いのちの風 bT02
平成19年4月11日(水)発信 石黒大圓(だいえん)
★「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT00までのバックナンバーを更新・掲載) http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
今回のテーマ 小野元裕起つ!/共産主義にリベンジを!/素人軍団の奮戦/政はまつりごと
いつもありがとうございます。 来週4月19日木に「いのちと出会う会」第67回
「死別体験を生かして」があります。
奥さんを乳ガンで亡くし、その後、認知症となった義母の想像を絶する介護、そして2人の若いお嬢さんの世話。悲しむ間がないほどの忙しい生活のなかで、一生懸命に看護したという自負が死別後の悲しみを救ってくれた。今は人の助けになりたいと、ボランティア活動に精出しておられる、元気で豊かな心をもつ独居老人さんです。
田上貞夫さん 「大阪ひまわりの会」(遺族の会)運営委員 18時半 千円 應典院6771-7641
今回も予約少なく、よろしくご参加のほどお願い申し上げます。
應典院・ホームページ http://www.outenin.com
桜が満開です。 実は4月8日の統一地方選挙開票の日に、桜まみれ、涙まみれになった人がいます。 友人の小野元裕さんです。 私は先週一週間彼の選挙応援で走り回っていたのです。 彼は突然大阪の
FAXの方には間に合わず残念でした。 以下はその2つをまとめたものです。
起ち上がれ 友、皆起ちて 奮戦す
文化創造倶楽部会長、日本ウクライナ文化交流協会会長、若き37歳の小野さんの立候補。 しかし結果は「桜散る」。 勇者は満開の桜のなか散りました。 無念です。 しかしすがすがしい。
まったくの素人たちが、かき集まって選挙戦にのぞみ、小野さんを乗せた神輿を担いで、急きょ動き出し、プロの選挙軍団を震え上がらせました。 相手候補たちは晴天のへきれきで急きょ、選挙態勢を組みました。 一人が忽然と立って神輿に乗り、皆が熱狂してそれを担ぐ。 祭の醍醐味に近いものを味あわせていただきました。
大きなスピーカーと選挙道具、のぼり、顔写真の入ったポスター、黄色いジャンパーなどなど。 それらをママチャリの前後に満載に乗せ、旗をなびかせて八尾じゅうを駆け回っていた小野さん。 金がかかる自動車街宣車はなし。 その代わり自転車街宣車が街中を駆けめぐり、スピーカーから流れる小野さんへの投票を呼びかける声が八尾の街々にこだましていました。 早朝も昼も駅頭で、彼は普段聞いたことがない政論を語っていて、格好よかった。 手作りの黄色いエナメルのタスキを胸にかけ、けなげな姿でした。
小野さんの元には今までの「文化」や「ウクライナ」の関連人脈の素人集団がぞくぞくと結集して、プロの選挙軍団に戦いを挑んでいきました。 しかし多勢に無勢。 小野さんにはぜひこの戦いに勝ってほしかった。 獲得した5252票は逆から読んで「ニコニコ」。 若いふっくらした布袋さんのような彼のニコニコ笑顔一杯のポスターと同じ。 彼らしい最後でした。
他の候補4人は約2万票づつを獲得しました。 しかし他の候補の浮動票と同じくらい彼は取ったのではないか。 実質一週間の選挙での成果としては奇跡的。 彼を慕う仲間がもたらした奇跡です。 すごいことを成し遂げた小野さんと我が軍団の友たち。 オモロイ祭りは終わりました。 サイコーでした。 そして全国の多く彼の仲間は、距離は離れていても心は一緒に彼を応援してくれていたのです。
彼が出馬しなかったら八尾は4つの議席に4人出馬の無風選挙で終わっていた。 彼が民主主義破産を阻止したのです。 そしてひょっとしたら始めて当選できると思っていた共産党候補を阻止できたかもしれないのです。 私は個人的に「共産主義にリベンジを!」の心情で彼の応援に駆け参じました。
ロシア帝国やソ連・共産帝国の暴政に苦しめられてきたウクライナ。 彼が主宰する日本ウクライナ文化交流協会としては、八尾でウクライナに代わり共産党へリベンジ(復讐)していただきたかったのです。
ソ連によるウクライナ民族絶滅政策
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb713.html
議席数と候補者数が同じとなったら、ポスターも貼らない無投票選挙なんて民主主義ではない。 無風選挙で勝った議員など緊張感もなく議場で居眠りするのがオチです。 選挙がないと踏んで、ゴルフの予約を入れていたふざけた候補者もいたという。 民主主義とは相容れない今回の八尾の政治に、彼は新風を巻き起こしたのです。 友や同級生、家族、皆が夜討ち朝駆け状態で戦いました。
私も先週月曜日から土曜日まで、早朝の担当として朝4時半に起き、朝6時から
ずぶの素人でも大いなる愛ある人々が結集したら大きな力となるのです。 プロ市民ではなくて、今まで地道に文化活動をしていた市井の人々が結集してすごいことを成し遂げたのです。 皆、自分のことのように必死で動きました。 そのあと、夜には
大いなるいのちに燃えて 声挙げる
選挙2日目、早朝6時に近鉄河内山本駅で4人が集まって投票の呼びかけを始めました。 その時15人ほどのチラシ配りの運動員が現れ、彼らを引き連れた共産党候補者も街宣車で来て、鉢合わせ。 そのため私はがぜん対抗意識が噴出。 私たちの必死の思いを通勤客に見てもらいたくて、口から泡を飛ばして2時間大声を上げ続けました。
線路の脇から向こう側のプラットホームの乗降客に向かって「古い政党政治をやめて、若い無所属新人候補が新しい政治を始めます。 ご支援をお願いします。・・・・」。
これ見よがしに「古い政治」と敵愾心一杯に攻撃的にガナリ立てました。 プラットホームの端から端まで届けとばかりに、大声を張り上げたので1時間で声が枯れてしまった。この日を境にガッツが沸き起こってきて、それ以降はいつも駅頭での応援に、2時間半ばかり頭がクラクラするぐらい大声を張り上げ続けました。 声がつぶれるなんて久しぶりです。 「義を見てせざるは勇なきなり」。 彼のために悔いなく燃え尽きたかった。
彼には以前から政治的な野心などもともとなかったのです。 しかし彼が愛する八尾を少しでも住みよい街にしたいという情熱は人一倍ありました。 彼は日本とウクライナとの友好を願い、1年間という時間をウクライナとの友好滞在に捧げられました。 また文化あふれる大阪を築くために文化創造倶楽部の集まりをほぼ毎日開いて、その前の3年間という時間を1000人以上の文化香る人々のために捧げられて来ました。
隠岐島で老人のために終末期ケアをされている柴田久美子さんは「愛とは他の人のために時間を捧げることです」と言われています。 彼は大阪や日本、そしてウクライナに、その献身的な愛と時間を捧げられてきました。 そして今度は地元・八尾に対してその情熱的な愛と時間を捧げるべく立たれたのです。
民主主義には国民一人ひとりの目覚めが大切だと思っています。 吉田松陰先生が語られた「草莽崛起(くっき)」・草の根運動を大切にしたい。
民主主義の確立のためには草の根の国民が結集した民主主義が、一人ひとり汗する姿として立ち現れることが必要です。 一人ひとりが街角に立って彼を応援する活動に参集していただきたかった。
政治活動に特別縁のない私たちには、こんな運動はめったにできません。 良い経験と思い彼を支え続けました。 参加できて大感謝でした。 負けても悔いはありません。 素人軍団の心意気を見せてやったぜ! 彼の知人たちが交代でウグイス嬢として、あちこちの駅前で声を張り上げていました。 これこそ今までお世話になった彼への報恩感謝・勤労奉仕の下座行だったのです。 ボランティアなどという甘っちょろいものではないのです。
汗流せ 涙流して 街は浄まる
地域コミュニティーを覚醒させるには、イベントに来たその地元の人々を、お客さんとして扱うのではなく、地元に生きる人間として活動の渦に巻き込んでいく。 古来から、祭はコミュニティー結束の象徴でした。 地域を守る神を神輿に乗せて祝福を街角に振りまく。 その汗と涙一杯になる行事に実際に参加して人々の心の交わりが深まる。 それが地域コミュニティーの活性化の元となるのです。
神輿のように、それに乗せる貴人、神への畏敬と感謝、そして自分たちを育んできてくれたその土地への感謝の思い。 敬虔な祈りに近い先人への感謝がコミュニティーを育てると思います。 今回の選挙を通して、その祭に近いものを感じました。
政治が「祭」となれば、地域コミュニティー活性化の起爆剤になりうると今回思いました。 「政」とは「まつりごと」と読む。 古代人はそれを知っていた。 彼は神輿に乗った神様、貴人でした。 それを担いで皆が興奮状態になった。 興奮状態で人は神と一体となる。 そのなかで人は癒される。
「人のためにこの身と時間を捧げる」この遺伝子が人を一番に輝かせる。 それが人間の遺伝子の一番の特徴です。 その時にヒトは「人」になるのです。
座っていてはいけない。 汗出して、涙流して「人のため、神さんのために」動く。 それが地域を輝かせるのです。 感動が地域を活性化させるのです。 しんどいことから逃げていたらこんな有難いことは経験できません。 それこそ「苦難は幸福の門」です。
多くの社会活動での物足りなさ、「大阪メチャハピー祭」での異様な興奮、この一週間で何かが見えてきた気がしました。 この疾風怒濤の一週間、本当にオモロかったです! 投票日は花祭りの4月8日、お釈迦様の誕生日。 この日に新しい政治が誕生しました。 小野さん、本当にありがとうございました。
(完)
小野元裕さん
文化創造倶楽部
日本ウクライナ文化交流協会