【いのちの風 bT15】 
平成19年8月22日(水)発信 石黒大圓(だいえん)
 
今回のテーマ 

迎え火/先祖への感謝と絆/祖先の目を意識する/おがら/尊い命の散華


  
いつもありがとうございます。 お盆も終わり、皆様お仕事に復帰され忙しい日々をお過ごしのことと思います。 今年も13日夜に迎え火をたきました。 左記は2年前に「いのちの風」bS30に書い
たものです。 今年も同じ思いでいます。

「いのちの風」bS30 
http://www.geocities.jp/ennohana/enisiguro430.htm

『さっき迎え火の火をたきました。 おがらに火をつけて炎を見つめ、空を仰いでいました。 今年もご先祖さんや亡き人々は戻ってくるのでしょうか。 「ヤッホー!」といって妻が、「腰を振りながら」茶目っ気たっぷりの次男が、そばに帰ってきているようです。 

お盆の提灯を4つも今年は電気をつけました。 たくさんの光と、廻る灯篭もあって仏壇のまわりは煌々としています。 明るいのが喜ばれるかと思って4日間は、めー一杯部屋を明るくします。


  キュウリにおがらで4つ足をつけ「早くこの馬に乗って帰っておいで」。 そしてナスビに足をつけて「帰りはこの牛に乗ってゆっくりお帰り」と、年中行事です。 昼にお坊さんが来ました。 猫の佐知子と邦之が横で物珍しげにちょこんと座っています。 4人で一緒にお経を唱えてくれればいいのに。 

迎え火 送り火 馬 牛
http://news.livedoor.com/article/detail/2327231/
お盆 迎え火と送り火 精霊棚と供物 
http://www.digiport.jp/3-8-5.htm

  私が幼い頃に大和郡山の祖父母の家にお盆で帰った時に、祖母が井戸で冷やしてくれたスイカを妹たちとはしゃぎながら食べた思い出。 いつもおだやかな笑顔だった祖父。 晩年は寝たっきりだった祖母の面倒を見ていてくれた叔父。 

親戚と仲が悪く、次男が末期の時に長男と一緒にお百度のようなつもりで墓参りしていた時に、久しぶりに叔父に会いに行き、初めて見る甥をいとおしいしそうに眺めていた叔父。 あの叔父も妻が入院する2ヶ月前に自宅で一人老衰 死して
いた。
 

  夫が中国戦線で軍医として戦死し、乳飲み子を一人で育てながら医学校へ入り女医となり、次男を亡くした私たちを我がことのように遠くからいつも心配してくれていた叔母。 あんなに元気一杯でゴルフにもしょっちゅう行っていた叔母も、妻の死後一年であっという間にガンで亡くなった。

  もう一人の叔父は私たちが若いときに西式健康法とかいって生ネギを一杯食べ、板の上で寝ていた。 その健康第一の叔父が難病にかかって寝たっきりになり一番早く亡くなった。 「健康命」だった人が一番早く亡くなった。 皮肉です。



  皆んなそれぞれの人生を懸命に生き、あの世に旅立っていきました。 その人々がお盆になって戻ってきて、また仏壇のあるこの家で見えない姿で集って、四方山話で盛り上がっていることでしょう。 このパソコンを打つ横からのぞき込んで「何書いてんや? 恥ずかしいこと書かんといてや」と言ってることでしょう。 亡き人との思い出がまた明日の活力になる。 私は変な人? 


  過去ではなく現在未来をどう生きるかというのが現代の若者の意識のようです。 しかし今あるのは過去の人々の汗と涙の結晶のおかげ。 それへの感謝の思いを忘れて、その人々との心の絆を失ってしまっては、結局根無し草のアイデンティのない人間になってしまう。

  人間はそんなに強い存在ではない。 過去を見ずに未来志向ばかりがもてはやされているが、結局は羅針盤のない船に乗ってあらぬ方向に迷い出るだけ。  過去の自分の根っこをしっかり知って、感謝
の気持ちで過去の人々との絆を大切にする生活をしていれば、きっと「変 化(へんげ)の人をつかわして、これがために衛護となさん」と守護霊が姿を変えて護ってくれる、と法華経にもある。』


【亡き人を偲びて日々が生かされる】

『家族が亡くなってからの49日までの法要もその後の法事も、亡くなった人との心のつながりに改めて目覚めさせるものでしょう。 それを見ている先祖の目を意識することが大事と思います。

8月15日は終戦記念日。 戦没者慰霊祭が行われる大阪護国神社に参りました。 戦争中に亡くなった人々は今この空の上で、自分たちがいのちを捧げたこの国がどれだけ立派になっているか、を見つめていると思います。 それが死者の目を意識するということです。 



ただ単に戦争反対の記念日にするのではなく、亡き人々がどんな思いで祖国と家族を思って死んでいかれたか、を思い起こす日です。 その目を意識するときに自分の人生はこれでいいのだろうかという反省の心が芽生えます。 亡き人はその意味で私たちに向かって問いを、いつも投げかけていてくれる存在です。 決して死んでお墓の中でじっとしているのではないのです。 生きて私たちの中で働いてくれていると、そう思います。 

仏教伝来の前から、大昔から先祖が帰って来ると言い伝えられている特別の日があったはずです。 日本人は、人は死んでも山の上の特別の場所で暮らし、季節のときどきの日に下界に戻ってくると信じられていました。 そして祖先はその家族の誰かに生まれ変って戻ってくると信じられていました。 先祖との心の絆が結ばれていました。 


老人は近い将来に亡くなって神になる人。 幼児は神の世界から来て間がない人。 両方が神に近い存在として大切にされた。 今の唯物的な世界ではこのような見方ができない。 だから年寄りも子供も単なる弱者として保護の対象にされているだけ。

そんなヒューマニズムの視点から見ていては、弱者の方が強く見えて加害者のように誤解されたら、逆に反撃されて被害者に転落してしまう。 年寄りや子供への犯罪が多いのは神に近いという昔からの言い伝えが消えてきているからだ、と私は思うのですが。 霊的な視点で社会の現象を見ることが大切と今思っています。』


【伝統がすたれて 祖国滅び行く】

  今年もお盆に入る前に妹が、お盆のお供えの果物や野菜を買ってくれました。 その時に「『馬』としておがらで足をつけるのはキュウリですか、ウリですか」と聞くと、スーパーの店員はわからず、まわりの人に聞いたら、皆が「ウリ」だというのでウリを買ってきてくれました。 

「馬は軽くて足が速いから、お先祖さん、馬に乗って早く帰ってきてね」という意味で細いキュウリを使う。 『牛』になるナス、はゆっくり歩くので「ゆっくりして帰ってね。 別れるがつらい」という意味。しかし、もうこの伝統を知らない人ばかりになっている。 もうがっくりです。 


  先日も市場でレジ係に「おがら、ありますか」と聞くと「おがらを知らない」との返事。 そばに「麻から」と袋に入って売っていたのに。 もう日本の伝統がすたれつつある兆候が出ています。 団塊の世代の親もお盆の祭りも迎え火、送り火もしない。 当然その子も孫もしない。 

そして日本は日本でなくなっていく。 地球市民の方が日本国民より「かっこいい」という風潮です。

  フェミニストはジェンダーフリー思想で伝統を教えない教育が進歩的だと喧伝する。 祖国日本のアイデンティティのない根無し草の市民など、どの国も尊敬してくれない。 世界は祖国の伝統を尊重し、国歌と国旗に敬意を感じる人間を尊敬してくれる。 祖国の悪口をいい、伝統を知らないことを誇りに思う「地球市民」など軽蔑の対象でしかないのです。


【尊き散華 心に刻む 慰霊祭】

倫理法人会で「大東亜戦争」の言葉が出てくるとは! ここは宗教とは異なり「文部科学省生涯学習政策局所管 社団法人」であり、生涯学習のための経営者団体です。 

しかし設立趣旨として「旧来の道徳の精華も包摂し、日本の伝統的な精神性に根ざした、平易にして深淵なその哲理を、多くの経営者が求めはじめています」とあるように、日本の伝統を大切にしている。 大東亜戦争という名を採用するのはその精神があるからでしょう。


『(略) 涼やかさを求めて開放的になるこの季節ですが、その開放感とは対照的に、日本人として心にしっかりと刻み込まなければならないことがあります。 それは、国民総動員の末に多くの尊い命を
失った「歴史」と、その犠牲の上に現在の「繁栄」が成り立っていることです。今年は、大東亜戦争の戦闘終結から六十二回目の夏を迎えます。

  昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃によって始まった大東亜戦争は、三年九ヵ月の間、国民の総力を動員し、国際社会における独立国家としての生き残りをかけた、文字通りの「総力戦」でした。 この間、日本が動員した
兵力は六百万人以上。末期には、沖縄での地上戦や、航空戦力による都市への無差別爆撃もあり、民間人の犠牲者は合計約八十万人に上りました。  

中でも、昭和二十年三月十日の東京大空襲では約八万人、広島への原爆投下では約十万人、長崎への原爆投下では約七万人が犠牲となりました。 (略)最終的には、民間人犠牲者約八十万人と、軍
関係者約二百三十万人を合わせた、合計約三百十万人の尊い命が失われる結果となりました。



戦争は、国家間の問題を解決する最終手段として、国際法規上でも認められている権利ですが、その戦闘において数多くの人命が奪われ、歴史的建造物や文化遺産、そして自然環境が破壊される、最低の方法であることもまた事実です。

しかし、ここで戦争そのものの是非を問うのはナンセンスです。 なぜなら、その時代のことは、その時代を生きていた人間にしか分からないからです。 すべての結果が分かっている後世に生まれた人
間が、あれこれ論評をするのは容易なこと。 特に批判をするなどもってのほかであり、卑怯としか言いようがありません。


毎年、夏の風物詩が目に飛び込んでくるこの季節に、我々が心に刻まなければならないことは、「今の平和や安定が、尊い命の散華の上に成り立っている」という事実です。 いま、あなたが生きているこの一瞬一
瞬を、あなたは胸を張って、先の方々に報告することができますか。

「皆さんが、命をかけて守ってくれたこの日本で、私は皆さんに対して、恥ずかしくない生き方をしています」と言えるでしょうか。 平和について考える機会が増える季節です。今の繁栄を
享受する上で、その繁栄の礎となった魂に心を向けてみることも、職場や地域を牽引する私たち倫理法人会員に必要な時間でしょう。』

大阪府倫理法人会
http://www.osaka-rinri.net/
「職場の教養」が倫理法人会会員に30部づつ送られてきます。 これもいい学びの材料です。
http://www.rinri-jpn.or.jp/houjin/houjin-kyoyo.htm


(完)


【リンクのホームページ】

小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿
http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html




★「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト  ★bT11まで更新されました
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT11までのバックナンバーを更新・掲載)  http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

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