いのちの風 bS99
平成19年3月9日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
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★「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bS96までのバックナンバーを更新・掲載) http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 赤ちゃんポスト/ジェンダーフリー/母性は仏性/今生の修行か生命尊重か
いつもありがとうございます。 来週、3月15日木「いのちと出会う会」があります。
18時半 1000円 應典院6771-7641
『引き込もりから楽しみの人生へ』
無感動な引きこもりの時期、お父さんの死にさえ冷淡に見ていた木戸さん。しかしある時まわりにあるもの皆、自分が買ったものではない、お父さんがすべて買ってくれたもの!との気づきが突然襲ってきた。父への、そして人々への感謝。突然の意識の回天が生まれた。今は人生が楽しくて仕方がない。 木戸啓介さん(インターネットTVパーソナリティ)
現在予約ゼロ、よろしくお願いいたします。
子を捨つるおぞましきかな親のサガ
(前回の続き) 赤ちゃん遺棄は重犯罪として処罰するべきです。赤ちゃんを捨てる女性は子どもの将来をどのように考えているのか。 貧しくて育てられないのは貧しい国でのこと。 今の豊かな日本では貧しくて子どもを育てられなかったら、母子寮ででも生活できる。 保護支援も十分完備されています。
理由があって子どもを妊娠してしまって、堕胎できなかったのか、堕胎したくなかったのか。 胎児が大きくなってしまって堕胎できなくなって捨てるのか。 大きくなって飼えなくなって捨てるペットのように。 いかなる理由があろうとも子どもを捨てること、および堕胎は犯罪である。
死体遺棄、産業廃棄には罰が加えられます。 子どもを赤ちゃんポストに捨てる女性や男性相手にも、遺棄罪として重犯罪として刑罰を加えるべきです。 子どもの両親となる父母を刑務所に入れて、赤ちゃんと一緒に生活して赤ちゃんに親との一体感を味あわせてあげたいと思います。
子どもを捨てるという【罪業】は、子どもから
@親を奪う A家庭の団欒を奪う B親の愛情を奪う
C温かい心を奪う D人を愛するという心を奪う E人を信用するという信頼の心を奪う F自分自身への信頼と自信を奪う G親族を奪う H社会的信用を奪う
I将来を奪う J子どもが将来親に捨てられたと知った時の心理的ショックなど。
母親が子どもを育てることは、人間としての人権を抑圧している、社会が子どもを育てるのが進歩的と見るサヨク・ジェンダーフリー思想。 その結果、育児放棄が世に広まって、子どもを育てることが母親の神聖な義務だという観念が失われた。 子どもを託児所に預けて、女性は外で働くのが女性の権利を全うできると考えるフェミニズム思想。 その結果の犠牲者が子どもたちです。
外で働く母親は子どもが帰ってきた時、家にいない。 そのような母のいない家に帰る子どもたちは愛情に飢える状態に置かれます。 その精神的不安が子どもたちの切れるなどの異常な行動を引き起こしているのです。 母親が子どもを遺棄して育児を拒否するのは、このようなジェンダーフリー思想が生んでいる世間的風潮が原因。 母親が幼い子どもに温かい愛情を与える重要性を否定する、そのような危険思想が蔓延しています。 子どもは母が抱きしめることで人間的感情の基礎ができる。 それを社会が、他の人が代理でできるわけがないのです。
赤ちゃんをポストに入れて他人に育児をまかせようとする制度は、子どもの将来の可能性を奪ってしまう。 「自分を捨てるような親に育てられることが幸せか。 実の親に育てられることが不幸になる場合もある。 そのまま育てられていたら、その親にもっと辛い目にあわされるかもしれない。 あるいは殺されるかもしれない」という意見もあります。
しかしどんな親であろうとも実の親に育てられることが、子供にとって一番の幸せです。 親が虐待するから捨てなさい、というのは本末転倒です。
虐待されるよりマシだという考えもあるでしょう。 またひどい親元で虐待にあって一生心に傷を負う人もいるかもしれません。 しかし「捨てられる」ことはそれ以上に、殺されるのと同じ深い傷を心に残すこととなります。
子どもを捨てることは重大犯罪であることを刑罰を与えることで認識させて、抑止すべきなのです。 二度と捨てる親とならないように刑務所へ親子3人で入ってもらう。 そして親の心がけを更正させて、子どもには親の愛を体験させるしかないと思います。 捨てる親が親として育ってないのが犯罪的なのです。 それを強制的に親にさせる。 親業を学ばせる。 愛情もつ人間として人間教育を施す。 そして子どもを捨てたという罪悪を反省させる期間をつくらせるのです。
刑罰の基本は更正です。 我が子遺棄という犬畜生にも劣る重犯罪に対して懺悔させるのです。 親を「人となる教育」で再教育させるのです。 更正するまで娑婆には出さない。 そのような人間は社会に出ても別の犯罪を犯すことでしょう。 犯罪防止の早期処置として子ども遺棄犯人は重罪として処罰すべきです。また母親による子どもの育児を重要視しないジェンダーフリー思想にも刑罰を加えるべきです。
親心育てられずに親となり
「愛情というのは母親に勝手に備わっているのではなく、それが全くない親が存在するのも事実。 自分が生んだ子は無条件で可愛いなんて幻想にすぎません。 愛情や母性というのは後天的に取得するものであって、それが全く身に付かない人もいる」という意見があります。
しかし「後天的」という解釈はおかしい。 愛情や母性というものは生物の子孫保存の本能として、本来どのような女性にも男性にも、心の底にあるものです。 たとえば仏教でいう仏性というようなものです。 「タネ」としてすべての人間の心の底にある。 しかし種は水も土も太陽の暖かさもなければ芽を出さない。 それと同じで育った環境が悪くて、愛情や母性の芽がでない人がいる。
ならば仏性や母性をもつ人間となるように、その人を再教育するのが社会の勤めです。赤ちゃんを捨てるというような重犯罪を犯したことを契機に、立派な母親・父親になってもらうことを、社会は強制する義務がある。 それが人として育っていない人を、別の犯罪を犯すことから予防することにもつながると思います。
また「残虐な親に育てられるより、捨てられて施設で育てられる方が幸せという人もいるのではないか。 親を知らず施設で育てば、自分を捨てた親を恨むでしょう。 しかし、もしその親に育てられていたら、もしかしたらその親を殺したいほど憎むかもしれない」という意見もあります。
しかし親のいない子が施設で育った実際の体験を知らないから、このようなことが言えるのです。 母子一体感のない、密着した愛情の薄い施設で育った子どもが、どれだけ寂しい思いをするか。 施設を出てから社会が、親のいないそのような子をどれだけ差別するか。 仕事もまともなものにつけないことが多い。 釜が崎などで肉体労働しかできない人生に陥っている人もいます。
赤ちゃんを殺すことも犯罪ですが、赤ちゃんの将来の人生を殺すことも重犯罪なのです。だから赤ちゃんポストを設置したとしても、遺棄した親を不問にすることは、別の意味で犯罪的だと思います。 遺棄は犯罪であることを世間に訴えることの方が重大です。 それが再発防止のために予防処置となるのです。 そのことによって日本社会の道徳律を守れるのです。
放棄して幸せ探し闇のなか
「『赤ちゃんポスト』という逃げ場を公的に作ることで、簡単に責任を放棄する人が増えることを危惧します。 責任放棄を公的に助けてしまう、これが一番の問題です。 全ての人間は生まれたからにはなんらかの意味がある。 しかし貧しい国、戦争のある国で、すぐ死んでいく、そのような子供たちにも意味はあります
たとえ生まれて数時間で亡くなってしまう命でも、どんなに障害を抱えていても、それでも生まれてきた意味はあります。
親は子どもを持つ喜び、その子をお世話させていただき、あるいは亡くした事を悲しむ。それだけでも十分意味のあることだと思います。 どの命も貴重で尊いものだと思っています」と言われた方がおられました。
一方「もしその親が子供を殺したとしても、虐待したとしても、それはその親の業で、また生まれてきた子の業でもある。 それが今生の修行でしょう」という方がおられました。
それに対して「虐待されてもそれは子どもの業とは一体何事でしょうか?
虐待されるのも子どもの運命だから仕方ない、それも修行なのだから耐えるべきだということですか。 こういう考え方は恐ろしいですね。
まだ幼い何もわからない子に虐待されるのは運命だから我慢しろ、なんてよくも平然と言えるものです。それでは、ホームレスになるのも運命だから助ける必要はない、殺されるのも運命だから仕方ないというのと同じです」という反論がありました。
そしてこの反論された方が、野宿者へ寝袋を配っている私に対して「何故この赤ちゃんポストに反対しているのか」が知りたいと言われた。 「寝袋を配ってもホームレスの根本的な解決にはならない。 それでも当座は暖を取り、命を助けることができる。
赤ちゃんポストはその寝袋と同じではないか。 とりあえず命を助けることはできる。それに断固として反対しているのは一体どういうことですか」
野宿者支援している私が、赤ちゃんポストに反対している理由を求められました。 世間では「愛は地球を救う」「人の命は地球より重い」など「いのち」について美辞麗句で飾られることが多いです。そして「子供を戦争へ送り出すな」と、サヨクはこの生命尊重至上主義を利用しています。
命はたしかに大事です。 しかし何度もいうように、私は「命を超えるいのち」すなわち「友のために命を捨てる、これほど大いなる愛はない」(イエス)を大事だとしてきました。 これは仏教の大慈悲にもつながります。
○聖徳太子の遺品、玉虫厨子には飢える虎にわが身を投げ出すインドの太子(釈迦の前世)の姿が描かれています。
○三浦綾子さんの小説「塩狩峠」には暴走する列車の下に身を投げ出して列車を止め、多くの人を救った長野政雄の生涯が書かれています。
○東国平定の途上、ヤマトタケルノミコトの妻オトタチバナ姫は、かって自分を救ってくれた夫を、暴風雨から救うために自ら海に身を投げ、海神の怒りを静め風雨は止んだのでした。
○昔、東京の新大久保駅で線路に落ちた人を救おうと日本・韓国の二人の命が失われました。 この韓国人の勇気は映画化されました。 また最近も駅で人を救おうと警官が命を失いました。
戦前の修身には、そのような自らの命もかえりみずに献身的に人のために身をささげた人々が活写されていました。 「人命」を超える「いのち」や「道義」の重要性。 赤ちゃんの命も大事ですが、その命を捨てる残忍さを不問にする不正義を私は問題にしています。 罪の問題を問うているのであって、命の問題を提起しているのではないのです。 (続く)