る紳士淑女に対して与えられた「神からの恩寵」という認識が欧州にあった。 それが「すべての人に基本的人権がある」という風に、後の政治思想が拡大解釈させて、社会の福祉に貢献もしただろうが、混乱も招いているのです。 

 
  「基本的人権は生まれながらに誰にでも備わっている」という主張が生み出したものは、弱者救済にも向かったが、一方で権利欲求の肥大化を生んでいる。 文科相の「人権メタボリック症候群になる」との発言は当然である。

 

「生まれながら権利があるの」だと、そのことを「当然・当たり前」と思い、権利が抑圧されていると感じると、不平・不満・抗議となる。 社会や国家、神からの恩寵だという敬虔な気持ちが失われて「権利があって、当たり前、ないのは人権蹂躙」という悪しき感情に支配される現代人となってしまったのです。 

 

 


  権利が守られていないと「守れ、守れ」の大合唱となり、「足りない、足りない」と飢餓の心理状態となる。 天賦の恩寵に対して「感謝」もない。基本的人権のない共産主義国家、独裁国家、発展途上国に比べて、いかに日本が恵まれているかの「感謝」もない。 「あるのが当たり前、ないのは行政、社会、相手が悪い」という不平・不満・批判・非難が日本国中に渦巻いている。 

 

親子、夫婦、学校、会社、地域、国に、日本古来の「和」「調和」「感謝」が乏しくなったのは、この権利意識の過大な要求が蔓延しているからです。自分の権利は主張して相手の権利は無視する。 自分の義務は無視して相手の義務は要求する。 そんなギスギスした社会を生んでいるのは、このような権利を「天から与えられている、ありがたいもの」という敬虔な感謝の気持ちがないからです。 

 

 


  路上で寝ている野宿者へ寝袋を配っていても、それは感じます。 寝袋を受け取って「ありがたい、助かった、おおきに」と感謝の視線を送り続ける人。 一方、つらい生活をしているのだから権利としてもらうのが当たり前だ、という風に奪い取るように去っていく人。 実際のこのような例を見ても、同じようなことが親子、夫婦、学校、会社、地域、国で行われているのではないでしょうか。

 
  基本的人権が自分に与えられていることへの、神仏、相手への感謝がなく、そして「足るを知る」ことのない家庭や社会での関係は、いつかは崩壊するのです。 そのなかの国家の崩壊をめざしているのが、サヨクの権利要求運動なのです。

 


単一で争いのない恵みかな

 

なお文科相が言いたかった「大和民族が古来から単一民族」との言葉は、世界の他の国家と比較すれば当然の認識です。 一つの国の中に、いくつもの言語、民族、生活習慣がある国家と比べて、日本はそのような異民族との共存状態でない。 アイヌ民族も古くは大和民族と並存して生きてきたが、今は言葉も生活習慣も共通の生き方をしています。 異民族として争っている状況ではない。

 

古代アイヌの言葉が日本各地の地名に残っているし、日本神道の作法にアイヌの神事も引き継がれているものもある。 アイヌ以外にも過去に多くの民族が日本列島に並存していたが、最終的には大和民族として一体化してきた歴史があるのです。 ことさらアイヌ民族がいるから単一民族でないと、異質性ばかりを強調するのは、大和民族、ひいては日本国家を否定したい反日勢力の言動なのです。


赤ちゃんを捨てる女性の権利とは


  育児が困難な親が乳児を預ける「赤ちゃんポスト」の問題で議論が沸騰しています。 安倍首相も「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。 匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と述べています。  「赤ちゃんポスト」を設置しようとするのは、赤ちゃんが捨てられて死ぬのを防ごうという、カトリック系の病院の取り組みらしいです。 

 

しかし赤ちゃんを、モノのように、有害エロ本のように、ポストに捨てるように放り込むやり方は、人間としての尊厳を無視しています。 赤ちゃんや胎児を、命がないモノのように、邪魔もののように捨てる愚かな思考法。 それは戦後のアメリカ占領軍が作った「優性保護法」と、その後を引き継いだサヨク・ジェンダーフリー(フェミニズム)思想が遠因です。 

 

彼らは戦後、日本民族の一億人もの胎児を、モノのように殺す政策を推進してきたのです。 女性の自由と権利の方が、赤ちゃんや子どもの愛育より大事だと洗脳してきたのです。 家庭での家事、育児を女性の権利抑圧として非難しているのです。 

 

 


  インドで窮民救済運動をされてきたマザーテレサは、一方でフェミニズムに反対されていたことはよく知られています。 第四回国連世界女性会議(北京会議)へのマザー・テレサのメッセージでは 

 

「(前略)あらゆる人々が、神の計画において女性だけに与えられた役割を知り、それを大切なものと受けとめ、さらに尊厳を与えること、それによって、ひいては女性達が一生のうちにこの神の計画を実現できることを希望します。私には、なぜ男性と女性は全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々があるのか理解できません。 神より授けられたものは全て善きものでありながら、全てが同じものであるとは限りません。

 

(略)神の愛のひとつの形が女性の愛で表わされ、別の形が男性の愛で表わされています。どちらも愛するために造られていながら、それぞれの愛し方が違うように、男性と女性は互いを補い合って完成されるものであり、神の愛を体現するには、どちらか一方よりも両方そろった方が、より神の愛に近づくことができるのです。

 

 


 (略)私達が、愛することや他者のために尽くすことよりも、仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊することにもなりかねません。(略)男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしませんし、それゆえに隣人を愛することもできません。 彼らがもたらすものは、対立と不幸と世界平和の破壊でしかありません。 例えば、私がこれまで再三申し上げてきたように、妊娠中絶は現在の世界平和にとって最大の破壊者であり、男女の違いをなくそうとしているのは皆、妊娠中絶に賛成する人々なのです。

 

(略)子供達が愛することと祈ることを学ぶのに最もふさわしい場は家庭です。 家庭で母父の姿から学ぶのです。 家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子供は愛と祈りを知らずに育ちます。 家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。 私は、とりわけ裕福な国々で、愛情不足と疎外感から逃れるために薬物に向かう子供達を幾度となく目にして参りました。

 

 

 

しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子供達は父母の愛の中にかけがえのない神の愛を見ることができ、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。 子供は神から家族への最高の贈り物ですが、子供にとっては父と母の両方が必要です。 なぜなら、父親は父親らしいやり方、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せるからなのです。 ともに祈る家族が離れていくことはありません。 そして、家族がひとつであり続ければ、神がそのひとりひとりを愛してこられたように、互いを愛し合っていけるでしょう。 愛のあるところには常に安らぎが生まれます。

(続く)

 

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