2月8日(火)発信 bS03 石黒大圓
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今回のテーマ 当たり前の恵み/野宿者/ぎっくり腰/天国からの電話
火事
いつもありがとうございます。 コーナンへ寝袋代金を払ってオートバイで帰ってきたら、本町周辺が煙に包まれていました。 一瞬、ドキッとしました。
我が家か? いや、南御堂の隣のビルが燃えていたのでした。 まず出たのが「ありがとう」。 いつも物売りのように「ありがとう、ありがとう」と唱えているので、こんな時にすぐ「ありがとう」が出ます。
今、何の災いも不幸もトラブルも起こっていないことこそ、幸いであり恵みです。 そんなことが起こっていたらどれだけ苦しまなくてはならないことか。
平凡な日常のようだが、何も起こっていないということは当たり前ではなく、天から、神仏から、ご先祖さんからの恵みなのです。
私は車やオートバイで走っていて、ヒヤッとすることがあります。 一瞬のうちに私が加害者や逆に被害者になることもあり得ます。 何もなく無事であったことに感謝して、まず「ありがたい、ありがとうございます」が脳裏に浮かびます。
当たり前の恵み
鯛が海から飛び出してきて呼吸もできず、干からびて死にそうになったとします。 そのとき初めて恵み一杯だった「海から恩恵」を感じることでしょう。
人は大切なものを失った時、何気なく当たり前のように感じていた、与えられていた恵みに初めて気がつきます。 そして失ってしまったものに感謝することでしょう。
私は妻子を失った時、地震や水害の被害を受けた人はすべてを失った時、当たり前と思っていたのが当たり前ではなかったことを思い知らされます。
ある遺族の会の講演会での話です。 あるパネラーが「私は十分に死の(準備)教育を学んだつもりでした。 しかし実際に妻を失ってしまったら学んだことなど吹き飛んでしまいました」と。
少々の知識など強烈な体験の前では何の役にも立たないことがわかります。
昔、ガンと告知された仏教の高僧が自殺したそうです。 深い人生観をもった人でも絶望の果てにはおのれを失います。
そうならないためにも「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という前世と来世を含んだ霊的人生観で自分の支えて生きていかなくてはならないと思います。
企業の危機管理と同じように、自分の心の危機管理を十分しておくべきと思っています。
この世に未練ない
先回に「この世には未練がない」と書いて、そんな悲観的なこと書かずに「これからひと花咲かせます」とでも書けよ、と言われてしまいました。
しかし昔の戦いの世で武士はいつ死んでもいい覚悟で生きていました。 未練があれば死ねません。 大きな活躍もできません。 幕末の志士も命を惜しんで倒幕運動はしていませんでした。
命に未練がないからこそ大きな仕事ができるのではないでしょか。
ガンで余命1ヶ月と言われたら享楽的、刹那的には生きてられないでしょう。 人生をどのように良い形で閉じるかを考えるようになるでしょう。
武士はそれを常に考えて生きていくように教育されていました。 人間として立派に生きるよう、若い時から精神の鍛錬をおこたらなかったのです。
そのことで次回に東郷さんの例を引いて書かせていただきます。
野宿者
先週に1ヶ月遅れで大寒波が来て日本中が白くなったようです。 凍える路上で寝ざるを得ない野宿者を思っていただいて、再びカンパや衣類の提供が増えてきました。 ありがとうございます。
今年は不幸中の幸いというか野宿者が仕事にありつけ、路上で寝ている人が少ないようです。
大阪市ホームレス自立支援課は「市内の野宿者は減っているようだ」といいます。 昨年相次いだ災害の復興工事や愛知万博、企業の設備投資などで、釜が崎の仕事が増えているらしいです。
テントの数はピーク時(平成8〜12年)の半分以下ともいわれます。 仕事が増えれば、悪いと思いながらのテント暮らしをしなくてもすむのです。 大阪市は無料宿泊シェルターを増やし、就労を支援する自立支援センターをさらに増やす計画といいます。
野宿者の多くは出稼ぎに来た60歳前後の九州出身者なのはなぜでしょうか。 かって経済成長を支えてくれてきた地方労働者が高齢化してきて、大阪の路上に追いやられているのです。
彼らが直面させられている苦境を、別の形の老人福祉問題として考えるべきと思います。 とにかく日本経済全体が良くならなくては高齢者の経済難民は増えつづけていきます。
私の相棒
寝袋配りを一緒にしている相棒には私自身、頭が下がります。 かって釜が崎の夜回りをされていて、大阪駅前の炊き出しで出会った方です。
先日の水害のときには豊岡まで支援にいって、泥だらけになって帰って来られました。 また金曜日の私たちの寝袋配り以外にも、別のグループの寝袋配りにも参加され、また個人的にも時々数個、深夜に配っておられます。
先日、彼が近鉄阿倍野橋駅で出会った野宿者に寝袋を渡したところ、下を向いて黙っていたかと思うと泣き出されたそうです。 終電車が終わると暖かい構内から追い出される。
人間扱いされて来なかった。 よっぽどつらかったのでしょう。
天満橋駅の野宿の女性
前から気になっていた京阪天満橋駅の野宿の女性のところにホッカイロとおにぎりを炊き出しの後、深夜に届けました。 寝袋はいらないといって毎晩階段の所で、膝をかかえて座って寝ている姿に、ある日いたたまれなくなったのです。
長い髪を振り乱してうずくまっていた女性の顔を見ると50歳代ぐらいでした。 「カップラーメンほしい?」と尋ねるとうなずくので近くのコンビニへ急ぎました。
その途中で胸から熱いものがこみ上げてきました。 昔のことを思い出しました。 妻の死後も同じマンションに住んでいた頃、帰宅すると1階の路上に野宿の老婆が座っていました。
長男に言って一緒におにぎりを作り、温かいスープとともに運びました。 ぼろ着を着てこのまま、この寒空のなかどう生きて行くのか。 胸が熱くなりました。
カップラーメンを持って戻って見ると、彼女は歯のない口で、もぐもぐおにぎりをほうばっていました。 野宿者の多くは歯をなくしています。
栄養失調や歯ブラシをしないためかと思います。 だから皆、年よりふけて見えます。
彼女に「炊き出しで食べているんですか」と聞くと、ニコとしながら「妹がお金をくれるんで買い食いしてるんです」と。 何か本人の精神的なものか、家庭の事情で路上生活になったのでしょう。
皆んな背中につらい人生を背負って寒風の中を生きているのです。
ぎっくり腰
先月末に「ぎっくり腰」になってしまい、参っていました。 13日の
ボーリングのときに無理をして腰をねじったためらしいです。 その後、重いものを運んだり、野宿者への衣類を車でもらいに行ったり・・と毎晩外出していました。
深夜帰宅で風呂に入れないことが多く、体も冷やしたようです。
25年前に習ったヨーガの基本体位と、自己流の真向法を組み合わせたもの。 それを寝る前にふとんの上で、5分ほど思い出してはやるという風にずーと続けて来ました。
そのおかげで踊りにも参加できていたのです。 体の筋が柔らかくなっていて、激しい動きで筋肉痛が起こるということはありませんでした。 毎日の単純な積み重ねが大事です。
体のストレッチを続けるという日頃の繰り返しを寒い間だけ手抜きしていた罰であります。 起き上がるのにも、車から出るにも「どっこいしょ、あーっ 痛てて」でした。
痛みが続くと体調も崩れてしまい、肩がこり、頭重たく、気分が滅入ることこの上なしでした。 体が冷えきって風呂に入っても温まりません。
すこしの腕や体の動きにも腰からの痛みがでました。 いかに腰が人間にとり肝心「要(かなめ)」か。 そのありがたみに今さらに感謝しました。
ひとり暮らしにはいかに健康管理が大切か、が身にしみて感じました。 体調によっては気を病むこともありうると思いました。
将来、孤老となるかもしれない私の精神衛生のためにも、今後は十分に体を鍛えておこうと決心しました。 そして死の(準備)教育を自分に施して精神の安定を保ち、その時を待つという心の余裕を持ちたいものです。
ゴキブリの人生?
人生の終末期に向かって体調を整えなければ、何の社会への貢献もできません。 生きて食って楽しんで子どもを育てて、それが人生でしょうか。
生かさせてもらって、食わさせてもらって、楽しませてもらって、元気な子供を授からさせてもらって、「はい、さよなら」と消えてなくなるのでしょうか。 それはゴキブリでもやります。
今まで生かさせていただいたご恩にたいして、感謝の気持ちを何らかの形で表し、社会や知人、神仏にお返しして行く。 特に私はこんなにすばらしく美しい日本に生まれたことに感謝します。 この日本を少しでも昔のように心美しい国に戻したいのです。
天国からの電話
5日目に妻の母から久しぶりに電話があり、ぎっくり腰の話をしたら「近所に医者ないの?」と言われ、ふと気がつきました。 商店街の先輩が整体院を開業している!
すぐに行って激痛の施術の後で一発で治りました。 1日目で70%、2日目で90%。 助かった!。 体の中からエネルギーが湧き上がってきました。
風呂に入ったらほかほかして眠れないほど。 やはりボーリングで痛めた肩をそのままに、痛いのを無理してゲームを続けたためでした。
右肩と背筋がコチコチになっていて、腰にまで負担を与えていたのでした。 あの日の母からの電話は実は私のことを心配した天国の妻子からの電話だったと思いました。
いのちと出会う会
ぜひご参加下さい。17日木18時半 応典院 『ビデオ鑑賞「アジアの子供たちから学ぶもの」』
インド洋津波のあと孤児の子供たちが売られていると言われています。 アジアの貧困のなかで水も食べ物も乏しい生活から、子供たちは労働力として、また娼婦として売られ、そして路上生活のストリート・チルドレンにもなっています。
世界で毎日4万人が貧しさで亡くなり、その90%が子供です。 無念です。
以前にもお知らせしましたが、以下の「縁の花のホームページ」に既に送付した私の通信が
載っています。 目次も付けて、少しづつ追加して80%は載せてもらいました。 ご覧いただけたら幸いです。
リンクのホームページ
1 通信仲間の岩谷正さんがご自分の「縁の花」のホームページに私の通信の古いものを、目次も付けて載せていただいています。 まだ全部を載せていませんが、お時間がありましたらご覧ください。
「縁の花」は本物情報をもつ方々の紹介や、精神世界、歴史や科学などの大変な量の情報配信を長い間されています。 ぜひ見る価値がありますのでご紹介いたします。
「石黒良彦情報 「縁の花」支縁サイト」
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm
2 昨年東京の友人を通じてご縁をいただいた野瀬泰良さんの霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
会報・美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎の炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。 http://www.noseh.com/