いのちの風 bT26 

平成19年12月18日(火)発信 石黒大圓(だいえん

 

今回のテーマ 通信費のお願い/人の喜び/豊かさへの罪悪感/次男の死/人の分まで生きる

 

 

いつもありがとうございます。 今年もあと半月。せわしなく先生(師走)が走っています。 寝袋はすでに500個は配りましたが、未だに昨年までのように多くのカンパが集まっていません。 自腹も限界となってきました。 

それで苦肉の策ですが、毎年、年末年始頃にお願いしています通信費を、寝袋カンパに代用しようと思いました。 1年分としてメールの方には千円、FAXの方には二千円をお願いしていました。 今年もできればお願いいたします。 

なおこの通信をご不要の方はお知らせください。

 

左記共に名前は石黒良彦です 

三井住友銀行 船場支店 普通1858882 

郵便振替番号 00990-8-110746 

 

541‐0056大阪市中央区久太郎町3-4―18 へ防寒衣類(古着)、下着、スニーカーなどの衣料カンパもお願いいたします。来年早々で結構です)

 

 

人の世が 喜び終わる うれしさよ

 

前回からの続きですが、松江隆明さん主催の講演でも倫理法人会の講話でも、時間がなくて話せなかったことも書いていきます。

 

寝袋配布を毎冬の10月から3月まで毎週金曜日の夜9時から11時45分くらいまでやっています。 釜ヶ崎の商店街や天王寺駅周辺、天王寺公園入り口、四天王寺、動物園入り口、路面電車の恵比須町駅、日本橋電器商店街、道具屋筋商店街など、3時間ほどの間に7ヶ所ほどを車で廻ります。


  先日は倫理での講演がある前日でしたので、韓国教会がおにぎりと味噌汁の炊き出しをしている日本橋で30個ほど配ってやめました。 100人ほど並んでいましたが、昨年同様多くの野宿者がもう もらっているよと正直に申告してくれたので、予定の100個は全部はけなくて、面倒なことに家に持って帰りました。 

   

 

 

その晩に日本橋で会った若者が「釜ヶ崎の実情をネットでレポートしている」と言って近づいてきました。 「あなたたち何者ですか。 今年も釜ヶ崎ですでに20人ほどが凍死している。すばらしいことをしておられるんですね」と、私が話をするごとに感動してくれました。    

私が従来言っている「行政に文句ばかり言っているのではなく、心ある日本国民がこの現状を変えていくために汗を流すことが大事だ、それが国を守ることにつながる」としゃべり、また感動してくれました。 


  彼は外国のスラム街での支援活動に参加していて、外国での実情を知っており、民主主義とは国民が汗を流し合って地道に築いていくものだということが理解してくれていました。 国民が同胞である野宿者の命を守ること、そして我が街を掃除できれいにすること、外国から見て恥ずかしくない国にすること、そのことと国を守ることは同意義と思います。 

 


  野宿者の中には寒さから夜中じゅう歩く人もいます。 寝袋を受け取って抱きかかえるように「ありがたい」と喜んでくれる。 そう言ってくれると私もうれしい。 まさに倫理法人会で学ぶ「人の喜び わが喜び」です。

 
  野宿者を凍えて路上で死なせたくない。 それは終末期医療の現場で言われる、病院のベッド上でなく「人生の最期を畳の上で死なせてあげたい」という思いと重なります。 

 

この思いは、同じ日の早朝に、我が中央区倫理法人会で話された、釜ヶ崎の建設労働者へのボランティア生活相談員、入佐明美さんの言葉。 「野宿者を畳の上で死なせてあげたい。 人生最期が幸せなら、過去のつらかった人生すべてが幸せと感じられる」に通じます。


豊かさを おのれの罪と 見る若さ 

 

昔、若かった頃、豊かな家に生まれ、なに不自由なく育ったことに、私は罪悪感をもっていました。 貧富の差や社会の矛盾をなんとかしなくてはいけない、今の政治が悪い、という正義感、反感の思いが、サヨク活動へのあこがれとなっていました。

 

また両親の仲が悪く、父がいつも母を夜ごとに言葉で陰湿にイジメていました。一方「お父さんのような人になったらあかんで」という母にも愛着がわきませんでした。 その姿を見ていた心のトラウマが私の心の底にあります。 心のなかに人間としての心の柱を立てられなくて精神的に不安定でした。 

 

 

そして親に心を開くことなく反抗的になっていました。 その親への反抗的な気持ちが政治的な反体制に向かったと思います。 そのうえ私が大学卒業後に父に請われて会社に戻ってきて商売を一緒にし始めてからは、毎日がケンカの連続で、ますます父に攻撃的になっていきました。 この「いのちの風」のなかでの攻撃的な姿勢は、その若いときからの習慣がさせるものだと思います。 

 

特に若いときは今のイスラムテロリストと同じでした。 貧しい人々への共感と豊かさへの反感がありました。 豊かな社会を否定して自己をも否定する感情がありました。 このどうしようもない、自分が自分でないような、満ち足りない思いから、自殺してしまいたいと若いときは時々思っていました。 

 

 
  「死」について考え、死んだらどうなるのか、この宇宙から永遠に消えてしまう恐怖にさいなまれました。 生きても地獄、死んでも地獄のなかでもんもんとする日々がありました。「垣間見た死の世界」という本に出会って、死んでも「永遠の生」があると知って心救われたのはその頃でした。 

 

 
  先日このことを知人に話したら、豊かさに劣等感や罪悪を感じるなんて考えもしないと言っていました。 普通じゃないです。 しかし多くの全共闘過激派はマルクス主義の影響を受ける前に、私と同じように親や豊かさへの反感を持っていたのではないでしょうか。 正常でない精神をもって自己破壊を起こし、自己否定・他者否定の世界に生きていたと思います。 それが反体制の過激な行動、そして内ゲバ・リンチの連続に向かったのでしょう。

 

 私は妻も病気で亡くして、しばらくウツになっていましたが、多くの役職を経験させていただいて、人前へ出る機会も多くなり、ずいぶん元気にさせていただきました。 苦しみは決して苦しいままで終わるのではなくて、それを乗り越える力をつけることで、苦しみは幸せへの道へとつながるのだと悟らせてもらいました。 それこそ倫理でいう「苦難は幸福の門」でした。

 

 

水泳ができる前には何度も水を飲んで苦しい思いをしますが、泳げるようになったら、しんどいことも へっちゃらになります。 苦しいことをさけていたら何も乗り越えられない。それを家族を亡くすことで知りました。

 

 
亡き人の 思いを継いで 歩み行く

 

最近まで毎月開催の講演、その会場のそばにある福島天満宮の清掃奉仕をしていました。 ある日は七五三のお参りの日でした。 着飾った幼児が両親や祖父母に連れられて多く参っていました。 

 

昭和63年秋、次男邦之も七五三のお参りをして、元気のない姿がビデオに映っていました。 その数ヵ月後に白血病入院となったのです。 

 

僕、何も悪いことしてへんのに、何でこんな苦しまんなあかんの」。4歳の幼い子はこう苦しみの意味を問い、この世の不条理を訴えました。「み仏さま、この痛いの取って下さい。僕、何か悪いことして来たんやったら、あやまりますから、許して」。 

 

仏教系の幼稚園に行っていた次男は何度彼は必死に祈ったことだろうか。 私たちは彼の問いと祈りになすすべもなかった。    

 

 

 

医師から「覚悟してください! 覚悟してくださ!」声が耳の奥でずっとこだまし続けて、身が切り刻まれる思いでした。 子供が死ぬなんて! 私たちに今起こっていることが信じられないまま、どんどん事態は進行していきました。 

 

夢であってほしいと何度も必死に祈りました。 まるで止まらないジェットコースターに乗ってしまって、何度ブレーキを踏んでも止まらない。 地獄へ真っ逆さまに落ちていく恐怖の思いで過ごしました。

 

 

平成元年8月19日の朝、妻は次男の遺体をだいて病院を出るとき、「クーくん、やっと外に出られたね」とつぶやき、死を受け入れました。 可哀そうに死ななければ外へ、我が家へ帰れない悲しい宿命だったのです。 4歳11ヶ月で彼は永眠しました。

 

 

私は桜の時期には特別の感慨があります。 入院中の次男が一時退院して、長男の小学校入学式へ行ったときの思い出。 桜の下で式に参列している妻と長男を待っていました。 治療の後遺症で坊主頭になってしまっていた次男のそのときの寂しそうな姿。 そして2度と小学校の門をくぐることはなかった。長男はこの時に帰ってきた次男と、ベッドの上で遊んだ思い出は残っている、と言っていました。 


  ある人のメールの中に「亡くなった子供の分まで、代わりにこの人生を体験していくのだ」といった文章がありました。 

 

先日ある若い電車運転手の葬儀の話しを聞きました。 運転手としての夏・冬の制服が祭壇に並べられ、制服姿の同僚が数百人参列していた。 遠くで彼の死を悼んで同僚たちの列車が汽笛を鳴らしている。 彼の後輩が「あなたの分まで私たちは生きていきます」と慟哭しながら弔辞を読み上げていた。 参列者の皆が、若き彼の死を悼びすすり泣きが会場をつつんでいました。 

 

 

 

その人が生きるはずの長い人生が、死によって遮断されて終わってしまった。 その人の人生を私が受け継いで「あなたの分まで」生きる、という言い方は個人主義の西洋では考えられないこと。 あなたの人生はあなたの人生。 私の人生は私の人生。 他の人の人生は私の人生とは異なる。同じものではない。 他人の人生を私が代わりに生きるなんてことはできない。  

 

しかし日本人は自他同一視をする伝統がある。 心の底で人間はつながって同一なのだという観念がある。 草木にさえ我々と同じ魂があると考える日本民族。 若き将来ある人の人生が遮断された。 その人の代りに、その人の思いを引き継いで生きていく。

 

 

その人の引き裂かれた人生を、代わりに私が全力疾走で走り抜けて行ってあげる。 今日、自堕落に生きている時間は、昨日亡くなった人たちが味わいたかった時間。 亡き人が味わいたかった人生。 その時間を私が自分の人生で大切に味わい、代わりに輝いて生きていこうとすることが、その人の供養になるのではないか。

 

次の世界で待っている家族にいつか私も再会します。 その時には彼らが味わいたかった人生を私が代わり生きて、面白おかしく話してあげる義務が、私たち生き残った者にはあるのです。 

 

その時まで高杉晋作の如く「面白きこともなき世をおもしろく」そんな波乱万丈な人生を送りたい。 自慢話の報告が終わったら、思いっきり2人を抱きしめたい。 

 

そしてそれは私たち遺族だけでなくどんな人にも、その責任はあるのです。 このかけがえのない「いのち」を天からいただいた限りは。(つづく)

 

(完)

 

 

【リンクのホームページ】

 

● 小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿

http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html

 

● 知人の松江隆明さんのHPに載せていただいた9月20日の阿倍野高校での私の講演会。いつも通りにトラの着ぐるみの頭を着て登場して挨拶を始めている場面。
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10049664067.html#cbox

 

● 同じく松江さんのHPのなかのURL。

あいりん地区(釜が崎)で炊き出しのお手伝いをしました。

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041525376.html#cbox

あいりん地区で炊きだし

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041433704.html#cbox

おにぎりを作っています

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041435938.html#cbox

カレーを配ります

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041445687.html#cbox

 

 

 

「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト  bT22まで更新されました

(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT22までのバックナンバーを更新・掲載)

http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

いのちの風522 いのちと出会う会/今年最初の寝袋配り/神仏の守護/公務員労組の専横

いのちの風521 男女共同参画/優性保護法/産婦人科医の苦悩/ジェンダーフリー/性感染症

いのちの風520 寝袋配り/ケンカっぱやい/怖いオッチャン/不条理に声を挙げる/いのちをいとわず

いのちの風519 阿倍野高校での講演/胎内記憶/反日の地球村・高木善之氏

いのちの風518 運命は変えられる/国民とマスコミの戦争責任/トラッキー阿倍野高校へ行く

いのちの風517 日本人居留民虐殺事件/サヨクが報じない沖縄/誰も書かなかった沖縄

いのちの風516 千の風/体でおぼえる/墓参り/先祖慰霊の伝統の継承/マスコミが報じない沖縄

いのちの風515 迎え火/先祖への感謝と絆/祖先の目を意識する/おがら/尊い命の散華

いのちの風514 北京五輪反対デモ/自殺と感謝とサヨク教育/生きがいの創造

 

 

 

 

@ 「いのちの風」通信 

(大阪駅前炊き出しや清掃の写真が載っています。 画面左にある「4、最近の活動」には踊り

子大圓が、踊りの出場を前にして踊っている写真の連写が載っています)

(なぜかいつの間にか削除されています)

http://www.geocities.jp/ishiguro_yoshihiko/index.html

 

A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。 

美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 

釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。

http://www.noseh.com/

 

B 應典院HP「いのちと出会う会」石黒司会の應典院での年9回開催の名物イベント行事)

 

http://www.outenin.com/inochi/deaukai_1.html

應典院HPのなかの「いのちと出会う会」過去の開催記録(第1回〜第70回)

http://www.outenin.com/inochi/deaukai_3.html

71回:9月20日(木)「運命は変えられる」 梅澤千雅子さん 詳細は以下

http://www.outenin.com/inochi/index.html

 

 

mediaXから配信しているインターネットTV『Tv−Woo(http://tv-woo.jp/)』で應典院での「いのちと出会う会」が映されています。画面のずっと下の方の、お勧め番組「Tv−Woo」「ケースケ講演する 前編・後編 第66回 いのちと出会う会にて」をクリックしてください。 2時間のビデオが放送されます。最初の視聴には上の黄色い部分をクリックしないと映像が出ないかもしれません。 紺の作務衣姿の司会者の私が動き回っているのが映っています。

                 
C 大阪メチャハピー祭 (毎年10月8日の体育の日・祝日に開催)
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、鳴子を鳴らして踊るよさこいソーラン踊り系踊り祭。 昨年で7回目、大阪城ホールなどに7000名が参加する子供中心の踊り祭で子供たちに夢と希望を与えようという大阪の一大イベントに成長)    
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/

 

「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs

 

D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります。 

この着ぐるみを着て大阪駅前で野宿のオッチャンたちと掃除もしています)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html

 

トラッキーの掃除屋さん(別のところで宣伝マンをしている姿です)
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-281.html

 

 

F インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加

(知人の紹介がないと、ここへ参加して内容を閲覧することはできません。 参加ご希望の方はご連絡ください)

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617