寝袋カンパ支援のお願い

この寒空に老人がダンボールのなかで震えています

皆様のご支援をお願い申し上げます

 

  寝袋配りを今年も路上で生活している野宿者(ホームレス)たちへ行なっています。 皆様からいただいたカンパで1個1000円の寝袋、約千個を毎冬、6年間(合計6000個)10月から翌年3月まで毎週金曜日の夜に配っています 

 

釜が崎や大阪駅、天王寺駅、四天王寺、市内の商店街の軒下などの、路上でダンボールにくるまって寝ている人々を訪ねて配っています。 ブルーテントの人には配っていません。 皆が満面の笑みで寝袋を受け取ってくれています。 「わっー 助かった。ありがたい」と恋人を抱きしめるように寝袋をかかえてくれる人もいます。 

 

今期もダンボールをもって商店街を歩いている野宿の人に会いました。 彼に「寝袋いりませんか」と尋ねると「金持ってへんねん」。 私「いや、タダです。 使ってください」と渡したら、そのオッチャンが「ワー」と泣き出した 寒さがよほどつらかったのでしょう。 人の親切が有難かったのでしょうか。

 

昨年10月初めて金曜日に仲間と二人で車での寝袋配布を始めた晩のことです。 動物園の入り口で15人ほどが寝ていて、ダンボールだけ、毛布だけ、着のみ着のままの人、さまざまな姿を久しぶりに見ました。 動物園前から少し外れた映画館の裏手に寝ている人が、いつもいます。 その人の所にも寝袋を持っていったのです。 

 

ダンボールで囲った路上のハウスで、彼は飲みかけのコップ酒を横に置いてぐっすり眠っていて起きなかった。 「風邪引くで! 上から寝袋を開いて、かけたるわ」と寝袋のチャックを開け始めました。 とたんに胸が熱くなって涙が出そうになりました。 単純に可哀想という感覚ではないのです。 

彼は前世にこの姿を決めてきたという思いも私の心の隅にはあります。 何がこうさせるのか。 このような人々に奉仕させてもらっている有難さか。 いや、もっと深いところで、神仏が彼と私のそばにおられる。 「ごめんな、こんな目にあわさせて、許してな」という神仏の慈悲の思いが、私を刺し貫いているのではないか。 その悲哀の感情が涙をふきださせるのでしょうか。 

 

病と闘いつらい思いをしていた亡き妻と5歳で病死した次男の姿とが、路上で寝ている人々の姿とが重なるのでしょうか。 二人への感情が野宿者の姿から乗り移るのでしょう。

 

私たちは毎週月曜日の夜九時からJR大阪駅前御堂筋南口(バス停前)で、野宿者たちにおにぎりや衣類配布をしています。 それが終わったら大阪駅前周辺の清掃を野宿の人々と一緒にしています。 寝床にしている大阪駅前の清掃をすることで、社会への報恩感謝の気持ちを持ってもらえたらと思っています。 清掃を共にすることで野宿の人々との心の交流も深まりました。 

 

そして一昨年の冬からトラの着ぐるみを私が着て掃除をしています。 野宿者が掃除をしてくれていることを道行く人々に宣伝したいからです。 大阪駅前周辺でそのでかい黄色いトラッキーに気づかれたら頭でも叩いてください。

 

最近ある70歳くらいの老婆が掃除を手伝ってくれています。 阪急の高架下で40歳代の男と一緒にいつもダンボールハウスで寝ている人です。 先日彼女に声をかけました。 私「いつも男の人と一緒に寝ているね」。 おばあさん「赤ちゃんの時に死んだ私の娘と同じくらいの年の子や」と。 いつもニコニコしているこの人にもそんな悲しい過去があったのか。  

 

そのあと掃除していて道路のそばに1歳くらいの小さな小さな靴が片足落ちていました。 涙がこみ上げてきました。 おばあさん、次男。 一気に目の前が曇ってしまいました。 寝袋配りをしていると毎年こんな胸がつまる思いになります。 そしてそれが魂の糧になります。 もったいないことです。 感謝です。 路上には目には見えない宝が満ち溢れています。 もので豊かな人には、それが見えないと思うのです。

 

今年も3月まで寝袋配りをしたいのですが、今まで多くの方からカンパをいただいてきましたが、カンパ金が底をついてきました。 私がいる商店街でも今冬に凍死者が出ていました。 もしよろしければ例年通りご浄財をお願いしたいのですが。 よろしくご配慮をお願い申し上げます。

  

すこしでも善意の寝袋カンパを

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