いのちの風 bT17
平成19年9月10日(月)発信
今回のテーマ 日本人居留民虐殺事件/サヨクが報じない沖縄/誰も書かなかった沖縄
いつもありがとうございます。 今回は沖縄についての特集です。 大江健三郎と岩波書店によって洗脳が広まった「沖縄戦における日本軍による集団自決の強要」は事実無根でした。 沖縄集団自決冤罪訴訟裁判で「軍命令」が否定されそうです。 それを踏まえて、今回の教科書検定では日本軍による集団自決の強要に関する記述が虚偽だとして削除されました。
【正論】秦郁彦 沖縄戦の集団自決と大江氏裁判
http://kagemitsu.iza.ne.jp/blog/entry/151661
しかし大江氏は現地調査もせずに、原告の赤松大尉を「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべきであったろう」といった最大限の侮蔑を含む人格非難をその著書「沖縄ノート」のなかで執拗に繰り返しています。 もうじき彼の人格侵害が裁かれます。
被害者に なりすまして 恩忘れ
「新しい教科書をつくる会」のメーリングリストに載っていた「サヨクが報じない沖縄」からの転載の続き2と3です。
2 沖縄の惠です。
集団自決は恐怖心によるパニックが最大原因だと小生は思います。 戦前の沖縄新聞を見ますと、毎年3月12日にロシアの尼港事件で邦人5000人が惨殺されたことを取り上げ、この事件を今の広島長崎の原爆記念日のように毎年県民に周知徹底させておりました。
惠 隆之介氏のブログ
http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/
(【尼港事件】大正九年ロシア・中国の共産パルチザンによって、アムール川河口にあるニコライエフスク港(尼港)にいた日本軍や日本人居留民が無差別に大虐殺された事件。この事件による日本人犠牲者は約七百名に上り、その半数は民間人であったため、国内世論は憤激の声が渦巻き、反共機運が強まり、後々まで尾を引くことになった。日本陸軍がシベリア出兵を延長したのは、この事件によるものという見方もある)
尼港事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
加えて通州事件で沖縄出身のエリート田場盛義が支那人に惨殺されて県民葬が行われたとき、県民の間には猛烈な恐怖心が植えつけられたのです。
(【通州事件】日中戦争が始まった盧溝橋事件のあと、すぐに起こった中国軍による日本人約230名の大虐殺事件。日本人居留民の住宅すべてに火を放ち、婦人は全員強姦され局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、鼻に牛のごとく針金を通された。腹部を銃剣で割られた妊婦、一家全員の首を電線で縛り両手を合わせた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くした。子供、妊婦にかかわらず殺され方が極めて残虐であったために、日本の対中感情は大きく悪化し、国民は戦争拡大を支持した。日本のマスコミは中露に気兼ねして両事件を公表しない)
結果、米軍が上陸したとき、戦闘中の我が陸軍部隊にまで住民は保護を求めて殺到したのです。
(そのような状況で住民を強制移動させたことが、戦後「避難壕から住民を追い出した」というドグマに摩り替えられているのです。)
それと琉球王国時代独特の統治システムで地割制(原始共産主義)が400年以上施行されており、集落内の掟は極めて排他的でまた強固でありました。 (これは何と沖縄地上戦で米軍が県民を収容所に強制移住させるまで続いたのです)。従って集落内(島嶼内)の結婚が近親婚の様相を呈しておりました。 これが結果として集団自決のような行動を相乗させたと思います。
それと薩摩軍侵攻の際、沖縄士族は殆んど無抵抗で、住民の顰蹙と軽蔑をかいました。 薩摩武士も唖然としたのです(首里城に逃げ込んでうち鍵をしめて戦闘しようとする気配さえ示さなかったという説もあります)。 琉球王は農民は地割制で締め上げ、士族は反乱を防ぐため刀狩を行い、王都首里に家禄を与えて住まわせ、公家のような生活をさせていたのです。(ペリーの琉球来航記にも詳述されております)。
加えて琉球王尚家などは愛郷心が極めて希薄でした。 廃藩置県の際、明治天皇から破格の待遇を受け、今の都立九段高校の敷地と邸宅を頂きました。 ところが尚家は放蕩の限りを尽くし、ついに尚家本家も平成になって消滅しました。 信じ難い話ですが、尚家の末裔は、王国時代の宝物を台東区に寄贈しようとしたため、県民から総スカンを食ったのです。
戦前沖縄学の大家といわれた伊波フユウは、琉球人の最大欠点は、「恩を忘れやすい」と断じておりました。 その原因を支那に朝貢するため、めまぐるしく政権交代する支那の政権に取り入るため、恩とか言っていると生きていけなかったと言うのです。
小生は中学時代から九州に遊学して日本精神を理解しておりますが、県民、とくに左翼には愛国心とか「大義に殉じる」と言う意識はまず理解不可能です。 「命(ヌチ)ど宝」と言う現代沖縄の格言がありますが、その文言の先に「自分の命だけが宝」と言うべきだと、小生の同志である医師は言っております!
それにくだんのマスコミが沖縄だけが被害者だと国民をマインド・コントロールしているため、県民の被害者意識と平和ナルシズムは無限に拡大して行くと思われます。 本日の報道2001は、アナウンサーが、「沖縄戦末期は、ちょうど満州引き上げや朝鮮戦争と同じ悲劇だったんですね!」と言えば、高嶋や朝鮮人学者もぎゃふんと来たのにと思いました。
(他に原爆や大都市焼夷弾爆撃もある。 沖縄だけが戦争被害者ではないのです)
反日のサヨクが生み出す偏向報道
3 沖縄の惠です。
マスコミの沖縄報道は偏向しているというより一種の逆差別のように思えてなりません。 県民がもう少し聡明であれば怒るべきなのですが・・・・。
ただし、誤った史観を国民や,無垢な児童に植え付けるのは、もしかすると敵性国家の諜報工作が動いている可能性も否定できません。 要するに沖縄と日本本土を分離する策略です。
ある高校歴史教科書に、昭和天皇が米国に沖縄を譲渡されるご発言をされたと記載されているようですが、前後関係を分析すれば決してそれは沖縄を売り渡すようなものではありませんでした。
終戦直後、東京では沖縄出身徳田球一共産党書記長が中心になって米軍を「解放軍」と呼び、沖縄独立を主張していたのであります。 そして在京の不逞沖縄人グループは「沖縄人連盟」を結成し、朝鮮人連盟と連帯して第三国人的言動を繰り返しておりました。 この一連の行動の結果、マッカサーをして「沖縄返還の際は、日本復帰か独立か住民投票に付す」と発言させるほどでした。
一方、沖縄復帰運動は確かに純粋なナショナリズムによって行動した県民もおりましたが、こういう不逞な輩もおりました。
@ 復帰運動の中核を占めた沖教組は、米軍統治下では米国並みに公務員の給与が低いので復帰を望みました。 この際、国旗国歌を米軍統治への抵抗のシンボルとしてかざしておりました。 ところが、佐藤ニクソン会談で復帰が確実になるや手のひらを返し「国旗国家は軍国主義に繋がる。 沖縄戦の悲劇をくりかえすな」とこう変化し、現在に至っております。
A 沖縄の実業界はニクソンショックでドルが対円レートで下落するまで復帰に反対でした。 小生はっきり覚えております。 沖縄の歓楽街で、店頭に「日本人立ち入りお断り」の看板を出した県民がおりました。 沖縄の通貨がドルでかつドル高であった頃、同胞が持参する円は魅力がなかったのであります。 (沖縄の通貨は、昭和47年5月15日通貨交換によって円となりました)。
では、以下2点、くだんの偏向教科書に反論します。本来ならこのような史実を教科書に掲載すべきなのですが・・・。
@戦後、沖縄に米軍の駐留がなければ
昭和23年6月、石垣島の旧日本海軍飛行場に国民党の軍用機が強行着陸して米軍によって排除されました。 仮に戦後、沖縄に米軍の駐留がなければ、沖縄本島を含む南西諸島は確実に北方領土のようになっていたでありましょう。 沖縄人は好むと好まざるとにかかわらず第三国人になっておりました。
A大阪朝日新聞(昭和7年1月15日)参照
「沖縄県政につき、とくに有難き御下問、 井野知事より奉答」とあります。
これは全国地方長官(知事)が宮中の午さん会に招待され、陛下が各長官に地方の実情について御下問された時のハプニングが紹介されております。事前に宮内大臣より各長官に対し、自己紹介のみという指示があったようでありますが、陛下は、沖縄県知事が自己紹介するや、沖縄の現状について詳しくご下問遊ばされ、参加者一同を驚かせたという内容であります。
本来なら今は亡き昭和天皇のご恩に感謝すべきものが、このような不逞の輩に改竄されて国民に伝承されるとは何と不遜極まりない事でありましょうか!
このような沖縄史の実態は、小著「誰も書かなかった沖縄」(PHP研究所刊)や、以下のホームページに掲載されております。
(完)
【リンクのホームページ】
小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿
http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html
★「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト bT15まで更新されました
(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT15までのバックナンバーを更新・掲載)
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
↓
いのちの風515 迎え火/先祖への感謝と絆/祖先の目を意識する/おがら/尊い命の散華
いのちの風514 北京五輪反対デモ/自殺と感謝とサヨク教育/生きがいの創造
いのちの風513 安倍政権の敗北/サヨク占領軍との闘い/公務員国家の退廃/無投票の意味
いのちの風512 再び転機の時か/サヨクの発言「原爆は当然のこと!」/シルバー・バーチの霊訓
いのちの風511 精神世界と反共主義/マルクス主義的(共産主義的)唯物論/ニューエイジ
いのちの風510 韓国人からの謝罪要求・その2/韓国に帰っていった女子学生の話
いのちの風509 衣料カンパ願い/6月22日号外/てんつくマン映画/韓国人からの謝罪要求
いのちの風508 グアム人の悲しみ/市民としての権利と義務と強制/言葉を失ない滅びゆく民
いのちの風507 農相の自死/罪の背負い方/いのちを超えるいのち/誇りを失なった民族
いのちの風506 EM環境浄化活動/日本熊森協会/国民参加環境運動/森は海の恋人/汎神教
いのちの風505 ソニーを生んだ障害児/幼児教育/野口雨情/しゃぼん玉/日本の童謡・唱歌
いのちの風504 障害児/大平光代さん/ダウン症/小林正観さん/争わない/喜ばれる存在
(大阪駅前炊き出しや清掃の写真が載っています。 画面左にある「4、最近の活動」には踊り
子大圓が、踊りの出場を前にして踊っている写真の連写が載っています)
(なぜかいつの間にか削除されています)
http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html
A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離
の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」
釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。
B 應典院HP「いのちと出会う会」(
http://www.outenin.com/inochi/deaukai_1.html
應典院HPのなかの「いのちと出会う会」過去の開催記録(第1回〜第70回)
http://www.outenin.com/inochi/deaukai_3.html
第71回:9月20日(木)「運命は変えられる」 梅澤千雅子さん 詳細は以下
http://www.outenin.com/inochi/index.html
mediaXから配信しているインターネットTV『Tv−Woo(http://tv-woo.jp/)』で應典院での「いのちと出会う会」が映されています。画面のずっと下の方の、お勧め番組「Tv−Woo」「ケースケ講演する 前編・後編 第66回 いのちと出会う会にて」をクリックしてください。
2時間のビデオが放送されます。最初の視聴には上の黄色い部分をクリックしないと映像が出ないかもしれません。 紺の作務衣姿の司会者の私が動き回っているのが映っています。
C 大阪メチャハピー祭
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、鳴子を鳴らして踊るよさこいソーラン踊り系踊り祭。 昨年で7回目、大阪城ホールなどに7000名が参加する子供中心の踊り祭で子供たちに夢と希望を与えようという大阪の一大イベントに成長)
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/
「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs
D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります。
この着ぐるみを着て大阪駅前で野宿のオッチャンたちと掃除もしています)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html
トラッキーの掃除屋さん(別のところで宣伝マンをしている姿です)
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-281.html
F インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加して内容を閲覧することはできません。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617