いのちの風 bT28 

平成20年1月7日(月)発信 石黒大圓(だいえん  

 

「いのちの風」通信「縁の花」支縁サイト

bT27まで更新されました】  

(毎月3回知人300人へ送信している、いのちや野宿者、日本についての思いを書き綴っている通信。 政治論では愛国保守系の内容です。 bT27までのバックナンバーを更新・掲載)

http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

いのちの風527 妻の実家でのターミナルケア/死別体験での学び/唯物思想と闘う愛国運動

特別号     新聞に私の寝袋配りが掲載されました

いのちの風526 通信費のお願い/人の喜び/豊かさへの罪悪感/次男の死/人の分まで生きる

いのちの風525 還暦誕生日に爆笑講演/ネットカフェ難民/当たり前ではない恵み/人を憂う

いのちの風524 私の相棒/ワーッと泣いた人/神仏の悲哀/小さな靴/主催者を愚弄する高木氏

いのちの風523 高木善之氏のウソ/中印は原発推進国/原発は高度消費社会の原罪

いのちの風522 いのちと出会う会/今年最初の寝袋配り/神仏の守護/公務員労組の専横

いのちの風521 男女共同参画/優性保護法/産婦人科医の苦悩/ジェンダーフリー/性感染症

 

 

今回のテーマ 二十年年賀状/寝袋配りが新聞に/国直し/巨大な日章旗の列/国を守る気概

 

 

いつもありがとうございます。 平成20年の年が明けました。 皆さん新年はどのように迎えられましたか。 私は12月31日に深夜電車で伊勢参りに行くつもりが、やはり今年も年賀状宛名書きが残ってしまって奮闘中でした。 

 

以下が今年の「はがき道」の坂田道信先生式の、字だけで書いた恒例の私の年賀状です。 すでにメールの方には1月1日にお送りしましたが。 FAX通信仲間の方には、これをもって今年の年賀のご挨拶とさせていただきます。

 

年明けて 心新たに 決意する

 

年賀 明けましておめでとうございます。旧年中は色々お世話になりありがとうございました。一昨年に大阪府倫理法人会という経営者団体へ入り早朝から多くの方々の人生体験を学ばさせていただきました。 そして多くの方が語られること、「苦難は幸福へつながる門」だということでした。苦しみを経験してこそ人生の深みを味わい、明日への飛躍につながる。苦は決して苦のままでは終わらない。このことは私の家族との死別や野宿者支援活動のなかでも感じていることでした。そして「人の喜びはわが喜び」として生きていくことが、この世に生を受けた目的であるとも思いました。この豊かな国で、わが同胞の多くが路上で凍死するという悲惨な現実は日本の恥、大阪の恥です。せめて寝袋の中で温かい夢を見てもらいたい、そう思い今冬も寝袋配布を行っています。このことを通してこの国を護り、少しでも美しい国にできたらと思います。今年も奮闘します。平成二十年が皆様にとりより良き年でありますようお祈り申し上げます。 

平成二十年元旦  石黒大圓・敏之  

大阪市中央区久太郎町三―四―十八 電話〇六―六二五一―一四九六

 

ある方のHpに坂田道信先生の字だけの年賀状があります。参考に転載させていただきました。

 

『 賀正 「複写ハガキ」を書くようになりまして 三十数年をかぞえました。今では多くの縁ある全国の皆様と共に楽しくて意義あるハガキ人生を歩かせていただけるようになりました。「複写ハガキ」は人生をじつに豊かで潤いのあるものにしてくれる伝える道具です。いい友達に恵まれることほどの幸せはありません。読書会もさせていただいていまして読み書きは私達が育つ最高のプロセス読んで書いて日常の生活である生業をとうしてただひたすらに自らを育てるのが私たちが生きて行く一生だと思わせていただいています。今年も皆様と共に「複写ハガキ」の世界を生きて行きたいと願っています。

 

有難し 新聞で伝える 国直し

 

ありがたいことに、保守系の全国新聞、世界日報の12月24日の社会面に私の寝袋配布活動のことが掲載されました。 12月21日に記者とカメラマンが寝袋配りに同行して取材していただきました。 世界日報は海外面が充実していて日本で最初にインターネット新聞を配信しました。

 

『「ホームレスに寝袋配布し続けて6年/同胞を、凍死から救いたい/大阪の石黒大圓さん

 

毎冬、約二百人のホームレスが凍死、病死などで亡くなる大阪。 その街で、「いのちと出会う会」代表世話人の石黒大圓(だいえん)さん(60)は、六年前から野宿者に寝袋配布を続けている。

 

四歳の二男を白血病で、また妻を四十九歳で失った石黒さん。 悲しみで鬱(うつ)になり、つらい一時期を体験した。 「愛する家族の命を助けることができなかった。

だから凍え死ぬかもしれない人々を目の前にして、素通りはできない」。 手渡す寝袋に愛が込もる!。(鴨野守)

 

「寝袋いりませんか」今月二十一日午後九時半すぎ。 石黒さんは仲間の植田敏明さん(46)と、大阪市内の駅前や商店街の路上で寒風にさらされながら休むホームレスに優しく声を掛けていく。

 

毎冬十月から三月まで毎週金曜日の夜、三時間ほど寝袋配布をして今年で六年目。 日本最大のドヤ街・釜ケ崎や天王寺駅周辺、天王寺公園などを車で回り、野宿者に寝袋を手渡していく。

 

師走の空にクリスマスソングや忘年会帰りの人たちの歓声が響くが、彼らに訪れるのは空腹と寒さだ。そんな夜中に、突然差し出されるプレゼントに「おおきに」と笑みを浮かべる人、いとおしい家族のように抱きしめる人。

 

寝袋を有料と勘違いして「金持ってへんねん」と言う人が、「いいえ、差し上げるのです」と聞いて、予期せぬ善意に触れて泣き出す場面も。

 

 

 

「大阪市内では野宿生活者が五千人を切ったと言われるが、新たに仲間入りする人もいます」と石黒さん。 女性ホームレスはわずかだが、彼女らの多くが精神を病んでいる。 

 

大阪の路上で凍死、餓死などで亡くなる人は約二百人。 病院に搬送されてから亡くなる人は約七百人という。「この豊かな国で、同胞が凍死するという悲惨な現実は日本人の恥、大阪人の恥です。せめて寝袋の中で温かい夢を見てもらいたい」

 

石黒さんらは寝袋の配布だけでなく炊(た)き出しや大阪駅前の清掃などもする。放置しておけば死んでしまう危険のあるホームレスがいたら救急車を呼ぶこともあった。 できる範囲で彼らのために最善を尽くしたい! その一心で行動している。

 

 

 

その活動の出発点には、妻子を病気で亡くしたつらい経験があった。平成元年八月、二男の邦之君は白血病で亡くなった。 「僕、何も悪いことしてへんのに、何でこんな苦しまなあかんの」という言葉を残して。愛するわが子への必死の看病も報われなかった妻、佐知子さんは八年後に胃ガンで死去。

 

石黒さんの耳には今も「あなたと結婚できて幸せでした」とささやいた妻の言葉が残っている。 失意の中で鬱となり、一歩道を踏むはずしたら、ホームレスの仲間入りをしていたと石黒さん

 

ホームレスの中には高度経済成長を肉体労働者として底辺で支えてきた人たちもいれば、家庭の事情で小学校で学ぶこともできずに働き続けてきた人もいる。二十一日に会った四十代の男性ホームレスは勤労意欲を急激に失い、鬱病で自殺も考えたという。 彼らをただ怠け者とか弱者として見捨てることはできない、という石黒さん。

 

「心ある日本国民がこの現状を変えていくために汗を流すことが大事だ。それが国を守ることにつながる」活動を通じてこの信念はますます深まっている。 

 

(写真) ホームレスに「寝袋いりませんか」と声を掛ける石黒大圓さん(中央)21日夜、大阪市内で

 

日の丸で 心清らか 風吹き渡る

 

 年末にわが商店街「せんば心斎橋筋協同組合」ではアーケードの下に横3m、縦2mの巨大な日章旗を6個掲げました。 昨年に商店街の理事会で、日の丸の国旗掲揚を提案したところ、あっさり了承していただきました。 私が日の丸を好まない理事をおられるのではないか、とか火をつける通行人がいるのでは、と危惧を述べました。 

 

しかし理事長の大西衣料の大西隆氏が「そんなのはミサイルを飛ばす北朝鮮と同じような奴だ」と一喝し、賛成していただき一発で決まりました。 大西理事長は元・大阪商工会議所の副会頭で、商店街や学校から国旗掲揚の依頼があったら無償で日の丸を送る運動をされていたとのこと。 私の提案が拒絶されるのではないかというのは杞憂でした。 

 

昨年は年末年始にたった6日間だけだったので、私は短すぎると商店街事務局に抗議しました。 そのためか、今年は28日から1月10日まで2週間掲げます。昨年は南隣の北心斎橋商店街では日の丸を掲げませんでしたが、今年は掲げてくれています。 

 

本町からそごう、大丸の前から南の戎橋商店街まで、地下鉄3つ分の距離に延々と巨大な日章旗の列が連なります。 白地に赤い大日章旗が年始の空気を清めるようにひるがえります。 遠くから巨大な白、赤の旗が列をなしているのを見ると壮観です。 心わくわくする気分になりました。 これから祝日には昔のように日本全国の家々の軒下に日の丸が掲げられる日がいつかくることでしょう。  

 

昨年の年始に大阪卸連合会の互礼会へ行ったときに、初めて正面に日の丸が掲げてあり国歌斉唱もあり感激しました。 倫理法人会でも大きな集会では国旗掲揚、国歌斉唱があって感動します。 

 

経営者の会であろうとなかろうと、国旗国歌に尊崇の念を表す習慣はそろそろ世界標準に合わせて復活すべきです。国旗国歌を無視するような日本人の姿を外人が見たら怒鳴りつけることでしょう。 

 

 

「白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は」こんな歌は子供はもう知らないでしょう。 日教組教育では日の丸は悪の象徴ですから

 

同じ同胞から受けているこの祖国への屈辱をぬぐい去るにはまずは愛国のこころざしをもつ日本人が率先して国旗を掲揚していくことです。 まずは実行あるのみ。 朝日新聞などの反日新聞を読んでいる人は日の丸を侮蔑して、愛国の気持ちを失っています。 

 

以前から私は国を守る気概と我が商店街を守る気概を比較して訴えています。どこの国民も持っている当然の心構えを現代日本人は失っています。

 

 

 

日の丸掲揚の作業をしたあと商店街の人々8人と「火の用心!」と唱えながら歩きました。 「マッチ一本火事の元」「火の後始末に気をつけましょう」「焼きイモ焼いても家焼くな」「焼餅焼いても人焼くな」後はふざけた言葉の連呼。 誰も大声を上げないので私だけが大声を上げていました。 私も恥かしさを知らない人間にいつの間にか変身したものです。

 

そして本町から心斎橋まで拍子木を打ち鳴らしながら巡り歩いて、今年の商店街事務局の仕事はすべて終わりました。 火の用心の夜回りがあっちこっちで増えているのを、昨年末も寝袋配りをしながら感じました。 

 

町内の共同体が昔の隣組のように絆を取り戻して地域の安全に目覚めたのでしょう。 そしていつか国家の安全にも目覚めて国旗国歌が尊崇される時代が来るでしょう。 その時まで私の中の熱き思いをこの「いのちの風」通信にぶつけていきますので、今年もよろしくお願いいたします。

 

汗、涙 いのち伝えて 9年目

 

「いのちと出会う会」2〜4月予定です

 

車いすの小さな娘が教え与えてくれた宝物 

第74回 2月21日(木)矢野未友木さん(こどものきもち舎代表)

 

出産時のトラブルで脳性まひの障害をもってこの世に生まれた百花(もも)ちゃん。我が子の病気、障害の受容、明るく振舞いながらも矢野さんの心はボロボロ。生きる気力をなくし、ただ生きていた矢野さんに与えられた、光のような生きるチカラとなった言葉とは?親子でともに歩んで来られた半生を語られます。

 

幸せは2度と来ないと思っていた

第75回 3月20日(木・祝) 高下裕子さん(姫路ひまわりの会(遺族会)会員)

 

まるで天使のような小6年生の一人娘を白血病で失って、苦しくて苦しくて、家族みんながどん底でもがいていた。お嬢さんが命をかけて教えてくれた、大切なこと、生きるとは、愛とはいったい何なのか。人の痛みがわかるためにはその痛みが必要でした。今は彼女に「ありがとう」と祈る日々を語っていただきます。   

(2月と3月はともに十八時半〜二十時半 千円)

 

「1/4の奇跡〜本当のことだから」上映会&入江監督講演 

第76回 4月29日(火・祝)(4月だけ変則的な日になります) 養護学校教師、山元加津子さんと子供たちとの、純粋な心温まるふれあいを描いたドキュメンタリー。全国で自主上映会の輪が広がっている。障害がある人、ない人も、すべて理由があって生まれてきている。みんなそのままで素晴らしいんだ。まるごとの自分のこと大好きでいいんだよと魂を揺さぶられる感動一杯の映画。

 

應典院2階本堂ホール 

13時(100分)15時 

入江富美子監督講演 終了16時 

1500円(会員1000円) 應典院67703147

(完)

 

 

【リンクのホームページ】

 

● 小豆島の「養心の会」での私の講話と踊る姿

http://yaoyorozu.blog.ocn.ne.jp/susyu/2007/07/post_1209.html

 

● 知人の松江隆明さんのHPに載せていただいた9月20日の阿倍野高校での私の講演会。いつも通りにトラの着ぐるみの頭を着て登場して挨拶を始めている場面。
http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10049664067.html#cbox

 

● 同じく松江さんのHPのなかのURL。

あいりん地区(釜が崎)で炊き出しのお手伝いをしました。

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041525376.html#cbox

あいりん地区で炊きだし

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041433704.html#cbox

おにぎりを作っています

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041435938.html#cbox

カレーを配ります

http://ameblo.jp/kazu-ono11/entry-10041445687.html#cbox

 

 

 

 

A 知人の野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。 

美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離

の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 

釜が崎での炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。

http://www.noseh.com/

 

B 應典院HP「いのちと出会う会」石黒司会の應典院での年9回開催の名物イベント行事)

 

http://www.outenin.com/inochi/deaukai_1.html

應典院HPのなかの「いのちと出会う会」過去の開催記録(第1回〜)

http://www.outenin.com/inochi/deaukai_3.html

次回開催分

http://www.outenin.com/inochi/index.html

 

mediaXから配信しているインターネットTV『Tv−Woo(http://tv-woo.jp/)』で應典院での「いのちと出会う会」が映されています。画面のずっと下の方の、お勧め番組「Tv−Woo」「ケースケ講演する 前編・後編 第66回 いのちと出会う会にて」をクリックしてください。 2時間のビデオが放送されます。最初の視聴には上の黄色い部分をクリックしないと映像が出ないかもしれません。 紺の作務衣姿の司会者の私が動き回っているのが映っています。

                 
C 大阪メチャハピー祭 (毎年10月8日の体育の日・祝日に開催)
(立上げの時から参加して実行委員兼踊り子として関わった、鳴子を鳴らして踊るよさこいソーラン踊り系踊り祭。 昨年で7回目、大阪城ホールなどに7000名が参加する子供中心の踊り祭で子供たちに夢と希望を与えようという大阪の一大イベントに成長)    
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mecha/

 

「2006年・大阪メチャハピー祭」のスライドショー
(「大阪の子供たちに夢と希望を!」「大阪の商売人がんばれ!」「大阪の文化は日本一や!」 この曲のメッセージを、これからも大阪じゅうにまき散らしていきます。 いつでも踊りの出前行きまっせ!)
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=Y/xcPpX4__GKUTAF6Eq.PMqehLcwBpX8jEYGJBYuJLOSEhRXPKHlXbvu73Ci83qIZgVPT3bkbolbX1KdiDF7hzs

 

D せんば花金夜市
(よさこいソーラン踊りを私が踊っています。 虎のぬいぐるみも私です。 画面右の写真をクリックすると大きく写ります。 

この着ぐるみを着て大阪駅前で野宿のオッチャンたちと掃除もしています)
http://www.home-smile.com/hanakin/index.html

 

トラッキーの掃除屋さん(別のところで宣伝マンをしている姿です)
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-281.html

 

 

F インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加

(知人の紹介がないと、ここへ参加して内容を閲覧することはできません。 参加ご希望の方はご連絡ください)

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617

 

         

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