いのちの風 bT29
平成20年1月20年(日)発信
今回のテーマ 私の体験が本に/私は運がいい、ついてる、ありがとう/2人の老人が路上死
いつもありがとうございます。 今年ももう20日をすぎて、のんびりしていたのがあわただしくなってきました。 寒くなりましたね。
夜の寝袋配りの時に寒さで手が凍えて実感します。 例年なら12月にこんな寒さを感じるのですが、今年は1ヶ月遅くなっています。 この寒気のなか、皆様いかがお過ごしですか。
寒中お見舞い申し上げます。
感謝して 我が思いのたけ 本となる
昨年に世界日報の鴨野守記者様が私たちの寝袋配りに同行して取材していただいて記事にしていただきました。 その上に年末に私の体験と思いを本にしてはどうか、東京のある出版社を紹介する、と彼に告げられたのです。
鴨野守氏(彼はすでに10冊ほど本を出しておられる)
私のように愛国保守として天下国家を論じているのに、一方で弱者救済の活動をしている人は珍しい。 しかも家族との死別という「いのち」に向き合う体験もしている。 その貴重な体験を世に問うてほしいとの趣旨です。 そして先週その出版社の社長と彼と3人で会って、具体的に動き出しました。
まずは「いのちの風」通信に書いた膨大な文章から年代別、テーマ別に整理する作業に入ります。 家族との死別、野宿者支援、いのち、終末期医療など。 政治歴史についても書きたいのですが、それでは読者が逃げていくので控え目にして、具体的に見聞きしたものからすべてはつながっていることを伝えて行きたいです。
こんな私でもここまで来られたのですから、誰でもスイッチがONになれば能力全開となれる。 OFFのままであることがもったいない。 そして誰が作ったのか、そのようなこの世の仕組みを作った存在に感謝して生きていることについても書きます。
文章を今から書くのではなく、すでに書いている文章をまとめるので楽なことは楽です。 しかし面識のある知人に送っていた文章を、一般の面識のない読者に届けるには、よほどうまくまとめないといけないと思います。
「いのちの風」のbR28以前は、手書きで書いてFAXで送信していたので、それをパソコンに打ち直す作業をして初期の文章も参考にしようと思っています。 「いのちの風」通信bPからこのbT29まで、すべてをFAX通信用のA4用紙に書き換えたら1000枚ほどになります。
本そのものは250ページほどですので、A4用紙にしたら125枚ほど。 普通の私の講演時間1時間半をテープ起こしして、だいたい60ページほどらしい。 だから6時間もの話をする内容となるので、十分に私の体験と思いはこの本に載せられます。
出版費用はいらない、100冊は寄贈する、あとの追加は安く渡す、よく売れたら印税も渡す、という条件で、夢のようです。 今年の夏ごろにはだいたいの形ができている予定です。
いつも私の講演のときには話を補強する意味で、20ページほどのコピー資料をいつも準備しています。うまく出版までこぎつけたら、来年あたりからはこの本がその代わりをしてくれます。
この出版社では、以下のように驚くほど多くの私と関係深い方々の著書も手がけておられて、深い因縁を感じます。
●柴田久美子さん(隠岐で老人たちの死の看取りをされている方。
私と年賀状のやり取りがある)
●森津純子さん(終末期ホスピス医)
●東城百合子さん(自然食療法家)
●山口良治氏(泣き虫先生こと京都市立伏見工業高等学校ラグビー部監督)
●シスター海野さん(フィリピンで日系人支援をされているカトリックシスター)
●国際エンジェル協会(バングラディシュの孤児院支援などの国際支援活動をしている団体。私はここの会員)
●川上与志夫氏(元大阪市民大学講座の学長。私の通信仲間の一人)
●長谷川潤氏(愛国保守の教師。一緒に中国領事館などへデモに行ったことがある
以下のなかの(中学校教師)をクリックしてください)
この出版社は癒し系のものを多く手がけていて、つらい思いでいる人々への心のケアができる出版をめざしている気がします。
西村眞悟議員もご子息が自死されたけれど、なんとか踏みとどまって人生を歩きなおしてもらえるような、心に火をともす本を発掘したいという熱意が感じられました。 私としてもその思いは強いので、できるだけの努力をしてすばらしい本になるようにまとめて行きます。
昨年末にSMI成功哲学を学んでいる社長の話を倫理法人会で聞きました。 その中で印象深かったのは「『私は運がいい、ついてる、ついてる、ありがとう』 このプラス言葉を1日千回唱えなさい。 そしたら人生がいい方向に変わりますよ」と言われて日々実践していたのです。
SMI
これを1日千回小分けにして約50分間唱える習慣を身につけていますが、これは効きます!
日々シンクリニシティ(偶然の一致)や良きことが起こってきています。
また今年は今宮戎神社にも参ったことだし、今年は春から縁起がいい!。
「私は運がいい、ついてる、ついてる、ありがとう」
本当にありがたい。
感謝、感謝の気持ちで一杯です。
寒かったろう ひもじかったろう
どんなにか悲しかったろう
私の商店街事務局から昨年末に近所で野宿者が凍死していたとの報告がありました。 我が家の近所の呉服店の前の路上で着の身着のままで老人が亡くなっていた。 朝7時ごろだったので警察と救急車職員しか目撃者がいなかった。
事務局長も見に行って、以前から知っているホームレスだったと言っていました。 茶色に変色した顔をしていたとのこと。
可哀想に。 「生まれてからこの方なんにもいいことなかった。 こんな明日もわからない路上生活なんて死んだ方がましだ」と酒におぼれる人がいても仕方がない。 つらかったはずの人生の分、天上界の上の方へ昇っていってほしい。 ご冥福をお祈りします。
今までこの商店街から心斎橋まで何度も寝袋を配りに行っていたのに。 ご縁があれば寝袋を渡せたのに。 無念です。 色々な人が入れ替わり立ち代りやってきて寝ているので、完璧を期せば毎晩12時ごろに配ればいいのですが、それは私にはできない。
その人は酒でも飲んで暖かくなったところで、路上でダンボールもなしで寝てしまった。 そしてしばらくして体が冷えたところで心臓が凍えて止まってしまったのでしょう。
釜ヶ崎の商店街でも先週行ったときに2人ほどが着の身着のままで寝ていました。 「凍死するで!」と起こして寝袋のなかに入れてあげました。 近所の路上でもそのようにしてきた。 亡くなった人にも寝袋を渡せていたら死ななくてもすんだのに。これも決まった人生なのでしょうか。
先週のニュースによると「浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。 敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま息絶えた。
職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景だった。 「すべきことはやった」と市は説明する。 しかし保健師もいたのに誰も体に触れて容体を調べなかった。 建物内に入れたり、せめて路上に毛布を敷く配慮もなかったのか。 なぜあと一歩踏み込めなかったのか。 女性の死は重い問いを投げかけている。」
もの珍しそうに凍える老女をただ眺めていただけの市役所職員。
凍えている人に誰か温かいスープでも作ってきてあげて、自腹でおにぎりでも買ってきて、渡すくらいの慈悲心がなかったのか。
暖かい部屋へ入れてあげるだけの機転がなかったのか。
しょせんそんな公務員は指示待ち人間。 自分のことしか頭にない自己チュー。
戦後教育が生み出した傑作。
私と相棒二人は昨年、いつも通り寝袋配りをしていて、釜ヶ崎の商店街の路上で凍えて震えている野宿者の老人を見つけて救急車を呼びました。 近くの人々は「2日前からあんな風にパチンコ店の横で座っていたけど、救急車を呼ばなかった、よく呼んでくれてありがとう」と言われた。 しかしなんでもっと早く呼んでやらなかったのか、怒りがこみ上げてきた。
寒かったろう。ひもじかったろう。誰からも無視されて悲しかったろう。 妻子への思いにもつながります。 この記事の老女の魂にもそのように声をかけてあげたかった。
哀しい末路だ。 しかし彼女は天上界の一番上へ舞い昇って神仏に大切に抱きかかえられていることでしょう。 ご冥福をお祈りします。
(完)
(縁の花情報)